STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 2 --- 























 三蔵の携帯が鳴った。
 誰からだろう。友人関係の呼び出しとは違う音…初めて聞いた。三蔵に掛かる電話は元から少なかった。自分からかけることも殆どないし。悟浄くらいかな、平気で真夜中までかけてくる。まあ、その半分は僕宛で…いい加減僕も携帯買わないといけないかなあ。
「…ああ、アンタか。……判った。何時にだ?」
 話しながら僕の腕時計を覗き込む三蔵。
「……。ああ」
 切断する。
 三蔵の電話はとても短い。本当に必要最低限な会話で終わる。どうやら本当は持ちたくもないのを持たされている、らしい。だから僕も悩む。
 …ちょっと、携帯で三蔵と連絡取るとか…やってみたい気もして。普段、こんなに近い場所で生活してるのに、更に、というのが恥ずかしくて、誰にも言ったことはないけれども。め…メール交換とか…したいとか言ったら、流石に三蔵も呆れるだろうし。
 …三蔵が(爆)とか(T_T)とかやってくれたら、感動で泣くかもしれない。いや、絶対にしないんだろうけど。
 妄想しながら見つめていると、三蔵が不審げな顔で見つめ返していた。
「…どうした?」
「な、何でもありません。何だったんです?」
 近しい人にでも、明かしてはいけない事柄もある。秘密、秘密。
「夕方、食事に誘われた。…一緒に来るか?良い酒が余っているそうだ」
「酒、貰えるんだったら、何処へでも行きますけど…。食事に誘われてるって?」
「理事だ。観世理事」
「…ああ、あの。きりりっとした美女」
「……ソトヅラはな。昔から外面だけは良かったな」
 また珍しい表情…。何事かを思い出したのか、苦々しげに引きつり笑いをしている。
「オレの叔父の古くからの友人でな。叔父が死んだ後は、アイツがオレの身元引受人になって…今でも身元保証人だ」
「…ああ…」

 数年前の春に見た光景を思い出した。気の早い桜がほころび、散る。大学の入学式で、全員が講堂に集まり、学長や理事達の祝辞が始まり…。
 そんな中でも三蔵は目立っていた。
 美貌に振り向く学生も多かった。多くの視線の中心で、誰にも目を向けず、誰からも声をかけられるのを憚られるような雰囲気だった。
 偶々、僕は隣に座っていて…。真横の人物の顔をマジマジと見るわけにも行かず、それでも椅子から立ち上がったり座ったりという合間に、視線が向かうのが避けられなかった。
 そうだ、あの日初めて三蔵を見た。観世理事も…。

「…おい!焦げかけ!!」
「あっ…と。うーん、きつね色というには濃くなってしまいましたね。たぬき色くらいかな」
「大丈夫、食える。もうこたつに持って行っていいんだろ?」
「バター先に塗っててくださいね。熱々のうちに塗らないと」
 僕たちはキッチンで昼食の準備をしていたのだ。ちょっと可愛らしくホットケーキと、オプションでボイルしたソーセイジ・絞り立てのオレンジジュース。紅茶の蒸らし時間を知らせる砂時計が、もうすぐ落ち切る。
 僕は手早くフライパンを洗うと、ティーセットを載せたトレイを運んだ。

「あいつにはイロイロ酷ェ目に合わされてんだよ。それこそ子供の頃から」
 紅茶をお代わりしながら三蔵は言う。ホットケーキはあっという間に無くなった。上品な食べ方なのに、素早い。和食の時でも流麗な箸捌きで大皿から大量ゲットして行くし。
「オレの両親が、小さい頃事故で死んでな。で、母方の光明叔父がオレを引き取ったんだ。…まあ、ややこしい家系でな。一族から浮き気味だったのが、母と叔父だったんだ」
 あの億ションの持ち主…。ややこしい家系の一族…。なんだか凄そうですねえ。
「叔父の昔からの親友とかで、子供の頃からよく会ってたんだ、理事とは。叔父とひっついて日本と海外行ったり来たりしてたから、進学に当たって帰国子女枠で理事の所に放り込まれた、って関係か」
「はあ、帰国子女…。美女理事。…三蔵の叔父って、ナニモノだったんですか…」
「いや、まあ…貿易とか…イロイロ…。昔はそう誉められたもんじゃない仕事もしていたそうだけど…。オレを引き取ってからは、海外に学校作る働きかけとかしてたんだが、その前はちょっと…」

 謎だ。三蔵を育てた人物。…そして理事。一体幾つなんだろう。

 ゆっくりと電車に揺られる。
 車窓からは夕日が沈むのが見える。茜の空と、薄暗くなって行く建物。電線が目の前を高くなり、低くなりして繋がって行く。茜色が逆光になって、僕の前に立つ三蔵の髪を彩る。
 僕はまた、桜の舞い散る季節の記憶が蘇って来た。

