presented by 佐倉龍之介さん
 Bella Notte 

ふわり。

頬に微かな風を感じ、三蔵は目を開けた。
                     
(何…?)

照明が眩しくて、ぼんやりと視界が滲む。

「ああ、起こしてしまいましたね」

待ち焦がれた甘い声。

三蔵の肩に掛けるブランケットに手を添えたまま、
振り仰ぐ瞳に、声の主は微笑んだ。

「八戒…」

「…すみません。本当に…」

言葉に滲み出る苦渋。
今起こした事に対する謝罪でないのは明らかだった。

「お前のせいじゃないだろう」

「でも…」

子供達を悲しませてしまった。
約束を、破ってしまった。

「あいつ等、偉かったぞ。朝になったら沢山褒めてやれ」

「はい…」

そんな事で償えるとは思わないけれど。

一杯抱しめて、一杯キスをして、
そして…
心を込めて謝ろう。

傷つけた小さな心。
少しでも癒せるのなら…

「紅孩児の方は?」

「実はね、彼にも怒られちゃったんですよ…」


          * * *


激痛の余り気を失っていた紅孩児。

治療を終え、病室へ行く時気付いた彼は、
ストレッチャーの横、
心配そうに自分を見ている親友を見るなり、怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎!お前、こんな所で何をしている!!
 今日が何の日か忘れたのか?
 大事な約束があるだろう!
 俺の事なんかどうでもいいから早く帰れ!」

「紅孩児、ここは病院なんですよ、そんな大きな声出さないで」

「のんきな事言ってるんじゃない!」

孤児院時代の悟浄や悟空をよく知る彼。

子供らしく、素直に甘える事すら出来なかった二人が、
慈しみ深い父、美しい母を得、
安らぎの場を持てた事を心から嬉しく思っていた。

今日の約束を聞いた時も、
「ああ、こいつらは本物の家族になったんだな…」
と、感慨も一入だった。

その大切な約束を、この親父は他人の為に破ろうとしている。

(あああっ!もうっ!お前って奴はどこまでもっ…)

お人好しにも程がある。 

物事には優先順位があるはずだ。
家族との約束より、ただの同僚を優先するなんて、
そんな事、あの子達が納得する訳が無い。

一人として血の繋がりの無い家族。
だからこそ、
『約束』と言うのはどんな小さな物でもとてもデリケートな意味を持つ。

下手をすれば、一つ一つ積み上げてきた信頼を、
一気に無くすことになりかねない。

(そういう事、解ってんのか。お前)

