STAY WITH ME 3 
--- 慢性的蜜月物語 1 --- 


















「なんとかしてこれを窓のそばに置きたい」
「…結構ワガママね、三ちゃんたら…」
「どーしても日当たりのいい所に置きたい」
「しょうがないですね、デスクと本棚を移動しますか。…本棚の方はネジで壁に留めてありますよ。工具箱持ってきますね」
「あんたはワガママ。あんたは甘やかし過ぎ」
「いーじゃん。三蔵、これ、お気に入りなんだろ」

 引っ越しの荷物がすっかり片づいて、手伝いに来てくれた悟浄も悟空もそろそろ帰ろうかという時になって、別便のオオモノがひとつ到着した。

 古めかしいカウチ。もしこれが書斎にあったら(そもそもの書斎というものがあればの話だけれども)、一日中そこにもたれて読書していたくなりそうな、片側が高くなった背もたれ。躯全体で寄り掛かるのにぴったりな肘掛け。優美なカープを描く脚。…ただ、蜜蝋で磨き込まれた背もたれの枠も、曲線の脚も、傷だらけだった。張ってある布地も全体に褪色して、それが却って柔らかな色合いを醸し出している。

「もともとパリの蚤の市で買ったアンティークだったんだ。オンボロで安く買った奴を叔父貴が直してな。…裏っ側なんかオレの落書き残ってる筈だ」
「…パリね」
「アンティークって、バカみたいな値段すんじゃないの?」
「いや、蚤の市は、掘り出しモンもあれば、それこそ欠けた茶碗まで売ってる様な所だしな。本当にこれはボロかったから、補修と輸送の方が高くついてると思う」
 悟浄は「これだからブルジョアジーは…」などとつぶやきつつ、僕の外したネジを受け取る。僕は本棚の固定金具をひとつひとつ外しながら、三蔵がカウチを撫でる姿をちらりと眺めた。
 ぽんぽんと叩いては、枠に沿って手を動かしている。

「…そうだな。オレの一番気に入っているものかもしれないな」
「こんなに古くて傷だらけなのに?」
「オレが小さい頃から古くて傷だらけだったんだ。ま、更に傷増やしたのもオレだけどな。ナイフで削った跡もあるし、…どっかには歯形も付けたような気がするな…」
「歯形ア!?」
「…そうだ。陽が当たると透明な飴色に光るんだ。で、囓ったことがあった」

 三蔵と悟空がカウチにすっかり座り込んでいるのを、悟浄が呆れて見る。
「八戒、どーよ。こっちが肉体労働してるっつのに、あのお方は。…ほら、こっち側持ち上げるぜ」
「まあ、いいんじゃないですか?あんまりまめまめしい三蔵なんて、元から想像してないし。あ、ここでいいでしょう。次デスク行きますよ」
「オッケ。いや、そうじゃなくてさ。あの偉そうにカウチに座る姿ってのが、既に部屋の主っぽいのに、何で俺らだけこんなに働いてんの?」
「はい、壁にぴったり付けちゃってください。…性分?」
「ちくそー…」
 悟浄はカウチのふたりにシッシッと手を振り立てる。
「オラオラ。さっさとどけよな。こっちゃーサクサク仕事してーのよ。動かしてやっから早くどけ」
「なんだよ、シッシッてのはあ」
 悟空が不服そうな顔をするが、更に邪魔にされて三蔵と共に追いやられる。
「ああ…。悪いな」
 普段無表情に見える三蔵の、口元の角度が僅かに微笑の方向に傾いている。あっさり礼を言う辺りといい…相当機嫌が良いらしい。
「これで、もちっとにっこり笑って『どうもありがとうv』くらいのことを言ってくれればなあ…折角の美人がなあ…」
「悟浄、あんまりしつこいとヘソ曲げられますよ。今日は贖罪で手伝ってるんでしょ?」
「はいはい…。ィショっと!はい、設置完了!どーでい!?」
 アイボリーの壁に、ブルーグレイのカーテン。その真ん前のくすんだばら色のカウチ。とても落ち着いて見えた。
「…サンキュ、悟浄」
「……。不覚にも心の準備が無かったぜ」
 三蔵のとても嬉しそうな微笑みを真っ正面から受けた悟浄は、心臓を抑える真似をした。自分で「もっと笑えば」みたいなことを言ってたくせに、悟浄も時折間抜けだ。確かに、急に微笑まれると、結構クるかもしれない。
 それにしても、悟空と一緒に座り込んでずっと話していたのって、もしかしたら…カウチが設置されるのをわくわくと待っていた…?のかも、しれない。

