ゆっくりと太陽が動いた。真上から落ちていた陽光が徐々に横顔に当たるようになり、輝きが目を射るようになる。
「八戒ー、次の…」
「次の街まであとどの位かって聞く気か、サル?お前先刻から何べん聞いてんだ?5分刻みで同じ質問してたら、5分刻みで答えが変わるってのがどーして判んねーんだよ?あ、サルだからか。悪かったなあ、サルだもんなあ」
「んだよっ!答えが判ってても聞きたいコトもあるじゃんかっ。待ち遠しい気持ちの表れじゃんか、悪いのかよ!?」
「悪いに決まってんだろーが。同じことを延々聞かされる身になれ、サル!」
「サルサル言うな、エロガッパ!ミイラガッパ!焦げカッパ!!」
口論が始まり、悟浄と悟空が睨み合った。お互いに掴みかかろうとした掌が衝突し、ぎりぎりと指先まで力んでの押し合いになる。
「…同じことを聞かされる身、と言ったか?悟浄」
ゆらり、とふたりの視界に陰が映り、撃鉄を起こす音が聞こえた。
「ほほぉ。貴様でも同じことを繰り返す不毛さは理解出来るんだな?」
がっちりと組み合った悟空と悟浄は、そのままの体勢で硬直した。
「そうとは気付かず、今まで悪いことをしたなあ、悟浄?で、100万べん繰り返してる貴様等の喧嘩の理由を、オレに判るように言え。オレが発砲するまで貴様等の喧しい阿呆ぶりが止まない理由を、ハッキリと解説しろ」
悟空が、そろり、と視線を横に動かした。ナヴィシートに片膝をついて、後部シートを覗き込んでいる三蔵の法衣が見える。S&Wの銃口が、ふたりの間を行ったり来たりしていた。
引きつった悟空の表情につられ、悟浄もそろそろと顔を横に向けると、そこへぴたりと銃口が定まった。
「三蔵〜?ちょっとこの距離はヤバいんじゃな〜い?ハズレないっしょ、これじゃ…」
頬を引きつらせながら笑う悟浄の額に、鋼鉄の感触が押し当てられる。
「余計に外れねーじゃねえかよ、このクソ坊主…。おい、八戒…」
悟浄が助けを求めた瞬間、遂に八戒が吹き出した。
「…ナニよ、それ」
八戒の笑い声に、悟空は目を上げた。逆光に浮かぶ三蔵の表情は、唇の角度がいつもより…
「…さん、ぞ…?…あー!」
八戒が笑い続けながら、前方を指さした。
もくもくと立ち上がる積乱雲が、物凄い勢いで近付いて来ていた。雲の真下に雨が降り注いでいるのが、はっきりと見える。雲を押し寄せる風が、雨の香りと涼気を運んで来る。
「…悟空。まだ暑いか?」
「ううんっ!」
もう普段通りの片頬だけの笑みだったが、S&Wを懐へ仕舞う寸前、三蔵はくるりと人差し指で回転させて見せた。
一瞬それに目を剥いた悟浄が、脱力してシートへ寄り掛かる。
「なんだよ。俺等はオモチャか?」
「こんなに可愛い気のねェオモチャなんざ、いらねえよ」
悟浄がハイライトを銜えたのを見て、つられたのか三蔵もマルボロを取り出した。ジープのエンジンを止めた八戒が振り向くと、火のついたままのジッポがその間を一往復する所だった。
「ふたりとも、今火なんか着けたって…ほら!」
八戒の声と同時に、ばらばらと雨が降り出した。
『乾いた大地に、萌葱が一面に広がるようになればいい…』
天蓋を覆う黒雲の切れ間から、大粒のシャワーを透かし、陽光が筋になって落ちた。雨粒が輝き、三蔵を飾る。貼り付いた金糸から落ちる滴が、また輝いては三蔵を飾る。
見蕩れる八戒の目の前で、雨雲は駆け足で去って行った。
「ふうー。忙しい雨でしたね」
「でも涼しくなったあ」
スコール並みの雨のシャワーを受けた悟空は、ひまわりの様な笑顔を見せた。
「空気が新鮮だと、煙草が美味いって言いたいんだけどな。ポケットに入れてた煙草まで、ぐっしょりだぜ」
火の消えた煙草を銜えたままだった悟浄が、にやりと笑いながら髪を掻き上げる。
「吸うの止めねえぜ?」
「薄情だねえ…」
袂を搾る三蔵に、八戒、悟浄、悟空が笑みを向けた。黙っていても一番暑さが身に堪えていた筈の三蔵の、機嫌よさそうな悪態を嬉しげに受け取る。
軽く水気を押し絞った被布を、八戒は手渡した。手に取る布地の重たさに三蔵は一瞬眉を顰めるが、勢い良くそれを広げ持った。
ぱん!
純白の布地が振られ、細かな水滴が舞うときらきらと輝いて虹を生み出した。
「ハ!」
悟浄が放り投げた煙草が、軌跡を描いた。
「煙草のポイ棄てはやめてくださいと、何度言えば…あ」
4人が振り返って眺める空に、大きな虹が架かっていた。通り雨の過ぎ去った澄んだ空に、美しい橋が架けられていた。
「八戒、いつ迄見てやがる。いい加減に車出せ」
飽くまでもぶっきらぼうな声がする。
ジープが走り出すと、4人にまた風が吹き付けた。4人の髪を、それぞれ風がなびかせる。
三蔵が、被布をまた広げた。
風を受けて、純白の布地が大きく翻る。金糸の髪と共に、陽光を飲み込み、跳ね返す。
「いい風だ!」
蜃気楼の揺らめく大地をまっすぐに見つめた三蔵が、言った。