STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 9 --- 























 厨房に駆け込んだ悟浄とオーナーの前には、ナイフを突き付けられた奥さん。ニットキャップを深々と被ったままの男が、慌てて悟浄達の方にナイフを向ける。硬質な光が不規則に震えている。
「よ…寄るなあっ!」
「…てめーかよ。麓のコンビニ強盗っての。ナニ、寒いの?震えちゃってんじゃないの」
「う、うる…。勝手にしゃべるな!ナイフが見えねえのかよォ」
「つ、妻を離せ!身重なんだ…!」
「見えてんよ。ほら、美人の顔に傷つけたら承知しねーぜ?」
 お腹の中の子供ごと人質に取られたオーナーは、一瞬怒りに顔が紅潮したが、自分の妻と目を合わせてから落ち着いたようだ。徐々に血の気がひいて青くなっている。ナイフを突き付けられている当の本人は、気丈にも歯を食いしばりながら恐怖に耐えていた。
「車があんだろ!?キー寄越せ。ケーサツなんか呼んだらこの女殺す」

 からん、からーん

 ドアのカウベルの音に、男がびくりと反応する。
「たっだいまー」
「来んなっ!」
 男と悟浄の声が同時に発せられた。

「てめーら、下がれよっ!」
 僕たちがエントランスホールに入ると、悟浄とオーナーが後ずさりで厨房を出て来たのが見えた。緊張した様子に、何事かが起こったのが判った。知らない声がして来た。 
「キーだよ、キー!さっさと車のキー寄越せよッ!金もだ。有りったけ寄越せ」
 男が厨房から出てくる。まだ若い男の様だった。興奮に裏返った声で怒鳴っている。左手を奥さんの首にぐるりと回して、右手に握りしめたナイフを突き付ける。凶器に脅されたままで、無理矢理横向きに歩かされた奥さんの足下がよろける。
「危ない!」
 オーナーの悲鳴に近い声と、僕の声とが重なった。
「妻は妊娠6ヶ月なんだよ。妊婦を人質になんて無理だろ?離してくれよ。俺が替わりになるから」
「あなたっ」
 奥さんが泣きそうな声を上げた。
「聞いたでしょう?とにかく奥さんは離して下さい。逃げ切るつもりがあるなら、足手まといになる人質は最初っから選ばない方が得策ですよ」
「そーそー。どうするよ、逃げる途中で産気づいちゃったらさ?絶対ェやめといた方がいいぜえ?」
「ウルせえっ!俺に指図するなよォ!」
 言いながらも男は、自分が選んだ人質を異質なものを見るような目で見る。…まだ目立たないけれども、明らかに膨らんだお腹。人質は自分よりは弱い存在でなければならないが、足手まといは困るのだ。一歩前に出たオーナーに、また怒鳴り声を上げる。
「来るなアッ」
 オーナーはスノースポーツが好きで冬山のペンションを持ったくらいだから、体格がいい。ナイフを所持しているものの、男の方は痩せ型で、自分よりデカい男を人質にすることを躊躇った様だった。その場にいる全員を見回す。
 くわえ煙草で長身の悟浄は、選択から真っ先に除外したようだった。僕を通り過ぎて、小柄な悟空に視線が止まる。
「…そこのチビ、キー受け取ってこっち来い」
「俺が行ったら、絶対ぇ奥さん離すんだろーなっ!?」
 悟空が真っ赤な顔で怒りながら怒鳴る。正義感の強い悟空は、先ほどからこぶしをぶるぶると振るわせている。
「まだ子供じゃないですか。僕が行きますから…」
 悟空を背に庇おうとした僕の言葉が、遮られた。

