眩暈ノ果テ - 2 - 
「無茶をなさる方ですね」
「お前さんほど我が儘でもないつもりだがね」
 光明は、窓からの侵入者に乾いた布地を手渡した。侵入者     青覧三蔵法師は、しきりに剃髪の頭や、小太りの身にまとった衣服をごしごしとこすりながら続けた。
「光明。手っ取り早く言うよ。三蔵法師がひとり行方知れずだ。生きてるか死んでるのかも判らない。経文の行方も判らない。長安にはわたしの経文が一巻、長安に所属しているものの、放浪中の烏哭三蔵の経文が一巻の、合わせて二巻。金山寺の光明三蔵法師の経文が二巻。存在のはっきりしている天地開元経文はそれっ切り」
「そして現時点で長安サイドの経文は、青嵐、あなたの一巻のみ」
「それで心配性な連中は慌ててお前さんを連れ戻しにかかったって訳さ。力の均衡がひっくり返った、ってな」
「くだらない」
「言うと思った」
 青嵐三蔵は身を揺すって笑った。
「所でね、本当に長安に戻る気はないかい?お前さんが長安を離れて十年以上…わたしもそろそろ留守番に飽きて来てね」
「青覧殿」
 にやりと笑ったまま、青覧の眼が光った。
「交替の時期だ。お前さんと、やがて烏哭が戻れば、長安の経文は三巻になる。わたしは……そうだね、行方知れずの三蔵を捜しに旅に出るんでも何でも、理由は作るさ。お前さん方が長安に戻ってくれさえすれば、わたしは自由の身なんだがね」
 青覧は、光明にぐうっと身を近付けた。
「どうだい?戻る気になって貰えないかい」
「青覧殿」
 光明三蔵の声が、微かにざらついた。

「烏哭のことだがな。無天経文を護っていた先代の三蔵法師は、長安の目を離れてからオカシクなった。何に惹き付けられたのか、遊行中に出逢った子供に法力を継がせた。経文の力とその弟子に溺れて、そして壊れて行った。三蔵としてですらなく、ヒトとしても破綻して身を滅ぼして。……経文を受け継いだのが、当代最年少の三蔵法師、おツムは切れるものの、変わり者の烏哭だ」
 薄明かりに影が揺れた。
 青覧の低い声は、沈痛ですらあった。
「烏哭は。アレは、異端だ。仏門の徒だからというのではなく、アレの望みがわたしには判らないんだよ。会話を交わしていても、アレとの共感を感じたことは一度もない」
 光明は、厳しい青覧の顔から目を逸らした。
「烏哭が今後どうなるかはさておき。無天経文の継承は、大っぴらには出来ない出来事だった。それもあって、長安としてはお前さんのことも、腫れ物扱いにして囲い込みたいんだろうよ」
 嵐が激しくなり、屋根を叩く雨の音が耳にうるさい程になっていた。木々に吹き付ける風が、もの悲しい笛のような音を引く。
 雷雲の轟きが低く響いた。
「才能のある子供とは聞いてるが、随分可愛がって育ててるそうじゃないか。弟子としてか養い子としてか、……次の三蔵法師としてか。その子が二巻の経文をそのまま引き継ぐことになるのかい?」
 稲妻が走り、室内に青白い光と影とを色濃く遺す。
 光明の唇の両端が、きゅうっと引き上がった。
「わたしが壊れることを心配しているのだったら。もう手遅れだと伝えて下さい」
 数日前に朱泱に見せたのと同じ、うっとりとした笑みだった。

「今はもう、あの子を育てることだけがわたしの全てですから。手許に囲い込みたいのはわたしの方なのですから。わたしの知識も見聞も、あの子に、江流に全て譲り渡したい。長安が経文を欲しいと言うのなら、くれてやっても構わない。でもそれも、江流のものになってからです。江流が天地開元経文を要らないと言うのなら、江流が直接放り捨てればいい。今わたしの持つ全てを江流に注ぎ込んで、その中から必要なものだけを選び取って、残りは全部捨てても忘れ去っても構わない」
 ひっきりなしに轟く雷鳴と、走る稲光が室内に満ちた。
 青覧三蔵は茫然と光明三蔵を見つめた。
「ねえ、青覧殿。わたしがあの子と出会ってから、時間は素晴らしく早く過ぎる、翼を持つものになりました。幾らでも水を吸い込む砂地にわたしの持つ全てを傾け、他の者の持つあらゆるものを注ぎ込み、それでも足らずに……時間が惜しくてたまらない。なんて人生は、早く過ぎ去ってしまうのだろうと。ここでなら、わたしは江流に自分の全てを与えることが出来る。わたしにとって、他のものはもう、全て要らないものになってしまったんです」
 轟音が、した。
「ねえ、わたしは今、至福なんです」
 落雷に倒れる大木の、周囲ごとなぎ倒す破滅の音が続いた。

