八戒さんの園芸記録 1 
 注意
 この記録は、沙悟浄氏宅居候時代の猪八戒氏が、ガーデニングを趣味としていたと仮定するフィクションです。実在の人物・事件とは、関係ありません。
 八戒、秋口のある晴れた日
 ×月×日

 悟浄の家にやっかいになるようになってから、数月が過ぎた。
 居候になった当初、乱雑に物の置かれた室内に困惑もしたけれど、徐々に整理も進み、やっと身の回りを見るだけの余裕が出て来た。
 これが、日常というもの、なんだろうか。
 穏やかな一日。
 朝帰りでベッドに直行した悟浄の気配を感じながら、日差しの入るキッチンで過ごす時間は、僕の心を酷く安らげた。
 磨いたばかりの窓ガラスが、明るく反射する。
 いつの間にか僕は、窓辺から外を見回すのが、癖になっていた。

 それから数日後
 ×月×日

 目に飛び込んできた、深い紫色。
 僕はソファの上で動けなくなった。
「ん?ナニナニ?」
 膝に広げたガーデニングの雑誌を、悟浄が後ろから覗き込んだ。
「ちょっと今、この家って殺風景かなって、思ってたんですよ。こんな感じに緑が増えると、心が癒されるじゃないですか」
「そゆのも、いいかもなあ」
 黄緑、緑、あさぎ色。
 柔らく深い色彩の庭園のグラビアを眺めながら、一旦興味もなさそうに悟浄は言い、急に僕の瞳を覗き込んだ。
「八戒さあ。面白いと思うんだったら、やってみれば。そーゆー趣味のあるのって、いいんじゃねえ?いや、俺がいいんじゃないかって、勝手に思うだけなんだけど」
 悟浄は、僕がひとりで過ごす時間を心配してくれている。
 悟浄の留守中、急に降り出した雨に、窓を開いたままで茫然と立ち尽くしていたこともある。雨に打たれて、体温が雨と同じ温度になるまでそのままでいたいと願ってしまっていたことを、悟浄は知ってる。
 そんな僕を、危うく感じているのだろう。
 悟浄は優しいから。
 覗き込む深紅の瞳に、僕は微笑んだ。
「活き活きとしたグリーンに囲まれるのも、いいかもしれませんね」
「天気のいい日に、緑の生い茂る庭でビール呑むのとかって、どうよ?なんならジャングルにしたって、構わねえぜ?」
 にやりと笑う悟浄に、僕は微笑みを返した。
「今度、まず小さな鉢から買ってみます」
 言いながら僕は、酷く悟浄を裏切っている様な気がしていた。

 重なる、深い紫色。
 天鵞絨のような翳り。
 かぐわしく惑わすであろう、その花。

 先程の雑誌の、庭園に咲くばらの姿が頭から離れない。
  ―――― カーディナル・ド・リシュリュー
 幻惑の、オールドローズ。

 徐々に空気の冷えて来る頃
 ×月×日

 よく晴れた日だった。
「何やってんの?」
 悟浄を見上げ汗を拭うと、軍手の泥が額についたようだった。
「雑草むしりですよ。窓辺の花の次は庭の手入れも、って欲張りたくなっちゃって。草花の苗を植える前に、この辺きれいにしちゃわないと…。悟浄はこれからどこへ?」
「いつもの酒場に行くかと思ってたんだけど……。手伝う?」
「すいません。実は音を上げかけてたんです。お願いします」
 軍手を片方脱いで手渡すと、悟浄は可笑しそうな顔をした。
「いいんだけどさ。イッペン顔洗って来な」

