STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 8 --- 






















「じゃ、すいませんけど、行って来ますね。3時には戻りますから」
「八戒君、いいのよ。あなたお客様なんだから。ほら、主人も随分楽になったって」
「本当に助かったよ。ほら、もう調子もいいし…いてて」
「…オーナー、無理するとまた痛めっからヤメてよ」
 悟浄は多少恨めし気に僕を見ると、ゆらゆらと手を振る。
「はーっかーい。行ーってらーっしゃーぁぁぁいぃ…」
「何なんです?それ」
「いや、労働から解き放たれて遊びに行く八戒君を遠くから見守るの図。本当に行っちゃうんだもんなー、オーナーが復帰するからって」
「朝食の支度は手伝ったじゃないですか」
「でも遊びに行くんだろー?」
「…ここでバイトしてるのは悟浄でしょう?アルバイトってドイツ語の…」
「働け!!さっさと働け!」
 三蔵が、置きっぱなしになっていた布巾を悟浄の顔に投げつけた。そのまま腕組みして僕を睨み付ける。
「八戒もだ。さっさと着替えに行くぞ!そのまんまゲレンデ出る気か!?」
「はいはい。今行きます」
 僕は三蔵に返事をすると、悟浄に笑顔と共にエプロンを渡す。
「行って来ますね」
 昨日の大雪が嘘の様に晴れた。ゲレンデ到着と同時に台所に拉致されて、夜はと言えばカードに怪談、挙げ句の強盗対策の寝ずの番…多少の眠気はあるものの、ようやくゲレンデに来た実感が湧いてきた。
 何せ、外には白銀のゲレンデが広がっているのだ。
 …何せ、三蔵と過ごせる時間が作れたのだ。
 悟空も一緒とはいえ、三蔵と遊ぶ為にここへ来て、ようやくその目的を果たせるのだ。労働の甲斐があったというもので、オーナーのスキー板だのボードだのを、3人で自由に使ってよいとの許可も得た。まあ、奥さんも身重だし、オーナー自身もぎっくり腰では暫く活用の仕様もないのだけれど。

「八戒」
 三蔵が急に振り向く。
「悟空が申し込みしたスノボ講習、9時半からだと。…それまでちょっと抜け駆けして、上の方に行かねェか?」
 僅かに紅潮した頬。悪戯っ子みたいに、にやっと笑顔を見せるものだから、つられて僕も笑顔になる。
「9時半まで…え!?もう8時過ぎてますよ!」
「急げ!」

 悟空が近所の犬と遊んでいるのを横目で見て、僕たちはこっそりとペンションを出た。出来るだけ帽子を深々と被ってしまうのだけど…ゲレンデでは目立たないのが幸いだ。しかし、三蔵のサングラスをした顔は鼻筋がすっきりしているだけあって、女の子達が振り向くほどだった。
「ああいうのに限ってグラサンとったら判らないわよ」
 こっそり品定めしている女の子達。
 ブ・ブー。素顔の方が三蔵はきれいでーす。見られなくって残念でした。
 …僕も少し浮かれ過ぎているのかもしれない。

 朝まだ早目のリフトは空いていた。
 三蔵は迷わず上級者コースへ向かう。僕はあんまり自信はないけれど、ゆっくり付き合って貰えばなんとかなるかな。周囲の迷惑になるようなことだけには、ならないようにしよう。

 雪の中で見る三蔵は、本当にきれいだった。どこでもいつでも背筋がぴんと伸びていて、一本だけすっくと咲いている百合みたいに、稟として人目を惹く。群がる周囲の花からは、常に少しだけ離れて咲いている。そんな風情だ。

「八戒?」
「…え?ああ、行きましょうか」
 僕は先に滑り出した。こぶ斜面を周りながら滑る。スキーは高校生以来かな?などと思いながら、ゆっくりとエッジを効かせてターンする。適当なところで振り向くと三蔵がこぶを全部飛び越えているのがが見えた。
 ばんばんばんばんばーん。
 殆ど一直線で僕の傍まで来て、思いっ切り雪煙を立てて止まった。
「今度はオレ先に行くぜ」
 ……本当に嬉しそうですね。

 僕たちは、お互いマイペースに滑り降りる。先に行ったり、後から追いかけたり。
 僕は段々調子が出て来て、こぶを回ってリズミカルに滑る。三蔵はそれこそ自由自在に。時折ジャンプなんかしたりしていた。
 僕も三蔵に唆されて、大きなこぶでジャンプする。身体が高く上がった所で両足を広げて着地…のつもりが、思いっ切り転がり、スキー板と共に斜面を滑り落ちる。
 慌てて僕を見に来た三蔵は、雪に突っ込んだ僕を見て笑う。
「失敗してやがんの」
 流れたスキー板を渡してくれる、その手を僕は思いっきり引っ張った。ネット際ぎりぎりの雪の中に三蔵の躯ごと突っ込ませる。ひっくり返す。転がす。
「莫迦、落ちる!」
 全身雪まみれになった三蔵が声を出して笑ったので、僕も嬉しくなった。嬉しくなったので、三蔵を雪に押しつけたそのままで、接吻ける。
 三蔵は接吻けを返してくれる。笑顔のままで。睫毛に雪を宿らせたままで。

