STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 12 --- 























 ごとんごとん ごとんごとん ごとんごとん ごとんごとん ……

 日溜まりの列車は僕たちを乗せて進む。
 さっきまで雪の張り付いていた窓ガラスは、もうすっかり乾いている。ほんの少しだけ空気は埃っぽいけれど、座席に張られた天鵞絨が日差しを吸い込み柔らかい陰影を付けている。
 眠る悟空の掌から、キャラメルの箱が落ちかけた。
「おっと」
 僕と三蔵の手が同時に伸び、目を合わせてくすりと笑う。
「イッコくれ」
 三蔵に手渡し、僕にもひとつ。久しぶりのキャラメルはとても甘くて、どこか懐かしい味がした。
 日溜まり、電車、びろうど、ごとごとと揺れる音。
 徐々に変わる景色、併走する電車、行き違う電車。一瞬で通過する駅の看板の駅名。
 電線が目の前で高く低く繰り返す。
 三蔵があくびをした。
「寝ててもいいですよ」
「ん。起きてる」
 僕たちはそれきり黙っていた。僕たちを運ぶ日溜まりで、窓の外を見ながら、とても幸せな気分で黙っていた。

 その日の朝は、7時という、とても真っ当な時間に起きられた。それまでの僕は、緊急厨房要員として5時起床を余儀なくされていた。遊びに来てこの仕打ちはハッキリ言って残酷だ。それだけにゆっくりとした朝は、僕に幸福感を抱かせた。
 目覚まし時計の電子音を止める。じゃんけんで負けた悟空が、エキストラベッドで寝返りを打ち、毛布を深く被った。僕は起きあがり、カーテンを勢いよく開いた。
「んー…」
 眩しさに三蔵が眉をしかめ、枕に顔を押しつける。くしゃくしゃになった髪に、僕は唇を寄せた。
「三蔵、朝ですよ。最終日の朝ですよ。ゲレンデが待ってますよ」
「ん…起きる…」
 三蔵が目を瞑ったまま顔だけ横を向いたので、その額に接吻ける。
「…早く起きないと悟空に見つかるまでやっちゃいますよ?」
 慌てて起きあがるのを見て、僕は笑う。三蔵と共にエキストラベッドを振り向くと…ふかふかの布団を抱きしめたままの悟空が、むすっとした顔で目を開けていた。
「…遅いよ。もう見えちゃったもん。…俺、もうアンタタチと旅行しない」
 僕はちょっと笑いが過ぎ、真っ赤になった三蔵と、不機嫌そのものの悟空に枕をぶつけられる。

「ああ、ふたりがかりはやめてください。…ごめんなさいったら。ほら、朝ご飯早く食べに行きましょう!今日は午前中しかゲレンデに出られないんですよ?…ごめんなさいったら!…すいません、すいませんでした…」

 人の作った朝ご飯を食べられるという幸せを堪能し、食後のコーヒーを悟浄に言い付けるという、ちょっとした気分の良さを味わう。
「悟浄、灰皿」
「へいへい」
「マッチもな」
「へいへい」
「悟浄、僕にコーヒーお代わりください」
「あ、俺も。ミルクも2個頂戴ねっ」
「…へいへい」
 悟浄のバイトはあと1週間続くという。勤労青年、頑張れ。今日にもまた、別の友人たちがここへ泊まりに来ると言っていた。どうやら女の子も混ざっているらしい。いろいろ頑張れ。
「いーのよ。人生山アリ谷アリなのよ。明日は明日の風が吹くのよ」
「スカーレット・オハラの気迫はないですねえ。それにここ数日が山アリ谷アリで辛かったみたいな言い方じゃないですか?」
「…あれを平坦と言う気はねーよ。いいよな、お前は楽しかったろうよ。あ!?手伝いなんか帳消しなくらいに楽しんだろーが!?」
 何故かここでも悟浄に台拭きタオルを投げつけられた。
 朝食後に速攻で出たゲレンデでは、先日のリベンジとばかりに三蔵がボードに取り組む。悟空には及ばないまでも、かなりサマになって来た。ターンを繰り返し、わざわざ僕の目の前で止まる。
「…どうだ。もうグローヴも濡れなくなったぞ」
「まだまだだよっ」
 全然スピードで叶わない悟空が、通り過ぎ様に三蔵の腰を叩いて行った。そのまま膝の力が抜け倒れかかる三蔵。
「サル!てめェッ!?」
 僕ごとひっくり返った三蔵は悟空に向かって叫ぶけど、その頃にはもうとっくに遠いところまで滑っている。僕は三蔵の躯を抱えながら、やっぱり笑いが止まらない。三蔵が僕の襟元に雪を詰め込もうとするので、また転がり逃げながら笑っていた。
「何がおかしいんだ!朝からずっとヘラヘラしやがって、てめェは!?」
「ああ、だって。素敵に楽しくって。ここ、天国みたいだ。今の僕は何の悩みもなくて、目の前に三蔵がいて。いつでも腕に抱きしめられて、いつだってあなたは僕の特別で、僕もあなたの特別でいられて…。なんだか夢みたいだ。終わるのが怖い夢みたいなんですよ」

