STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 11 --- 























 甘い甘い白のデザートワインが、小振りのグラスでとろりと光っている。
 ブルーのハーフボトルには、間接照明が陰影を付けている。
 器ごと冷やされたカシスとクリームチーズのムース(作ったのも冷やしたのも僕だけど)に、僕たちはゆっくりとスプーンを入れる。
 サーバーに、濃い目のコーヒーがおちた。
「うげ」

 ワインをひとくちだけ味見をした悟浄は、そう言いながら離れていった。確かにちょっと甘過ぎで、普段だったら僕も自分では選ばない。
 でもたまには、強烈に甘さを楽しみたいこともある。ほんの少しずつ、ゆっくりゆっくりと。食事の為のワインではなくて、時間を過ごすためのワイン。香りと甘味をたゆたわせるだけの為のワイン。…そういう贅沢なことをしてみたいと、思う気分だったから。

 僕たちが食堂に戻った時には、もうテーブルの殆どが空席になっていた。残り僅かになってしまっていたスープを慌てて確保したり、ハンバーグステーキを温め直したりしていたら、悟浄がなにげに近付いてきた。
「…機嫌、良さそうじゃん」
 しらっとした表情で隣に立つと、脇腹辺りに肘鉄を入れてくる。ちょっとマジ痛いんですけど?
「つい先ほどまでの、殺気立ってたアナタはどこ?」
 もう一発入れてくる。うう、両手に皿を持っているので避けられない。
「三蔵も落ち着いちゃったみたいだし、てめーのその伸びた鼻の下、ナニゴトよ?心配そうな小猿ちゃんのお守りしてた俺の存在ってナンなのよ?」
「ああ、すいませんってば。痛いですよ、ちょっと、本当に。ご心配かけたことは謝りますから、悟浄。悟空にもちゃんと謝りますって」
「ちゃんと貸しにつけといてよね。…サルは、ちゃんと懐柔しとけよ」
「…はい」

 奥さんに救急車を呼んだり、オーナーが病院に付き添って行ってからの警察の事情聴収に対応したりと、悟浄はかなり忙しい目に合っていた。僕はついさっきまで、三蔵の顔をまともに見ることも出来ず、僕たちの間では、悟空がずっとはらはらし通しだった。…なにせ悟空は、僕が三蔵を殴ったのを、間近で見てしまったのだから。
 強盗に対してストレートに怒りを爆発させた悟空だけれど、三蔵が自分から危険に向かって行ったことに僕があれほどキレてしまったということには…今ひとつピンと来なかったようだ。悟空は、そういう狭量な怒り方なんか絶対にしない。多分、悟空の方が僕より器が大きいんだろう。素直に謝ろう。

「…にしても、お前怖えよな、キレ具合。普通刃物って、突くのに使うかと思うんだがな。あの包丁…刃渡り40センチ?袈裟懸けでぶった切るつもりだったん?」
「ははははは…。なますにしてやろうかと思いましたからねえ。全部削いでやろうかと。でも思い返すと、アレ外に持ち出した段階で、僕まで犯罪者になっちゃうところだったんですよねぇ。銃刀法違反で」
 確か、刃渡り8センチ越えたら使用目的ちゃんとしてないと携帯駄目だとか。板さんが柳刃持ち歩くのも厳重にくるまないといけないらしいし。でしたよねえ?
「…やっぱ八戒、てめー怖えよ…」
「え?」
 ついうっかり、笑顔で答えてしまった。そう、今の僕はかなり上機嫌だ。営業用スマイルではなく、ついつい笑みがこみ上げて来てしまう。…話の内容には、かなりそぐわない笑顔だったけど…でもどうせ僕は普段からこんなもんでしょう?
「先刻までの自分の形相、鏡で見ておくべきだったぜ?能面の鬼みたいなカオ。それがナニよ?」
 急に声をひそめる。
「……なあ、ナニしたン?」
「悟浄。『好奇心猫を殺す』って知ってます?」
「あ、いつもの『八戒の笑顔』」
 ひきつった悟浄をおいて、僕は食堂に戻ろうとした。僕の背中に向かって、小さな声がかけられる。

