STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 3 --- 























 約束のきっかり5分後、という「招かれたときのマナー」に忠実な時間に、理事のマンションのチャイムを鳴らす。
「几帳面というか、堅物というか。その辺は変わらんな、お前は」
 ドアを開いた理事は、和服だった。ただちょっと着崩しというか…。
「悪いが、茶会が長引いてな。着替えもまだなら、何の準備もしてない。三蔵、そっちの奴も。勝手に奥でやっててくれ」
「元から、メシとか言っても何の準備もしねェ癖に、人の所為にすんじゃねェよ…」
「はっはっはあ」
 理事はもう背中を向けて別のドアを開けていた。渋めの銀の地にぱっと人目を惹く深紅の椿の柄。それを袖をからげて、歩きながらかんざしを抜いて髪を振り立てる。…誰が学校の理事だなんて信じるだろう。
「堅気の姐さんには見えませんぜ、理事」
 ぼそりと口から出た言葉が、既に靴を脱いで上がっていた三蔵にも聞こえたみたいだった。
「気にするな。気にするだけアイツのペースにはまる。オマエもさっさとあがれ。あるだけ飲み尽くしてやった方がいい」
「はあ…」
 三蔵は勝手知ったる様子で奥のドアを開ける。そして足を止めると、部屋を眺め回す。
「なんもねェな…」
 …何があるかもしれなかったんだろう。

 恐ろしく柔らかな手触りの革製のソファに座ると、際限なく躯が沈み込んだ。うわっ、高価い椅子って、とんでもないような値段が付くって聞いてるけど、コレその手のモノなんだろうなあ。
 ローテーブルの真ん中に幾つか置いてあったのは…ピザのデリバリーのチラシだった。それを手に取り、眺める三蔵。
「八戒、今はいいけど、アイツが酔って来たら気を付けた方がいいぞ。そのソファで押し倒されると身動き出来ないから」
「…そういう酔い方する方なんですか…」
 真剣な表情でうなずく三蔵。
 ああ、過去、過去…。気になる過去。
 ふたりで勝手にピザを選んで電話をかけようと手に取ると、丁度携帯が鳴った。
「…。同じ家から電話するな!ああ!?ちゃんと選んでるよ!チョリソーだろ!ガーリック倍量だろ!!わーーーったから、切る!は!?誰が覗くか、ババアのシャワーなんかッ!」
 ははは、酔う前からなんだか凄いですねえ。
 三蔵はピザ屋に電話した後、テンション上がったままでキャビネットへ向かうと、グラスと酒瓶をテーブルに持ってくる。
「いーから飲んじまえ。ヤツに残すこたァねェ!高価そうなヤツから呑め!一滴も残すな」
「…また無茶を言うんだから…」
 僕は笑いながらも、さっさとグラス二つにバーボンを注ぐ。三蔵はロックアイスと、クラシックなソーダサイフォンを持って来る。
 からん…
 涼しげな音と、炭酸と共に上がる芳香に、三蔵は目を瞑る。
「酒には罪はねェな。…でも手加減せずに呑めよ」
 合わせたグラスの中で、くるくると氷が回転した。

 ピザ屋がチャイムを鳴らすと同時に、理事は姿を現した。薄手のニットを素肌に直接着ている様で、…ちょっと目線のやり場に困る。料金を受け取ったピザ屋さんが、真っ赤になってドアを閉めた。
「…ババアが…」
「お前がいつ迄経っても堅物なまんまだから、教育してやってんだろ。今日もイイモン見せてやるよ」
「日活ロマンポルノなんか、見ないぞッ」
「…俺が見せなきゃ、一生見る機会なんかなかった癖に。安心しな、今日のは別モンだよ。8ミリフィルムを編集してDVDに焼いてもらったんだよ。古い奴をな」
「8ミリって…叔父貴のか…」
 頷くと、理事は作りつけの収納からごそごそと何か引っぱり出す。プロジェクションテレビという奴か。DVDプレイヤーを繋いで、ピントを壁面に降ろしたスクリーンに合わせる。
「そう。あいつ、自分が子供の頃に撮ってもらったからって、お前のこと喜んで撮ってただろう。ホームビデオだの、デジタルビデオだのが全盛になっても、8ミリが好きだって。見るの面倒くさいのにな」
 立ち上がって振り向く。
「なあ、今までずっと見なかったんだろ?光明があれだけ沢山撮ってたのに、触りもしなかったんだろ?…もう、見られるんだろう、三蔵…?」

