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STAY WITH ME 6
--- 吐息桃色桜色的物語 1 --- |
ベッドの下の布地の山から携帯の呼び出し音が聞こえて来た。僕の脱ぎ捨てたジーンズのポケットからだ。
「鳴ってる」
「別にいいです、放っておいて」
三蔵の背中の上に投げ出した腕を動かすと、滑らかで乾いた感触が僕をくすぐった。柔らかな皮膚の下の筋肉が動く。
ベルは数回鳴って止まる。こんなのんびりした休日に掛かってくる電話なんか、何時だってクソくらえな要件なのは判り切ってる。
「っていうか、オマエ本当に自分の都合で過ごしてるな。呆れるくらい」
「そういう風にあなたの気がよそに向くのが嫌いなんですよ」
「…いるんだよな、こういう自分本位のヤツって」
シーツの下で、三蔵が僕に向き直った。目を瞑ったままで僕の胴体に腕を投げ掛け、頭をすり寄せて来くる。僕は顎のすぐ下にこすりつけられたふわふわした金糸に、唇を押し付ける。
二人で引き寄せ合う腕に力を込めた。
再び、布地の中からの電子音。
「……」
「…おい。せめて誰からだか確認くらいしろ」
「うー……。要件あったら留守電に入れてますよ」
背筋の動きを掌の下に感じて、強く抱きしめた。数回で止まるベルは、しかしまた鳴り始め……。
三蔵が身を起こす。
「……おい。諦める気はなさそうだぞ。とにかく一回起きあがって電源切るか、まともに出ろ」
シーツの滑り落ちた半身は、昼間の光に白く浮き上がった。
すべやかな皮膚と、透明な産毛が逆光に光って見える。筋肉の動きに、影が綺麗に従った。僕は暖かな翳りに手を伸ばす。
「…だから携帯どーする気だ!次から最初っから電源切っとけ!いや、携帯持ってオレの部屋に来んな!!」
「折角買い換えたけど、なんだか邪魔なんですよね」
「オマエ、何のために携帯持ってるんだ?」
「そう言えば、あなたからメール貰いたくて買ったんですよね。最近くれませんよね」
「これだけ傍にいて、何時何の為にメールなんぞ打つんだ!?」
三蔵と僕の部屋の間には、共用のキッチンとバスがあるが、そこへのドアは、気候の良くなった今、大抵開け放ってある。それぞれの部屋にいても、声を掛ければすぐに聞こえるような距離だ。
さて、一体いつメールを打つ機会があるだろうか?などと、埒のあかないことを考えていると、僕の腕をすり抜けた三蔵が呼び出しが鳴りっぱなしの携帯を投げつけて来た。20和音だろうが30和音だろうが、こういう時間を途切れさせる無粋には変わりない。
「あ。悟浄からだ」
通話ボタンを押しながら言うと、三蔵が眉毛を変な角度に上げる。
「…はい」
『よぉ、八戒。元気?先刻から何回も掛けてたんだけど…俺、お邪魔しちゃったのかしら?』
「からかう気ですか?お邪魔な自覚あるんなら、最初っから遠慮したらどうです?」
『イヤン、本気で怒っちゃ。今日はホントに用事があんだよ。ほら、オレのバイト先の…ペンションのさ。オーナーんち、子供産まれたんだって。オンナノコ』
「え、それは本当におめでたいでじゃないですか。ご無事に…?それは良かったですね。きっと元気な赤ちゃんなんでしょうね」
赤ちゃん誕生を伝えると、三蔵も嬉しそうな顔をした。
あの印象深いスキー旅行、一時は入院騒ぎになった奥さんの、無事出産という報せに、心からのお祝いを悟浄に伝えた。
『でよ。オーナーってば、うちのサークル、めっちゃお世話になってるヒトなんだわ。それでお祝い買って持ってけって話になってさ。お前らお祝い選び付き合え』
「お祝いすること自体はやぶさかではないですけど…。選ぶんですか?僕たちが?赤ちゃんに贈るものなんか、見当も付きませんよ…」
『誰も見当なんか付かねーんだよ!俺がお祝い買う役に選ばれてるってだけで、人材の乏しさが判んだろーが!お前らは多生の縁があるんだから、道連れ決定なんだよ。…で、これからそっち行くから』
「え!?これからですか…?ああ、いえ別に」