「くっだんねえ」

「ンだとお!?」
「昨日の晩のうちに、オマワリがうじゃうじゃ張り込んでんだよ。どこの路行ったって、すぐ捕まるに決まってんじゃねェか」
 三蔵が、ゆっくりと帽子を取って放り投げた。くしゃくしゃに乱れた髪が顔の周りを彩る。サングラスを外すと、男の方に顔を向けた。そのまま襟元を緩める。
 白くてほっそりした首を持つ、女の様な整った貌。
 そのまま悟浄とオーナーの間を割って、一歩出る。肩や胸にも薄くきれいに筋肉のついた三蔵だが、長身と肉厚の男ふたりの間に立つその姿は、華奢にも見える。
「てめェ強盗か?強盗未遂か?これで奥さんどうにかしてみろ。…6ヶ月で『産気づく』だと?悟浄もバカ言うな。オーナーと奥さんと、ここにいるオレ達にとったらな、てめェなんか迷惑な人殺し野郎なんだよ」
 少し俯いたまま強盗を睨み付ける、上目遣いの大きな瞳。
 僕は頭がかっとなった。
 綺麗な顔で嘲笑う華奢な男。…人質に選ぶには、もってこいな存在。この人はわざわざ憎まれ口を叩いて強盗を刺激した。自分がオオカミの前に飛び出したウサギであるかの様に、見せようとしている。
 僕の目の前で。

 三蔵は振り向くと、悟浄のジーンズのポケットから垂れ下がるキーホルダーを引っ張った。
「これ、ここの車のキーだよな。ホラ、これくれてやるからサッサとどっか行きやがれ。目の前からキエロ」
 三蔵は顔の前でキーをちゃらちゃらと音をさせて振った。強盗はもう三蔵とキーを切り離して考えられない。
「おい、お前。そのキー持ったまんまでこっち来い。人質交換してやるよ。運転出来んだろうな」
「…ああ」
「三蔵!?」
 ゆっくりと歩き出す三蔵に向かって僕が叫ぶと、一瞬振り返る。僕を見て、ちらりと怯える様な顔をする。そしてすぐに視線を強盗に向け直し…歩き出す。
 悟浄に腕を捕まれて、初めて自分が三蔵を捕まえようと手を伸ばしていたことに気付いた。

 三蔵にナイフが突き付けられ、奥さんが押しのけられる。奥さんの顔が真っ青になっていた。唇がぶるぶると震える。…脂汗が流れている。まだ膨らみの目立たないお腹を抱えてしゃがみ込む。
「お…なか、痛………!」
 オーナーが声にならない声を上げ、奥さんの方に駆け寄った。切迫流産という、普段意識もしたことのない単語が脳裏を過ぎる。悟浄がキッと強盗を睨み付ける。
「車は駐車場だな!?」
「ああ」
「早くしろ!」
 男は三蔵の襟の後ろを掴み、ナイフを突き付けたままでドアを潜る。軽やかな筈のカウベルが、気に障るおもちゃの様な音をさせた。オーナーが奥さんの名を叫ぶ。
「悟浄、まず救急車、次に警察に電話」
「ああ。…って、お前!」
 僕は厨房に駆け込み、勢い良く引き出しを開けた。中にはきれいに研ぎ上げた包丁が並んでいる。その中から鋭い切っ先の牛刀を手に取った。振り向く僕を悟浄が止める。
「八戒!このバカ!…誰が怪我するか判んねえんだよ!!相手の手にその包丁が渡ったらどうすんだよ!?」
「死んだって取られませんよ!」
 大股で厨房を出ようとする僕の左手を、ぐいっと引っ張られた。勢いで身体が反転する。
「落ち着けよ!八戒!!」
「…落ち着ける訳、ないでしょう!?」
 悟浄が僕の両方の二の腕を掴んで留める。そうだ。万が一、相手の手にこの牛刀が渡ったら、ナイフどころの驚異ではない。三蔵の生命が危うくなるかもしれない。興奮している人間に刃物を持たせてはならない。今の僕の様な…。
「…くっ!!」
 僕の目の前からすり抜けるように、自ら危険に向かっていった三蔵の後ろ姿が浮かんだ。僕の怒りは、強盗と、三蔵の両方に向かった。右手を振り上げ、身体の中心をまっすぐに通る様に振り下ろした。
 ダンッ!
 牛刀が白木の壁に深々と刺さった。悟浄が電話をかけるのが視界の端に入ったので、僕と悟空はふたりを追って外に駆け出した。

