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STAY WITH ME 10
--- 雪花小片的物語 4 --- |
電車を降りた瞬間、冷えた空気に三蔵は身じろぎをした。
起こしてしまうのが可哀想で、改札口で少し手間取った。
「あの」
「はい?」
小さな声を掛けた駅員さんは、三蔵を背負う僕を見て、目を丸くした。
「定期券、僕のコートの内ポケットに入ってます。手が離せないので、確かめて頂けます?こっちの人のは、右のポケットに…」
かなり真剣に言ってみたつもりだけれど、駅員さんは小さく吹き出した。そして急に鹿爪らしい顔に戻ると、低い声で言った。
「毎朝通る人の顔くらい、覚えてるから。今日は特別。御大事に」
通りなさいと、身振りで示す。
大したことじゃないけれど、会釈しながら何となく嬉しかった。大学の駅でも、実はそうして通して貰ったし。
駅前を、時折人に振り返られながら歩いていると、三蔵が咳をした。
「もうすぐ、うちですよ」
小さく、呟いてみた。
三蔵は自分の部屋に入ると、鈍い仕草でコートを床に落とし、歩きながら片方ずつ靴を脱いだ。そのままベッドに潜り込もうとするのを、無理矢理止めさせる。
「寒い」
僕が巻き付けた毛布の中から顔だけを出し、そのまま横になろうとする。
慌てて彼のクロゼットから、清潔な衣類を引っぱり出した。
「着替えた方が、楽になりますから。イイコですから、言うこと聞いて下さい」
勝手にシャツの前を開いていると、三蔵はのろのろと自分でジーンズのボタンを外し始めた。熱の所為で指先に力が入らないらしく、その作業も、途中から僕がかっさらった。
「…ヤらしいこと、するなよ」
減らず口にも、力がない。
とは言っても。
毛布を力無く握り、しっとりと汗ばむ素肌に、真新しいシャツを羽織っただけ。
僕が引き抜き掛けてるジーンズが、片足にまだまとわりついている。
着替える途中で乱れた髪が、紅潮した頬にかかり、半ば閉ざした瞳は視線が定まらない。
「肝に銘じます」
シャツのボタンを留めようと立ち上がった時、三蔵が僕の顔を見上げた。
潤みきった、瞳。
「…八戒、喉、乾いた」
「後で飲み物を持って来ますから」
普段よりも紅く染まった唇が、僕の名を紡いだ。
何となく正視出来ずに、シャツのボタンに集中しようと屈み込む僕の、肩に。かくん、と首を曲げて、三蔵は額を押し付けた。
「八戒。……すまない」
先刻、おんぶをするしないで、この人のことをからかった罰がくだったんだろうなあ。
つい余分なことを考えてしまう、僕の方こそすいませんという気持ちと。
熱い吐息の掛かる距離で、掠れた声で名を呼ばれても、触れちゃいけないと思う気持ちと。
胸が苦しい程だった。
母屋で借りた保冷枕をタオルでぐるぐる巻きにした。それを三蔵の頭に宛って、今度は、自分の部屋のオイルヒーターを、三蔵の部屋に持ち込む。
濡れたタオルで三蔵の額や首筋を拭っている途中で、彼はふたつのヒーターに気がついた。
「オマエが寒くなるだけだろ」
「安心してください。僕も暖かい部屋にいることにしますから」
「心配なんざ……」
してねえよ。か、するか。か…?
それすら言い終えられずに、また眠りに落ちる。
三蔵が眠りに落ちると、僕は自分の栄養補給に、大急ぎでキッチンに向かった。
食パンを立ったままで口に押し込み、お湯で溶くだけのスープをマグカップに入れ、洗っただけのトマトにかじり付く。
読みかけの文庫とスープのカップを持って三蔵の部屋に戻ると、デスクにそれを置いた。
苦しそうな声がして、三蔵が寝返りを打つ。
枕元に立って額の汗を拭うと、三蔵は微かに目を開けた。
「大丈夫ですよ」
声をかけられると、こくん、と、頷き、また眠る。
三蔵を看ながらスープを飲み終え、急いで空になったカップを濯いでコーヒーを淹れ、部屋に戻った。少しの間も、三蔵をひとりにするのが嫌だった。
三蔵のデスクに座り、文庫のページを捲る度に、三蔵に目を遣る。
早い息遣いの時もあれば、目蓋をきつく閉ざしている時もあった。かと思うと、ぼんやりと目を開けていることもあった。
「喉、乾きました?」
「汗拭きましょうか?」
低く声を掛けると、必ず三蔵は僕を見て。
ほんの微かな吐息を吐く。
僕は声にならない声を聞く。
『はっかい』
いつもよりも、甘えた声。
僕はまた、胸が苦しくなった。