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STAY WITH ME 3
--- 慢性的蜜月物語 13 --- |
マーケットに着いてもまだ僕たちははしゃいでいた。
「あれ、メシ食うシーン出て来たよな?ナニ食ってたっけ?」
「うー。覚えてないです。アメリカだから…豆?豆、食べます?」
「サンダンス・キッドは美食家なんだよ。もっとイイモノ食わせろ」
いつの間にか三蔵はレッドフォードになってしまったらしい。サンダンス・キッドが本当に美食家だったかどうかは判らないけれど、目の前の人物はかなり無法者めいて来た。
僕の持つカゴにポンポンとフルーツが投げ込まれる。オレンジにグレープフルーツに苺にキウイフルーツ…。バゲットにハムにスモークサーモンにチーズを幾つか。僕がペーストを手に取っていると「レバーペーストは嫌だ。アンチョビの方がまだいい」なんて、我が儘まで言い出す。
「なあ。牛タンシチューが食いたい」
僕は呻く。
「あれ、時間かかりますよ。飢え死んじゃいますよ。待ち切れなくなっちゃいますよ」
「じゃ、明日の晩飯な」
そう言うとタンを放り込み、とどめに牛乳の1リットルパックをどさんとカゴに突っ込む。三蔵はそのまま悪戯そうに、目を輝かせた。
「どうした、重たそうじゃねえか?後は俺にワイン買ってくれるんだろ?シャンパンにしてくれるんだったら、メシは時間のかからないものでも全然構わないんだがな。おい、先刻オレを振り回した勢いはどうしたんだよ。この荷物なんかオレより全然軽いだろうが?頑張らねェと……あんまりもたもたしてると、オレの気が変わるかもしれねェな…?」
僕のきれいな無法者は、そう言うと嬉しげにワインコーナーまで僕を先導した。
脈絡もなく、先刻とはまた別な映画音楽が思い浮かんだ。
歌いながら、傘を差して、タップダンスを踊る男。大好きな人を家まで送り届けて、幸せな気分で、天にも昇りそうなタップを踏んでいた。雨音も、水たまりに踏み込み跳ねる水音も、全てが天上から聞こえる音楽みたいに感じられる…そういうタップと歌。
今、雨が降ってる訳ではないけれども、多分その男に負けず劣らず僕は幸せを感じてるんだろう。自転車のチェーンの音も、三蔵の腕から聞こえる瓶の触れ合う音も、自分の必死な呼吸音も。全てが僕の耳をくすぐる音楽みたいだ。それであの歌を歌い出したくなってるんだろう。
「見えてきたぞ」
灯りを点けたままにしていた、部屋の窓が見えた。
♪ I'm singin' in the rain.
僕は歌いながら、タップの代わりにタイルをノックした。
髪をがしがしと拭いて、バスルームから出る。
キッチンはペンダントライトに照らされるだけで、無人。冷蔵庫を見ると、フルーツもシャンパンも消えている。ドアの隙間から灯りの見える三蔵の部屋をノックして開けると。
「よう、ジーン・ケリー」
床に広げられたクロスに、ワインクーラーと皿が並んでいる。フルートグラスとカトラリーは僕が磨いたばかりなのでぴかぴかだ。カゴに盛られたフルーツとナイフ。オレンジと銀色のナイフって、並ぶときれいだな。ふと、そんなことを思う。
「上機嫌だったな。♪ドゥディドゥ ドゥ…」
「ははは…。聞こえてました?」
三蔵は、定席のカウチに転がっていた。寒いんじゃないかと思うのに、三蔵はいつでも裸足が好きらしい。クッションに身を凭れさせ、いつものように胸元には本を伏せ、片足だけだらりと垂らしている。
近寄りざまに、床に降りている方の脚先を掴む。
「冷たいですよ。寒いんじゃないですか?」
「この方が気持ちいいんだよ。それより肝心のシャンパンがまだ冷えない」
「冷えるまでまた冷蔵庫に入れておきますか?」
「そのまま置いておけ。間違っても冷凍庫なんかに入れんなよ。クーラーに放っておけばゆっくり冷えるんだから」