 いっそここでぴしゃんと終わってしまったら、幸せな夢から醒めないで済むのに。

 ほんの少しだけそう思っていた。一緒に倒れ込んでる三蔵の顔を、真顔になって覗き込む。帽子にも、髪の毛にも雪の張り付いた三蔵の顔を、これ以上ないくらいに真剣に覗き込む。
 三蔵の瞳に、僕だけが映った。
「莫迦言え。終わるだと?…これからだろうが。俺は、俺の大好きなお前の部屋に帰るのが楽しみだよ。あの部屋に一緒に帰れるのが…本当に楽しみなんだ」
 光る睫毛に縁取られた、きれいな瞳。光彩の色がきらめく。雪に太陽が照り返し、瞳孔がきゅうっと小さくなったり大きくなったりする三蔵の瞳。
 僕だけを映し出す、三蔵の瞳。
「そうですね。一緒に帰りましょう、…あの部屋へ」

 とても古くて、窓枠のペンキが剥げ掛かり、下手をすればすきま風の入る部屋。
 でこぼこ歪んだ窓ガラスから日差しの沢山入る、明るくて暖かなあの部屋。
 テレビもなくて、年代物の本棚とオイルヒーティングが静かに待つ、…寄せ木のモザイク、飴色の手摺りの階段のある、僕たちのあの部屋へ。

「ああ、帰るぞ」
 どちらともなく、唇を寄せ合い、そっと離れる。
 そうやって、僕たちの旅行は終わった。
 楽しくて、面白くて。きれいで、優しくて。喪失のとてつもない怖ろしさと、手に入れる有頂天さと、切なさを僕に覚えさせた旅行が終わった。

 午前中一杯スノボを滑り、帰りの電車では熟睡した悟空が、元気な笑顔で手を振る。それに応えて僕たちも手を振り、エントランスのドアを開ける。
 3日ぶりの僕たちのアパートは、ワックスの香りで出迎えてくれた。
 ドアの正面の寄せ木のばら窓模様には、ちょうど夕日が落ちている。そこへどさん、と荷物を置いた。軽く埃が舞い、茜色の筋が出来る。
 光る空気の中で、三蔵が僕を見た。
「ただいま」
「ただいま」
「おかえり」
「おかえり」
 にっと笑う。
「やっぱりオレにはここが天国だな」
「…ええ」
 荷物をまた持ち上げ、競争で階段を登る。僕は自室のドアの鍵を開けると、荷物を放り込み、まだドアの前で鍵を開けようとしていた三蔵を引っ張り込んだ。三蔵の荷物も放り投げる。
「バカ、土産に買ったワインも入ってるんだぞ」
「割れてたらすいません」
「え!?」
「嘘ですよ。割れてない音です。…一緒に部屋に戻りたかったんです。我が儘ですいません」
 三蔵の躯を、ぎゅうっと抱きしめる。
「こうやって、自分の腕の中にあなたがいるって…確かめたくって。なんだかねえ、幸せで眩暈がしちゃいそうなんですよ」
 自分で言った言葉が、更に自分を駆り立てるみたいな。そういう気分になって、僕は三蔵の躯を抱きしめて、そのままぐるぐると回した。回しながら、目に付く所全てにキスをする。
「莫迦!またどうしてそういう…こら、やめろ!目が回る!!…本当にオマエは調子に乗りやがって!」

 躯を降ろしても、まだ僕たちは笑ってる。
 僕はどうしようもない多幸症患者。
 後先考えない楽天家になってしまっている。

 ドアの前に立ったままで、交互に接吻け合う。僕の腕は三蔵を引き寄せ、三蔵の腕は僕の頭を抱える。瞳を合わせたりそこへ接吻けたり、髪の中に鼻先を突っ込んでお互いの香りを嗅いだり、そのまま耳を囓ったり。

「…三蔵」
「なんだ?」
「この間の続き…してもいいですか?」
 耳元で、ひゅっ、と一瞬だけ息をのむ音がした。少しの間の、でも、とても長く感じられる沈黙。三蔵の腕は、僕の首に掛かったままで緊張している。
「……ダメ、ですか?」
 三蔵がゆっくりと躯を離して、僕を見た。とても真剣な顔をしている。
「…オレと…本当にしたいのか?」
「…はい」
「オマエ、今凄く心臓がばくばくしてたな」
「ええ」
「なんでだ?」
「…あなたを抱きしめてると、もの凄く嬉しくなって。もっともっとって、欲張りになって。でも断られたらと思うと、やっぱり怖いから」
「…オレが断ったら、しないのか?」
 僕は呻くと、天上を向いた。
「…うーん。今回は諦めて…その気になってくれるのを待ちます」
「なんだ。待てるのかよ」
 三蔵がにやりと笑った。そのまま、僕の首筋をぺろりと舐める。
「…しょっぺ。スキーの後に風呂入れなかったから、俺たち汗の味してんだよ。しょっぱくない方が、きっといいぜ?風呂入ってメシ食ってからだな」
「……」
「なんだ?異存あるのか?」
「ありません!…ねえ、三蔵。またぐるぐる回してもいいですか?」
「…うわ!聞いといて、返事聞く前に回すのって、どーだかと思うぞ!!」
 三蔵の脚が振り回されて思いっきり揺れる。
 ぐるぐる、ぐるぐる。ぐるぐる、ぐるぐる。
 とんでなく幸福な気分のまま。どうしようもない多幸症患者が、ふたりでずっと笑ってる。

 
「待てると言ったな?よくよく考えたら冷蔵庫の中身がカラッポだ。まず買い出しだな。…そのくらいで文句言うなよ!?待てると言ったのはオマエだからな。…買い物、オレも一緒に行ってやるから。で、いいワインの一本もおごってくれるんだろうな…?」

 勿論、そのくらいの演出への出費も、僕に異存はない


















 続く 









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