 僕はふと、自分の下にいる三蔵が本当にきれいなのに気付く。なあんの邪気もない。自分の受けた喜びを、全て僕に与えてくれている。
 それが切なくて、ふたりで雪に半分埋もれながら抱きしめた。
 きれいなきれいな、接吻けをくれる人を抱きしめた。

「はっかい?」
「……」
「濡れるぞ?」
 僕はゆっくりと三蔵の躯を離した。
 もしかすると、僕のその時の笑顔は、少し失敗したかもしれなかった。

 上級コースを一回、中級コースを一回。その辺りで時間切れになった。
 ロッジの前で、熱い缶コーヒーを飲みながら悟空に携帯をかける。
「きっと怒ってますよね」
「そうかもな。でも行きたかったんだよ。…ふたりで」
 三蔵はそっぽを向きながら言った。少しだけ照れくさそうに唇が尖る。雪に突っ込んだせいで(僕が突っ込ませたせいか)前髪が濡れて少し重たげに降りている。そんな三蔵の横顔は、普段より少し幼く見える。
「…あ、悟空ですか?先に出て来ちゃってすいません。今僕たちロッジの前にいるんですけど…ほら、スノボ教室やるっていう所なんですけど…」
「判ってるよ、そんなこと!」
 携帯からではなく、真後ろからのナマ声に驚き、振り向こうとして…ドンと押されて転んだ。…三蔵も一緒に押されてひっくり返る。またも雪まみれ。
「ずりィぞ、ずりィぞ!ふたり共!!」
 携帯を手にした悟空が仁王立ちに立っていた。…あ〜あ。コーヒー雪に全部こぼれちゃいました。

 僕たちは悟空に昼食をおごる約束をした。 
「デザート付きね」
 確認する悟空に、神妙な顔で応える。
「でもでもっ、本当にずりィんだもん。昨日だってふたりだけで露天風呂に入っちゃうしさ。そりゃ俺もカラオケは三蔵と行ったけど」
「悟空」
 三蔵は真面目な顔で悟空の正面に立った。
「お前のことはかなり好きだけどな。でも八戒は特別なんだ」
「さ、さんぞう…」
「ウルサイ。悟空は真面目に言ってるから、オレも真面目に言うだけだ。オマエみたいに面の皮厚い訳じゃないぞ」
 …偉く酷いことを言われたような気がしますが。
「…それって八戒が三蔵の、みたいに、三蔵も八戒の、なのか?」
 悟空も真剣な表情で三蔵を見返す。元から大きな目を、更に大きく大きく見開いて、これ以上真剣なことはない、とでも言うように。
「…そうだ」
「俺じゃ駄目なの?」
「……そうだ」
 そして更に口を開こうとした三蔵を、悟空は遮った。
「わーーーっ。今、謝ろうとしたろ、三蔵!『すまん』とか『悪い』とかさ!俺は謝られたくなんかないかんな。断る言葉なんか聞かないかんな。好きなのは好きなんだもん。三蔵も俺も悪くないもん。八戒も悪くないもん。でも…」
 急に声が小さくなる。
「…特別って、すごく幸せなのに、自分が特別じゃないってなんだか…。普通ってだけなんだけどなあ。かなり好きな方って、言って貰うだけでも嬉しいのになあ…。あれ、なんだか俺、鼻水出て来ちゃった」
 くるりと後ろを向いて、すんっ、と鼻を鳴らした。
「…なんだか難しいなあ」
 後ろを向いたままの悟空の言葉は、僕の心にも響いた。
「せめてデザートで機嫌取ってくれよな?」
 三蔵は悟空の髪の毛をくしゃりと撫でて、返事を表した。

 三蔵に頭を撫でて貰っただけで、悟空の気分はかなり楽になったらしかった。悟空が笑顔になったことで、僕も気が楽になる。三蔵相手の大失恋だ。これが僕だったらこんなに早くは立ち直れないと思う。悟空の強さとかわいさが羨ましい。

 『特別って難しい』
 そうですね、悟空。僕もそう思いますよ。
 小さなことで、とんでもなく幸せな気分になったり、自分が不安になったり。
 ふとした時に、情け無くなったり、怖くなったり。
 四六時中、笑ったり怒ったり。

 ロッジに預けておいたスノーボードを、三蔵が僕に手渡してくれた。
 とても普通のことのように。とても優しい仕草で。それがどれだけ幸せを感じさせてくれるか。どれだけ僕の心を満たしてくれるか。ひとことに思いを込めた。
「ありがとう」
 三蔵は、僕の声をとても大切なもののように聞いてくれた。

