STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 14 --- 






















 ながいながいトンネルを抜ける夢を見たかもしれない
 空を飛ぶ夢を見たかもしれない
 なにかきらきらするものに囲まれる夢を見たかもしれない
 あたたかな夢を見たかもしれない

 僕は眠りながら、微笑んでいたのだと思う

 普段とは違う朝の光に気付いた。
 ブルーグレイのカーテンを透かす明るみが、僕たちの暖かな暗がりまでやって来ようとしている。鼻をかすめて、柔らかくてくしゃくしゃした金色が動いた。呻いてまた毛布の中に潜り込む。
「…何時?…」
「…7時前」
「まだ寝る…」
 もぞりと動いて毛布を頭の上まで持ち上げる。
「寝てていいですよ」
 僕は言いながらその金色に顔を埋めた。髪の匂いを嗅ぎ、つむじのあたりに接吻ける。人差し指にくるりと一房巻き付ける。
「ん……起こしたいのか?」
「寝てていいですよ」
 手櫛で髪をかき上げ、白い額を全部出してそこにも接吻ける。続けて閉じられた目蓋に。鼻梁の線に沿って。ようやく三蔵が目を開ける。
「起きて欲しいのかよ?」
「眠ってていいんですよ」
 唇を挟み込むような接吻けを繰り返しながら。
 三蔵の頭の両脇に腕を乗り上げて、段々接吻けを深くした。眠たげな瞳が揺らぎ、また閉じられる。頬から顎まで唇を降らせると、薄い耳朶に血の気が上った。そこに優しい声で囁きかける。
「眠ってて、いいんですよ…」
 まだ完全に醒め切っていない三蔵は、薄く笑った。夕べの熱気がすぐに蘇ってくる。僕の髪に指を潜らせながら、ため息をつく。
「…おい、今は無理だぞ…」
 紅を刷いたような目元で、艶やかな唇で言う。
 三蔵の白い首筋に唇を押し当てると、脈動が感じられる。熱い。僕が唇を下げて行くにつれて、毛布が徐々にはだけてくる。
 カーテンの隙間から朝の光がひと筋流れて来た。色素の薄い躯が上気し、照らし出される。
 僕はそれをとても美しいと感じた。
 自分と同じ生物とは思えない程に、美しいと感じた。

 夕べシャワーをふたりで浴びた後にひっかけたジーンズだけで、眠たげな顔で枕に髪を広げている。僕がくすぐるような接吻けを繰り返すから、三蔵はずっと笑っていた。おかしそうに、くすぐったそうに。でも上気した頬と艶やかな唇で。
 髪が引っ張られる。
「…オイ。聞いてんのかよ」
 僕はその手を取って接吻ける。指を一本一本囓ると三蔵はまた笑う。
「オレを食いたいワケ?」
「そう。だから寝ててくださいったら」
 三蔵はジーンズの片足を上げて、僕の背に搦めた。そのまま力を入れて僕をひっくり返そうとする。
「そう一方的に食われっぱなしになってたまるか!」
 三蔵はそう言うと、僕に毛布を被せようとした。
「ケダモノは捕獲してやる」
 さっきまでの気怠げな様子が嘘みたいに俊敏に動く。毛布越しに僕に巻き付けられる腕が、なんだか嬉しくて。
「…うわっ!?」
「捕獲、仕返しちゃいましたねえ」
 三蔵の脚を捉えて高く上げた。三蔵は壁を背に倒れかかる。そのまま寄り掛かって笑う三蔵の目の前で、僕は足にも接吻ける。
「!おい、それはやめろ」
 くすぐったそうに身をよじる。
 かかとを囓り、くるぶしに音を立てて接吻けた。
「…八戒?」
 足首の内側に唇を移して丁寧に吸うと、三蔵がいぶかしげに僕の名を呼ぶ。その声があんまり可愛らしかったので、そのまま指を口に含んだ。
「!?」
 驚いた表情の三蔵を見ながら、一本一本丁寧に舐める。身動きひとつ出来ないままで、頬だけが急激に赤くなる。
「…はっ…かい…?」
 時折、身震いが走る。三蔵はそのまま俯いて眼を閉じてしまった。
 伏せられた顔に髪がかかり、時折光が乱反射する。それが頬に投げかける陰影すらきれいに見えた。壁に凭れて、声も出せずに唇だけが動く。
 僕は三蔵の片足を高く掲げたままで、乱れた髪に囁きかけた。
「…捕獲サレテ食ベラレチャッタネ?」
 跳ね上がるみたいに、三蔵の全身が震えた。顎を捉えてゆっくりと振り向かせると、泣き出しそうな、まるで子供みたいな顔。
 僕は丁寧に三蔵の脚を降ろした。両手で顔を包み込む。
「…いじめるつもりはないんですよ…?」
 前髪を後ろに撫でつけて、白い額に唇を押し当てた。
「…シャワー浴びて来ますね。本当にまだ寝てていいですよ」
 僕は三蔵の髪をぽんぽんと撫でてから、床に落ちたままのシャツを拾い上げてシャワールームに向かった。