子供達の心情を思い、紅孩児は焦った。

恐らく八戒は赤子を抱えた妻を気遣い、付き添ってくれたのだろう。
その心根は有り難い。
が、
 嘗ての教え子を不幸にしてまで好意を受けようとは思わない。

少しでも早く、父親を彼らのもとへ行かせたい。

病室に着きベッドへ移ると、紅孩児は、

「八戒、今夜はすまなかった。俺はもう大丈夫だ。
一刻も早く帰ってやれ。あいつ等、きっと待ってるぞ」

今度は穏やかにそう言った。

「でも…」

「あのなぁ、俺は子供じゃないんだ。ここは完全看護の病院。
 こうして横になってしまえば、お前にしてもらうことは何も無い。
 だから、もう帰れ」

確かに彼の言うとおりで。

「そうですか…
 じゃぁ、心配なさってるでしょうから、
 八百鼡さんに電話だけ入れて帰ります」

「世話を掛けるな。妻には大丈夫だと伝えておいてくれ」
                      
帰り際、

「八戒」

呼び止められて振り返る。

「ありがとう」

 八戒は笑顔で応え、病室を後にした。


          * * *


「ふふ。アイツもイイとこあるじゃねぇか」

「ええ。それに引き換え、僕はダメダメですね;;
友人は怒らせるし、子供達には寂しい思いをさせてしまったし…」

大きく溜息を吐き、八戒はぐったりとソファへ沈み込んだ。

チン

涼やかな音。

三蔵がワイングラスを掲げ、「飲るだろ?」と微笑む。

「今日の僕はワインなんか飲む資格ないです…」

完全落ち込みモードの八戒。

しかし三蔵は全く気にせず、

「いーんだよ。俺が飲るっつったら飲る」

強引にグラスを押し付け、
この日の為に用意した、極上の赤を注ぎ込む。

漂う芳醇な香り。
それだけで酔えそうなほどに。

ゆうるりとグラスを揺らし、芳香を楽しみ、一口。

「美味いv」

自然、三蔵の顔が綻ぶ。

幼子のように無垢な笑み。
一瞬で…
八戒は、目を、心を奪われる。

グラスを置いて手を伸ばし、
細い腰を引き寄せる。

飲みにくい体勢に、抗議の目を送る三蔵を無視し、
更に、グラスも奪い取った。

「あ…美味いのにぃ…」

酒は好きだが、決して強くは無い三蔵。
もう、酔い始めたのだろうか、少し呂律が回らなくなっている。

「…貴方より美味しいものなんて…この世にありませんよ…」

「////ばかぁ////」

頬を染め、瞳潤ませ艶増す三蔵。

「…僕も…貴方に酔いたい…」

小ぶりの顎を指先で捕え、濡れた唇に熱い口づけ。

あんなにも沈んだ気分だったのに、
こんなにも簡単に目の前の誘惑に墜ちるとは…

己の不実に呆れつつ、
それでも抗う事など出来ない。

穏やかな口付けは次第に熱を増し、
やがて深く絡め取るように、互いの唇を睦みあう。

「…ふ…んん…ふうん…ん…」

漏れる吐息すら愛しくて…

腕の中蕩けゆくたおやかな肢体を、八戒は強く抱しめた。

力の抜けた身体を抱き上げ、横向きに膝上に乗せる。
身も心も融けきって、三蔵は甘えるように身を寄せた。

肩口に零れる芳しい金糸。
どんな高級ワインとて、この香に勝る物は無い。

アルコールを摂らずとも、
酩酊感が八戒を包む。

「…寂し…かったのは…子供達だけじゃ…ない…」

小さな、小さな呟き。

「こんな暖かな空間に…一人でいるのは…何だか…」

――― 哀しい ―――

「三蔵…」

昼光色のダウンライトも、
落ち着いた、暖色系のカーテンも、絨毯も。
皆がいてこそ、八戒がいてこそ三蔵を癒してくれる。

首元に、きゅっとしがみつく腕。

いじらしい仕草。
愛おしさの余り眩暈がした。

「…もう…一人きりになんてしません…」

不安を取り除くように、穏やかな抱擁で八戒は応える。

肩口の温もりが「うん」と頷いた。

「もう一つ、謝らなくちゃならないことが…
 折角のイブなのに、こんな物しか用意できなくて…」

何処から取り出したのか、八戒の手に一輪の薔薇。

「プレゼント、何にしようかずっと考えていたんです。
 でも、良いのが思いつかなくて…」

どんな物でも貴方の貴さにそぐわないような気がしたから…

ぎりぎりまで悩んで、
今日帰り、買いに行くつもりでいたらあんな事になって。
                     
「帰り道、一軒だけ花屋さんが開いていてたんです。
 日が日だからもうほとんど売り切れてたんですけど、
 一本だけ、この花がウィンドウに残ってたんです」

