ごめんよごめんよ!八三論! 
  - 1 - - 2 - - 3 - - 4 - - 5 -

83論


 キャラクター分析 その続き
 舌先三寸もいい所ですね。二枚舌とも言いますか?アタマ悪いのに必死で書いてるのが丸分かりで、自分で自分に同情して来ました。
 それでもまだ続きます、キャラクター分析。青色吐息脂汗ですがまた文字だらけです。それどころか更に増えてます、文字。「そこに山があるから昇るんだ」的「ここに文字があるから読むんだ」精神の方、どうぞお付き合いくださいませ。ああでも先に謝っちゃう。ごめんなさい。ごめんなさい。ごーめーんーなーさーいーーー。
■ 悟空
 大地の仙岩から生まれた異端。ヒトでも妖怪でも天界人でもない「大地の生んだ生き物」。武器は如意棒。食欲旺盛、元気優良児。本性を発揮した場合の武力は最強レベル。500年間閉じこめられていたが三蔵に救われた。設定の年齢18歳の割りには幼い。メンバー中身長は一番低い。

 身長が一番低い、ベビーフェイスという点で、「受け」が運命づけられているかの様である。(三蔵総受け主義の方、及び悟空絶対攻め主義の方、本当にすいません;;;)
 健康的で可愛い気があり、最年少ということもあり精神的に幼くあることを許されている。繰り返し述べるが、やおいを「成熟を強制されない擬似恋愛の場」と見ると、この特徴はまさしく少女が自分を投影しやすい「受け」キャラクターにあてはまる。
 他キャラクターに、どつかれ、からかわれ、または優しくたしなめられながらも、悟空は「純粋で強い心の持ち主」ということで、内面を肯定されている。
 そして、金錮を外した本性が斎天大聖孫悟空であり、自分の知らぬうちに凶暴を発揮させるという設定は、少女達が自分の中の可能性への期待を投影するのにも最適である。「ホントウのわたし」…自分探しというものは、少女の時代を過ぎ、オトナになっても続くものであるから(これは悟空が、受けでも攻めでも言えることではあるのだが)。

 しかし、この身長や幼さは、実は悲劇的な将来を予言しているのではないだろうか?
 原作『西遊記』の孫悟空は、確か仙界の桃(蟠桃)を食して殆ど不死の状態になっていたようである。『最遊記』においても500年の封印が時を止めていた後の、肉体的成長の遅さ(人間換算?の18歳で身長165センチ)は、彼が今後も年をとらないということ予言するかのようだ。

 同人サイトでも、人間である三蔵と、妖怪である悟浄・八戒の寿命が違うのではないか…というストーリーは多く見られるものだが、寿命の点で悟空が将来ひとり取り残されるのではないかという想像…。よりにもよってなキャラクターが。想像したくない事柄であるが、悟空の強さならば乗り越えられるのかもしれない、と期待したい。

 さて、悟空が「受けキャラ」の条件を備えていることは述べた。しかし、例外というものはある。若年者が年長者に教わる、という「ビルドゥングスロマン(教養小説)」タイプである。ビルドゥングスロマンとは主人公の人格形成・発展を描く物語である。
 広辞苑の例には、ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』、ケラーの『緑のハインリヒ』が揚げられているが、中々ドイツ文学を読む機会も少ない。しかしもっと柔らかい例として、映画『プライベートレッスン』が揚げられる。数年前にも稲垣吾郎ちゃん主演でリメイクされたが、この映画は永遠のテーマを孕んでいるのだ。(ついでに言うと、竹宮恵子の『夏への扉』も映画化の際には『少年達のビルドゥングスロマン』という評論を受けていた。…20年前か?…古過ぎ)

「少年が年上の人に出逢い、肉体的・精神的に成長する」
 これが、ビルドゥングスロマンの大雑把な骨子であるが、これを悟空に当てはめると…「93」が一番メジャーそうですね…?
 長い間一緒に過ごした三蔵への情愛が愛情に変化し、悟空も成長して身長差が小さくなって来る。そして、思いの丈(アオい性欲…だったりもするが(笑))をぶつけて、成就させる。相手の与える愛に、自分は成長する。…中々美しい物語である。
 このカップリングだと、少女達がシンパシーを抱くのは、恐らく「与えられる」側の悟空であろう。「与える愛」側に終始することは大人といえども難しい。