話の成り行きを聞いていた三蔵は、ベッドから飛び出すと、慌てて脱ぎ捨てた服に手を伸ばした。それを見ながら僕は声を低くして尋ねた。
「…悟浄、今どこですか?」
『あんたたちん家の前』
服を着込む三蔵に気付かれないようにそっと窓の外を覗くと、目の前の道路の向こう側、車のボンネットに浅く腰掛け、煙草をふかしてにやりと笑う悟浄と、目が合った。
「……何も言わずに、その辺一周してから来てください」
悟浄は明るい笑い声で、通話を切った。
悟浄の電話が切れた後、着替えたりベッドを整えたり洗面したり、その合間にコーヒーを淹れる準備をしたり…。慌ただしいその最中に浮かんだ疑問。
「…悟浄、僕の部屋と三蔵の部屋、どっちに来るんだろう?」
悟浄が連絡して来たのは、僕の携帯。
先刻僕が顔を出したのは、…三蔵の部屋の窓。
ふたりで一緒に過ごしていたのがバレバレなのに、それぞれの部屋で待機するというばかばかしさ…。更には、悟浄は多分しらんぷりで、三蔵の部屋に行くことは避けてくれるんだろうという、確実な予感。却って恥ずかしい。
「…ま、男の友情で何も言わねーでいてやっから。ってーか、何でそんなに初々しいことを今更やってくれんの!?っつー、感動が湧いたね、今」
案の定、僕の部屋に来た悟浄は、部屋に僕だけしかいないことを見てとると吹き出した。僕はそれについては無言で通すことにした。
開け放ったドアの向こう、三蔵に声を掛ける。
「悟浄、来ましたよ。…ついでにコーヒー持って来てくれませんか」
座布団にどっかと座り込んだ悟浄は、こたつと兼用のテーブルの上に、予算や何かを書いたメモや、奥さんの入院先の住所のメモやらを広げだした。
「今日はプレゼント選んで…お前ら明日、空いてるんだろーな」
「赤ちゃんの顔、僕たちだって見たいですからね。本当に健康に生まれてよかったですよ」
「なんか、安産だったらしーぜ……」
言いかけた悟浄は、顔を上げると、ぽろりとくわえ煙草を落とした。
「…俺、も、イヤ…。慌てさせて悪かったよ。あんたたち、カワイ過ぎ…」
慌てて拾った煙草を指に挟んだままテーブルに突っ伏すと、背中を震わせて笑っている。
「一体何があったんだ?」
不審げに問う三蔵を見た僕は、悟浄が何に気付いたのか判って眩暈を起こしそうだった。
部屋に入ってきた三蔵は、両手にマグカップを持ち、……お約束の様にTシャツを裏返しに着ていた。
会話の弾まないまま、ただテーブルのメモの切れ端を見続けるというのも馬鹿らしいので、僕たちはすぐにプレゼント選びに出掛けることにした。
車を近くの量販店の駐車場に停めて、悟浄が時折女の子に付き合わされるという、可愛らしい物の売っているお店を数軒回った。三蔵はその間、徹底的に目を合わせずに、ただ黙々と歩くだけだった。
「…なあ、ここ、赤ちゃんグッズの店みたいだなあ…」
「…その様ですねえ…」
男3人連れで、パステルカラーや、花や、英国調や、フレンチテイスト…といったお店に入る気恥ずかしさに慣れて来た頃、更に色合いの違うお店に入った。
純白と、ごく淡い水色とピンクが、店中に溢れている。見るからに柔らかそうな、ガーゼやコットンやサテン。くまやうさぎや天使のアップリケ。ふわふわの、おくるみ。くるくる回る、木製のオーナメント。小さな小さな、銀のスプーン。
ほぼ女性だけの店内は、お腹のふっくらとした人と、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた人が過半数を占めていた。他の女性たちも、生まれ落ちたばかりの清らなる魂に贈るプレゼントを、真剣に吟味している。無垢なる存在が囲まれるのに相応しい、夢のような世界…。
「か、可愛らし過ぎる…」
「ちょっと、ヤローだけで買い物するのには、辛すぎるお店です…」
「悟浄てめェ…。こういう時こそ、お前の女をタラす趣味使わないでどーすんだ…」
ようやく三蔵が口を利いた。ほぼ呻き声に近い声だったけれど。
よろめいた悟浄の肘が人形に当たった。レースを纏った人形は、くるりと回転すると腕を動かす。オルゴールの音楽と共にそれが踊り出したのを機に、僕たちはその店から逃げ出した。
