presented by 佐倉龍之介さん
 美しい夜 


街外れ。
小高い丘の上、一軒の小さな家。

暖かな明り漏れる窓から、
幼い顔が二つ。
街へと続く緩やかな坂道をじっと見詰めている。

「おっせーなー」

「おせーなー」

出窓に肘を付き、
さも不満そうに唇を尖らす二人の子供。

少し大きな紅い髪の子は、
鸚鵡返しする栗毛の子の髪を、「マネすんな!」と乱暴に引っ張る。

「いってー!やったなー!」

「るせぇ!うぜぇんだよお前っ!!」

とたんに険しくなる窓辺の空気。
紅い瞳と金茶の瞳が睨み合う。

一触即発。

今にも取っ組み合いを始めそうなほど高まっていた二者の緊張は、

「ヤ・メ・ロ」

不意に後ろから伸びてきた手に、襟首を掴まれ終了した。

「さんぞ〜、悟浄がひっぱった〜」

引かれた部分を指差して、頭一つ小さい方の子が非難を掲げる。

悟浄と呼ばれた男の子は、「ちっ」と舌打ちし、

(被害者ヅラばっかしやがって。バカ猿!)

心の中で悪態を付き、そっぽ向く。

「悟浄、悟空に八つ当たってんじゃねぇ」

 三蔵は、
「何ともなぁい?見て見て」と、
せがむ悟空の頭を撫でてやりながら悟浄を諌める。

(結局俺が悪者かよ)

三蔵の言葉に悟浄はますます苛立ち、唇を噛んだ。

「ハゲてない?」心配する悟空に「ああ」と告げ、
三蔵は拗ねきってしまった悟浄の方に向き直る。

俯き、悔しさに爪が白くなるほど強く拳を握りしめる姿。
まるで…

(昔の俺みたいだな)

幼名の頃を思い出し、三蔵は苦笑を浮かべた。

ぽふ。

掌を、頑なな幼子の頭に載せる。
何時か、自分がそうしてもらったように。

「大丈夫、もう直ぐ帰って来るさ」

言って、髪をくしゃりと混ぜる。

ぱっと悟浄が顔を上げた。
                     
柔らかな微笑が、
大好きな紫水晶が、
他の誰でもなく自分を見ている。

「あ…」

悟浄が口を開きかけた時、

 pururururururu

「情ない顔してんじゃねぇよ」

泣き出しそうな悟浄の額をピンと弾き、
呼び出し音に誘われて、三蔵はリビングへ戻って行った。

その背を見送る悟浄の面に隠しきれない笑みが浮かぶ。

(…俺の事、ちゃんと見ててくれたんだ…)