 ふたり掛かりの庭仕事は俄然はかどり、小さな庭から雑草はすぐに駆逐された。
 しゃがみ続けで痛む腰を伸ばしながら、悟浄が呻いた。
「助かりましたよ。悟浄、随分汗かいてますね。シャワー浴びちゃってください」
「ああ、そうさせて貰うわ。お先にしつれ……」
 家に戻りかけた悟浄が、振り向いた。
「八戒。お前は?」
「僕はもう少し…。土を掘り返して、肥料も梳き込んでしまいたいし」
「八戒。毒を喰らわばって奴、知ってる?」
 呆れた声を出した悟浄は、庭の隅の小さな倉庫に向かって歩き出した。スコップを取り出そうとしたらしい。
 ああ、でも倉庫には今……。
「悟浄、いいですよ。後は僕がひとりで…」
「ナーニ遠慮してんだか」
 軋む音を立てながら、倉庫の扉が開いた。
「…………ナーニ、コレ?」
 もっと厳重に隠しておけばよかった。
「土です。牛糞堆肥に、バーク堆肥。乾燥牛糞、乾燥鶏糞、草木灰、骨粉、熔性リン肥、油粕、パーライト、バーミキュライト、軽石、赤玉土、鹿沼土に荒木田土、腐葉土、ピートモス、珪酸塩白土、。こっちのは、いわば天然成分の農薬で木酢液と碧露。一応ケミカルケミカルした農薬も、カリグリーンとオルトラン、オルトラン粒剤、マラソン、BT剤、ベンレート、トップジン、ストレプトマイシン、ピレトリンスプレー、ベノミル水和液が。あ、カダンAもあった。これは芽出しのメネデールとルートンです」
「………」
 ばれてしまうと、開き直って披露したくなるというのが、人の情けってものですね。
「これは僕の作った、にんにくをつけ込んだ木酢液と、唐辛子をつけ込んだウォッカです。殺菌や害虫駆除用に、こうやってアルコールに脂溶性のカプサイシン、水溶性のサポニンを抽出するんです。熟成させて、200倍くらいに薄めて散布します」
「強烈なニオイがしてるような気がするんだけど……」
「薄めるから大丈夫です。匂いが気になるようだったら、害虫の忌避剤にエッセンシャルオイルを試そうと思ってるし。部屋の中に置く植木は、そっちを使用しましょうか。メンソールとラベンダーとユーカリとベルガモット…いい香りですよ」
「いろいろあるのねえ……。じゃ、この箱は?」
 マズイ。
「……海外船便……?何コレ?」
「球根です」
「何の?」
「チューリップとか」
「それと?」
「クロッカスとアネモネとサフラン」
「それと?」
「それだけです」
「……だけにしちゃ、エライ沢山あるような気がするんだけど?」
「こっちの箱は全部チューリップです」
「これ全部?」
「はい。だって、チューリップにも色々あるんですよ。ゴルチェにエスペラント、アンジェリケ、アンジェリケはダブルのも買ったかな?カイザークルーン、シャーベット、アレッポ、ベルフラワー、アプリコットビューティに、クイーンナイト、アッティラも綺麗なんですよ…。背丈を合わせて列植したり、コンテナに密植してドアの周辺なんかに置いたらきれいかなあって」
「……球根、幾つくらい買ったの?」
「ええと……、どのくらいかなあ?あはは」
 正確な数字は、把握されない方がいいですね。
 どうせ埋めてしまいさえすれば、ばれないでしょうし。
 そうです、埋めちゃったもん勝ちです。
「ちなみに、二桁?三桁?」
「ああ、それは三桁です」
 うっかり即答してしまい、『三桁に届いてしまった』ではなく、『ンー百個』であることが、悟浄に勘づかれてしまったようだった。

「……どこ掘るの?」
「取り敢えず、家の壁際はぐるりと全部の予定です」
「………手分けな」

 小春日和の続く頃
 ×月×日

 悟浄がぐっすりと眠り込んでいるうちに、ガーデンセンターへ。
 パンジーの苗、3ダース。
 ヘレボラス(クリスマス・ローズ)の苗、そこそこ。
 ……ヘレボラス。ヘレボラス・オリエンタリス、ヘレボラス・フェチヅス、チベタヌス、コルシクス、ニガー、リヴィダス……。
 どれも控え目でいて可憐。清楚にして妖艶。何て収拾癖を刺激するんでしょう。
 タケダのエイドボールと、ハイポネックスのプロミックも一緒に購入。