法衣姿の貴方のような、大輪の、白い薔薇。

甘い香りに誘われて、三蔵が花弁に顔を寄せた。

「綺麗…」

八戒の胸に頭を預け、受け取った花をうっとりと見詰める。
 
「すみません…初めてのクリスマスプレゼントが残り物だなんて…」

情なさげな八戒に、「ううん」と三蔵は首を振る。

「お前が俺の為に選んでくれたなら何だって、嬉しい…」

酔いが招いたと解っていても、三蔵からの睦言は、
八戒の身の内、欲の熱を昂ぶらせる。

「あ…」

八戒の膝の上、三蔵は微かな変化を感じ取る。

見上げると、

「い、いや、はは;;…すみません;;」

己が正直さに恥じ入る八戒が困ったように笑っていた。

「…お前、さっきからそればっかり…」

「え?」

「『すみません』」

「え、や;;だって…すみま…」

「それは、もう無し」

言いざま、
三蔵は八戒の言葉を摘み取るように唇を重ねた。

最愛の人からの口付けは、
蜂蜜より甘く、炎より熱く、八戒を更に煽り立てた。

「三蔵…」

抱しめる腕に力を込めて、暴走しそうな想いをなんとか捩じ伏せる。

「俺も、プレゼント考えたんだ…でも…」

寺で育った三蔵は、クリスマス自体初めてで。
勿論、誰かの為に、贈り物を考えるのも初めてだった。

暇を見つけては街へ行き、様々な店で、様々な物を見て回った。

「アイツには何が似合うだろう」
「アイツは何を喜ぶだろう」

嬉しそうに笑う碧の面影を想い、歩いた。
それは、三蔵自身にとっても楽しい時間だった。

けれど、
結局何も買えなかった。

彼の一番欲しいものは、『物』ではないと気付いたから…

「…やれる『物』は何もねぇけど…」

ここまで言って、三蔵は再び八戒の首にしがみ付き、
耳元で…

「////今宵一夜…望む…ままに…////」

吐息のように囁く。

驚きと、喜びと。
愛しさと、感動と。

こんな風に許されるなんて…

どうしていいか解らなくなる…

今すぐキスがしたいのに、恥ずかしがり屋の愛しい人は、
肩口に埋めた白皙を、決して上げようとはしない。

羞恥と緊張でコチコチになっている三蔵。

言ったものの、
どうしていいか解らないのは、多分、彼も同じで。

八戒は、初心な心が落ち着くまでじっと待った。

どれほどそうしていたのだろう。
漸く三蔵の手が緩み、おずおずと八戒と視線を絡める。

潤みを増した紫暗の瞳。
浮かんでいるのは恥じらいと、不安と…
ほんの微かに混じり込む期待…

「…はっ…かい…」

心情を映すおぼつかぬ声。

「…嬉しいです…僕にとって最高のプレゼントだ…」
 
震える心を宥めるように、額の証に口付け贈る。

三蔵を抱き、立ち上がる八戒。

三蔵は、白薔薇を、大事そうに持っている。

愛する人が、自分のようだと言ってくれた花。
リビングに置き去りにして、一人ぼっちにするのは嫌だった。

時折香りを味わって、花びらにそっとキスをする。

窓の傍を通った時に、八戒が「あ…」と声を上げた。
視線を追って表を見ると…

雪…

ふわふわと、羽毛のように天から地上へ落ちてくる。

「何年振りでしょう…ホワイトクリスマス…
 その花の名と、同じですね…」

言われてふうわりと三蔵は微笑む。

淡雪のように柔らかに…

薔薇の、
雪の、
三蔵の、

穢れなき白に八戒は見惚れる。





      銀の世界を紡ぐ闇

      愛しき者は唯一人 

      密やかに睦む褥では

      この世の全ては唯二人

      久遠の想い貫いて

      君と過すは…


          美しき夜



                                   






 fine 







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◆ note ◆
月来香の佐倉龍之介さんから、転居のお祝いに頂きました
ええと、実際の住居の転居お祝いです(笑)
大好きな「猪さんご一家」のお話を頂けて、嬉しくてしょうがないです

オフ会でお会いした時に印刷して手渡しで頂いて、深夜チェックインのホテル(そういう時に限って、ひとりなのにツーベッドの部屋だったりするんだなあ…)の広い部屋で、どきどきさせて頂いたのでした
龍之介さん、ありがとうございます
お返しの品に、イメージ崩しの「夜編」、『la nuit』など書かせて頂いてたりして