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STAY WITH ME 3
--- 慢性的蜜月物語 3 --- |
恐ろしく柔らかな手触りの革製のソファに座ると、際限なく躯が沈み込んだ。うわっ、高価い椅子って、とんでもないような値段が付くって聞いてるけど、コレその手のモノなんだろうなあ。
ローテーブルの真ん中に幾つか置いてあったのは…ピザのデリバリーのチラシだった。それを手に取り、眺める三蔵。
「八戒、今はいいけど、アイツが酔って来たら気を付けた方がいいぞ。そのソファで押し倒されると身動き出来ないから」
「…そういう酔い方する方なんですか…」
真剣な表情でうなずく三蔵。
ああ、過去、過去…。気になる過去。
ふたりで勝手にピザを選んで電話をかけようと手に取ると、丁度携帯が鳴った。
「…。同じ家から電話するな!ああ!?ちゃんと選んでるよ!チョリソーだろ!ガーリック倍量だろ!!わーーーったから、切る!は!?誰が覗くか、ババアのシャワーなんかッ!」
ははは、酔う前からなんだか凄いですねえ。
三蔵はピザ屋に電話した後、テンション上がったままでキャビネットへ向かうと、グラスと酒瓶をテーブルに持ってくる。
「いーから飲んじまえ。ヤツに残すこたァねェ!高価そうなヤツから呑め!一滴も残すな」
「…また無茶を言うんだから…」
僕は笑いながらも、さっさとグラス二つにバーボンを注ぐ。三蔵はロックアイスと、クラシックなソーダサイフォンを持って来る。
からん…
涼しげな音と、炭酸と共に上がる芳香に、三蔵は目を瞑る。
「酒には罪はねェな。…でも手加減せずに呑めよ」
合わせたグラスの中で、くるくると氷が回転した。
ピザ屋がチャイムを鳴らすと同時に、理事は姿を現した。薄手のニットを素肌に直接着ている様で、…ちょっと目線のやり場に困る。料金を受け取ったピザ屋さんが、真っ赤になってドアを閉めた。
「…ババアが…」
「お前がいつ迄経っても堅物なまんまだから、教育してやってんだろ。今日もイイモン見せてやるよ」
「日活ロマンポルノなんか、見ないぞッ」
「…俺が見せなきゃ、一生見る機会なんかなかった癖に。安心しな、今日のは別モンだよ。8ミリフィルムを編集してDVDに焼いてもらったんだよ。古い奴をな」
「8ミリって…叔父貴のか…」
頷くと、理事は作りつけの収納からごそごそと何か引っぱり出す。プロジェクションテレビという奴か。DVDプレイヤーを繋いで、ピントを壁面に降ろしたスクリーンに合わせる。
「そう。あいつ、自分が子供の頃に撮ってもらったからって、お前のこと喜んで撮ってただろう。ホームビデオだの、デジタルビデオだのが全盛になっても、8ミリが好きだって。見るの面倒くさいのにな」
立ち上がって振り向く。
「なあ、今までずっと見なかったんだろ?光明があれだけ沢山撮ってたのに、触りもしなかったんだろ?…もう、見られるんだろう、三蔵…?」
暗い部屋の中、観世理事はプロジェクターからの灯りを浴びて立っていた。理事の色白な顔に、別の笑顔が映り込む。
「もう、笑えるんだろう…?」
きらきら輝く海と、白い砂浜。
歩いては、笑う三蔵。貝殻や珊瑚を拾ったり、真っ白な砂を掴んで投げてみたり。
時折ぶれる画面で。
「叔父貴が亡くなる前の夏の休暇のだ」
「ああ」
画面はプールサイドに変わる。三脚で固定してあるのか、安定している。
水着にパーカーを羽織った三蔵と、理事。
「こん時は、学会があって俺も合流出来たんだよな。プールサイドから、湾に来た鯨が見えたよな」
「そうだ、鯨がここまで来るのは流石に珍しいって、ホテルの従業員が言ってたな。叔父貴が喜んで、喜んで…」
「喜びの余り、カクテル飲み倒してプールに落ちたんだよな」
言った瞬間に、見知らぬ人物が写った。
固定された画面の中央の真っ白なテーブル。三蔵と理事が手招きするそのテーブルに歩み寄り、座る。生成の麻のパンツと、ゆったりとしたシャツを羽織っている。
柔らかな笑顔の人物。振り向くと、三蔵と視線を合わせて嬉しそうに笑う。三蔵も幸せそうに笑顔を返す。理事も一緒になって、3人でふざけて時折ポーズを取る。澄ました顔や、だらしなく椅子に寄り掛かった恰好。グラスを合わせたり。その度に笑い合う。
「叔父貴、この時、子供みたいに喜んでたから」
また画面が変わって、一面が青になる。画面の中央から半分ずつの空と海。手持ちでの撮影なのか、ぶれが激しい。と、画面の中心に黒いものが映る。鯨の親子だった。しばらく水面に出たり、隠れたり。そして高く潮を吹いた。
「そうだよ、これだ。大声でオレ達を呼んで…で、一番喜んでるのが本人だったんだよな」
鯨がジャンプした。
画面のぶれが大きくなり、三蔵が一瞬映り込む。そしてまた四角い青の画面になるが、数瞬、細かく揺れた。
あ。頭撫でてる。それで揺れたんだ。
気付いて、僕の隣に座る三蔵の顔を覗き込んだ。
ゆったりと笑顔で画面を見ている。もしかしたら、また泣いているんじゃないかと思ったけど。三蔵はもう泣かないんだ。
「なあ?凄いだろう。鯨だぜ」
