STAY WITH ME 10 
--- 雪花小片的物語 6 --- 


















 半分開いたカーテンから、午後の日差しが差し込んでいた。
 三蔵の部屋のカウチで、僕は毛布を被ってうたた寝をしていたらしい。
 ゆっくり顔を動かすと、デスクの灰皿に煙草の灰を落とす三蔵が視界に入った。
「よお。いびき、かいてたぜ?」
 いつも通りの、少し意地の悪い、尊大な表情。
 本当に僕は、いびきなんかかいてたんでしょうかね。
 カウチに躯を預けたままで、肩から肘、手首、指先まで。ゆっくりと三蔵の方に向けて上げていった。
「三蔵」
 煙草は目安だ。
 ひと口吸うだけで眩暈がするらしかった、風邪に弱った三蔵が快復した、目安だ。
 三蔵のマルボロは、今日は半ばまで灰になっていた。
「三蔵」
 手を差し伸べて名を呼ぶと、三蔵はマルボロを灰皿に押し付けた。
 じれったくなるほどの、スローモーションで光景が動く。
 窓からの日差しが、三蔵の半身を照らした。
 陽光と同じ色合いの、明るい色の髪。
 光彩が引き絞られ、菫の花弁の色の瞳。
 三蔵はカウチの背に手を掛け、僕の方へと屈み込んだ。
「僕、随分我慢したと思いません…?」
 伸ばした腕を、三蔵の頸に掛け引き寄せた。
 三蔵は、カウチに空き地を見つけ、大人しく腰を降ろした。
「かなり限界まで耐えたと思いません…?」
 身を屈め、僕の目を覗き込もうとする三蔵に頬をすり寄せた。
「……もう、いい?」
 耳元で囁くと、吐息を感じた三蔵が、躯を強張らせて、頷いた。
「ダイジョウブ?」
 三蔵は、僕の髪に黙って指を挿し込んだ。
「……じゃっ。」
 僕はそのまま目蓋を閉ざした。
「………。」
「………?」
「……………?」
「……八戒!?このバカっ!すげえ熱!ここまで耐えるなっ!」

 大きな声を出されても、発熱どころか、とっくに眩暈だの頭痛だの倦怠感だの吐き気だの腹痛だの喉の痛みだのお肌の乾燥だの手足は冷えるのに躯は熱いだの。
 とにかく、三蔵が復活するまで頑張ったので、もう寝させて下さいお願いしますお先に失礼ミアモーレ……
「八戒!八戒!?意識はあるんだな!?救急車は呼ばなくて大丈夫なんだな!?」

 三蔵の声を最後に、僕の記憶は途切れた。

 風邪で寝込むなんて、どれくらい久し振りのことだろう。
 僕は祖母の傍で育ったので、一般的な母の看病というモノを知らない。
 それでも、祖母の見守る中での眠りは、熱の中にあっても安心出来るものだった。
 ゆらり。
 意識が浮遊する。
 灯りを落とした部屋で、ぼんやりと目を開ける。
 喉が渇いた。
「大丈夫だよ」
『大丈夫だ』
 低く、柔らかな声が聞こえる。
 それだけで、幼い僕は、無性に安心出来た。
「ここにいるからね。おやすみ」
『オレはここにいるから。眠れ』
 最近同じ言葉を口にした覚えがある。
 熱のある子供に言い聞かせる、柔らかい言葉を。
 遥か昔、自分に掛けられた優しい言葉を。
 唇に当てられるガラスの吸い口の、硬質な冷たさが気持ちよかった。
「飲んでごらん」
『飲めるか』
 吸い口で与えられた冷ました薄いお茶は、不思議な程に甘く感じられた。
 記憶に蘇る吸い口よりも、柔らかな感触が唇に残った。

 ああ。
 三蔵の唇の味だ。

「美味しい」
 口に出すと、再び甘露が与えられた。

「…おい、医者呼ぶか?」
 二晩熱が続いたその朝に、三蔵が僕の顔を覗き込んだ。
「いえ。熱、下がって来ましたし。ただもー、頭痛が残って…」
 身動きする都度襲う頭痛が、僕を苦しめた。
「オレも頭痛したけど、38.6度越えてからだぜ。てめェは38.3度で、ひーひー言ってやがったなあ?ヤワいんじゃねえのか?」
「…僕はそれ以前に無理をしてたんです。熱計る前に、もっと高熱になってたという可能性も、あるじゃないですか」
 ひーひーは、言ってなかった。
 そう思うけれども、ぼんやり見ていた夢が多過ぎて、確証がない。
 僕が黙ると、三蔵も黙った。
「……三蔵?」
「何だ」
「喉、乾きました」
「しょーがねー奴…」
 水差しから注いだ水を三蔵は口に含み、僕に近寄る。
「ん」
 上を向けと顎をしゃくられて、僕は素直に従った。
 ひやりとした唇が気持ちよく、喉を通る水は甘かった。
 身を離した三蔵が、もっと欲しいかと目で問い、僕は頷く。
 求めれば求めるだけ与えられる優しい唇を、僕は思う存分貪った。