「隠そうにも、三蔵、色っぽすぎ」

「遅ェよ。もう腹ペコで死ぬ。散々な目に合わされた挙げ句に餓死する」
 三蔵はふたり分のパンとグラスを前にしてテーブルについていた。少し横柄そうに腕組みしながら、僕を睨み付ける。座ったままなので上目遣いで睨まれて…文句ありげに突き出された唇が、まだ赤くはれている。

 僕の歯が当たったところだ。

 それに気付いて、少し脈拍が上がった。傷ついたはれと、長く接吻けた為のはれが、三蔵の唇を赤く彩ってる。トップのファスナーを少しでも降ろせば、誰にでも僕の付けた痕が判るだろう。三蔵の目元が、未だ薄紅に染まっている理由が判ってしまうだろう。
 微かな征服感と、優越感。満たされた所有欲。そんなあからさまな感情が、いち時に僕に押し寄せた。

「…八戒…」
「悟空」
 三蔵の隣には、まだふくれっ面の悟空が座っている。
「悟空。心配かけちゃいましたね。あれは僕が悪かったんです。…誰に対しても、手を上げるべきじゃなかった」
「…もう、しない?」
「手はあげません」
「……『は』?」
「三蔵が危ない目に会ったら、やっぱり怒ります」
「…三蔵のせいでなくてもか?」
「……そうなりますかねえ?」
 僕も段々自分が怪しくなる。
「…三蔵に対して?」
「……そうなっちゃうみたいですねえ?」
「でも手は上げないんだなっ!?」
「はあ、手は上げないんですけど……」
「なんだよ!それっ!俺判んないよっ!大体八戒が叩いたのに偉そうだったし、三蔵もそれを当然みたいに思ってたみたいだし…!俺誰に怒ったらいいのか判んないじゃんか!急にふたりで消えたから心配してたのに、現れたと思ったら…」
 悟空は僕と三蔵を交互に「びしっ」と指さした。
「八戒!なんでそんなに急に上機嫌なんだよ!三蔵!なんでそんなに急にきれいになって、嬉しそうなの!?」
 今まで、真っ赤になりながらも、怒りを抑えていた三蔵が、爆発した。
「くだんねェこと、いつ迄も言ってんじゃねェ!てめェもさっさとメシを食え!…悟浄、ヒトの話後ろから聞いて、バカみてェに笑ってんじゃねェ!!」
 それでも中々爆笑の止まらない悟浄に向かって、僕は手元のナイフを投げる真似をした。

 …なにも、悟空まで一緒になって、テーブルの下に隠れることはないでしょう…。

 それなりに和やかな雰囲気で食事をし、最後のデザートを頂く時には、かなり穏やかな気分だった。悟浄と悟空は、隣のテーブルでカードをしている。

 からんからん!

 オーナーが、大勢を引き連れて戻って来た。

「先日から頼んではいたんだけどね。何人か手伝いの人が来てくれることになったよ。こういう時の互助組織というか…まあ、小さな町だから隣組みたいなもんだね」
 奥さんは暫くは安静だとかで、近所に住むというお姉さんも来てくれることになったそうだ。近所の企業所有の保養所からは、コックさんも。
 どの人達も、誰かの手の届かないところがあれば、自然にそれをカバー出来る人達…という雰囲気だった。なんだか、みんながにこやかだったので、つられて僕たちもにこやかになっていた。
 いろいろな打ち合わせをして、にこやかなまま、散会。僕たちは厨房で片付けをする。三蔵と悟空はテーブルを拭いたり、ロビーの雑誌の整理を手伝ってくれた。
「そうそう、さっきの人、企業の保養所の支配人さんだったんだけどね。そこは小さな小さな天文ドームを持ってるんだよ。冬の星座はきれいだから、裏からこっそり見に来ていいよ、って言ってくれたんだよ」
 椅子に座って、皿拭きをしていたオーナーが、笑いながら言った。
「君たち、本当に頑張ってくれたからね。活躍もしてくれたしね。ほんの少しだけだけど、みんなからのご褒美」
 僕たちは、ありがたくそれを受け取ることにした。

 私設の小さな天文ドーム。20センチ口径のレンズの望遠鏡と、もっと倍率の小さいものが幾つか。双眼鏡が沢山。脇に備えられた本棚には、『天文ガイド』のバックナンバーと、子供用の天文図鑑が何冊か。家族連れが大勢読んだのだろう、ぼろぼろになっている。
 レンズが曇らないように、暖房設備は何もない。備えられたパイプ椅子には、真っ赤なブランケットが畳んで置かれてあった。

