BLOWIN' - 2 - 
 暖まった躯が寝返りをうち、はだけた肩に開け放たれた窓からの風があたる。寒くはないが、微かに汗ばんだ肌がゆっくりと冷めて行く。
「ん……」
 乱れた前髪の下で、眉がしかめられた。
 三蔵が目覚めた時には、室内は夕暮れ色に染まっていた。ベッドから身を起こし、未だぼんやりとした頭で、取り敢えず目覚めの一本を唇に挟んだ。深く吸い込んだ肺に、フレイバーが満ちる。
 ようやく三蔵はベッドから脚を放り出し、前屈みになって肘を自分の腿に突いた。茜色の向かい側の壁に、自分の影と、ゆらりと上がる紫煙の影が映る。久しぶりにのんびりと見た自分の影法師に、三蔵はくすりと笑みを零す。
「…随分寝ちまったか…?」
 カーテンが舞い上がり、それと共に三蔵は立ち上がった。壁にかけられた鏡が目に入る。くしゃくしゃな髪にざっと指を通すが、また風がそれを乱す。夕日を透かす金糸が三蔵の目隠しをした。
「……やっぱり邪魔、かもな」
 ひとりごちてから、悟空や悟浄、八戒のいる筈の部屋へ向かった。
「三蔵!切んなよな!!」
 三蔵がドアを開けた瞬間に悟空が飛びついて来た。部屋の向こう側で八戒が手を額に当てて苦笑いをしている。
「髪の毛、絶対に切んなよな!?きれいなんだから勿体ないんだからな!!」 
「…悟空。オレの髪はオレのものだ。オレの勝手だ」
「でも、でも駄目だかんな!絶対だぞ!!」
 ドアの前で腕組みする三蔵と、部屋の奥の八戒、悟浄とが目を合わせる。頭ひとつ分小柄な悟空は、自然と視界の下側ぎりぎりにうろつくことになる。
「どういうことだ?」
「どうもこうも…」
「超鬼畜生臭坊主がありがた〜く見えるのは、その髪のお陰が大きいんだから、ヤメとけ?」
「そうだ!絶対切るの反対だかんな!」
「八戒。オマエ言ったのか?」
「ええ、まあ…」
「くだらんことをグダグダくっちゃべる程暇なんだったら、てめェらオレの脚でも揉んでろ」
「だからくだんなくないんだってばあ!」
「貴様ら、同じ様なことを繰り返すな!煩ェっ!!」
 とうとう三蔵は悟空にハリセンを叩き付ける。
 八戒にしてみれば、三蔵の寝癖をからかうなという注意から、話の流れで、三蔵が髪を切ってしまいかねないと言うことを説明しただけだった。予想通りのぽわぽわとした寝癖が、三蔵の怒りの表情を、やんちゃな子供の様に見せている。

「てめェら、揃いも揃って何くだらねェことばっか言ってやがる?緊張感ってモンが無ェらしいな」
 三蔵が振り向きもせずに部屋の奥まで行ってしまったので、悟空は耳を垂らした子犬の様にしょんぼりと後を付いて来る。その様子を苦笑いしながら見る八戒の前で、三蔵は椅子に腰を降ろすとマルボロに火を着けた。真後ろに頭を突き出した悟浄に、深く吸い込んだ煙を吹き付ける。
「悟浄。てめェに『ありがた〜く』なんざ、思われたくはねェんだよ。…余計にウザったくなって来たな、この髪は」
 煙たさに目をすがめた悟浄だが、その言葉に目を剥く。
「おい。本当に切っちまう気かよ。勿体ねーからマジヤメとけ?こんな髪、余所で見たことねえんだからさ。貴重品?ってか、保護財産?」
 言いながら、三蔵の金糸をすくい上げるように手に取った。薄暗くなって来た室内でも、三蔵の髪は柔らかく明かりを返す。
 三蔵は馴れ馴れしい接触に悟浄の腕を刎ねつけようとしたが、その瞬間指に力を込められて、却って自分の髪を引っ張ることになる。
「…痛ッ!」
「…なあ。切るなよ」
 振り返ると至近距離で深紅の瞳が三蔵を見つめ、低い声が続いて響く。
「これ好きなんだよな…」
「…誰が好きでもな、オレの髪はオレが勝手にするんだよ」
 三蔵は目の前に垂れ下がる赤い髪を思いっきり掴んで引き下ろした。
「ってーーー!!」
「馬鹿に囲まれてると馬鹿が伝染る。今メシを食いに行かないんだったら、馬鹿菌撲滅活動の保健所でも何でも呼びつけてやる。来るならさっさと来い」 
 涙を滲ませながら頭を抱え込む悟浄を見捨てて、三蔵はドアへと立ち上がった。