喜びが胸に湧き上がる。

エヘヘと小鼻の脇を掻き、悟浄は再び外を見やった。






「ああ、お前か。もうさっきからお待ちかねだぞ。
 飯も食わずにずっと外見て」

仲良く並ぶ頭に目をやり、三蔵の目元がふっと綻ぶ。

「そうですか…、三蔵、困った事になっちゃいました…」
 
受話口からの声が沈む。
 
「どうした?」

詳しい説明を聞くにつれ、三蔵の眉間に皺がよる。

「ああ、ああ…」
                     
無機質に答え、声のトーンも一段下がる。

「解った。こっちの事は俺に任せろ。
 お前はできるだけの事をしてやれ」

極力相手に気付かれぬよう、諦めの混じった了承をする。
落ち込んだ素振りを見せれば、彼はもっと気にするから。

受話器を元に戻す時、は〜と大きな溜息が漏れた。

幾日も前からあんなに楽しみにしていたのに…

今から告げなければならないことは、あまりにも残酷過ぎる。

きらきら輝く笑顔を奪うのは…辛い…

しかし、言わねばならない。

三蔵は意を決し、重い一歩を踏み出した。
 
「悟浄、悟空」

直ぐ後ろでした声に、子供達は同時に振り返り、

「今の電話、八戒からだろ、何時頃帰るって?」

「もう、俺、腹減りすぎ〜。八戒帰ったら直ぐご飯にしようねv」

矢継ぎ早にそれぞれの期待を口にする。

「…二人共、よく聞けよ…八戒は今日帰れないかもしれない…」

「「え…」」

絶句。

二人の顔がみるみる曇る。

「紅孩児。お前達も知っているだろう?アイツが怪我をしたらしい…」

八戒からの電話はこうだった。

孤児院の講堂、中央に設えられた大きなツリー。
明日のクリスマスパーティに備え、飾り付けを直していた時、
同僚である紅孩児が梯子から落ちた。

普段質素な生活を余儀なくされている孤児達。
せめてこの時ぐらいはと、
ツリーは天井に届くほどの立派な天然木で創られる。

イブの夜にはツリーの下に、
サンタクロースがプレゼントを置いて行く。
そのプレゼントを開けながら、
院では世間より一日送れのパーティーを楽しむのだ。

一年で一番の子供達の笑顔の為に、
教員達は精一杯の準備を行う。

その最中の事故だった。

ツリーの最上部付近から落ち、
ぐにゃりとありえない方向へ曲がる足首。
明らかな骨折。
激痛に、声も出ない紅孩児。

直ぐに救急車が呼ばれ、
親友である八戒は、付き添いを申し出た。

先の電話は病院からだった。

「紅孩児のところは赤ん坊が生まれたばかりだろう。
 こんな時間に、そんな小さな子を連れて病院へ行くのは大変だ。
 だから今夜は八戒が付き添…」

「そんなのねぇよっ!!」

三蔵が言い終らない内に、悟浄が大声で叫んだ。

「…ずっと、ずっと楽しみにしてたんだ!
 『家族』で過ごすクリスマス。
 ずっと、ずっと憧れてた…
 父さんがいて、母さんがいて…
 温かい夕飯があって…
 皆で…
 三蔵、無理して休み取ってくれたのに…
 なのに…
 ここまで来て…
 そんなの…ひでぇよっ…」

最後の方はほとんど聞き取れなかった。

零すまいと涙を堪えれば堪えるほど声が震える。

小さな身体の中で、怒りと絶望が渦巻いていた。

悟空も大きな瞳を潤ませ、
悟浄の服の端をきゅと握った。

言葉にせずとも気持ちは同じなのだろう。

「…なぁ、悟浄…」

 世界一好きな声に呼ばれても、悟浄は顔を上げなかった。

「お前、八戒の事、好きか?」

暫く間を置き、紅い髪がコクンと揺れる。
悟空も横で同じ様に頷いた。

「お前達の気持ちはよく解る。
 俺だって、残念だと思ってる。
 けどな、もし、
 八戒が目の前で大怪我した友達ほっぽって平気で帰って来たとして、
 お前はそんな八戒の事、今みたいに『好き』って言えるか?」

