STAY WITH ME 12 
--- 青少年物思フ秋的物語 1 --- 


















「僕思うんですけど」
「………」
「あなた、自分の性格のこと、そろそろ素直に認めた方がいいと思うんですよね」
「…………」
「負けず嫌いの喧嘩好き」
「……ルサイ」
「悟浄の売りつける喧嘩まで買っちゃうっていうの……もしかしたら安いもん好きなのかも」
「オレにも色々思うところはあるが、とにかく今は黙れ。今その馬鹿馬鹿しさに気付くと、やってることが嫌になって投げ出し兼ねん」
 ノートパソコンのモニタの角度を、三蔵はほんの少し傾けた。
 傍らには、何冊もの古びたノート。
 朝から閉じこもりっ切りの部屋を覗いてみれば、夕暮れ時の薄暗さの中、デスクにぼうっと青白いモニタと、そこに向かい合ってる三蔵。

「お茶、しませんか」
「ああ」
 明かりを点けながら声を掛けると、モニタを向いたままで返事をする。今日は碌に三蔵の顔を見ていないなあと、後姿に近付き、両肩に掌を置き滑らせた。
「休みましょう」
 ぐい。と。肩の筋を揉みほぐすと、溜息が聞こえた。
「お茶でも如何ですか」
「ああ」
 溜息を長く引き、三蔵は喉を反らして首を背に垂らした。
 仰け反った面は、目の下に隈がうっすらと刷かれてはいたけれど、嫌な疲れ方は感じられなかった。
「目が醒めるように濃いめのお茶。砂糖入り」
 肩から首、顎に移した掌の乾いた暖かみを楽しむように、三蔵は猫のように目元だけで笑う。
 背後から、逆さ向きの三蔵の顔を、そうっと指でくるみ込んだ。
「まだ続けるんですか?朝からぶっ続けなんじゃないですか?」
「面倒臭いことは、サッサとやっつけた方が気が楽だ」
 楽しげな口調で『面倒臭い』と、気持ちと裏腹なことを言う唇を、塞いだ。

「……!?」

 接吻けながら肩の筋を思いっ切り捻り上げるように掴むと、三蔵は声にならぬ声を出した。
「……何しやがる!?」
「痛いけど効いたでしょう?そんなコチコチな肩、ペンチか何かで捻るしかないと思いますけどね」
 まだ痛そうな顔をして首筋を押さえている三蔵を後に、僕はキッチンへ向かった。
 もうすぐケトルのお湯が沸騰する。お茶を淹れるのは、タイミング勝負なんだから。沸かし立ての熱湯を、たっぷり空気を含ませてお茶っ葉に注ぐ。即座にティーコージーでポットをくるんで保温して、ポットの中で茶葉が存分に開いて踊れるようにしてあげなくては。
 視界の端に、キッチンまで来て首と腕を回す三蔵が映った。
「三蔵、冷蔵庫にムースありますよ」
 温めたポットに熱湯を注ぎながら僕は言った。
「ん。」
 そっけない声を聞きながら、流し込まれたお湯の勢いでくるくる回る茶葉を見つめた。
「あ。」
 冷蔵庫のドアの開閉の音と、ボックスを開ける乾いた紙の音。
「さんきゅ。」
 本日のお茶請けは、ブルーベリーがたっぷり載った、きれいな紫色のムース。……疲れ目にブルーベリーのアントシアニン色素は即効性があるそうだし。分厚いキルトのティーコージーに、厳重にティーポットを包み込みながら、溜息をひとつ。