 しかし、このビルドゥングスロマンが永遠のテーマであるのには、理由がある。それは、最後には必ず離別が待つということである。成長した少年は、年上の人と(自発的・強制的に)離別することにより、青年として完全に自立を果たすことが可能なのだ。この成長が自立するところまで描かれてこそ、ビルドゥングスロマンは成長物語として完成するのだ。
 やおいにそのまま文学に持ち込むことは愚かしいことだが、成熟を拒否する少女達が、悟空三蔵カップリングを楽しむ姿を想像することは…孤独な青年期が待つであろう悟空の姿が透けているようで、そして何時かやおいを卒業して行く少女達の未来の姿を思わせて、何となく感慨深いものではないだろうか。(いや、舞い戻りもあるんだけどさ)

■ 悟浄
 妖怪と人間との混血である「禁忌の子供」で深紅の頭髪と瞳の色を持つ。メンバー中、最高身長。武器は錫杖。女性に対する関心が強く、酒と煙草を好む。ギャンブルで生計を立てていたらしい。雨の中で大けがをした身元不明な人間を引き取るという優しさ(物好きさ?)の持ち主。悟空との軽口を延々続けるというあたり年少者を可愛がる傾向が伺えるが、兄(独角兒)との関係が影響しているのかもしれない。旅の当初は、この兄探しが彼の目的でもあった。

 三蔵は俗世から離れた僧籍にあり、悟空はその影響下にあり、八戒は恋人を求めて大量殺戮を犯すという異常さを持つが、それを考慮すると悟浄はメンバー中随一(唯一?)の常識人と思われる。
 そして虐待を受けていたとはいえ、家族との思い出を持つ者も、彼ひとりである。

 設定身長がメンバー最高である、という点で、悟浄を「受け」と取るのはまず困難である。(獣道、というものも、また情熱を傾けるに値する対象であることは否めないが)その理由は先述した通り、少女達の擬似恋愛の場という性質上、カップリングの外見の影響するところが大きいことが推測されるからである。

 容貌は、三蔵と同じく異相(紅瞳、紅毛)でありスカーフェイス(傷のある顔)であり、美丈夫である。「禁忌の子供」という作品世界でのタブーな存在である彼は、現実世界において、「自分が疎外された存在ではないか」という、敏感な世代の少女達にありがちな不安感や感性に訴えるものは強いと思われる。要はファンが多いだろう、ということである。

 「幼年期に養母から迫害(虐待)を受け、殺害されかけ」、しかも、生母の存在について語られることのない彼は、他者からの否定を受け続けながらも精神的に歪むことなく成長している。
 ふてぶてしいほどの精神的、肉体的な強さ。シモに走りがちではあるものの、彼の軽妙なトークは、内面の軽やかさ、優しさ、ユーモアを表し、他者とのコミニュケイションを尊重する姿勢が見て取れる。

 彼の個性の成分のうちの、大きなひとつである「女好き」(エロ河童、タネまき好き…どう言い替えても情けない。ゴジョさん好きなのにィ)について考察したい。

 悟浄の女好きは、彼のステイタスシンボルである。
 「いいオンナ」に関する言動の多い彼は、「いいオンナ」を侍らせることを「いいオトコ」の条件としているフシがあるからだ。また性的発言の多さは、性的関心が強いことをアピールしていると考えられる。「英雄色を好む」という格言の信望者なのかもしれない。
 悟浄は「禁忌の子供」として否定され、養母からは憎悪を受けて抹殺されかかった存在であるという過去を持つ。そこで、彼なりの常識的判断において「自分の存在価値」を確立させる為に、自分が「いいオトコ」である必要があるのだ。
 故に、彼のステイタスシンボルである女好きは、自己を確立させる為の必要条件なのである。「自分が自分であることの充実感(あるいは根拠)という存在証明(アイデンティティー)」なのである。

 ところが原作中の、彼の女性に対する態度というものはどうだろう?
 「もしかすると兄の恋人かもしれない」という女性、旬麗(コミックス2巻)への態度。飽くまでも普段からの軽口は変わらず、優しく彼女を励ますその姿勢。
 きゃー悟浄ー!カッコいいっ!優しー!素敵ー!である。
 自分を庇って親殺しを犯してしまった兄への罪悪感の発露とも思えるが、「目の前で弱っているもの」「自分よりか弱いもの」(女性)への情の深さの表れと受け取りたい。これが、彼の女性全般への姿勢の根底にあると、受け取りたい。

 そしてまた、女性を求める気持ちの根底には「母性」を求め続けているという、精神的なありようも反映されているのではないか?
 原作と創作の中間ともとれる、小説版最遊記『華焔の残夢』に描かれた少女、莉炯への