 どん。

 黙って立っていた悟空に、胸がぶつかる。
「……だぞ」
「あ!?」
「絶対に…絶対に駄目だぞ!三蔵の髪、きれいなんだから切ったら駄目だぞ!!どんなに三蔵の勝手でも、俺だって三蔵の髪好きなんだから、切ったら怒るんだかんな!!」
 真っ赤な顔で怒りながら叫ぶ悟空に、大人3人は呆れた顔を向ける。
「そりゃ…そりゃ、三蔵の髪なんだから三蔵が自由にしていいんだけど!でも伸ばすのはいいけど、無くなっちゃうのは俺淋しいんだかんな!!髪が無くたって三蔵は三蔵だけど、でも俺きっと、物凄く淋しくなるんだかんな!?それでもいいのかよ!?」
 一息に叫んだ悟空にぽかんと口を開けた三蔵は、やがて口角を意識的に引き下げながら言った。
「……それがオマエの主張か。意味は通じるんだがな、脅迫にもならん脅迫は、脅迫した事実だけが残るんだよ。…もっぺん言い直せ」
「……三蔵、髪切るなよ。俺切って欲しくないよ」
「人にものを頼む時は、どう言うんだ?」
「う。…切らないで、クダサイ。オネガイシマス」
「まあ、そんなモンか。おい、くだんねえことばっか言ってたら時間食った。さっさと食堂に行っとけ。俺は顔洗ってからすぐ行く」

 まだ口も利けない様子の悟浄と八戒、すっかり口をヘの字に曲げた悟空を後に、三蔵は部屋を出た。自室に入り後ろ手にドアを締め、やっと三蔵は笑い出す。
「…悟浄、誰にでも見境いねェっての、本当だな。アレ、女相手にやってんだろーな。悟空の論法も…強いっちゃ、強いがな。もしかして、アイツが一番オレサマなんじゃねェのか」
 ドアに凭れてひとしきり笑ってから、三蔵は背を糺した。
「八戒はな…。あいつ二人で話したことまでヤツらに筒抜けにしやがったからな。部屋でふたりだったから言ってみただけだったのにな。…暫く許してやらなくていいな」
 蛇口の栓を思いっきり捻ると、冷たい水で顔を洗った。
「八戒を許さないのは罰だ。罰」
 そう思いながら背を起こすと、目の前の鏡に自分の顔が映っていた。微妙に嬉しげな、意地悪そうな自分の表情。
 それを見て、もう一度笑う。
「おい。どーするよ、オマエ?てめェの髪だろ?邪魔なの、我慢すんのかよ?」

 階段を降りる先頭は悟浄だった。すぐに八戒、少し離れて悟空が続く。
 八戒の手が悟浄の肩に掛けられた。
「ねえ、悟浄。さっきのアレ、女性用口説き文句ですか?さっすが手慣れたもんですねえ?」
「あ?ああ」
 振り向いた悟浄は、八戒の笑みが冷気を吹き付けてくるのに気付いた。
「僕、感心しちゃいましたよ。こうやって…」
 八戒は、悟浄の髪に指を指し挿れ、すくい上げた。
「『なあ、切るなよ。これ好きなんだよな』でしたっけ?アレ耳元でやられたら、女性くらくら来るでしょうねえ?」
「あ…。イヤ、別に。そんなことはないのよン?あン時は、実際そう思ったから言ったまでで……ねえ、八戒さん?離してくんない?」
 冷や汗が肌を濡らしていることに、悟浄は気付いた。八戒は笑顔のままだ。
「……駄目です。今後三蔵の髪に触れないって僕に誓うまで、絶対に離しませんから」
「ち、誓う誓う。誓いますって」
「…どうして悟浄のコトバって、誠実に聞こえてこないんでしょうねえ?僕としても残念なんですけどねえ…?」
「それって、先入観とか、主観的過ぎるとか、そゆんじゃないの?ね、とにかく俺の髪離せよな。怖いよ。怖えんだよ」
「……怖さ、身を持って覚えててくださいね〜〜〜?」
「…判りました。もう忘れません…」
 悟空は階段を降りながら、あやふやな記憶を思い返していた。
「金色の、太陽。俺のお日様。何も判らなくなるくらい、長い時間を過ごして…始めて俺に触れた太陽。…大好きな。あの太陽の輝きは、ずっとああだったっけ?何時でもあんなに強い輝きを持っていたんだったっけ?もっと儚くけぶるようなことは…なかったっけ?」
 頭の中を、光速よりも早く何かの映像が通り過ぎた様な気がした。自分の手の中を通り抜けた様な気がした。行き過ぎた時間は、もうこの掌には戻って来ない……。
 悟空は立ち止まって自分の掌を眺め、拳を固めた。

「悟空?どうしました?」
 階段の数段を飛び降りた。
「…な?俺、三蔵の髪の毛って太陽みたいで大好きなんだけど…全部剃っちゃったらそれでも光るよな?俺、きっとそれでも三蔵のこと好きだと思うんだけど…八戒もそうだよな?」

 三蔵は、豆鉄砲を喰らった鳩ような表情の悟空と、床にへたり込んで笑っている悟浄、八戒を見て、夕食前に愛機を発砲させる機会を得ることになる。
「悟空があんなに情け無い顔しなかったら、本当に切ってやるところだったんだが」
 後日の三蔵の言葉を聞いて多少の焼き餅を妬いた八戒も、この日この時はただ自分の身を守るのに必死だった。















 続く 







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◆ アトガキ ◆
…オカシイです。なんだかまた長くなって来てます
予定していたエピソードが入り切りませんでした……
3〜4話でひとくくりのつもりでしたが…第2回目でこれでは、ちょっと怪しいですね
ショートショート的小じゃれた三蔵至上ストーリーが目標だったのですが……
果たしてどーなるのか
めっちゃ不安(しかもお笑い入ってるのって…大阪旅行の余波なのか?)
でも、よろしゅう〜〜〜ね?