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STAY WITH ME 3
--- 慢性的蜜月物語 7 --- |
三蔵は身体を流すとすぐに湯に入って来た。そして楽しそうな顔で僕のすぐ横に並ぶ。そういえば夕食前に一風呂入っていたなあ、なんてことを思い出すが、それすらも乱れがちな思考にもやもやと流れ去ってしまう。
「なあ、オマエは昴の星、幾つ数えられるか?オレ最高で20個くらいだな」
「…随分と視力が高そうですね。ここからだと湯煙で曇ってるから…5、6、7つ!見えました」
笑って応えながらも、なんだか下心も湯の中も見透かされそうでどきどきしてしまった。そんな僕の気も知らず、三蔵はその瞳に星を映し続ける。
ああ、やっぱりきれいだな。
夜空を眺める彼の横顔の線をうっとりと眺めたり、かと思うと顎のラインから首筋まで目でたどってしまったり。どうにも自分がやりきれない。
僕はまた植え込みの方を向くと、雪を掴む。両手に一杯の雪を丸めて、万両の目と熊笹の耳を付ける。冷たい雪が僕の指先を冷やしてくれる。暫く掌の上で眺めて風呂を囲う岩の上に置いた。
取り敢えず気を散らしたかっただけだけど、そうやって見ているとなんだか僕の頼りない理性のようだった。
溶けちゃうのかな。空気は冷たいから大丈夫かな。…なんだか真っ赤なオメメが健気じゃないか…。
「雪うさぎ…。子供の頃に作ったな。目はアオキの実で作ったな、オレは」
三蔵も雪を手に取る。彼はそうっと撫でるように形作って行く。月齢13くらいのうさぎに目と長い耳を付ける。上手に出来ました、と花マルを付けてあげたいくらいに可愛らしい雪うさぎ。
「僕もアオキでしたよ。あっちの方が大きな目で可愛く出来上がるから。あとはどんぐりとか、ビー玉付けてなくしたこともあったなあ。誰かが持って行っちゃったんでしょうねえ」
「かっわいそー。誰だよ、それ」
「判ってたら取り返しに行きましたよ」
ちん、と並べ置かれた雪うさぎを見て、僕たちはくすくすと笑い出した。ふたつ寄り添うような姿がなんだか嬉しくて。
僕は三蔵の笑顔を見つめる。
彼の星の宿る瞳がきれいで。
優しげな微笑みが嬉しくて。
僕はこの笑顔を見る為に、生きようと思った。この人の笑顔を守るために、生きて行こうと思った。
「…だからさ、15年前に遭難した女が『遺体を発見してくれ〜、見つけてくれ〜』…って、出て来るんだっていうんだよ」
「…そんな話、どこの雪山でも伝わってそうじゃんか!」
文句を言いながらも、悟空は結構怖がっている様だった。…三蔵はこの手の話を聞いても、表情の変化がないなあ。
「じゃ、僕がおばあちゃんに聞いた話しましょうか」
「おっ、真実味あって怖そうだな」
「戦時中の話だそうですけど……」
僕たちは深夜まで飲み続けてかなり酔っぱらっていた。怖い話の最後に「わっ!」と驚かせる定番のお遊びだとか、極くだらないようなことで笑いっぱなしだった。充分に回っていた。
悟浄がまた話し出す。
「じゃ、俺がオフクロに聞いた話なんだけどさ。オフクロの高校時代の友人が、お義母さんが寝たきりになっちゃったんで介護してたんだって。で、段々疲れて来て、時折『一体いつお迎えが来るのかしら』なんてことまで思うようになってたんだ」
…その時点で、かなり怖いんですけど。
「でさ、ある日スーパーへ買い物に出掛けて、レジで精算を済ませたんだ。で、買い物をビニール袋に詰め替えようとしていて、ふと自分の手を見ると…」
なんだ、なんだ?
「いや、指先のニオイを嗅ぐと…。なんかが臭う。そう言えば、買い物の前に義母さんのシモの世話をしたんだった…」
「悟浄ー!なんだよ、怖くねーじゃんか」
「違うんだって!それで、その人が何をしたかと言うとだな…」
…あ!予想付いてしまった!それ以上言うのは止めて欲しい、悟浄…。
「その人は思わず……ロールのビニール袋と一緒に備え付けてある濡れタオルで……その指先を!拭いてしまったんだっ!!」
三蔵以外の全員の血の気が引く。…ビニール袋を開ける時に、指先を湿らせるタオルだ。水仕事で手が乾燥しがちな僕と、お遣いによく行かされる悟空は勿論、話を始めた悟浄自身も、自炊生活で買い物は日常の一部だった。
「ゆめゆめ、あの濡れタオルを使うでないぞ。何が付いているか判ったものではないのだぞ。…っていう話だ」
「……怖いなあ。本当に怖いなあ。…俺もう、濡れタオル使えないや」
「ええ、僕も」
「…今ひとつ、真の怖さが判らん…」
三蔵、それはあなたが買い物をロクにしていないからです!