「…はーっ。吸うのが辛い空気って、あるんだな…」
「単独で見たら、どれもきれいで可愛らしいんでしょうけどね…」
「…視野に柔らかい物しか入ってなかったっていうのに、何故あんなに迫力があるんだ…?」
「色か?フリルか?」
「あの、全ての物が丸みを帯びてる、圧迫感まじりの甘い雰囲気ですかねえ?」
反動のように、悟浄と三蔵は煙草を吸っていた。僕も無性にコーヒーが飲みたかった。ガードレールに寄り掛かりながら休憩を取り…。
「あ。あれ」
紫煙を吹いて上を向いた三蔵が、指をさした。
『Teddy Bear Shop』と書かれた、シックな色合いの木の看板が、ぶら下がっている。
「ティディベアですか…。すぐに着られなくなるベビードレスや靴よりいいかもしれませんね…」
僕が言い終わるより先に、三蔵は店のドアを開けていた。
カラン…
ドアベルの音が鳴り、それはペンションのドアについていたカウベルの音を思い出させた。乾いて優しい音だった。
落ち着いた色の棚に、縫いぐるみのベアがずらりと並んでいる。焦げ茶や黒や白や、うす茶色。中にはパープルやショッキングピンクのベアもいたけれど、お行儀よく並んだくまたちは、控え目に出番を待つ、という雰囲気だった。
外からも見えたショウウィンドウには、ロッキングチェアーにくつろぐベア。6、70センチくらいはあるだろうか。チェアーと揃いの、チェストボックスや、テーブル(上には革装金縁の、ミニアチュールの立派な聖書が置かれてあった!)や、ランプが置かれていた。革の衣装トランクには、ぎっしりと着替えが掛けられている。かなり古そうだ。
『非売品』
小さな札に書かれた文字は、却ってとんでもない値段を感じさせる。
「おい、八戒」
悟浄がげんなりした顔で囁く。
「パステルカラーの洪水の後だからな。縫いぐるみ買うのなんか、全然気が楽なんだがな。…縫いぐるみって玩具だよな。…この値段、ナニよ…?」
悟浄が手に取ったのは、シュタイフ社の大きなティディベアだった。木屑が詰められたそれは、みっしりと重たい。
「…韓国でもグアムでもサイパンでも…探せばこの値段で行ける海外なんかザラぢゃん…」
「ま、それは予算オーヴァーだから、どうせ僕らには関係ないですし…。悟浄だってクロムハーツにだったら、お金を出す気持ちが判るでしょう」
悟浄が泣き出す前に、さっさと決めてしまった方がいいみたいだった。見ると三蔵も値札を前に呻っている。
「…これと同じものを持ってたんだが…。同じのを買う訳にはいかんのだろうな…」
「三蔵、予算、予算!」
「…こいつ、気に入ってたんだが…。これと同じくらいの大きさのヤツって、無理なんだろうな…」
「いいから、予算を越えたものからは、目を離してください!」
「アイツ、絶対捨ててない筈なんだが…。何処にやっちまったんだろう…?」
三蔵がノスタルジーに浸っている間に、予算を中心とした選択を、僕と悟浄で済ませた。ひとり一口千円の祝い金でも、何十人分だ。赤ちゃんの生まれて始めての「お友達」に、その値段で買える一番男前な(何となく、男っぽい顔付きのベアだった)シュタイフのティディベアを選んだ。
顔以外をすっぽりと薄い和紙でラッピングして、太い深紅のリボンを掛けたベアを、三蔵は抱えて歩いていた。三蔵のベアは、これと同じ色をしていたのだという。
プレゼントだと一目で分かるベアを胸に抱き、時折り懐かしそうな顔で覗き込む三蔵は、とても目立っていた。彼の美貌に振り向く、と言うよりは、その優しそうな雰囲気に思わずにこりとしてしまう…という、三蔵にしては珍しい目立ち方だった。
翌日の、お見舞いに出掛ける時間と、悟空を誘う予定を話してから、別れ際に悟浄は苦笑していた。
「…なー。どーするよ、こんなに可愛くて。お前気が気じゃねーよな、コレじゃ…」
少し離れた場所に立つ三蔵を、僕と悟浄が見つめた。
夕方近い日差しに、ティディベアと、三蔵の髪の毛は、よく似た色合いでふわふわと光って見えた。