 ペンションのドアの外に出ると、少し離れた階段の下に三蔵達の姿が見えた。車の傍の三蔵は、ナイフを突き付けた相手に、首を仰け反らして何か話しかける。男が殴りつけ、三蔵の躯が車にドンとぶつかる。走り出す僕。悟空が手に持っていたものを地面に投げ出した。
「俺、見たかんな。三蔵、殴ったな。許されると思うなよ!」
 悟空の持っていたのはボードだった。片足だけを叩き付けるように装着して、雪を蹴ってスケーティングする。僕はすぐに悟空に追い抜かされた。
 三蔵はドアの開いたナビシート側から車に乗り込む。そのまま次に乗り込む男に、ナイフで運転席側に移動するよう指図されているようだ。

「悟空!そこは階段ですよ!」
「ゆっるせねえええ!」
 悟空はひらりと身を翻すと、階段の手摺りの上に飛び乗った。そのままバランスを取ってボードのままで滑り降りる。がりがりと何か削れる音。躯を屈めて、力を撓める。
「さんぞうっ!!!」
 今まさに車に乗り込もうとしていた男が振り向く。ボードを片足しか装着していないままで、手摺りの下まで滑った悟空は思いっきりジャンプした。一旦伸びきった足が、空中でぐいっと躯に引き付けられる。男が悟空に向けてナイフを向けた時には、顔の目の前に鈍く光るボードのエッジが来ていた。悟空はそれを蹴り出す。

 短い、悲鳴になり切れなかった悲鳴。ボードが何かに当たる鈍い音。かしゃんという、軽い音。車のドアの、金属が捻られた音。

 一瞬だった。
 車の傍に倒れた男の、袖口がザックリと破れている。エッジから身を守ろうとしたらしかった。血が流れているが、大したことはない。ただ傷口はザクザクで痛みが酷いだろう。傷の治りも遅いだろう。同じくひっくり返った悟空は、身を起こして頭をぷるぷると振るう。リーシュコードが付けられないままだったボードは、まだゆっくりと僕たちから離れて滑って行くところだった。放り出されたナイフが、離れた場所で雪に埋もれている。

 僕は、倒れている男の胸ぐらを掴んで引き起こした。朦朧としたままの男の頭を地面にぶつけた。何度も何度も叩き付けた。
「八戒!もうよせ!」
 車から身を乗り出した三蔵が、僕に叫んだ。僕はゆっくりと振り向く。三蔵の、少し不安そうな顔が見えたけれど、なんだか遠近感が不確かだった。…男に殴られた頬が赤い。
 僕の腕の下で男が呻き声を上げる。悟空が雪にまみれたままの顔で、男の腕を後ろに捻り上げた。
「てめェっ!奥さんに酷いことしたり、三蔵殴ったり、タダじゃ済まねえんだからなっ!」
 悟空の声を後ろに、僕は立ち上がった。車を降りた三蔵は、僕の前に茫然とただ立っている。僕の顔を不安そうに見ている。
「八戒…」
 ぱん!
 三蔵の頬を打った。
「なんで…自分から行ったんです?」
 ぱん!
 もう一度。
「は、八戒ィ!?」
 悟空の驚く声が聞こえたけれど、僕の手は止まらず、また動いた。
「…なんで、僕の目の前で、わざわざ危険なことを、したんです?」
 三蔵の襟元を掴む。両手で、縋る様に掴む。三蔵の瞳が揺らいだ。口を開きかけた三蔵を、突き放した。ドアの開いたままの車の屋根に、三蔵の背が当たって鈍い音がした。

 救急車とパトカーの、サイレンの音が遠くから響いて来た。


















 続く 







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