STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 10 --- 























 僕は、三蔵の頬を、打った
 奥さんの切迫流産は免れた。
 その電話が来た時には、僕たちは厨房の中で戦闘状態だった。なにせ奥さんもオーナーも病院に行ってしまって不在なのだ。猫の手状態で、三蔵も悟空も、野菜を洗ったり、鍋をかき混ぜたり、食器を並べたりで忙しかった。そんな中でも「強盗退治」の英雄談を聞きたい女の子達が話しかけてくる。

「ねえねえ、悟空君、ボードで蹴っ飛ばしたんだって?犯人、20針縫ったとか先刻聞いたわよ」
「エッジって、怖いのねえ」

 僕はオーブンから、チーズをかけて焼き上げたハンバーグステーキを取り出す。スープも火を止めた。ライスは炊飯器ごと食堂にもう置いた。パンもたっぷりと籠に盛ってある。各自で好きなだけ取ってくれ。悟浄がドレッシングをサラダにかけている。その次にはハンバーグステーキの皿にソースを。ソースは飽くまでもウツクシクね。

「三蔵君、ここの奥さんの身代わりになったんだって?」
「よくそんな怖いこと、自分から…」
「ナイフ持ってたんでしょう?」

 がしゃん!僕は音を立てて、スープの大鍋をワゴンに乗せる。

「奥さんの赤ちゃん、大丈夫だったんですってね。本当によかった」

 冷蔵庫のデザートのムースを確認する。ドアがばたんと閉まる音がした。

「…そうそう。電話が来てね。オーナー、泣いちゃうんだもんなー、電話先で。参ったね、対応してた俺の身にもなってよ」

 女の子達のさざめくような笑い声。
 がーっとワゴンを押して厨房を出る。
「さあ!今日はそんな訳でセルフサービスですからね!スープはここのお皿使って下さいね。ちゃんと並ばないと、食いっぱぐれますよ?」

 僕の宣言に、食堂(というか、厨房の入り口)に集まっていたお客さんの女の子達は、嬉しそうな悲鳴を上げる。丸一日ゲレンデで過ごして、上機嫌の空腹なのだ。どの子もみんな笑顔がきらきらしている。
 今日の悟空の活躍も、日常に戻ってから「泊まったペンションで凄かったのよ」…なんて、楽しい思い出のひとつになってしまうのだ。「もの凄くきれいな男の子が、自分から身重の奥さんの替わりに人質になったのよ!」…なんて、自慢げに話せるネタになってしまうのだ。

 奥さんも、赤ちゃんも無事で良かった。三蔵も無事で良かった。悟空が怪我をさせたとはいえ、犯人は腕に傷が残る程度で済むらしい。一生醜い傷が残ればいい。
 ただ、僕だけが精神的に滅茶苦茶だった。
 三蔵が、僕の目の前で犯人を挑発する瞬間
 三蔵が、僕の目の前で犯人の元へ行った瞬間
 そんなものが、頭の中にフラッシュバックのように映る。その時、犯人よりも、三蔵に対してわき上がった怒り。三蔵を止めることが出来なかった自分。全てが苛立ちの元だ。
 メニューが元から決まっていてから良かったようなものの、僕の手は機械的に動いていただけだ。警察の取り調べも簡単に済んだので、その後はずっと厨房に籠もりっきりで、忙しく働いていただけだ。座った瞬間にくずおれるんじゃないか、と、食堂の椅子を見て思う。

 ずっと目を合わせないようにしていた三蔵が、僕の後ろから腕を取った。
「八戒」
 まだ吹き出しそうな怒りが、僕を無表情にさせる。
「…八戒!」
 三蔵が、僕の腕を取ったまま、部屋に引っ張る。…今はまだ駄目だ。今はまだ、何を言ってしまうか判らない。そう思うのに、僕は三蔵の後について足を進める。

 三蔵は僕を部屋に押し込むと、勢い良くドアを閉める。
「…八戒!オレを見ろ!怒ってるのは判る。でもあのまま…オマエだって、悟空の替わりに人質になりに行こうとしたんじゃねェのか!?」
 灯りを点けないままの部屋で、三蔵が僕に詰め寄る。太陽は沈み、暗闇が降りて来ている。
「八戒!!」
 薄暗がりの中、僕の襟を掴んだ三蔵の髪がうち振るわれて、瞳が間近に見える。

 …駄目だ。

「…はっか…!?」

 僕を掴む三蔵の腕を、逆に掴む。引き寄せる。…接吻ける。
 今までこの人にしたことの無いような、ただ奪い取るだけの接吻け。自分の凶暴をぶつけるだけで、何の優しさも示さなかった。
 自分のものを取り返したくて、本当にこの腕の中にいることを確かめたくて、…三蔵自身に、僕のものだということを思い知らせたくて。
 歯が当たり、三蔵がくぐもった声を出したが、それも全部唇で塞いだ。余計にその柔らかい唇を痛めたくなって、歯を立てた。何度も何度も歯を立てた。辛そうに寄せられた眉と、堅く閉じられた目蓋を見て、顎に手をかけて薄く開かせる。歯列を割って、舌で口腔を蹂躙する。
 顎にかけられた力と、僕の舌の要求することに気付いた三蔵は、おずおずと応えてくる。それを吸い上げ、また少し歯を立てた。
「…う…?」
 ふさがれた唇から、訴えるようなくぐもった声が聞こえる。肩にかけられた指先に力がこめられ、怯えを伝えて来る。
 そのまま、ベッドに躯を押しつけた。一瞬、三蔵が驚愕に目を見開く。
 三蔵の目と僕の目が、接吻けたままで合った。三蔵はゆっくりと目を閉じると、僕の肩に立てられていた爪の力がふっと柔らかくなった。

