「あ、悟浄?今晩の食事、どうしますか?」
「………お前さ、暗にどっか行って勝手に食っとけって言ってるだろ?」
「ヤですね、悟浄。気の回し過ぎですよ。…で?本当にどっか行ってくれる気はあるんですか?」
「………」
「おい悟空。晩飯食いに行くぞ」
「わーい、メシメシー♪…俺達ふたりだけ?三蔵達はあ?」
「…八戒達は部屋でゆっくりくつろぎたいんだと。食事も部屋で取って、のんびり休憩して身体休ませたいんだろ」
ご休憩はご休憩だ。休むのも運動するのも休憩だ。しかし「身体を休ませる」という点では嘘を付いてしまったかもなあ…。
悟浄はそう思いながら室内を見回した。
高い天井の部屋に広々としたベッドがふたつ。沈み込みそうなソファに、落ち着いた色合いのカーテンとシェードの間接照明。部屋の奥はサンルーム風に全面から採光してあり、森林を見渡せるバルコニーには瀟洒なテーブルと椅子が置かれている。居心地がいい。
くるりと振り返ると、明るく清潔なバスルームのドアがあった。何もかも、サイズにゆとりを持たせてある。
「…あ。」
広い浴槽と、その反対側には磨かれた硝子張りのシャワーブース。
「あーあ。八戒好きそう」
思わず馬に蹴られそうなことを想像し、悟浄は頭をがりがりと掻いた。
泉から上がったばかりのウンディーネの後ろ姿
すんなりとした両腕を上げ、金糸の髪に指を挿し入れ滑らせる
襟足に張り付く髪から水が滴り、白く眩しい背に滑らかに流れ
振り向いた硝子越しの唇がゆっくりと動く
『 悟浄』
「悟浄ってば!!」
「っあ、ああ。何だよ、聞こえてるよ」
「なあ、本当に八戒と三蔵来ないのかよ。折角だから美味しい物食べに行こうって誘おうぜ?」
「美味しい物ねえ…。それは確実に頂いちゃうとは思うのよね。その辺凄くしっかりしてやがるからなあ。ま、奴らは部屋でのんびりさせとけ?」
何となく悔しさを感じる頭を切り換えようと、大股で部屋を出ようとする悟浄は悟空の浮かない表情に気付いた。
「…何だ?三蔵サマが一緒でなくて淋しいのかよ」
「って言うかさ。俺、自分の時にご馳走作って貰ってすんげー嬉しかったんだ。俺は何にも出来ないからさ、せめて一緒にメシ食って…とか思ったんだけどなあ」
「いーんでないの?気持ちはちゃんと通じてるっしょ。先刻の八戒の嬉しそうな顔、見ただろ。…ま、小猿ちゃんの気持ちも判るがな。メシ食った後に、何か八戒の喜びそうなもんでも探してみっか?」
悟浄の提案に、悟空の表情が一気に明るくなった。
「それいいっ!俺もちゃんとプレゼントする!八戒の喜びそうなもの…喜びそうな…喜びそうな…モノ?」
「……そういや、俺も八戒の喜びそうな物って思い浮かばなくって苦労したんだよなあ」
八戒との同居中、数度何かの礼に物を贈る機会があったが、何を選べば喜ぶのか見当がつかなかった。読書は好きなようだが、本は自分の好みので選ぶのが一番だろう。かといってブックカバーの類は使用していなかったような気がする。むしろ、過去悟浄の女友達の置いていったティッシュボックスのカバーなどを、鬱陶しがって積極的に棄てていた。
結局好みが判らずに、実用一点張りの便利な家事用品などを選んだ記憶がある。
例えば…
「…ぞうきん」
「アァ?」
「八戒の喜びそうなモノ。雑巾とか、エプロンとか、包丁とか…そんなモノしか想像つかないや」
真剣な顔で数え上げる悟空に、悟浄は吹き出した。
「それいいって。それにしろよ。八戒喜ぶから。…じゃ、さっさとメシ食って雑貨屋行こうぜ」
悟空の背中を押しながら思い返す。確か自分は皮むき器を選んだのだったと。