 暗い部屋の中、観世理事はプロジェクターからの灯りを浴びて立っていた。理事の色白な顔に、別の笑顔が映り込む。

「もう、笑えるんだろう…?」

 笑顔。青空の下の笑顔。
 …海だった。きれいなセルリアンブルーの海。理事の顔も海の色に染まる。
「ほら、綺麗じゃないか。沢山の綺麗な所に、一緒に行って、一緒に笑ってたじゃないか。見てやれよ。奴がヘッタクソなりに一生懸命撮影してくれてたんだから」

 きらきら輝く海と、白い砂浜。
 歩いては、笑う三蔵。貝殻や珊瑚を拾ったり、真っ白な砂を掴んで投げてみたり。
 時折ぶれる画面で。
「叔父貴が亡くなる前の夏の休暇のだ」
「ああ」
 画面はプールサイドに変わる。三脚で固定してあるのか、安定している。
 水着にパーカーを羽織った三蔵と、理事。
「こん時は、学会があって俺も合流出来たんだよな。プールサイドから、湾に来た鯨が見えたよな」
「そうだ、鯨がここまで来るのは流石に珍しいって、ホテルの従業員が言ってたな。叔父貴が喜んで、喜んで…」
「喜びの余り、カクテル飲み倒してプールに落ちたんだよな」
 言った瞬間に、見知らぬ人物が写った。
 固定された画面の中央の真っ白なテーブル。三蔵と理事が手招きするそのテーブルに歩み寄り、座る。生成の麻のパンツと、ゆったりとしたシャツを羽織っている。
 柔らかな笑顔の人物。振り向くと、三蔵と視線を合わせて嬉しそうに笑う。三蔵も幸せそうに笑顔を返す。理事も一緒になって、3人でふざけて時折ポーズを取る。澄ました顔や、だらしなく椅子に寄り掛かった恰好。グラスを合わせたり。その度に笑い合う。
「叔父貴、この時、子供みたいに喜んでたから」
 また画面が変わって、一面が青になる。画面の中央から半分ずつの空と海。手持ちでの撮影なのか、ぶれが激しい。と、画面の中心に黒いものが映る。鯨の親子だった。しばらく水面に出たり、隠れたり。そして高く潮を吹いた。
「そうだよ、これだ。大声でオレ達を呼んで…で、一番喜んでるのが本人だったんだよな」
 鯨がジャンプした。
 画面のぶれが大きくなり、三蔵が一瞬映り込む。そしてまた四角い青の画面になるが、数瞬、細かく揺れた。

 あ。頭撫でてる。それで揺れたんだ。

 気付いて、僕の隣に座る三蔵の顔を覗き込んだ。
 ゆったりと笑顔で画面を見ている。もしかしたら、また泣いているんじゃないかと思ったけど。三蔵はもう泣かないんだ。
「なあ?凄いだろう。鯨だぜ」
 急に僕に話しかける。そして髪を引っ張って顔を寄せると、僕に接吻けた。暗い部屋の中、理事は気付いたのか気付かなかったのか、スクリーンにだけ集中していた。