 ぱたん。
 ドアがゆっくりと閉じる。ひとりになった部屋に取り残された三蔵は、暫くベッドの上に茫然と座り込んだままだった。
 壁を通して水音が微かに聞こえてくる。
「…参ったな」
 たった今触れられたばかりの額に、自分の指をやる。
「寝てろって言われてもな。…完全に起こされちまったじゃねェか」
 そのまま髪をかき上げ、嘆息する。
「…参ったな。こりゃ思ったより奥が深ェな…」

 僕がオレンジを絞っていたら、三蔵が卵をゆでてくれた。
「卵料理だけなら自信あるんだがな。スクランブルエッグと目玉焼きとゆで卵だけなら。…オレ半熟。オマエは?」
「僕も半熟でお願いします」
 エッグスタンドのゆで卵にそっとスプーンを入れると、とろりときれいな金色が流れ出した。ほんの少しだけ塩を落とす。夕べと同じチーズとサーモンにグレープフルーツの朝食。ちょっとだけ豪勢に、オレンジジュースにはスパークリングワイン。ミモザを朝飲むのも、とても贅沢な気分だ。  目の前の三蔵に合わせたような朝食だな、なんてことをこっそりと思う。
 ほんの僅かだけ残して置いたシャンパンを、苺にかけた。
「シャンパンが勿体ないと思ってたけどな。これ以上贅沢な苺の食い方もねえだろうな。…シャンパンの香りの苺なんて」
 よく冷えたシャンパンが、苺の上で朝露みたいに光った。それをフォークで口に運ぶ三蔵も、シャワーの名残の濡れた髪でとてもきれいだ。
「…なんだ?」
 じっと見ていたら、三蔵に咎められた。
「今は食うのはこっちだけにしとけよ?オマエ結構調子乗りやすいからな」
 しかめっ面で僕の口まで苺を運んでくれた三蔵は、やっぱりとてもきれいだった。
 ゆっくりと食事をしても、窓から入るのは、まだ午前中の新鮮な光だった。
 僕は三蔵の本棚から2、3冊本を引っぱり出してベッドに腰掛けて読み出す。三蔵もいつものようにカウチに転がって本を読んでいたけど、その内、ふと思い出したように立ち上がった。クロゼットの中から古そうな皮の鞄を引っぱり出す。
「なんです?」
 曇った銀の鍵で鞄を開けると、中から出て来たのは数々の写真。
「莫迦、そっちは見るな」
 以前、理事の見せてくれた子供の頃の三蔵…様々な土地の、色んな三蔵。ついつい可愛らしい服装の写真に手を伸ばしたら、ぴしゃんと叩かれた。

 重なり合い、中には色の褪せた写真。
 三蔵がいる。
 光明さんがいる。
 理事まで写ってる。
 生真面目そうな表情で、光明さんと並んでいる三蔵。ぶれながら走っていたり、笑っていたり。セピアの、三蔵とよく似た女の人の写真もあった。多分、今の三蔵と同い年くらいの、三蔵のお母さんなんだろう。三蔵はそれに手を止めて、暫く見入っていた。優しく微笑みながら。
 光明さんの若い頃の写真もあった。それとどうやら理事の少女の頃の写真まで。三蔵はそれをゆっくりと掻き分けて、下の方から平たいものを取り出した。

「ずっとしまい込んでたからな。隠しておいて…一番下に。もう出してやっていいんだ」
 幾つかの写真立て。
「オレがちゃんと見て。オレを見て貰って。この部屋に来た誰かにも見て貰う。…オマエにも」

 三蔵と光明さんの並ぶ写真。
 写真館で撮影して貰ったのだろう、若い両親とその腕に抱かれた赤ん坊の写真。

 三蔵は写真立てを持ったままでカウチに転がった。ガラスに反射した光が壁にぼんやりとした四角を映し出す。
「見てくれると思うか?」
 誰が、とは言わずに、三蔵は囁くような声を出した。
「…ああ、銀、曇っちまったな。ちゃんときれいにしてやらないとな」
 そのまま自分のシャツの袖を引っ張り、フレームをこすり出す。シャツが少し黒ずんでしまうのも気にせず、はあっと息を吹きかけては磨く。
 僕が近付くと三蔵は起き上がり、カウチの片側を開けてくれた。僕はその隙間に躯を突っ込んで、三蔵の背を抱え込むように座る。僕の脚に挟まれた三蔵は、文句を言いながら僕に背中を凭れ掛けた。
「狭いんだよ」
 写真立てを磨く手を休めずに、柔らかい声で。

 時間を超えて、誰かが微笑む。
 なにかの続きが流れ出す。
 何かを思い出したり、忘れたり
 それが悲しさだったり、やさしさだったり。切なさだったり。
 でも決して途切れたままにはならない、大事なもの。
 いつまでも大事なもの。
 いつか、喪ったもの。いつか、喪うもの。