「どーせアテられるだけでショ?」
 ペンションを一緒に出た悟浄は、心底嫌そうな顔でそう言うと、抵抗する悟空をひっつかんでどこかへ消えてしまった。
「悟浄は、気を利かせてるつもりでしょうけど……」
 いちいち三蔵が頬を紅潮させて怒っている。免疫がないので、その手の思わせぶりなセリフひとつに、混乱するみたいだ。少し可哀想だけど、小学生みたいでちょっと可愛いかもしれない。…って、僕までそれを鑑賞して楽しんじゃ駄目ですね。悟浄には、そのうち釘を刺さないと。
「アイツはどうして小マメにバカなんだ!?」
「……でも、僕はふたりで星を観られるの、凄く嬉しいですけど?」
「う…。オレもだけど」
 赤色灯だけの薄暗い室内で、三蔵の息が白く上がる。ゆっくり近付いて、そっと唇を合わせた。それだけで、三蔵の顎がせがむように上を向く。
「寒いでしょう?」
 顔を近くに合わせたままで、三蔵の背中にブランケットを掛ける。ぐるりと巻き付けて、白い指先に抑えさせた。
「…大丈夫だ」
 そのまま僕は三蔵から離れると、ドームの開閉スイッチを操作した。三蔵は所在なげに望遠鏡を覗き込む。
「真っ暗だぞ」
「キャップ取りました?先の方の」
「…取ってない」
 笑いながら、僕は黄色がかった明るい光の星にピントを合わせた。…20センチ口径でも、充分見える。
「三蔵、ほら」
 覗き込んだ三蔵は、しばらくしてから声を上げた。
「……写真と同じだ……」
 オレンジ色の星のお腹に、茶がかった渦が見える。
 …木星。
 僕も中学校の天体観測会で初めて見た時には、本に載っている写真と同じ姿に感動した。地球と同じように、太陽の周りを回っている星。遠いけど、でもとっても近くにある星。
「木星だ、木星だ」
 三蔵は子供みたいに目をきらきらさせている。
 三蔵があんまり喜ぶので、僕も更に嬉しくなって来てしまった。
「土星も見えるのか!?輪っか!!」
「ふふふ。見えますよお。カッシーニの空隙までは無理だろうけど」
「本当に見られのか!?」
 なんだか期待した通りに喜んでくれる。
 丁度、木星と土星がきれいに観える頃で良かった。火星が観られないのは、ちょっと残念。もっと早ければ金星も観られたのにね。
 星の動きに合わせて望遠鏡の向きを変える、グリップの動かし方を教えると、三蔵は望遠鏡に釘付けになった。
「本当に土星の輪だ!…本当にあるんだなあ…」
 当然のことを、ビックリしたように呟く。…でも僕も本当は同じことを思って、口にしたことがあった。なんだかそんなことを思って楽しくなった。
 惑星ほどは大きく見えないけれど、オリオン大星雲や、シリウス、双子座の重星も観た。冬の澄んだ空気に、豪華な星々。ふたりでたっぷりと楽しんで、とても贅沢な気分だ。

 三蔵は、ブランケットにくるまったままで、壁を背にして座っていた。まだ空を見ている。
「すげぇな…」
 たった今見た星が、三蔵の瞳に映ってるみたいだ。
 僕が傍に寄ると、三蔵がブランケットを片側開いてくれた。一緒にくるまりながら、隣に座る。
「ああ、暖かい」
「オマエ、指凍ってる」
「三蔵も冷えてますよ」
 手を繋いで暖め合う。三蔵は僕の肩に頭を寄り掛からせた。髪の毛がふわりと僕の唇に触れる。そのまま、頬ずりするように、彼の頭に接吻ける。
「オマエ、ワンコみてえだ」
 笑いながら上を向くので、その唇も捉えた。冷たい頬も、長いまつげの目蓋にも唇を寄せた。
「くすぐってぇよ」
「わん」
 僕も、子犬を抱くみたいにして三蔵を抱え込んだ。ぎゅうっと横抱きにして、膝の間に引き込む。
「なんだよ、また、そーやって…。痛ててて、くるしいって。くくく。匂い嗅ぐなよ!」
 キスしたり、鼻をこすりつけたりすると、三蔵は笑った。笑いながら、僕の背中に腕を回す。それがまた、僕には嬉しかったので、首筋に顔を埋めたままで、抱きしめる腕に力を込めた。