「おい、これからだぜ」
「あ?」
 僕の肩に頭を寄り掛からせていた三蔵は、急に目が覚めたように声を上げた。
「まだまだこれからがお楽しみvなんだよ。段々古くなっていくぜ」
「あ!?普通、時系列に沿って編集するだろーが。なんであんたは何時でもそうなんだ!?」
「…お前の叔父貴さあ、一見おっとり上品で、やることキョーレツなこと多かったろう。付き合い長いモンで薫陶厚くってさ」
「…おい、まさか。てめェ、謀ったな!?」
「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ。ほら、えーがを見るときには静かにね、って」
 うっとりとした気分から、急に現実に戻ったような三蔵。僕はどう反応してよいのか、ちょっと戸惑っていた。
「おい。…八戒だっけ?よっく見とけよ。刻みつけておけよ」
「見るなッ。八戒、見るなッ!」
 僕の前に立ちはだかる三蔵。…でもその時には、別の映像が始まっていた。三蔵の後ろで。
 少し幼い三蔵。高校生くらいの年代か。桜が舞い散る中、ブレザーの制服姿だ。川沿いの桜並木だけど、どうやら日本ではないのかもしれない。後ろには見慣れない山脈が映っている。
 三蔵は生真面目な顔で映っている。…と、横から理事だ。思いっきり振ったシャンパンを三蔵に掛けている。そして三蔵の胸のポケットから何かメダルを取りだして、レンズの目の前まで持ってくる。どうやらコンテストか何かで入賞したメダルの様だった。また画面がぶれる。撮影している光明さんが笑っているのだと思った。
 また風景が変わる。
 今度は確実に日本だ。どこかの日本庭園。緋毛氈の茶席で、三蔵は羽織袴で客をもてなしている。外国人相手。…TVで見たような顔があったような気がしたけど、政治家の顔なんか僕もいちいち覚えてないから誰だか判らない。
「ほら、俺も映ってるんだよ。この着物、値段張ったんだよな。…これ、光明コレクションの俺バージョンなんだ。主に俺も映ってる奴ばっかり。あとは趣味の…」
「ああっ。…てめェ、今すぐコレを止めろ。たった今だ。止めやがれ」
 中学生くらいの三蔵が、セーラー服を着ている。…と言っても、海軍さん風のセーラーと紺のパンツの組み合わせ。白いベレー帽から、パンツと合わせた紺色のリボンがなびいている。
 次はニッカーボッカーズに、鳥打ち帽の組み合わせ。本当に猟銃を背負っているが、肩が細くて重たそうだ。雪景色が揺れて、また光明さんが映る。お揃いで鳥打ち帽を被っている。隣の分厚い体つきの外国人が、楽しげに光明さんの背中を叩く。この人も、見覚えがある…。
 そして今度は暗い映像。室内だ。
「マジヤメロ。ぶっ殺す…」
 僕と理事は、すっかりと意気投合して三蔵がプロジェクターのスイッチに手を伸ばすのを邪魔している。理事は片手で三蔵の口元を塞ぐと、自分用に入れたブランデーを飲み干す。
「イイじゃねェか。全部光明が撮ってくれた、大事な宝物だぜ。俺の宝物」
 10歳くらいだろうか?三蔵はフランス人形のようなドレスを着ていた。元は白かっただろうレースは、時間に優しくアイボリーに染められている。
「お前の曾曾祖母さんの来たドレスだぜ?よく似合ってたよ」
「今でも思うんだが、一体どこからアレ持ってきたんだ!?本家の倉か?てめェ、どうやって借り出して来たんだ!?」
「だから口八丁手八丁、舌先三寸はお前の叔父の影響なんだよなあ…」
 その後も、七五三だの、お正月風景だの…。三蔵の衣装は女児向け、男児向け問わず続いていた…。

「酷ェ目に遭わされた」
 ああ、こういうことなんですねえ。
 …いい大人に囲まれて育ったみたいですね。

 室内が明るくなったが、三蔵はぐったりとソファに沈んでいた。
「八戒。…許さないからな」
「またまたあ、甘えられる相手が出来てよかったな、三蔵」
 理事が茶化すが、三蔵はもう目線で牽制するしか出来ない様子だった。開き直った様子でグラスを空けては、僕の方に突き出す。僕は黙って氷と酒を注いで渡してやる。これで免罪符になるのかな。
 それにしても、楽しかったなあ。子供の頃の三蔵。細っこくって、目がこぼれ落ちそうに大きくて。…今日はイイモノが見られた。

「…それにしても、やっぱり疑問が残るんですけど…」
「なんだ?俺で判ることなら何でも教えてやるぜ」
「てめェはもう黙ってろよ。滅茶苦茶なことばっかり言うヤツは」
 三蔵はソファに身を沈めたままでグラスを空け続けていた。また酔ってるみたいだ。しょうがないかな。
「ええ。光明さんのことなんですけど…。何をやってらした方なんですか?」
「…あーあ、光明ね。光明の職業…」
 観世理事は、ちらりと三蔵に目をやる。
「だからあ、いろいろやってたんだよ」
「ああ。こいつを引き取ってからは、真っ当に諸外国に学校や病院を作らせるのに走り回ってたけどな。…その前は…なあ?」
「いろいろな」
 酔っている三蔵はともかくとして、理事まで急に歯切れが悪くなった。
「…こいつらの一族ってのがな、結構由緒ある、と言うか何と言うか。幕府の御殿医だったり、でっかい寺の関係だったり、…学者だの政治家だのだったりで、とにかくバカみたいに顔の広い連中だったんだ。で、更にそういう奴らばっかりで婚姻続けたりしてたから、ありとあらゆる所にツテが利くんだわ」
「政治家にも…ツテですか」
「閨閥政治、って奴かな。他の連中は一族の思惑通りの婚姻をしていたんだが、光明とその姉だけが、自分の相手は自分で自由に探す、ってんで家を出てたんだな。で。」
「で?」
「…光明は、人脈を利用して海外でいろいろと…な。大企業と政治家の間を取り持つとか。キナ臭い所も好きだったみたいだしな」
「オレを引き取ってからは、人様に顔向け出来るようなことしかしてないぞ。貿易の仕事も真面目にやってたぞ」
 …もしかすると、ロビイスト、とかいう職種だったんですか。
「要は、政治ゴロだ」
 うっわあ。身も蓋もない…。