 講習自体は悟空の独壇場だった。
「スノボは初めてなんだ」
 なんて言いながら、ボードに慣れるのが早い。なにせ転ばない。
「スケボーとやっぱり似てるよね。俺さ、幼稚園の頃から近所のお兄ちゃん達とやってたんだ。『オーリージャンプするグーフィー幼稚園児』で、通用してたもんね」
 なんのこっちゃ。
 時折スケボーやインラインスケートで買い物に行く様子からすると、かなり上手なのは僕でも判るんだけど。講師が見せたスノボの模範演技すら、すぐに自分でして見せる。

 僕たちはと言えば、まず平らな場所でバランスを取る練習をするだけで転んだ。緩斜面でずるずるスケーティングすると転んだ。ターンをする度に尻餅を突いた。三蔵に至っては、立ち上がろうとしてうっかり背を谷側にしてしまい…「うおっ!」という、低いけれどもはっきりと焦りを含んだ声をあげていた。誠に珍しい声だ。
 それでも講習の最後には、それなりに楽しく滑れるレベルまで達したのだが、雪の冷たく染み込むグローヴというものが三蔵にとっては大変な屈辱だったらしい(笑)。
「絶対ェ、ものにする」
 ……(笑)。密かに負けず嫌いだということは気付いていたけれど、それを自分で認めているのかな。それとも否定するかな。

 カレーライスとスパゲティハンバーグセット、チキンの骨付き照り焼き、マスタードたっぷりのホットドッグ、牛串焼き、モツ煮込み。デザートにブルーベリーチーズケーキ、チョコレートムース。最後に紫芋のソフトクリームを舐めながら、悟空は満足げなため息をついた。
「ああ、食った食った」
「…本当にな」
 普通に山菜御飯のセットを頼んだ僕たちと、悟空が殆ど同時に食べ終わるという信じ難さ。三蔵は自販機のコーヒーの紙コップを手に、呆れた顔で煙草をふかす。
「オマエ動けんのか?その腹で」
「動けるに決まってんじゃん!三蔵たちなんかより、よっぽど上手くボード乗れるもん」
 悟空がにやりと笑う。
「…教えてやろっかー?手取り足取り?」
 あっ。なんだか先刻より強くなった?悟空。

「くっそう、エラぶりやがって。泣いてたくせに。見てやがれ。……くっそう、グローヴが冷てェ。濡れたグローヴなんて…このオレが!?…いっぺん宿に帰って乾かすか。仕切直しだ!」
 晴天に雪が眩しい。帽子からはみ出した髪が、きらきら輝く。寒さに頬と唇がまた赤らむ。
 ムキになった表情が可愛くて、僕はこっそりと見とれていた。
「……なんだよ。ナニへらへらしてやがる」
 おや、バレちゃいました。サングラスを鼻の方にずらして上目遣いで聞いてくる三蔵は、また殺人的に可愛らしい表情で…。先の方をボードで滑っていた悟空が振り返る。
「だーって、かーわいーんだもーん」
「ンだとォ!このッ」
 時ならぬ雪合戦をしながら、僕たちはペンションへと向かった。

「いーい天気だわ」
 窓から入ってくる陽光の暖かさに、悟浄は大きく伸びをした。
 食器や、食料品店からの配達荷物などの重たい物は、やはり腰を痛めたばかりのオーナーには持たせられない。身重の奥さんにも、当然持たせる気はない。ベッドメイキングも済ませたし、日常品の買い出しに車を出したし、一日の内の一番忙しい時間を過ぎて、ようやく一息つけたのだ。
 食堂で、賄い料理とはいえ家庭的なメニューを平らげ、一服する。厨房には鼻歌を歌いながら水仕事をする奥さん。目の前には、その様子を幸せそうに眺めるオーナー。
「なあんか、アテられちゃうんだけど…」
 鼻の下が伸びていることを、オーナーに指摘する。30オトコの照れた顔見ても、ぜんっぜん嬉かねえんだけど…。などと言いながら、また窓の外を見る。
「ほんっと、いい天気。…奴ら、楽しんでんだろーなー…」
 ばさっと音を立てて、木の枝から雪の固まりが落ちた。

 がちゃ。
「あら、本当にいい天気ねえ。時間あるから悟浄君も遊びに行って貰ってもいいわね。折角お友達が来てるんですものねえ」
 ゴミの入ったポリ袋を、ポリバケツに入れようと勝手口をくぐる。バケツに向かった無防備な背中が、急に捉えられた。

「きゃあああああ!」

「なんだっ!?」
 厨房に飛び込んだ悟浄たちの目の前に、ニットキャップを深々と被りマフラーで顔を半分隠した男と、その男に後ろからナイフを突き付けられている女性の姿があった。


















 続く 







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