熱い雨の中、ふたり抱き合う。
接吻けの最中、時折目を開けて三蔵は八戒を間近に見た。長い睫毛と、同じ色の髪がすぐに水を含んで行くのを見た。髪に染み通った雨が八戒の額や頬を濡らして行くのを見た。
八戒の前髪から自分の頬に流れた雨の、その暖かさが何時かの八戒の涙のようだと思い、三蔵は肩に回した手に力を込めてシャツを掴んだ。
探るような深い接吻けは、僅かに離れてはまた唇の甘さを確かめ合うように引き寄せ合う。互いの唇の甘さを、熱さを、柔らかさを、全て覚えようとするかのようにそっと挟み込み、舌でなぞる。
三蔵の素肌に濡れた衣服がこすれ、接吻けで敏感になった感覚がざわりと走る。
甘い快楽の溜息に気付いた八戒は、唇を首筋に移した。普段から青白いほどに色素の薄い肌は、湯に上気し、透明感が増して眩しい程だった。
三蔵の首筋に流れる雨を吸い取る。一度触れた肌から二度と唇を離さないとでも言うように、八戒は目に付く水の流れを唇で追い続けた。
柔らかな感触が唇に快く、舌でなぞり上げる。
心許なく震える吐息と、肩に立てられた爪の感触が八戒の全身の神経を刺激した。
八戒が急に三蔵の躯から身を離した。
今まで密着していた素肌に急に触れた空気が妙に冷たく、心地よかった筈の熱いシャワーが肌に痛いと三蔵は感じた。肩や首筋に熱を伝えてくる唇も離され、突然放り出されたような感覚に苛立つ。
濡れた睫毛が痛みを堪えるように震え、八戒の肩に残る指先に体温を取り戻そうと力が込もるが、三蔵に自覚は無い。
これ以上ないというくらいに、艶やかな唇が動いた。
「…はっ…かい…」
「どうして…同じ人間なのにあなたはこんなにきれいなんでしょうね」
湯気の籠もる硝子の筺の中で、一糸纏わぬ姿で八戒を呼ぶ三蔵。
上気した素肌に、薄紅に染まる目元。
濡れて、いつもよりも濃く長く感じられる金色の睫毛。
髪からはいつ迄も滴が落ち続ける。
「…誰にも触れられないように、誰の目にも触れられないように鎖じ込めてしまいたい。僕以外の誰にも、こんな姿を見せたくない」
快楽に蕩けそうに目を瞑っていた三蔵が、薄らと紫暗の瞳を開けた。紅い唇が質の悪い笑みを浮かべる。
「オレが…誰かに閉じ込められるなんてことがあると思うのか?オマエはオレを閉じ込められると自分で信じるのか?」
八戒は自分の肩に掛かる三蔵の腕を捉えた。両手首を片手で掴むと頭の上に抑え付け、薄笑いを浮かべた顔をもう片方の掌に捉える。
「永遠に掴まえていたいと願ってしまうのは…しょうがないじゃないですか。僕にとってあなたは唯ひとりの人なんですから」
噛み付くような接吻けに眉が寄せられ、それでも唇は笑みをやめない。
「それならずっと掴まえてろよ。手放すな。願うなら…オレから離れるな。オレを手放すな」
「…勿論。離しませんよ」
三蔵の腰に腕が回され、強く強く引き寄せる。
息が出来ない程の力に三蔵の躯が反らされる。
「…ん…うっ」
覆い被さる八戒に三蔵のバランスが崩れ、倒れ込みそうになる躯を頭上で押さえられた腕を突っ張って支える。
「離さないから大丈夫ですよ…?」
吐息の触れる距離で囁き、また貪るような接吻けを続ける。
不安定な体勢で硝子にすがる三蔵の、胴に回る腕が益々強まる。触れ合う唇から時折苦痛の混じる甘い呻きが漏れ、硝子のシャワーブースに音が籠もってふたりの耳に残る。
そっと手首が解放されたが、自分の躯を支える為に三蔵の腕は頭上に回されたままだった。
「三蔵?ちゃんと支えてあげるから大丈夫ですよ…?」