「お仕事が済んだら、遊んで下さいね」
「ガキかよ」

『ガキなんです』
 そう返そうかと、逡巡しながら三蔵を見れば。ぱくりと大きな口でムースを平らげて行く、唇の端に生クリーム。
 舐め取って、そのまま接吻けてしまったら、大層甘いことだろう。
 のんびりそんなことを考えているうちに、三蔵は自分で口の端に付いたクリームに気が付き、ぺろりと舐めてしまった。
 出遅れた。
 そんな小さなコトを気にしながら、目の前のムースをスプーンで攻落していると。一足先に食べ終わった三蔵が、お茶を飲み干し、寝転がって伸びをした。
 爪先から、伸ばした腕の先の指まで真っ直ぐにして、力を抜く。だらりと脱力したままで、三蔵は伸びで潤んだ瞳を僕に向けた。
「ひと眠りする。一時間経ったら起こせ」
 横柄にひとこと言って、そのままことんと眠りに落ちる。
 夕べも遅くまで作業をしていた。疲れているのだろう。三蔵の顔を間近から覗き込めば、薄らと目の下に蒼い隈取り。それでもどこか満足げな、寝顔。
 すうすうと続く寝息を暫く聞いてから、ブランケットを三蔵の躯に掛けた。
 きっかけは、三蔵のバイト歴を聞いた悟浄のひとこと。
「可愛いねェ」
 観世理事宅の書庫整理手伝い、犬の散歩。
 即座にどちらも肉体的重労働だったと言い募る三蔵を、悟浄の呟きが制した。
「身内と動物相手じゃなあ。バイト歴まで温室無菌栽培かァ。……世間の荒波、縺れるしがらみとは無縁で、羨ましいぜ……」
 しがらみ、と口にした悟浄の目が、遠くを見ていた。様々な人間模様を背負い込んでいるのだろう、哀愁すら感じさせる目だった。
 三蔵と理事との長年の縁も、充分しがらんでると僕は思う。世間の荒波ならぬ、犬の散歩で川の波の水しぶきは充分被っているし。
 それでも三蔵は、『可愛い』が余程気に食わなかったらしく、その足で学生課に向かい、即座にバイトを探して来た。
  『よろず請負業
   健康な方至急募集、勤務時間・報酬応相談
   アーク探偵社』

 ……『よろず請負』いで『健康な方募集』ってだけで、筋肉痛が約束されているような気がしてしまうのは、考え過ぎではないと思う。

 問い合わせ電話で即面接と言われて出向いた三蔵は、そのまま腕をがっちり掴まれ、連れ出されたのだという。
「何やらされたんです?」
「……猫探し手伝い。合間合間に犬探しポスターの回収。家猫はそうそう遠くまでは行かないとかで、通りかかる小学生呼び止めたり、そこら中の家ノックして回ったりして、写真見せまくった」
「……で?結果は?」
 僕の言葉に無言で三蔵は袖を捲り上げた。二の腕に見事な三本線の引っ掻き傷。
「迷い猫を保護してくれてた人がいてな。受け取って籠に入れようとしたらこのザマだ」
「ははぁ…」
「その後、有無を言わさずチケット取り。チケ取り行列に並んでたヤツが、バイト掛け持ちでどうしても行かなくちゃだから交替だとか泣きつくし、朱泱は、……朱泱社長は猫をひき渡しに行くし、無理矢理並ばされて、夜になってからまた交替で引っ張って行かれて、そのまま歓迎会で居酒屋だった」
「それはまた、振り回されっぱなしの一日でしたねえ」
 歓迎会連行のまま午前様だった三蔵は、二日酔いの頭痛を堪えながら身支度をしていた。本日の予定、午前学校、午後バイト。終業時間未定というのが、何ともはや。
「……振り回される。よもや俺が。他人のいいようにされるとは」
「………。」
 言葉と裏腹、全然嫌そうではない顔。僕はまだ剥き出しのままだった腕を、傷を消毒しようと掴まえた。
「いい。昨日その場で消毒された。生傷絶えないからって傷薬絆創膏必携なんだと。朱泱……社長め。そう言うことは前もって言えというんだ」
「消毒足りてないじゃないですか。ほら、赤くなってますよ」
 三蔵が腕を取り返そうとするのを、無理に引っ張り傷口を舌でなぞった。
「八戒、もういい」
「まだ駄目です」
 丁寧に這わせた舌を肘の内側まで滑らせて、そのまま引き寄せた腰に腕を回した。
「……八戒」
「何です?」
「お前、何を怒ってる」
「怒ってなんていませんよ」
 少し、返事を返すのに間が空いてしまった。誤魔化すように、触れるだけのキスを重ねる。
「八戒」
 唇を重ねる間も、三蔵は目蓋を閉じずに僕を見ていた。
「怒ってません。本当に何も怒ってやいませんから」
 三蔵の躯から離した両腕を挙げても、三蔵はまだ胡散臭そうな目で僕を見る。
 本当に怒ってるんじゃありません。ただちょっと、……面白くないだけです。
 先程の、嬉しそうな怒り声を思い返す。
『朱泱』
 出逢って一日で親しげに名を呼び捨てにする、バイト先の社長。どうやら三蔵はその男にペースを掻き回されて、それを満更でもないと感じているようだった。
 面白くない。
 全くもって面白くない。
「…八戒。……八戒!出るぞ」
 時計を見て、三蔵は苛立ち気味の声をあげた。慌てて僕も自室に戻ってジャケットと鞄を引っ掴んだ。電車、ぎりぎりかもしれない。駅まで走った方がいいかも。

