BLOWIN' - 4 - 
 明るい緑色の葉が重なり合い、光の色を変化させながら透き通らせる。緑を帯びた柔らかな日差しが、三蔵の髪に落ち、風と共にゆらいだ。
 三蔵の視線の先には、はしゃぐ悟空と、悟空の手の届く所にも届かない所にも、びっしり生った桑の実。
 緑、黄緑、山吹色、オレンジ、朱色、濃き緋色
 小鳥達しか知らなかった隠された宝石を、悟空は嬉しそうに眺めては、黒紫色に熟した桑の実をひとつ、そっと摘み取って口に運ぶ。
「…甘〜〜〜い!」
 琥珀の瞳を煌めかせて、宝石集めに余念がない。
「…小ザルちゃん、そのうち腹壊すんじゃねーの?」
「悟空なら大丈夫でしょうけど…全部食べ尽くしちゃったら、小鳥が困りますね。まだこれから熟す奴までは、食べないとは思うんですけど」
「取り敢えず食わせとけ。宿の飯代が浮くだろ。腹を壊したら置いて行くまでだ」
 三蔵は新聞から目を離さずに言い捨てる。
 別の桑の木の根元では、大人組が木陰の休息を取っていた。宿泊予定の街まではかなり近付いていたものの、午後の陽光の強烈さに辟易とした一行は、桑の茂みの続く一角に休憩を取ることを決めた。
 少し前まで養蚕業が盛んだったというこの地には、ぽつりぽつりとうち捨てられた桑畑があった。灌漑の活きている畑には、手入れをする者が無くとも葉が茂り、実が生っていた。

 悟空が、飛び上がって高い所の枝を引き下げるのが見えた。
「そのうち、木ィ折るんじゃねーか?」
「手入れされてなくても私有地ですしねえ。木を傷めるのは少し拙いですね」
 ばさりと音を立てて新聞を畳んだ三蔵が大きな声を出す前に、悟浄が気楽な歩調で歩き出した。
「チビだから、高い所の実に手が届かねーんでやんの。からかってくるわ」
 後ろ姿から人の悪そうな笑い声が聞こえて来る。

 新聞を傍らに放り投げた三蔵は、袂に手を入れるとマルボロを取り出す。
「世話見るのも、からかうのも、女に手を出すのも、マメなこった。物好きめ」
「三蔵の分まで悟空をかまってくれてるんですから、タマには悟浄に感謝してもいいんじゃないですか?礼を言おうものなら、調子に乗るか、照れちゃってはぐらかすかのどちらかでしょうけど」
 マルボロに火を着けながら、三蔵は眉を顰めた。
「…冗談じゃねェ」

 目線の先には、何やら言い合いをしているらしい悟空と悟浄がいる。悟浄は、高い所に生った実をつまんでは、悟空の口先まで見せびらかす様に持って行き、挙げ句に自分の口に放り込む。ムキになった悟空がその腕を追いかける。

「…楽しそうですねえ。のどかだし」
「…フン。煩ェだけじゃねェか」
 呑気そうにふたりを眺める八戒に、三蔵は無表情なまま応えた。木陰の涼風に流される紫煙を、目を細めながら見つめる。
 一息、煙を高く噴き上げた。そのまま脱力して、桑の木に躯を預ける。

「あなたにも、取ってあげましょうか?」

 太陽を背に、三蔵を覗き込む顔と穏やかな表情が、一瞬別の人物のものと重なる。

 まだ三蔵が、光明三蔵の胸までも背の届かなかった頃。
 光明三蔵の所要に付き従っての外出時、三蔵と同じ年頃の子供が、指や口の周りを紫色に染めて笑いながら走るのを見た。桑摘みの手伝いを終えた子供達が、好きなだけ褒美の桑の実を食べた跡だった。
 単に眺めながら通り過ぎただけだったのだが、桑畑に差し掛かった時に光明は急に立ち止まって言った。

「あなたにも、取ってあげましょうか?」

 自分の胸の高さまで屈み込み、子供の瞳を覗き込むようにして微笑みながら。
 返事を待たずに、柵越しに手を伸ばしては片手の掌に熟した実を集める。子供の両手を広げさせて、そこにばらばらと黒紫色の桑の実を落とし込む指も、紅紫色に染まっていた。
 甘くて少し渋い実を摘みながら、養蚕や桑の木の細工物や染色の話をして歩いた。ふたりとも指先を紫に染めながら歩いた。
 ごく普通の日常の記憶のひとつ。