決して厳しい口調ではなく、
三蔵はゆっくりと諭すように問い掛けた。

悟浄の前に屈み込み、目線を合わせる。
俯く瞳は見えないが、
彼を取り巻く空気が少し、ほんの少しだけ棘を無くした。

焦っては、いけない。

悟浄が自分で答えを出すまで、三蔵は待ち続けた。

長い沈黙の後、悟浄は小さく首を横に振った。

「だろう?だったら、今回の事を怒っちゃいけない。
 八戒の事を、責めちゃいけない。
 寧ろ…」 

「むしろ?」

やっと悟浄が顔を上げた。

「心から『好き』と思える父さんを誇りに思え」

言って三蔵は悟浄の髪を優しく梳いた。

ぽろり、と。

それまで我慢し続けていた雫が、紅玉から零れ落ちる。

「八戒だってきっと残念に思ってる。
 今日を楽しみにしてたのは、アイツだって同じだから…」

三蔵は、小さな肩を引き寄せぎゅっと抱しめた。
宥めるように背を叩き、
肩口に埋まる嗚咽は聞かない振りをする。

注がれる視線に目をやると、
悟空が「俺は?」と目で強請っていた。

片腕を広げ、頷けば、
ぱっと顔を輝かせ、三蔵の懐に飛び込んでくる。

ひとしきり抱き合い…

絶妙のタイミングで悟空の腹の虫が鳴った。
皆で吹き出す。

それを合図に、三人は食卓へ向かった。

子供達は、普段嫌がる物も残さず綺麗に食べきり、
三蔵を驚かせた。

だって今日はクリスマス・イブ。
「いい子」にしないとサンタクーロスは来てくれない。

「毎日イブだったらいいのに…」

思わずそんな愚痴を零しつつ、
微笑ましい子達の姿に三蔵も微笑する。

時計が9時を示す頃、
すっかり寝支度を整えて、子供達はベッドに入った。

しかし、プレゼントが気になって、なかなか眠る事が出来ない。

「早く寝ないとサンタは来ないぞ」

ポンポンと布団を叩いてやりながら、
爛々と輝く四つの眼に三蔵は苦笑する。

「だって〜;;」

眠りたいのに眠れない。
このまま朝まで眠くならなくて、プレゼントを貰い損ねたら…

悟空は本気で泣きそうになり、
「どうしよう;;」と、訴えた。

「しょうがねぇなぁ。
じゃあ、特別にぐっすり眠れる魔法、掛けてやる。
但し、今夜だけだぞ。目、瞑って」

「ん!」

悟空は大きく頷き目を閉じた。

じっと待っていると…
まず、両頬が温もりに包まれ、
次に額に、もっと柔らかな小さい温もりがゆっくりと押し当てられた。

「ほら、これでもう大丈夫。ぐっすり眠れるぞ」

目を開けた悟空はふぁ〜と欠伸し、

「ホントだー。何だか…眠く…なって…きた…おやすみ…さんぞ…」

言い終えるや、クークーと寝息を立て始める。

「おやすみ、悟空」

三蔵は上布団を掛け直し、
先ほどから感じる視線の主に問い掛けた。

「お前も眠れないのか?」
                      
「えっ!あの;;その;;」
                      
気付かれていた事に驚いて、悟浄はシドロモドロになった。

あまりに清らかな光景に、思わず見惚れていたなんて。

恥ずかしくてとても言えない。

「魔法、掛けてやろうか?」

言えば、悟浄は頬を真っ赤に染め上げ、
頭から布団を引っ被った。

「い、いいよ;;ガキじゃねぇんだから」

羨ましいのに。
ホントはやって欲しいのに。

強がる事が癖になっていて素直になれない。

悟浄はこの時ほど自分の性格を恨んだことは無かった。

三蔵も無理強いする事は無く。
布団の上から悟浄の頭を一撫でし、
おやすみと言って部屋を出ようとした。
                      
と、

クンと袖を何かが引っ張る。

見れば布団の隙間から、
手だけを出して、悟浄が袖口を掴んでいた。

複雑な胸中を汲み取って、
三蔵はベッドの脇に跪く。

「どうした?」

「あの、さ…」

「ん?」

「…三蔵は、八戒の事、好き?
 大事な約束すっぽかすような奴だけど、
 それでも…好き?」

今度は三蔵が面食らった。
なんてストレートな質問。

自分とて、
素直に「好き」と言えるような可愛い性分は持ち合わせていない。

「えー、まあ、それは…;;」

言葉を濁して逃げようとするが、
悟浄はそれを許さなかった。

「『好き』だから結婚したんじゃないの?
 『好き』だから…
 さっきみたいに八戒の事、言えるんじゃないの?」

人の為に、心を砕ける父さんを誇れ、と…

何時の間にか布団から出た悟浄は、真摯な瞳で三蔵に問う。

誤魔化してはいけない。
こんなにも真剣な想い、きちんと受け止めなければ。

三蔵は真っ直ぐに悟浄の瞳を見詰め返した。

「…ああ、そうだ。俺は、八戒が好きだ…」

静かに、けれど真心込めて。
ここにはいない彼にも届くよう…

「そっか…良かった…」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに悟浄が笑う。

「さあ、もう寝ないと。サンタクロースが来ちまうぞ」

悟浄の腕を布団にしまい、三蔵はおやすみを告げる。

「あ、あ」

行こうとする三蔵を、再び悟浄が引き止めた。

如何したのかと目顔で問うも、
何も言わずに、ただ上目遣いで見上げてくる。

三蔵は破顔して、

「いい夢を…」

愛しい額へそっと、優しいキスをした。




片付けをしにキッチンへ戻る。

テーブルの上、残されたワイングラスが目に付いた。

主を待つ、クリスタル。

置き去りにされたその様が、今の自分とダブって見えた。

椅子に腰掛け、八戒の為のグラスを見詰める。
縁にツーと指を滑らせ、

「…余所の奥さんばっかかまってんじゃねぇよ…
 ほったらかしにしとくと…浮気…しちまうぞ…」

出来もしないことを呟く。

子供達にはああ言ったけれど。
こんな夜に…一人は…寂しい…

「…早く…帰って来い…」

届かぬ想いを一人ごち、
テーブルに着く腕に頬を乗せ、
いつしか…
三蔵の意識はまどろんでいった。










 essere continue ... 







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