「あ。三蔵。晩ご飯どうします?」
「どーなるか判らん。ひとりで食ってくれ」
 どうしようもなく、面白くない。
 昼休み、学食で一緒にうどんをすする僕たちの真上から、馬鹿笑いが落っこちて来た。諸悪の根元、悟浄だった。
「三蔵!今学生課行って聞いて来たんだけど!バイト……寄りにも依って、あそこの何でも屋に決めたって!?」
 同席の許可も得ずに自分の焼きそばの皿をテーブルに置き、余所から椅子を引っ張って来る。がたがたと騒々しい音を立てる間、ずっと悟浄は笑っていた。
「あそこな!あそこはいーい社会勉強出来っだろ!あそこのバイトで、迷子のフェレット探して、土管這いずったヤツがいたよ!保育園の運動会の設営準備に借り出されたヤツとか!病欠バイトのピンチヒッターで、開店セールの行列案内のプラカード15時間背負ってたヤツとか!何も説明されずに向かったら、ピンク映画のチケットもぎりやらされたりとか!……で、何やらされた?猫探し?三蔵、お前が小学生呼び止めて、一々猫ちゃんの写真見せて歩いてたの!?」
 悟浄の高笑いが続く程に、三蔵の眉間の皺が深く、深く、刻まれて行った。対照的だった。
 悟浄はひたすら笑いたかったらしい。あんまり笑い過ぎて七味唐辛子の蓋と一緒に内蓋が外れていることに気付かず、焼きそばを真っ赤に染めてしまい、それがまた悟浄のタガを外した。…余所見しているうちに、コーヒーに塩でも混ぜてやろうか。
 それより、そんな所で働いて、三蔵大丈夫なんだろうか。
 心配になって見つめていると、三蔵はそっぽを向きながらうどんを最後まで食べ終わってしまった。
「もう行く。……悟浄、好きなだけ笑ってろ。そのうち人手が足りなくなったら、貴様にも声をかけてやる」
「げっ」
 三蔵の後ろ姿を見送っていると、真っ赤な焼きそばを口に運ぶ悟浄が、僕を見ていた。
「気になる?」
「ええ、まあ」
「過保護だねえ」
 悟浄はにやりと笑った。
「ま、危ない仕事はさせないトコだから。ただもう、よろず請負いの名に背かぬ、何でも屋なんだけどな。捜しモノはペットから人まで。斡旋も家庭教師から見合い相手まで紹介するし、代書、配達、引越し手伝い……ハ虫類や熱帯魚運んだり、温室の中身ごっそり移動したり。本当に何でもアリ」
「ハ虫類って」
「ヘビだのイグアナだのカメレオンだののケージが、何十個もあるウチがあってさ。真冬だったもんで、暖房効かせた車で往復して運んだ訳よ。……俺が」
「……」
「温室の中身ってのも、コンテストに出展するような蘭を、何百とか。トラックのコンテナの中で、温度計持ってストーブつけたり消したり調整して。酸欠の危険あるから換気の隙間を開ける必用あるのに、植木に寒風当てちゃいけないからって、隙間風は全部人間様が受け止める訳よ」
「悟浄、それ。社会勉強っていうより、単に試練なんじゃないですか?」
 悟浄の割り箸の先で、唐辛子まぶしのソバが揺れていた。
「……アノ社長。使えそうと思った学生には、次から直で連絡してくるからな。一度あそこに行ったら、準社員名簿に書き加えられたのと同じなんだよ」
 あ。また遠い目だ。
 しがらんでる、しがらんでる。