「偶には風邪もいいですね」
「こんなに手の掛かる奴だとは、思わなかったぜ」
 鼻にしわを寄せる三蔵が、可愛らしかった。

 躯が溶けるかと思うほどに眠った。
 ひっくり返った三蔵の部屋にそのまま居付いていた僕は、三蔵に与えられた水を飲み、三蔵のベッドで浅く眠り、目覚めると三蔵に汗を拭って貰った。
 それを数度繰り返し、夜が来る頃には、僕の頭痛はかなりマシになっていた。
 気付くと、暗い部屋のカウチで、三蔵がうとうとと微睡んでいた。
 僕は部屋のカーテンを閉め、三蔵の躯に毛布を掛け、バスルームへ向かった。数日ぶりに、汗を流したくてしょうがなかった。
 静かに部屋のドアを開き、一歩進んだ。
 途端にぶつかる、何か重たい物体。嵩張る物が落ちる音。鳴り響く金属音。
「〜〜〜〜〜〜!」
「どうした、八戒っ!?」
 蹲る僕の肩を、三蔵が慌てて掴んだ。
「………小指。足の小指」
「なんだ。そんなことか」
 固い物に足の小指をぶつけた僕は、涙を滲ませながら、恨めしい気分で三蔵を見た。
「何なんです、コレ?」
「……オマエ、水、水って煩いから、配達して貰った」
 2リットルのペットボトルを1ダース。
「それと、着替えが間に合わなくなるかもと思って、悟空に頼んだ」
 真新しいシャツが、未開封のままで、袋にぎゅうぎゅう。
「で。汗拭くのに使うたらいを、その上に重ねて置いておいたんですね」
「すぐ使う物は、手に取り易い場所に置くのが鉄則だ」
 まあ、そうですけど。金だらいは、安定した場所に置く方がいいかも。
「…オマエの方こそ、何してやがる。ふらふらしてると、また熱上がるぞ」
「もう大丈夫ですよ。…トイレとシャワーです。汗をすっきりさせたくて」
「本当に大丈夫なのか…?」
 心配そうに眉を顰めた三蔵が、急ににやりと笑った。
「お見守りモウシアゲんことには、それは許可出来ねえな」
「三蔵!?」
「シャワー浴びたきゃ、我慢するんだな」
「いいですよ、そんなこと」
「何ならトイレも見守ってやろうか?介添えで、オテテでお支えツカマツルか?」
 悪そうな笑顔で身振りをする三蔵に、そんなことされたら、きっと出る物も出なくなるだろうと言いかけて、それはやめておいた。
「ホラよ。便所が済んだら呼べ」
 どん、と背中を押され、僕はバスルームに入った。

 数日ぶりのシャワーは、とても清々しかった。
 顔も、首筋も、肩も、腕も。
 熱い雨に勢い良く打たれて、肌が蘇る気がした。
 三蔵は、宣言通りにシャワーカーテンの向こうで、便座に蓋をして腰掛け、本を読んでいる。
 物凄く落ち着かないけれど、バスルームにヒーターを持ち込んでくれたりと、本気で心配をしてくれてのことのようだった。
 水音の所為で気配を感じないけれど、時折三蔵が、僕の名を呼ぶ。
 返事をすると、また安心して本に戻る。
 どうしようもなく、くすぐったかった。
「八戒。洗い終わったか?」
 返事を待たずにシャワーカーテンを開けた三蔵は、腕まくりをしていた。
「アタマ、洗ってやる」
「え。」
「いいから、そのアタマ寄越せ」
 手荒く髪を掴まれて、シャワーの真下へ引っ張られた。
「…わぷ。三蔵!?」
「遣り辛い。しゃがめ」
「……前に怪我した時は、もうちょっと優しくやってくれませんでしたっけ!?」
 座り込みながらも文句を言うと、手にしたシャワーコックで軽く小突かれた。
「いいから。黙って洗われてろ」
「……はい」
 ぶっきらぼうな言葉を吐いて、肩にふわりとタオルを掛けてくれた。

 シャワーコックを地肌に近付け、お湯をたっぷりと掛けられた。
 髪をくぐり、三蔵の指が往復する。
 時折、肌寒さを感じる前に、肩のタオルや、背中にも湯を掛けられた。
 たっぷり泡立てたシャンプーで、額や襟足の髪の生え際まで、丁寧に洗われた。
「すっきりしたか?」
 僕の真上に屈み込む三蔵は、低い声で囁く。
「ええ。眠たくなるくらいに、気持ちいいです」
「溺れさせるぞ」
 楽しげな表情で、顔にシャワーを向ける真似をするので、僕も水鉄砲の真似でお返しをした。

「ねえ、三蔵」
「なんだ?」
「偶には風邪ひくのも……、本当に楽しいですね」
「言ってろ」















 続く 







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