寝そべったままで腕を伸ばしてくるので、僕は引き寄せられる。カウチに浅く座って三蔵に向かってかがみ込むと、肩から首に腕が回った。
「折角のシャンパン抜きで食事を始める気はないからな。…だからそれまでこうしてよう」
上を向いた三蔵の顎のラインに唇を落とす。
「止まらなくなるかも、ですよ?」
「あんまりオマエがもたもたしてるから。風呂で呑気に鼻歌なんか歌ってやがるから。…オレの気が変わったんだよ」
じれったげに、僕の唇を三蔵が欲しがった。
「かなりの速攻でシャワー浴びて来たんですけど」
ゆっくりと接吻ける。忘れかけの空腹を思い出したように、甘噛みする。甘い吐息ごと味わう。
三蔵の上から本が滑り落ちた。
「…知ってる」
首筋に顔を埋めて接吻ける。ちらりと見えた僕の付けた痕。そこまでゆっくりと降りて行く。鎖骨が一際浮き上がった。また唇に戻って…彼のシャツのボタンを外した。
「ん…」
三蔵が何か言いかけるが、僕は聞かない。唇を塞ぎ続ける。彼の舌を絡め取る。
胸元に指を這わせると、紅を刷いたような目蓋を開いた。ゆっくりと鎖骨に沿って触れ、胸の筋肉を確かめるように撫でる。胸の突起を探り、指の腹で転がす。
ずっと開かれていた三蔵の眼が顰められたので、僕はそこに唇で触れたくなった。
「はっ…かい」
三蔵が僕の名を呼ぶ。僕の肩にかけられた指に力が入る。
ほんの少しだけ、爪が立てられる。
歯を。僅かに立てると、反射的に三蔵は膝を曲げて躯に引き付けようとした。それが僕の躯を押しのけようとしたみたいに感じられて、思わず彼の躯を押さえ込む腕の力が強くなる。
何度も、何度も呼ばれる、僕の名前。
何度聞こえても、その度心地よい、ため息混じりの声。
何度でも呼んで。
僕の手はとても勤勉に三蔵の上を這う。接吻けた胸の桜色も、もうひとつのそれも。腋から肋に沿って。背中の跳ねる筋肉に沿って。唇と指で、三蔵を全部覚え込みたい。この人の肌に僕のことを覚え込ませたい。そう思いながら。
ジーンズの引っ掛かる腰骨の内側まで唇をずらした。僕の肩にはきっと爪の痕が付いている。舌でなぞると震えと共に甘い声が上がった。あんまりそれが切なげだったので、顔を覗き込む。
「八戒…。…オレも」
三蔵は躯を起こして、とてもゆっくりと僕の胸元に手を伸ばす。震えがちな指で、僕のボタンをひとつひとつ外して行く。それがとても真剣な表情だったので、僕はカウチに背を預けた。僕の胸元にかがみ込む三蔵の髪を、そっと撫でる。僕の手が知ってる限りの優しさをこめて撫でる。
僕のシャツを開いて、接吻ける。
僕の躯をまたいで。唇から、頬から、目蓋から。前髪を後ろに撫でつけるようにして、額に。眉に沿ってこめかみに、耳に。顎から首筋にかけて、鎖骨まで辿って。吐息混じりの唇が僕をくすぐる。
唇が降りて行く。
三蔵はカウチから降りて、先刻僕が歯を立てたのと同じ所に接吻けた。同じように歯を立てる。目を瞑り、真剣な顔で舌を動かし続ける。長い睫毛が、一生懸命な子供みたいだ。そのまま鳩尾まで唇をずらし、臍まで行き…。
この後、どーすりゃいいんだ?
…とでも言いたげに、唇を付けたままで僕を見上げた。
床に跪いた彼の肢体が、どうしようもなく僕を誘う。
「三蔵。も、駄目」
僕は彼の躯をかっさらうと、すぐ傍らのベッドに放り上げた。
「も、止まりませんから」
手荒く落っことされた三蔵が、文句ありげに僕を見る。
「も、止められませんから」
唇を塞がれたまま、文句ありげに笑う。
長いキスをして、唇を離す。
「…好きですよ。あなたのことが」
僕の声音を、気持ちよさそうに聞くあなた。
「世界中の誰より」
喉を撫でられた猫みたいな目をするあなた。
「…ねえ、愛してますよ」
陶然とした唇が、言葉を紡ぐ。陶然とした声で。
「…ああ。オレも」
世界中に、この部屋しか存在しないような。
僕とあなたしか存在しないような。
あなたの声だけが、天上の音楽のように。
そのまま、満足した動物みたいに、僕たちは眠った。
世界中で一番満足した動物みたいに。