「江流、あなたは大きくなったら何になりたいですか?」
日溜りで、優しい声で真顔で聞かれて驚く。
「お師匠様、俺はずっとこのままお師匠様と一緒にいますよ。」
生後すぐに川に流され目の前にいる光明三蔵法師に拾われて、それからずっと寺院で暮らしている。
自分がそれ以外の世界を知らないということにすら、まだ気付いていない江流である。
光明はそれが時折気がかりになる。勿論、他にも小さな時から寺院暮らしの者は多くいる。
また誰でもが自由に「なりたいものになれる」という時代でもなかった。
しかし、この子は…
自分がえらく親ばかに近いことを考えているのに気付き、光明はくすり、と笑う。
この子に好きな道を選ばせてやれれば、どんなにか才能を伸ばすことが出来るだろうか。
ずっと手許において育てて来たが、自分はこの子の一部分しかまだ見ていないのだろうと思う。
武道においても学問においても、江流は乾いた砂が水を吸い込むように、水と太陽に恵まれた若木がぐんぐん育つように、
なんでも自分のものにしてしまうのだから。
「俺はずっとお師匠様と一緒にいて、いろんなことを教わりたいです。」
光明の瞳をじっと見返す江流は、迷うことなく続ける。
「俺はお師匠様と一緒にいたいです。」
「でもね、江流。本当にそれだけでいいんでしょうか?私が私の道を行くように、あなたにはあなたの道があるんですよ。
それを探しに行かなくてもいいんですか、あなたは」
「俺の道は、ここに…」
光明の言う通りだった。自分は他の道など探したことがない。複雑な上下関係に窮屈な思いをし、決まりきった毎日の続く
、しかし安全に囲われた寺院の中の出来事が江流の今までの全てだったのだから。自分の師匠が大きな選択肢を自分で選ぶようにと、真剣に問い掛けているのに気付いた。
「たった今答えろと言ってるんじゃありませんよ。でも江流が自分のことを考えるのにはいい機会だと思いますよ」
光明は袂から煙管を出し、刻み葉を詰めるとマッチをする。明るい青空に紫煙が立ち上るのを目を細めて見上げる。なんと今日の空の高いことか。この子を育てて、どんどん大きくなるのを眺めるのはなんと楽しいことであったろうか。いついつまでも手許においておきたかった。でも…きっとこの子にとって、私の存在は…。
「ゆっくり考えなさい。うんと考えなさい」
江流はきっと私を父親のように感じてくれているのだろう、と思う。寺院の中では飽くまでも師匠と弟子という上下の関係の中にあるけれども。この子にとって私は唯一の「父親」なのだろう。面映い気もするけれども。
「ま、死に物狂いで道を探しもしないで、間違った道を選びもしないでは、マトモなオトナにはなれませんからね」
それならば多分、可愛がるだけではいけないのだろう。送り出す勇気を持たねばならないのだろう。
勿論、窮屈な寺院から出してやれば何とかなるというものでもないのだろうが。世間には世間の荒波もあろう。仏門に属する者の間であっても、江流は外見や才能、三蔵法師の庇護下にあるという事で、嫉視や劣情の対象になりがちだった。
どこにいても持てる者は持たざる者の間では孤立するであろう。守ってやれなくなるのだろう。
それでも勇気を持って送り出さねば。私にとってもこの子は…江流は、息子のような存在だから。
「……死に物狂いになって挙句に間違えても、マトモなオトナにはなれるんですか」
江流は呆れ顔で光明の笑顔を見返す。
光明は「世の中そんなのばっかりです」と答えると一際深く吸い込み、ふうっと吹き出す。手許からの細い煙とは別に、空気を乱しながら上り広がる白い煙。青い空の手前ですぐに消えてしまうそれを見て、また笑顔が深くなる。
こんな日々が永遠に続きますようにと願いたくなってしまう
叶わなくとも願ってしまうこの思いが、いつかこの子の支えとなりますように
to be continue