急に僕に話しかける。そして髪を引っ張って顔を寄せると、僕に接吻けた。暗い部屋の中、理事は気付いたのか気付かなかったのか、スクリーンにだけ集中していた。
「酷ェ目に遭わされた」
ああ、こういうことなんですねえ。
…いい大人に囲まれて育ったみたいですね。
「…それにしても、やっぱり疑問が残るんですけど…」
「なんだ?俺で判ることなら何でも教えてやるぜ」
「てめェはもう黙ってろよ。滅茶苦茶なことばっかり言うヤツは」
三蔵はソファに身を沈めたままでグラスを空け続けていた。また酔ってるみたいだ。しょうがないかな。
「ええ。光明さんのことなんですけど…。何をやってらした方なんですか?」
「…あーあ、光明ね。光明の職業…」
観世理事は、ちらりと三蔵に目をやる。
「だからあ、いろいろやってたんだよ」
「ああ。こいつを引き取ってからは、真っ当に諸外国に学校や病院を作らせるのに走り回ってたけどな。…その前は…なあ?」
「いろいろな」
酔っている三蔵はともかくとして、理事まで急に歯切れが悪くなった。
「…こいつらの一族ってのがな、結構由緒ある、と言うか何と言うか。幕府の御殿医だったり、でっかい寺の関係だったり、…学者だの政治家だのだったりで、とにかくバカみたいに顔の広い連中だったんだ。で、更にそういう奴らばっかりで婚姻続けたりしてたから、ありとあらゆる所にツテが利くんだわ」
「政治家にも…ツテですか」
「閨閥政治、って奴かな。他の連中は一族の思惑通りの婚姻をしていたんだが、光明とその姉だけが、自分の相手は自分で自由に探す、ってんで家を出てたんだな。で。」
「で?」
「…光明は、人脈を利用して海外でいろいろと…な。大企業と政治家の間を取り持つとか。キナ臭い所も好きだったみたいだしな」
「オレを引き取ってからは、人様に顔向け出来るようなことしかしてないぞ。貿易の仕事も真面目にやってたぞ」
…もしかすると、ロビイスト、とかいう職種だったんですか。
「要は、政治ゴロだ」
うっわあ。身も蓋もない…。
際限なく躯を受け止めるソファに埋もれて、三蔵は眠っていた。つついても起きない。
「今日は、ここ泊まるんだな。キャビネットの下の段の酒なら、幾らでも持って帰っていいぞ。全部歳暮だ。ウチも教職一族だが、色んなモン回って来るんだな、コレが」
理事は三蔵に毛布を掛けた。そしてそのまま顔を覗き込む。
「…八戒。お前、三蔵と同期入学だろ?少しは光明のこと、判ったか?」
「あの入学式の日、僕は三蔵の隣の席だったんです。あなたが血塗れになってるのも見ました」
「…そうか。光明はあの日に帰国したんだ。祝ってやりたかったんだな。俺も成田まで奴を出迎えに出て、…都内に戻る途中で玉突き事故に巻き込まれたんだ。すぐ横ですし詰めのバスが横転炎上してたんだから、俺もよく生きてるよな。でも頭縫ったから傷は残ったけどな」
このへんに多分ハゲがあるぞ、なんて自分の頭部を指さして笑う。
「光明は事故ってから目を覚まさないまま亡くなったんだ。三蔵には悔いが残ったろうな。暫くは日本で仕事をする、なんて言われてたし…ショックは大きかったろうよ。葬式も納骨の間も、呆然として涙も出ないくらいだったし」
三蔵の髪を撫でながら、優しい声を出す。
「でも思ったより奴は素早く立ち直ったみたいだった。多分色んな人に助けられたんだと思う。…その中できっと、お前の存在も大きかったんだろう」
理事は眠ったままの三蔵の額に、子供にするみたいに唇を押し当てた。
「ありがとうよ。…光明の分も礼を言うよ。本当にありがとう」
僕の方に手を伸ばす。そして、三蔵と同じように額に…。
「さあ、今夜は寝な。イイコだからな」
そう言うと灯りを消して部屋を出ていった。三蔵に注意されてたのに、このソファ、腕を突いても沈むばかりで身動き出来なかったなあ。
そう思いながらも、額に触れた跡が、じんわりと暖かいような気がした。
重たい荷物を家に置くと、僕は三蔵を買い物に誘う。
ちょっと嬉しがって、携帯を一緒に選んでもらう。
「きっと理事から掛かって来るぞ。酒飲みのところが気に入られたみたいだしな。料理が出来るなんてバレたら、本当に毎日だぞ」
「まあ、呼ばれたらあなたも一緒に行ってくれるんでしょう?」
「……それは嫌だけど、アイツに結局キスされたろう?見張っとかないとな…」
自分がキスされたことを知らずに言う。
小一時間待たされ、回線が繋がる。
僕たちはオープンカフェでコーヒーを頼んだ。コーヒーを待つ間に、早速三蔵に掛けてもらう。
「…あー。聞こえるか?」
「はいv嬉しいです。あなたが第一号です」
街行く人々を眺めながら、僕はあなたの声を聞く。小さな幸せ。笑われてもいいから。
「メール入れてもいいですか?」
「ああ」
三蔵の呼び出しが鳴る。入力した文章は…。
『愛してますよv ばい 八戒』
「…てめェ、本人目の前にして、ほんっとによく恥ずかしくないなッ!」
三蔵は頬を赤らめながら、呆れた声を出す。そしてすぐに返信してくれる。
三蔵からのメール着信。文章は…
『ばーーーか。知ってるよ。o-_-)=○)゜O゜)バキッ! 三蔵』
僕は有頂天なくらいに喜んで笑って…その日は腹筋が痛くなってしまったのだった。