鎖骨のすぐ上の翳りに歯を当てながら、八戒の掌が三蔵の脇を辿る。濡れた肌の手触りを楽しむように、撥ね上がる筋肉の動きを喜ぶように、ゆっくりと下がって行く。
今まで陽に晒されたことのない滑らかな皮膚に指が遊んだ。
快楽の源近くに触れる指に三蔵は身を捩らせ、訴えるような鼻にかかった声を上げる。その声を聞きながら八戒はまた唇を彷徨わせる。静脈を舌で追いかけ、鎖骨に歯を当てる。
掌が動きを変え、双丘の間に向かった。
長い指が秘めやかな場所の周辺を丁寧に探る。
「…ふ……んんっ」
三蔵は息を詰め、眉根が切なげに寄せられる。漏れ出る声を抑えようと、花びら色の唇が噛み締められた。
指が、潜み込む。
一瞬身をすくませた三蔵の、胸の突起がきつく噛まれた。
「…っアア!?…あ・あ…」
慣れた指が三蔵の体内を休むことなく探り、同時に胸元の敏感な突起に歯を当て、ざらりと舐め上げる。
「ア・ア・ア…!」
硝子の壁面に突いた掌が滑り、三蔵の躯ががくりと落ちる。一層仰け反る躯が、腕の動きのままに壁に当たった肘と濡れた金糸の頭で支えられる。
「本当に大丈夫ですか?…ねえ、苦しいんですか?ヨがってくれてるんですか?」
耳に入る言葉が意味として聞こえているのか。
仰け反る姿勢のまま、蠢き続ける八戒の指に、三蔵は固く目を瞑り空気を求めるように切れ切れの声を上げる。
三蔵の躯がまた落ちた。無理な姿勢に緊張を続けた下肢が、内部を掻き回される度に小さく震えては脱力して行く。
「……っ。…ンあぁ。……っあぁ。あ・あ・あ…」
白い指が八戒の頭にしがみつき、髪に潜った。背に伸ばされ、爪痕を残した。
「なんだか…そうやってると、僕のこと引き寄せてねだってるみたいですね。可愛らしい」
三蔵の胸元に抱え込まれた自分の頭を軽く上向かせ、苦痛と快感の両方を訴える顔を見た。
「…も……これ、辛…んだ・よ…」
途切れがちな声が漏れた。
「…もう…これ、ヤめ……」
目元に滲んでいるのが、涙なのかシャワーの滴なのかも判らない。
八戒は三蔵をまっすぐに立たせると、額に唇を落とした。
「三蔵?可哀想だけど、まだこれからなんですけど?だってあなたのここ、まだ触れてもいない…」
三蔵の敏感に張り詰めたものを、掠めるように撫で上げる。
八戒は身震いする三蔵に目を細めると、今度はその躯を後ろに向かせた。三蔵は張り付くように硝子の壁に縋り付く。
三蔵の背に弾ける湯は、肌理の細かな肌に水滴を作っては流れ落ちる。柔らかな皮膚に時折残る傷跡に、ほんの一瞬留まってはまた滴って行く。
八戒は背後から三蔵の耳元に囁きかけた。
「だってまだ、何も聞き出せてない…」
冷たい硝子に押し付けられた三蔵の下腹部に手を回し、同時に挿れたままの指を更に深くする。
「…くっ…」
求めていた刺激に三蔵が身を捩り、体内の異物を締め付けた。
「…それじゃ動けません。もうちょっと躯の力抜いて…?」
「ん…ッ!……あ…やめっ……」
追い立てられるような動きに三蔵の腰が撥ね、その瞬間に指の数が増やされる。執拗なほどに三蔵の中を探り、一点を責め立てる。
「やっ……そこ、やめ……!」
中からの刺激が三蔵の衝動を強くする。八戒の掌の中で限界まで張り詰めたものが時折硝子に当たり、そのひやりとした感覚にまた身震いをする。
三蔵は硝子に強く額を押し付けた。滑らかに濡れた硝子はすがる掌にも、額にも、胸にも冷たく、痺れるような快感に火照る躯に気持ちよかった。
「ね、気付いてます?目を閉じちゃってるから気付いてないんですよね…?瞳を開けて下さい」」