 きっといつか、どうしようもなく傷つくことが起こる。
 立ち上がれないかもしれない。
 それでも、
 それでもいつかは流れ出す。優しい大事なものが流れ出す。
 決して途切れたままにはならない。

 それは決して、喪われたままにはならない。

 僕の腕の中で、三蔵が背中を預けてくれる。ゆっくり丁寧に銀とガラスを磨き続ける。顔は見えないけれど、きっと優しい顔をしている。
「…なあ?今のオレ、ちゃんと見てくれるか?」
 今はいない、大事な人に向かって問いかける言葉は。
 きっと小さな子供の三蔵が、光明さんに向かって笑いながら交わしていた、言葉の続き。
 赤ん坊の三蔵が、両親に向かって上げた、産声の続き。

 三蔵が僕の腕の中で身をよじった。やっぱり優しい、とてもきれいな、きれいな微笑み。
「なあ?今のオレ達、ちゃんと見て貰えるよな?」









 ♪ pi-pi- pipipi pi----pi-pi------ ♪

「!?」
「…三蔵?携帯?」
 突然鳴り出したのはムソルグスキーの『禿げ山の一夜』。…魔女のサバトに死霊が飛び回り、魔王がゆっくりと身を起こす…。「そう言えば三蔵とディズニーランドに行ったことはなかったな」などと、ついつい思考が横滑りをする。あのパレード、もう終わっちゃったんだっけ?…いやいや。
「オレは出ない」
「…理事専用の呼び出し音なんですね?」
 三蔵は否定しない。ただ頑固なまでに「出ない」を繰り返す。
「…別にいいですけど。でも出ないと、あの方、後からご本人がお出でになりません?」
「………」
 三蔵はものすごく嫌そうな顔をして携帯に手を伸ばす。
「…ああ。別に。…スキーに行ったことを何故アンタが知ってるんだ。…あのバカにしゃべらせるの、もうヤメロ。…バカをバカと言って何が悪い!?」
 観世理事と会話する時の三蔵は、どうやら声がワントーン上がる。怒りながらでも、それでも三蔵は観世理事が好きなんだろう。子供の頃から全部知られているということもあるけれど、今、誰よりも三蔵が身近に思える人なんだろう。
 僕は取り敢えず観世理事を当面のライバルと認めることに決定した。僕もこのくらい三蔵の精神を乱したい。ちょっと年期は要りそうだけど。
「…なんだよ!?…ああ!?はっきり言ったらどうだ!この………んだと?……!」
 急に三蔵は携帯を切った。
「どうしたんです?……わっ」
 振り返った三蔵は、口元だけで笑っていた。…眼が剣呑。
「…ぼ、僕に怒ってます?」
「はあ!?ナニが『僕に』だァ!?」
 額に血管が浮き上がった。……理事関係でこれだけ怒りマックスって…もしかしたら…?
「もしかして、ディスクコピー貰ったの、バラされちゃいました?」
「いつまでもバレないなんて、思ってる訳ねェよな?ババァの常套手段だからな。恩着せといて足下すくうってのはな。よかったよなァ、学習する機会があって?」
 三蔵の片方の唇が、きゅうっと上がった。口元だけで笑いながら、歯が噛み締められている。…ちょっとバイオレンスモードかもしれない。それまで、だらりと垂れ下がっていた手が、僕に向かって差し出された。
「寄越せ」
「さ、さんぞ…」
「寄越せ。今すぐ寄越せ。たった今寄越せ。この世から粉砕消滅させてやる。だから寄越せ。ナニも言わずに寄越せ」
「…それが…ですねv」
 僕は思い付く限り、可能な限りの下手の態度と声音を出した。
「…何故すぐ出せない?まさかもう棄てたのか?…手許にないのか!?」
 三蔵から視線を外さずに、徐々にドアに向かう。じりじり、と、相手を刺激しないように細心の注意を払いながら動く。
「あれ、プレステ2なら見られるんですよね。それにこの間、酷くがっかりさせちゃったじゃないですか?…だから少しでも励ましになるかなーなんて…ほら、アレ、着せ替え三蔵って殺人的に可愛らしかったじゃないですか…?ね?」
 途中で三蔵の眉がきりきりっと音を立ててつり上がったような気がした。
「…なんのことだ?」
「えーと…だから…。今、ちょっと…悟空の所に貸して…」
 三蔵の笑みが、一層深くなった。

 僕はこの後、三蔵が光明さんとプロレスの試合を、よく見に行っていたということを聞かされた。ヘッドロックの本当の危険性と、「落ちる」という現象に対して、高校の柔道の授業以上に認識を深める機会を得た。
 それと、オンナノヒトの怖さについて再認識出来たことと、三蔵がムソルグスキーを選んだという直感的センスが正確だったという確信が…今回の収穫だったのだろう。

 カウチに置かれたままの写真立ての中で、きっと誰かが笑っていたんだろうな。

















 終 







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