 冬支度の頃
 ×月×日

 この一週間ほどは、緊張の日々。 
 通販で頼んだものが、続々到着する。
 海外通販のガーデニンググッズはやはり洗練された物が多く、オシャレなプランターに咲きこぼれる花の美しさを思うと、ときめく。テラコッタの鉢も、ひとつも割れずに到着。
 宅配便のヒトにすっかり顔を覚えられてしまったようで、出先ですれ違い様に「午後にお持ちしますが、ご在宅ですか?」などと声を掛けられた。
 思わずその場で受け取ろうかとも思ったけれど、ジープの昼寝中に出て来たもので、10号素焼き鉢3つと50リットルの土を自宅まで持ち帰るのは無謀だと、諦めた。
 少々口惜しいですね。

 時折木枯らしが吹く頃
 ×月×日

 待ちに待った、通販到着。
 カーディナル・ド・リシュリュー。
 『もっとも普通でないばら』と言われる、リッチパープルのオールドローズ。ガリカ種の芳香性。
 柔らかなブルーグレイの葉、滑らかな木肌。
 麗しの紫のばら。
 君がいれば、花咲く庭は、君だけを引き立てる舞台。

「……何?この棒っきれ」
「苗ですよ、苗。これでもばらの苗です。葉っぱも枝もこれから伸びるんですよ」
「枯れてんじゃねーの?」
 失礼な!
 この活き活きとした枝の緑色が判らないのだろうか、悟浄には。
 生命の息吹を、感じ取ることが出来ないというのだろうか。
 艶やかな枝に掌を滑らせる僕を、悟浄が見つめる。
 構いやしません。
 漸く僕の許へやって来てくれた、紫のばら……。
「僕の……僕だけのもの……」
 湧き上がる喜びに、身の内から震えが走った。
 おわおう。
 鳥肌。
「植物も、声を掛けたりして愛情を傾けるとよく育つっていいますよね」
「ウシにクラシック聞かせると牛乳を沢山出すとかってのと、一緒?」
 少し違うような気もしますが。
「この子に、名前でも付けちゃおうかなあ……」
 苗木を抱きしめる僕の背を、悟浄がまだ凝視しているような気がしたけれど、もう何も気にならない。
「紫のばらの名前ったら、やっぱり『三蔵』ですよねえ……」
 『一体どこが「やっぱり」なんだ』という悟浄の声が聞こえたような気がしたけれど、それは敢えて耳を素通りさせた。
 苗木に頬で触れると、しなやかな樹皮の下に瑞々しい息吹を感じる。
「『三蔵』。ねえ、『三蔵』。さあ、土に植え替えてあげましょうね。ああ、乾いちゃってるんですね。水をたっぷりあげましょうねえ。すぐにのびのび根っこを伸ばせる所に植えて上げますからね……」

 自然と声に、謳うような抑揚がつくのを止められない。
 僕の『三蔵』を、早く水に浸けてあげなくては。
 バケツ、バケツ。
 『三蔵』の為に用意したテラコッタ鉢はイタリア製、絡む葡萄蔦の華麗とシック。
 勿論、土の準備も、保水力、保肥力、排水性を考慮した僕のオリジナルで配合済み。

「僕が。僕が可愛がってあげますからね。何者からも僕が護って上げますから、信じて安心してくださいね、『三蔵』」

 僕と『三蔵』との、夢のような日々が始まる。
 ああ、生きているって素晴らしい。
 生きて変わるものもある……この喜びを与えてくれた三蔵への感謝を、全て僕の『三蔵』に捧げよう……。
 今頃くしゃみをしているかもしれない長安の三蔵の顔を思い浮かべながら、僕は歓喜に満ちた庭へと向かった。 
 陽の溢れる庭へ。

 部屋に取り残された悟浄は、茫然と呟いた。
「八戒……」
 ばらの苗と聞いていても、八戒が大事そうに抱えていたモノは、グルグル巻きの湿った苔から、2、3本の棒っきれが出た物としか、悟浄には見えなかった。
 開きっ放しのドアから、八戒の楽しげな鼻歌が聞こえて来る。
「八戒、お前。もう、大丈夫なんだな」
 友人の幸福そうな姿に、何故か以前よりも不安の濃くなった、家主沙悟浄の冬だった。

「……極端な奴」















 続く 







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◆ note ◆
あれも愛、これも愛、きっと愛、多分愛
八戒さんとばらの『三蔵』との、愛の日々がこれから始まります
ばらの開花の頃に、また続きます
八戒さんの紫のばらの画像のあるページも、よろしかったらご覧下さいませ