「西海岸側で叔父貴が仕事してた時に、オレは免許取ったんだ。で、仮免の時にハイウェイを走らせてもらって…」
「待てっ。アメリカのハイウェイって、時速何キロくらい出すんだよ?」
「…みんなオートクルーズ付いてるから時速120キロ固定くらいかな。なんせ街から街まで間に何にもないし、道がまっすぐだから、自動でスピード決めたらそのまんま突っ走る」
「…仮免でハイウェイ暴走したのか。速度120キロ固定で」
「怖ぇ…」
「怖過ぎです…」
「…オレはどこにもぶつけてねェし、人も轢いてねェッ!」
あれえ?どうして「三蔵運転の暴走車に跳ね飛ばされる物体の数々」を想像してるってバレちゃったんでしょうねえ?
『ガタン!!!』
急に天井から大きな物音がした。
「な、何だよ!ここネズミでもいんのか!?」
「…ここ、最上階だよな。天井裏も、こんな深夜に誰も入らねえよな?」
「まさか…ラップ音じゃ!?」
「うわあっ!」
悲鳴を上げた悟空が窓の外を指さしたまま固まった。
「い、今、今、…白い影が窓の外通った!!」
「…てめェら、あんな話してるから……呼んじまったんだよ。いい気味だぜ」
真っ平らな口調で三蔵が宣告し、僕たち3人は金縛りに合ったような息苦しさを感じた。…その時
『RRRRR!RRRRR!』
ひっ!と、誰かの息を飲む音が聞こえたが、悟浄が即座に受話器を取る。電話だ。只の電話のベルだ。
「もしもし?……ああ、オーナーですかぁ。…はい。あ、えー、八戒!先刻玄関の鍵、掛けたよな?」
「…あれ?悟浄掛けたんじゃなかったんですか?」
「あ、もしもし、すいません。うっかりしてて、今掛けに行き…。え?ええっ!!はい。…はい。…はいっ!」
電話を切った悟浄の顔が引きつっていた。
「おい。駐在サンから連絡来たってよ。麓の街のコンビニ強盗が、こっち方面に逃走中だと。…で、先刻の音、なんだったと思う?」
「!!!」
僕たちは全員揃って部屋を飛び出した。
戸締まりをチェックしたり、各客室の安全を確認したり。はたまた怪しい侵入者の形跡がないか調べて回ったり…。小一時も間忙しく走り回った挙げ句に不審者の侵入跡は無いことを確認した。そして、僕たちは表玄関と裏玄関に別れて、寝ずの番をすることになった。バットとゴルフクラブとスキー板を携帯して。
「じゃ、向こうっ側頼むわ」
「ええ。…もう朝も近いっていうことが、せめてもの救いですねえ」
「…ああ」
「?どうしました?なんだかヘンな顔してますよ?」
悟浄は急に声を顰める。
「なあ、最初の『遭難した女の遺体が…』って話、覚えてるか?」
「…ええ、勿論」
「その遺体、見つかったんだってさ。強盗の連絡と一緒に回って来たんだと。15年ぶりに発見されたんだとよ」
「…って。さっきの物音が強盗じゃなかった、ってことは、もしかして……?」
「悟空の見た『白い影』も、まさかとは思うが……?」
発見して貰って喜んで出て来たのかもしれない?僕たちは、薄ら寒い思いで目を合わせる。そして、そのことを一切口にしないように、目線で誓い合ったのだった。
……日曜日のドライブがてら、ナパ・バレーのワイナリーに行った時だ。赤も白も散々試飲して、香りが良くて美味しいワインを木箱に幾つも積み込んだ。
叔父貴は普段より更に機嫌が良かった。オレもとても楽しかった。
夕日の沈むゴールデンゲートブリッジを通り過ぎ、自分達もサンフランシスコの夜景のライトの中のひとつになる。坂道にドールハウスの様なヴィクトリアンハウスの並ぶ通りを過ぎ、ユニオンスクエアのお気に入りの店に寄ってグリーティングカードを買って帰った。
アパートメントのある街まで、80マイル程だったっけ?
…どこまで行ってもまっすぐな路。
郊外を過ぎ、人工の灯りが全く途絶えると、森も山も夜空も黒い闇になる。
延々猛スピードで走っていると、徐々に速度の感覚がなくなって来る。
オレと叔父貴は隣に並んだままで、
世界中に自分達しかいないような錯覚さえ起きそうだった。
…ああ、こんな路を長い時間走っているんだから、
アメリカでのUFO目撃談が数多い筈だ、って。
そりゃあ沢山のアメリカ人が『UFOを見た』って言い出す筈だ、って。
そんなことを叔父貴と笑いながら話してたんだ。
そういうものが『突如目の前に現れそう』な感じがするだろうって。
そんな話をしていた自分達の、遙か前方に光を見た時も
『きっとあんな感じに見えるんだろう』って…。
オレンジ色の光がみっつ、真横や斜めに急に動く
かと思うと、瞬時に離れた場所に移動する
あんまりびっくりしたんで、もう少しでハンドル操作を誤るところだったとか。
ふらつくタイヤ跡を黒々残してしまったり
滅多に拝めない叔父貴の冷や汗を見たとか。
光の見えた方角には飛行場もなかったし、
垂直離着陸機のライトだと思おうとしても
やっぱりあんな動き方はしないだろうとか…。
きっとこいつらに言っても、信用しないだろうな。
大笑いしやがるんだろうな、確実に。
でもいつか、八戒だけには教えてもいいかもな。
それがとても綺麗な光だったということを教えてもいいかもな。