 式が進み、多くの理事や議員の祝辞が終わりかけていた頃、講堂の後ろから観世理事がまっすぐ進んで来たのだった。ハイヒールの音が高く鳴り、教授達の席のど真ん中を過ぎ、そのまま演台へと向かう。高まるざわめき。
 観世理事は祝辞を述べる議員のマイクを横取り、講堂を見回した。艶やかなロングヘアーと、式典に相応しい黒のフォーマル。重々しい講堂の緞帳が、ライトを浴びる彼女を引き立てていた。
 …そしてルージュとヒールと同じ色が彼女から滴っていた。
「途中から失礼。理事の観世だ。諸君らが勉学と遊びに勤しむことを期待する。以上、私からの式辞終わり。以下呼び出し」
 それまで凛とした声だった理事が、叫んだ。
「三蔵!」
 急に騒然とした雰囲気になった席で、僕の隣の人物が立ち上がる。血の気が引いて真っ白な顔。理事がまっすぐに駆け寄る。
「三蔵。事故った。…奴は病院だ」
 周囲の学生のざわめきに、その声はかき消される寸前だった。近くで見る理事は、髪にもフォーマルにも、赤いものがついていた。出口に向かうふたりに、視線が集中した。

「式典を続ける。静粛に。静粛に!」
 スピーカーの声はむなしく響く。
「何、アレ?…若い愛人?」
 彼女が血塗れなのが見えなかったのか、少し離れた席の学生がふざけた事を言った。
「オラ、静粛にっつってんのが、聞こえねーの?」
 三蔵とはまた違って目立つ、空席の向こう側の学生…。深紅に染めた髪を後ろでまとめた学生が、よく通る声でぴしゃりと言い放つ。血相を変えた相手に、続ける。
「オレ、この娘口説いてる最中なのよ。静かにしてくんないと、ムード出ないでしょ」
 隣の女の子の肩に手をかけたままで、にやりと笑ったのは、悟浄だった。
 そうか、悟浄にはこれで最初から好感持ってたんだった。悪目立ちし過ぎだったけど。

 そして、車窓に映る三蔵の顔に、また別の記憶が蘇って来る。
 式典の数日後だった。丁度これと同じ電車で三蔵を見たのだった。理事の許へ向かう途中だったのだろう。

 三蔵は、喪服だった。
 空席の目立つ真っ昼間の電車内で、只ひとり立っていた。
 無表情なままで、涙だけが流れていた。

 「都会の人情は冷たい」とはよく言うが、誰も三蔵を注視しない。
 それは冷たさではなく、思いやりだった。涙を流す見知らぬ人への、最大限の思いやりだった。邪魔しないことが。
 三蔵はガラスに向かいながら、涙を流し続ける。
 僕は、車内の誰もが気にしながら見ない振りをしている三蔵が、気になった。先日の蒼白な顔を思い出していた。
 ドアが開き、三蔵は降りた。そのまま、ぐらりと傾きかける彼に、僕は思わず駆け寄った。学校のひとつ手前の駅だったが、そんなことはどうでもよかった。
 倒れる寸前の彼の腕を、ぎりぎりで掴む。
 無表情な彼は、呆然と「すいません」と声を出した。僕の方を見ていたけど、誰も見ていないような顔だった。
 胸が掻きむしられるようだった。
 僕は何もいわずに、三蔵の腕を取ったまま歩き出し、改札口を通り抜ける。三蔵は呆然としたままついて来る。そのまましばらく歩いて、小さな公園のベンチに彼を座らせた。

「ここ。茂みがあって誰からも見えませんから!僕は読書中ですから!」
 ベンチの端と端に座って、僕は躯を背ける。読み終わって鞄に入れっぱなしになっていた文庫本を広げる。
 三蔵は暫く中空を見たまま涙を流していたが、やがて両手を顔の目の前に持って行き、嗚咽を漏らした。
 低く堪えた嗚咽。
 それは長く止むことはなかった。 
 目線は活字を追いながら、僕は全身で隣の人物の慟哭を感じていた。

 『三蔵!』

 先日聞いた彼の名を、繰り返し心の中で呼んでいた。泣いている人の心に届けばいいのに、と思いながら、何度も何度も読んでいた。

 プシュッと空気の動く音がして、ドアが開いた。ふたり並んで降り立つと、三蔵は僕の方をじっと見た。そのまま無言で手を繋いでくる。歩き出す。そして公園に着くと、あのベンチに座って僕を見上げる。

「このベンチだった。ここでオレはやっと泣くことが出来た。知ってる人の前では泣けなくて、たったひとりでも泣けなくて、あの時オレは途方に暮れた様な気分だった。そのまま悲しさで押し潰されそうだった」
 もう片方の手も差し出してくるから、僕はその手を取る。
「あの日、何も言えなかった。…何日もして大学で出逢ってからも、オマエはずっと知らん振りしててくれた。今まで何も言えなかった。…ずっと言いたかった…」
 繋いだ手に、力がこもる。
 僕もそれに応えて握り返す。
「…ありがとう。あれからずっと思ってた。あの時泣けなかったら、ずっとずっと泣けないままだったと思う。オマエがオレを救ってくれた」
 引き寄せられて、首に腕が掛かった。

 ぎゅうっ

 思いっきり力を込められる。
「…ありがとう、な…」
 笑い声で三蔵は言った。僕はあの時の声が届いていたのかもしれないと、思った。
























 続く 







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