「サイゴに珍しーモン見させて貰ったわ」
 毒気の抜かれたままの顔の悟浄を、下まで見送る。先刻まで強かった風が収まって、雪は静かに降りしきる。冷え切ったエンジンをゆっくりと暖めながら、フロントガラスの雪をどける手伝いをする。
「なあ、八戒」
 眉を顰めて真剣な顔の悟浄に、僕もつられて額を寄せる。
「ありゃー絶対お姫さんだぜ。ワガママでタカビーなお姫さん。お前苦労すんぜえ…?」
「素直で正直なお姫様なら知ってますがね。僕も王子様目指しますか」
 今日一日、下僕で終始してしまった僕たちふたりは、揃って大笑いする。三蔵と悟空は寒さに自分の躯を抱きながら、不審気にこちらを見ていた。

「ああ、今日は楽しかったな」
「荷物が少なかったですからねえ。引っ越しの割には疲れませんでしたね」
「何から何まで、済まなかったな」
 僕たちふたりは、カウチに並んで座っていた。順番にバスを使ってさっぱりしたところで、一日の労働の後のビールが喉に染み通る。
「…僕は本当に嬉しいんですよ。みんながこうやって『さようなら』って挨拶して帰って行っても、あなただけはここにいる…。こんなのは初めてだから」
「オレはずっと…ここにいる。オマエも…」

 目の前の人の言葉を思い出す。
「オレは、八戒が好きだから、ずっと一緒にいます」
 先刻、はっきりとこう言ってくれたのだ。そしてまた目の前で同じ言葉を繰り返す。

「八戒、ここにいてくれ」

 カウチの天鵞絨の背もたれに頬を押しつける三蔵。僕はその瞳を覗き込む。綺麗な紫水晶の瞳。夜は瞳孔が大きくなっているせいか、いつもより柔らかさを感じる。
 僕の姿が、三蔵の瞳に映る。僕の姿だけが。
 急に切ないような気持ちになって、三蔵の頬に手を添えて接吻ける。そっと。三蔵は少しだけ驚いて、でもゆっくりと瞳を閉じた。

「ここにいます。ずっとあなたのそばに。あなたも僕のそばに」
「ずっとだ」
「ずっと一緒に」
 カーテンの隙間から僅かな冷気が伝わるが、三蔵の頬の熱さは変わらなかった。しんしんと積もる雪の気配が、世界中を静かに眠らせる。ましろき絨毯が、世界中に敷きつめられる。

  死がふたりを分かつまで

 どこかで聞いたことのある言葉が、胸の奥底で震えた。薄っぺらい言葉ではなく、真実の言葉。どうしようもない大きな力の前で、人間が心から誓う言葉。口には出さずに、紫暗の瞳に誓った。

 ふたりで毛布にくるまりながら、カウチで眠った。
 三蔵は僕に寄り掛かり、僕の胸には熱い吐息がかかる。
 時折目を覚ましては、接吻ける。
 僕が眠る三蔵に接吻けると、三蔵が微かに目を覚ます。
 僕もうとうとと目を覚ますと、三蔵の唇を感じる。
 そしてふたりで優しい言葉を紡ぐ。
 「オヤスミナサイ」
 「オヤスミナサイ」

 優しい声で、また眠りにつく。

 世界中が、ましろき美しさの中に眠った。























 続く 







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