 力の抜けた両腕を、頭の上の方に片手で押さえつける。三蔵の細い顎に力を込めて、また深い接吻けをする。馬乗りになってトップのジッパーを降ろして、唇をその首筋に移す。僕の唇に触れる滑らかな感触に、目眩を起こしそうになりながら、それでも噛み付くように接吻けた。浮き上がる首筋を囓って、紅い痕をつけた…。

 光るナイフの前に、身を晒した三蔵。
 わざとだ。あんなに効果的に「人質」っぽく見せるなんて、何処で習ったんだろう。
 こんなに細い首を晒して、一体怪我をしたら…少しでも血を流していたら、僕はどうなっていたんだろう。

 僕は三蔵の肩口に顔を突っ伏したままで動けなくなった。
 大事だとは思っていた。自分の命より大切にしたいと思っていた。いつ迄もきれいなままでいて欲しい、世界で唯一の人だと思っていた。
 でも、この人が自分の前から失われるかもしれないと思った瞬間の僕の恐怖。
 勝手に僕から離れて、どこか危険な場所へと行ってしまうのかという驚愕と怒り。
 誰が死んでもいいから、三蔵だけは安全な場所へいて欲しいと願ってしまう身勝手。
 …どこへもやりたくないという、独占欲。
 僕の、僕だけのもの。

 僕の拘束の力が抜けても、三蔵は逃げなかった。そのまま、両手を押さえつけられたままでじっとしている。僕はゆるゆると躯を起こす。三蔵の襟元を直す為に手を離す。 
 三蔵が、離れる腕と僕の躯を掴んで引き止めた。
「離れるな。オマエは怒ってもいいんだ。オマエにはその権利がある。オレはオマエのだから。だから目をそらすのはやめろ。オレを見ろ。…逃げるな」
 ベッドに髪を広げたまま、三蔵は僕に訴える。

「…僕の、ものだ」

 僕をじっと見つめる三蔵の顔を、両手で包み込んだ。きれいな顔。骨格の薄い顎。真摯な瞳。柔らかい唇。時折、生真面目な子供の様な印象がするのは、この唇のせいか。
 殴られ、叩かれた痕がようやく引いたのに、今僕が力を込めたので、頬がまた赤くなっている。
 もう一度、昼間と同じ状況になったら、誰かが目の前で危険な目に遭っていたら、多分この人は同じ様に自分の身を晒すのだろう。自分の身体で留めようとするのだろう。僕も、多分そうしてしまうから。
 どれだけ危険から身を離そうとしたって、本当はそんなものは日常の至る所に転がっている。だから、今この瞬間だけでも、完全にこの腕の中に閉じ込めてしまいたかった。

「僕だけのものだ」
 そっと唇に接吻けた。
「あなたにだって自由にさせない」
 頬にも、目蓋にも、額にも接吻ける。三蔵の両手が、僕の背に回った。
「勝手にどこかに行ったりしたら許さない」
 桜貝の様な耳朶にも、そのすぐ下の暖かな窪みにも接吻ける。細くて血管の透けて見える首筋。目に入るところ全て接吻ける。そっとそっと、唇でこの人の全てを覚えようとしているみたいに、接吻ける。
 先刻、僕がつけた紅い痕。そこに丁寧に唇を寄せた。

「…ンあ…ッ」

 急に鼻にかかった甘い声が三蔵から漏れ、思わず顔を覗き込む。自分の喉から勝手に漏れた声に、三蔵自身も驚いたように目を見開き、慌てて口元を手で抑える。
「…なんだよ。見んなよ」
「オレを見ろって言ったの、たった今ですよ」
「それとこれとは違う!」
「同じです」
「…このォ…!」

 僕は笑いながら、三蔵の顔中に接吻けを降らせた。音をたてて、時折軽く囓りながら。舐めながら。三蔵がその度あらがう。
「この!さっきまで鬼みたいな顔してたくせに!耳元で笑うな!うわ」
 鼻を囓ったら、慌てて逃げようとする。またその躯を抱き込んで、耳元で囁く。 
「逃がしません」
 一瞬、びくりと硬直した三蔵だったが、思いっきり耳に息を吹きかけると悲鳴を上げた。僕はまた笑って、三蔵に接吻けの嵐を降らせる。笑って降らせ続ける。くすぐり続ける。

「オマエ、本当にタチ悪いぞ!怒るのも笑うのも両極端過ぎだ!絶対ェ変だ!!…うあっ!もう、判ったから。判ったから!…ヤメっ…オレが悪かったんだよ!…そんなとこ、くすぐるな!もうギブ!!…腹減ったんだよ。もうメシ食いに行こうぜ!…なあ!!」

















 続く 







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