「放っておいても大丈夫だって。莉炯は『母親』だから」

 という台詞は、母性に対する信頼や憧れを感じさせる。自分を虐待した養母に対しては「俺をフッた美人」という表現しかしない悟浄は、「女性」と「母性」に対する認識が、大変近い場所にあるのではないだろうか?そう考えると、彼が常に女性を求めているらしい点でも、納得が行く。
 また、三蔵の項で述べた喫煙習慣の点でも、悟浄の精神が無意識で求めるモノが判る。

 果たして、こんな彼に対して少女達がシンパシーを感じる場合、「悟浄受け」が稀であることは、想像に難くない。何せ、難しい。難しすぎる。
(…悟浄受け獣道という十字架を背負った方がもしこの文章をお読みになっていたら…、ご尊敬申し上げます、とお伝えしたい。決して、喧嘩を売っている訳ではございません。愛は難関を通り抜けてこそ、高められるのです。勇気を持って、その道をお進みください。え?83も同じくらい獣道なの?)

 彼の個性のうちでアピールするところの強い「愛情に飢えた子供」という過去…。それは「私が愛してあげたいvそんな彼に愛されたいvv」という情動を起こさせるが、自分がそうなりたいと思わせるものではない。女性が悟浄に自己を投影する場合、「港、港にオンナを作りーの、世界を股にかけーのマドラス」的格好良さが一番大きいのであろう。タブーな彼の設定自体も大変そそるものではあるのだが、また母性愛や利他的な愛をも刺激されることの方が多いキャラクターである。

 彼が攻めキャラである場合、選択肢は多い。最高身長で、性的関心が強い。下手をすれば紅孩児すら押し倒してしまうのかもしれない(…この場合、髪の色などの外見が似ていることから、イラストサイトさんではまず見られないかもしれないが。ところで紅孩児って受けっぽいですよね?気のせい?)。
 しかし、悟浄も精神的に傷を負った身である。人間の実母は、恐らく殺害されているだろう。愛情を求めた養母は、その願いが叶うことなく実兄に殺害され、その兄も失踪した。自分が原因で、愛情の対象を一時にふたり失っているのである。彼は、そのことに自責の念を持っている。

 悟浄がポリシー、ステイタスシンボルとしての女好きを標榜する裏側には、自分の存在価値を必死で確立しようとしているという面があると述べた。しかし、実はそれだけではない。生活の基盤を賭博に依るなど、彼は無軌道に生きていた。このことは、彼のエロスの欲動が、常に存在するタナトスの反動であることすら示している。激しい生と性への欲動は、「いつ死んでもよい」という自暴自棄に突き動かされたものであったのだ。またハイライトという、ニコチンとタールの多さで有名な煙草を好むヘヴィスモーカーでもある。これは自殺行為と言われてもしょうのない行動である(禁煙出来ないワタクシはヒトのことは決して言えないのだが)。悟浄の愛と生は、明るく軽やかなものに見えて、実は死の衝動と大変近い場所にあったのだ。

 ところが、Gファンタジー2001年2月号において、彼は自分を殺害しようとする母親の幻想に打ち勝つ。
「…生きて変わったのは、俺かもしんねーわ」

 …これで、母親の死という脅迫観念、死への情動から解き放たれた彼は、天下無敵になってしまった。
 これだけの個性的なオトコ、しかも『最遊記』キャラクターで唯一の正常人(笑)が、精神的にも過去の傷を克服し、強さをアピールしている。
 『最遊記』キャラクター4名は、それぞれがかなり壮絶な過去を持つ。しかし、その過去の精神的な傷をを完全に乗り越えたキャラクターというのは、実は悟浄が最初なのだ。雨の度にどんよりしてしまうクソ坊主な方も、同じく雨に血塗れの自分の手を感じてしまうイイヒト面の方も、…悟空は記憶を取り戻せないままでは乗り越え様がないか。
 この「過去にうち勝つ強さ」をここまで強くアピールするキャラクターは悟浄唯ひとりなのである。三蔵にしても、八戒にしても、過去の人物との対決に勝利してはいても、「未だ引きずり続ける傷」自体が消滅した訳ではない(朱泱、清一色)。擬似恋愛の対象として、自分を投影する対象として、新たなる性質として強さの加わった悟浄は最高に魅力的である。

 受けキャラとしては、三蔵が最適であるという主張をして来たワタクシは、ここで一端、「53が王道である」ということを認めよう。このカップリングが、恐らく一番少女達が熱狂し易いものであることを、一端、認めよう…。(泣)




参考文献: 『術語集 -- 気になることば --』 中村 雄二郎(岩波 1984) 












 キャラクター分析 更に続く…予定 








《HOME》 《NOVELS TOP》 《BOX SEATS》 《SERIES STORIES》 《NEXT》