放ちたいという衝動に捕らわれた三蔵は、囁かれる言葉に素直に従った。
自分が爪を立てるようにすがる硝子と落ちる滴。周囲に立ちこめる湯気。それしか視界に入らずに不思議そうに八戒の方へ振り向きかける。
「ほら、あれ」
八戒の指がコツンと硝子に当たり、その向こうを指し示す。
「…きれいですよ…」
シャワーブースの対面の壁には一面の鏡があった。
硝子に貼り付けられた標本のような自分が、一糸纏わぬ姿で快楽に狂っている。全てを晒け出した躯を戒める八戒の腕。
全身ずぶ濡れではあるもののきっちりと衣服を着込んだ八戒が、鏡の中の三蔵に見せ付けるように耳朶に囁く。
「なんてきれいで、なんて淫ら」
染まる耳朶に舌を沿わせながら、益々刺激を強くする。自分の躯の上で動きを止めない八戒の腕。自分の目の前で、尚も溺れ乱れて行く自分の躯。
「…ン……ア・ア・アッ……!」
その時、軽やかなチャイムが鳴った。
「あ。もう来ちゃいましたか…」
「な…?」
「ルームサービス。軽い食事を頼んだんですよね。…あなたもお腹空いたでしょう?」
そのままブースのドアを開けようとする八戒に、三蔵は抵抗する。
「…ああ。まだ挿れたままでしたね。…抜きますよ?」
ぬけぬけとした笑顔の八戒を、三蔵は羞恥の籠もる目で睨み付けた。
「…っ!!」
「ほら、力抜いてくれないと…」
「くぅ……っ」
焦らすように抜き取られる瞬間の腰の動きが隠し切れずに、三蔵の頬が更に上気する。
八戒がドアの向こうに声を掛けた。
「はあい。すぐに行きますからちょっと待って下さい」
そのまま三蔵の肩を抱いてブースを出る。
自分でも淫らだと思ったその姿のまま人前に引き出されるのかと、三蔵は本気で怯えて肩に掛かる腕を振り払おうとした。八戒は慌てて躯ごと抱きしめる。
「ち、違いますってば、三蔵。幾ら何でもそんなことしません!誰にも見せたくないって言ったばかりじゃないですか!」
明るい笑いを含む声に三蔵は八戒の顔を見上げる。
「宝物みたいに仕舞っておきたいくらいなんですから!」
とてもおかしなことを聞いたとでも言うような、明るい笑い声。愛しそうに見つめる深い湖の色合いの瞳。
一瞬三蔵は八戒の瞳の色に囚われた。
「はい」
分厚いタオル地のバスローブが背に掛けられ、柔らかな肌触りが三蔵の躯を包み込む。大きなタオルをその上から被せ、八戒はそのまま三蔵を抱き上げた。
「…おいっ、八戒、降ろせ!」
「幾ら硝子の筺に閉じ込めたいとは思っていても、あんな途中で放り出してひとりで置いてきぼりになんてしませんから。そんなことしたら、あなた絶対拗ねて後から触らせてくれやしないじゃないですか」
ぽんとベッドの上に三蔵を放り出すと、タオルごと髪をくしゃくしゃとかき乱す。
「ああ、やっとベッドにたどり着けた!…今日はベッドじゃないと大人しくしてくれないんですよね?」
ベッドに座り込む三蔵が、被せられたタオルに手を伸ばす。些か憮然と見守るその前で八戒はバスルームに戻り、タオルで髪を拭きながら漸くルームサービスの食事を受け取るためにドアに向かった。
ベッドからは陰になって見えないドアから、八戒の常識者然とした声が聞こえて来る。受け取りにサインをし、ドアを閉める音がする。神妙な顔でワゴンを押す八戒が、三蔵の目の前までやって来る。
「ローストビーフのサンドイッチとスープとコールスローサラダなんですけど…食べられますよね?」
肩にタオルをかけただけの全身ずぶ濡れの男が、真面目な顔で問いかける。
「てめェは本当に……間抜けだなあ…」
呆れたようにひとこと言い、三蔵はくつくつと笑い出した。