 返事を待たずに、八戒は頭上に腕を伸ばした。ぷつぷつと幾つかの実を摘み取ると、揺れる枝から熟した実が幾つか落ちた。
「おい、オレの上に落とすな。汚れる」
「ああ、ごめんなさい」
 大して誠意のこもっていない謝罪の言葉を、八戒が笑いながら口にする。マルボロを銜えたままの三蔵の顔を、また覗き込む。
 掌の上の、幾つかの黒紫の宝石を見せながら。
 三蔵はマルボロの火をねじ消すと、八戒の掌からひとつ摘んで自分の口へ運んだ。またひとつ。もうひとつ。それだけで紫色に染まってしまった自分の指先を眺めた。

「さんぞーう!」
 口元を紫色に染めた悟空が駆け戻って来るのを見て、三蔵は盛大に顔をしかめた。
「…ったく。全員ガキか、てめェらは。悟空、オレに触んな、汚れる」
「ちぇーっ。三蔵のケチ」
 悟空が出して見せた舌まで紫色に染まっているのを見て、八戒も悟浄も笑った。

 宿で食事や入浴を済ませると、口元や指先を染めた紫色はどこかへ行ってしまった。
 ベッドにごろりと躯を投げ出した三蔵は、部屋の灯りに掌を透かす。
「どうかしました?」
「いや。…爪が伸びた」
 三蔵の言葉に、八戒は荷物の中から爪切りとやすりを取り出した。それに向かって伸ばされた手が八戒に掴まえられる。
「…これ以上短くしたら、深爪になっちゃいますよ。…こっちは?」
「あ!?てめェ!?」
 八戒に足首を捉えられた三蔵は身を起こそうとしたが、足首をさらに引っ張られてシーツの上でもがく羽目になった。法衣の裾が大きく割れる。
「おや、珍しいですね。お風呂上がりのナマ足。…ちゃんと形を整えてあげますから、動かないでくださいね」
「離せ、八戒」
「自分でやったら深爪にするクセに」
 八戒は三蔵のベッドの傍らに腰を降ろし、肩越しに足を伸ばさせて爪やすりを動かし出した。乾いた擦過音がリズミカルに続く。
 諦めてベッドの上で天井を眺める三蔵に気をよくしたのか、八戒は爪の形をひとつ整える毎に、静脈の透けるふくらはぎやくるぶしの内側に唇を押し当てた。
「……調子に、乗るなよ」
 八戒の腕に固定された足に反対の足を絡めて、黒髪の頭と首を挟み込んだ。まだ唇で触れようとして来るのを、じりじりと力を込めて締め上げる。
「三蔵、判りましたから。頸動脈押さえるのは…流石に頭ががんがんして来そうです」
「よし。真剣にやれ」
 三蔵は自由な方の足を動かすと、八戒の頭の天辺にかかとを軽く落とした。爪をこすられるリズムに合わせて数度それを繰り返すと、ぱたん、と肩まで降ろす。
 ベッドからずり落ちそうなくらいに斜めに躯を横たえ、片足は八戒の肩に垂らし、もう片方はその肩に足裏を当てて膝を立てている。
 振り向けば、割れた法衣から腿の内側の翳りまで露わになっているのだろう。そう思いながらも、八戒は「おやおや」とだけ呟き、また爪を整えるのに専念し出した。
 三蔵はまた自分の指先を明かりに翳し、暫く眺めてから腕毎投げ出した。
「…どうしました?」
「なんでもねェ」
 丁寧なリズムが続く。
「…優しくしてあげましょうか?うんと優しくしてあげましょうか?」
「馬鹿じゃねェのか」
 全ての爪の形を整え終わった八戒が、爪やすりを床に置いた。首を捻って、膝頭から腿へと唇を滑らせる。
「…三蔵?」
「……好きにしろ」
 やさしい、やさしい腕が、欲しい時も、ある














 続く 







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◆ アトガキ ◆
お久しぶりの更新でございます
ちょっときれいなお話を書きたかったんですが、相変わらずの単なるあまあまですな
blowin'は多分次回で収まるかな?
また最後まで宜しゅうお願いいたしますv