「ところでさ。三蔵知ってんのか?」
 真っ赤な焼きそばを完食した悟浄が、食後の一服に火を着けた。
「何でも屋の社長、うちのガッコの卒業生」
「え?」
「しかも、卒業年は違うらしいけど、理事の同窓……要は思いっ切り身内なんだなあ」
 折角の、世間の荒波を被ろうという三蔵の目論みは、見事外れてしまったのか。

 しがらみばかりが、増えて行くみたいですねえ……。
 大学から自宅への帰り道。
 徐々に混雑し始めた電車の、ドアの窓をぼんやりと眺めていた。丁度この辺りだったかな。そう思った瞬間に、流れる光景の中から、三蔵のバイト先の事務所の看板の文字が目に飛び込んで来た。
『よろず請負 アーク探偵社』
 『あ』で始まる名前は、電話帳でもトップに掲載されるんだっけ。昔どこかの引越し業社の女社長が、そんなことを言っていたような気がする。探し出し易く、ケアが丁寧。そんなことを心掛けて、押しも押されぬ大会社に発展した企業の社長だった。
 とっくに後ろに過ぎ去ってしまった看板の文字が、何時迄も脳裏から消えなかった。

 三蔵は、今もあの事務所の中にいたんだろうか。それともどこか別の場所で、トンデモナイ仕事に喜々として従事してるんだろうか。電話で探し易いとか、そんなことまで心掛けて、仕事沢山請け負わなくったっていいじゃないか。わざわざ自分の卒業した大学で、バイト生とっ掴まえなくったって、いいじゃないか。
 三蔵も。
 あんなに嬉しそうに誰かの名前を呼ぶこと、ないじゃないか。

 余りに狭量な自分の考えに、溜息を就きながら家路に向かった。
 そろそろ晩秋と言ってもいい季節、そこかしこで落葉が進み、つむじ風に枯葉が舞っていた。赤や黄色の枯葉の色も、何故か目に美しく映えて来なかった。北風が頬をぶつのも、目に砂が入るのも、何もかもが痛い。
 かさかさと落葉が触れ合う音が、遠い話し声のように聞こえ、風に鳴る電線は、寒さに震えているようにしか見えなかった。
 ひゅうう。
 梢を北風がすり抜ける音から耳を背けるようにして、僕は部屋へ急いだ。ドアを閉め、鞄を落として、ベッドに躯を放り出す。
 体温も、物音も感じられない。
 部屋が暗くなるまで、暫くそのままシーツに顔を押し付けていた。立ち上がり明かりを点け、カーテンを閉める。ヒーターのスウィッチを入れ、キッチンへ向かう。
 閉ざされたドアが目に入った。
 三蔵のいない部屋。
 無理矢理視線をねじ曲げて、冷蔵庫やストッカーを目で探った。スープを温め、クラッカーにペーストを塗って部屋に戻った。小さいクセにがらんどうに感じられる部屋でクラッカーを囓ってみたけど、味が感じられなかった。スープは舌を焼くばかりで、躯を温めてはくれなかった。ひとりで食事をするのは久し振りなのだと、僕は気付いた。

 こんなにも『ひとり』でいることが苦手になっていたのだと、僕は自分を嗤った。
 深夜、そうっと階段を昇る足音が耳に届いた。
 静かに鍵を取り出し、ドアを開け、閉める。デスクや洗面所やクロゼットの間を、歩き回る足音。キッチンを通り過ぎ、僕の部屋の前で気配が留まった。
 僕はとっくに部屋の灯りを落としていたから、三蔵はノックもしなかった。僕も、自分が酷い顔をしているだろうことが判っていたので、わざわざそれを三蔵の目に晒す気が起きなかった。
 きゅ。
 水道の蛇口を捻り、シンクを水が叩く。
 きっと三蔵は、蛇口から直接水を飲んでいる。濡れた唇も顎も、袖で横に拭ってお仕舞いだ。
 グラスもタオルも、手の届くところにあるのに。
 いつもそう言っているのに。
 やがてキッチンから、気配が消えた。















 続く 







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