 際限なく躯を受け止めるソファに埋もれて、三蔵は眠っていた。つついても起きない。
「今日は、ここ泊まるんだな。キャビネットの下の段の酒なら、幾らでも持って帰っていいぞ。全部歳暮だ。ウチも教職一族だが、色んなモン回って来るんだな、コレが」
 理事は三蔵に毛布を掛けた。そしてそのまま顔を覗き込む。
「…八戒。お前、三蔵と同期入学だろ?少しは光明のこと、判ったか?」
「あの入学式の日、僕は三蔵の隣の席だったんです。あなたが血塗れになってるのも見ました」
「…そうか。光明はあの日に帰国したんだ。祝ってやりたかったんだな。俺も成田まで奴を出迎えに出て、…都内に戻る途中で玉突き事故に巻き込まれたんだ。すぐ横ですし詰めのバスが横転炎上してたんだから、俺もよく生きてるよな。でも頭縫ったから傷は残ったけどな」
 このへんに多分ハゲがあるぞ、なんて自分の頭部を指さして笑う。
「光明は事故ってから目を覚まさないまま亡くなったんだ。三蔵には悔いが残ったろうな。暫くは日本で仕事をする、なんて言われてたし…ショックは大きかったろうよ。葬式も納骨の間も、呆然として涙も出ないくらいだったし」
 三蔵の髪を撫でながら、優しい声を出す。
「でも思ったより奴は素早く立ち直ったみたいだった。多分色んな人に助けられたんだと思う。…その中できっと、お前の存在も大きかったんだろう」
 理事は眠ったままの三蔵の額に、子供にするみたいに唇を押し当てた。
「ありがとうよ。…光明の分も礼を言うよ。本当にありがとう」
 僕の方に手を伸ばす。そして、三蔵と同じように額に…。
「さあ、今夜は寝な。イイコだからな」
 そう言うと灯りを消して部屋を出ていった。三蔵に注意されてたのに、このソファ、腕を突いても沈むばかりで身動き出来なかったなあ。
 そう思いながらも、額に触れた跡が、じんわりと暖かいような気がした。

 ブランデー、ウイスキー、ワインに日本酒…。僕たちは持てるだけの酒は全部持ち帰った。僕なんかこっそりと焼き増しの「観世理事バージョン」まで貰ったくらいだ。悟空にプレステで見せてもらおうと思う。

 重たい荷物を家に置くと、僕は三蔵を買い物に誘う。
 ちょっと嬉しがって、携帯を一緒に選んでもらう。
「きっと理事から掛かって来るぞ。酒飲みのところが気に入られたみたいだしな。料理が出来るなんてバレたら、本当に毎日だぞ」
「まあ、呼ばれたらあなたも一緒に行ってくれるんでしょう?」
「……それは嫌だけど、アイツに結局キスされたろう?見張っとかないとな…」
 自分がキスされたことを知らずに言う。

 小一時間待たされ、回線が繋がる。
 僕たちはオープンカフェでコーヒーを頼んだ。コーヒーを待つ間に、早速三蔵に掛けてもらう。

「…あー。聞こえるか?」
「はいv嬉しいです。あなたが第一号です」

 街行く人々を眺めながら、僕はあなたの声を聞く。小さな幸せ。笑われてもいいから。

「メール入れてもいいですか?」
「ああ」

 三蔵の呼び出しが鳴る。入力した文章は…。

 『愛してますよv ばい 八戒』

「…てめェ、本人目の前にして、ほんっとによく恥ずかしくないなッ!」

 三蔵は頬を赤らめながら、呆れた声を出す。そしてすぐに返信してくれる。
 三蔵からのメール着信。文章は…

 『ばーーーか。知ってるよ。o-_-)=○)゜O゜)バキッ! 三蔵』

 僕は有頂天なくらいに喜んで笑って…その日は腹筋が痛くなってしまったのだった。
























 続く 







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