「あふ。」

 僕の布越しの吐息に、三蔵はため息のような声で笑った。ブランケットから両腕を抜け出させ、僕の首に大きく回す。僕の頭を引き付けて、自分から唇を寄せる。
 三蔵が、僕の唇をあま噛みする。下唇を、何度も、何度もあま噛みする。
 うっとりと半分だけ閉じた目蓋に、長いまつげが光ってる。それが僕の頬に触れる。
 僕は接吻けたままで三蔵を抱き直して、膝の上に座らせた。あま噛みを返す。柔らかいのに弾力のある唇を、挟み込む。三蔵が吐息で許してくれたので、舌で歯列を割った。

 先刻、あれほど酷いことをしようとしたのに、三蔵は全身を僕に預けてくれる。先刻だって、怖がらせていたのに、僕のすることを全部赦そうとしていた。舌を絡めながら、それを思うと僕は恍惚とした気分になった。

 全部、僕ので、僕も全部、あなたのだ。
 時折凶暴な獣にもなってしまう、この甘やかさ。
 不安と交互にやって来ては、どんどん高まる至福感。

「あふ。」

 三蔵は、今度こそ恍惚のため息をついた。吐息が甘い香りだ。
 仰け反らした首が、僕を誘う。トップのファスナーに手をかけると、少しだけ三蔵の腕に力が入った。 
「…怖いことなんか、しませんから」
 だから赦して
 僕が目を合わせてそう言うと、三蔵は微かに頷いて、自分でファスナーを降ろそうとした。その手を途中で掴んで止める。
「全部開けたら、寒くなっちゃいますよ」
 僅かにほっとした表情に、愛しさがこみ上げて僕は笑い掛けた。
 三蔵が自分で開けた襟元から、白い首筋が見える。柔らかな肌には、まだ生々しい紅い痕。暴れ出したくなる自分を抑えながら、そこへ接吻ける。跳ね上がる三蔵の背中。唇を血管に沿わせて顎まで辿り、目の前の桜色の耳朶を挟む。そしてまた首筋から、きれいに浮き上がる鎖骨まで接吻けた。
 僕の首に回されていた腕が落ち、背中にしがみつかれる。毛布越しのその刺激が、なんだか物足りない。
 開かれた襟元から、手を忍ばせた。僕が触れると、また三蔵の背中がしなった。

 甘やかなため息が僕の耳の侵入する度に、僕たちの躯に蜜が溜まってゆくような気がした。

 沢山の接吻けを交わし、甘いため息に充たされ、また星を観て、僕たちは寒い空気の中に出た。ペンションへと戻る道々、手を繋ぎながら、僕たちはまだ夢見心地だった。たった今望遠鏡で見た星が、今は小さな宝石のように天に満ちている。シャワーの様に落ちてきてしまいそうだ。そんなことを言いながら、絡めた指先に時折力を込める。

 ペンションの目の前に、タクシーが止まった。悟浄と悟空が降りてくる。
「悟浄、一体どこ行ってたんですか?麓まで…?」
 悟浄はニヤリと笑う。
「ちょっと教育にな」
「へっ!?」
 意外な言葉に、思わず間抜けな声を出してしまった。教育って、…教育。まさか。悟浄の後ろの悟空は、茫然とした顔で呟いている。
「…見ちゃった。…俺、見ちゃった…。…しかも『お客サン、こゆトコ初めて?ボーヤ可愛いから触っていいのよ』って言われちゃった……」
「……」
「……悟浄。どこへ連れて行ったんですか……?」
「まあな。地方には地方の楽しみがあるんだなあ。…これで、もーちょっと若い姉ちゃんが踊ってくれてたらなあ…」
「てめェは、ガキに何教えてんだッ!!」
「ちょっとくらい、いーじゃんかよ!てめーらだけ楽しんで、俺、労働者なんだからさっ!しかも、こいつにはオゴリよ!?親切じゃんかっ」

 三蔵が思いっきり力を込めた雪玉が、悟浄の顔面にクリーンヒットした。


















 続く 









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