 俄に周囲が騒然とし始めた。僧徒達の走り回る音と怒号が聞こえる。
「山火事に、ならねばよいのですが」
「お前さんは行かなくていいのかい?」
「今は、あなたとの話に片を付ける方が重要です。江流は、よくも悪くも人を惹き付けます。今のわたしを見れば判るでしょう?」
 光明の笑みは、既に常の穏やかなものになっていた。それ見返すだけで、青覧に言葉はない。
「この狭い金山寺ですら、知らぬ内に江流に心のどこかを狂わせる者は出て来る。そしてあの子は未だ幼な過ぎ、自分の身を護り切るのが難しい。長安で、わたしの眼の届かない時間が増えて、多くの人々に接するようになるのは……まだ早いんです」
「おいおい。幾ら何でもそんな異常なことは起こらないだろう。長安の安全な寺院の中で、僧侶に囲まれて過ごして……」
 青覧は言いながら、隔絶された世界で子供や弱者へ向かいがちなストレスのはけ口について、考えていた。暴力、非暴力、あらゆる形の差別は、何時でも起こり得るものではある。
「善意も、好意も、悪意も、強烈に掻き立てる。人の心を動かす存在なのです。狂わされる、と言ってもいいかもしれない。だからこそ、わたしはあの子を」
  ―――― 次代の三蔵法師にすることが出来たら。  何事もなく成人し、あの精神が全きままで成熟すれば、恐ろしいほどのカリスマティックを持つ三蔵になるであろう。
「手許に置いて、守り育てたい。あの子を害するものは、全て排斥したい」
 怒号の続く中、青覧三蔵はヒステリックに笑い出しそうな衝動を抑えながら言った。
「……とんだ傾城の美女だな」

「では何としてでも、長安に戻る気はないと?」
「あなたがここでわたしを三蔵失格だと弾劾して、力ずくで経文を奪うなら、聖天、魔天の両経文を長安に持ち帰ることは出来るでしょう。わたしとて世を乱したい訳ではありません。ただここで静かに暮らしたい。静かなままであの子を育てたい。もう少し。もう少し、時間が欲しいだけなのです」
「三百の僧兵に、金山寺全体が危機に晒されても、かい?」
「はい」
 青覧は、この短時間の会話に酷く疲労を感じていた。
「なあ、光明。お前さん言ってることが滅茶苦茶だよ。それでわたしが、味方するとでも思ってるのかい?」
「あなたには包み隠さず申し上げたいというだけです」
「で、まだ暫くはわたしに留守番役を押し付けたいんだな」
「あなたは長安をまとめる者として最適任者であると思っています」
「その子に、二巻の経文の守り人の重責をおっ被せたいんだな」
「あの子にはその資質があると信じます。江流が経文など要らぬと言えば、捨てさせるだけ」
「大馬鹿者」
「はい」
「我が儘」
「はい」
「この借りは、お前さんが返せなかったら、その子から取り立てるからね」
「……はい」
 そのまま深く頭を下げる光明に、濃い疲労を残した顔が諦めたように笑った。
「判ったからお行き。火が出たんじゃその子が心配なんだろう?」

 部屋を出て行くの光明の後ろ姿に向かって、青覧は溜息をついた。
 業だ。
 何者へも執着しないなどということを、人の身で為すことの無謀さを、見たような気がした。
 何もかもを捨て去って、自分すら投げ出して。
 それでもまだ、望みや欲というものを持たずには、人は生きて行けないのではないか。
 自らの道を後継に譲る。
 それすらも、自らの見たいものを対象の中に見出し、恣意的に選択せねば納得など出来はすまい。
 ……烏哭と、光明の育て子。
 道から外れたところで熱望された、子供達なのか。

 小さな呟きが、青覧の口から洩れた。
「なあ。お前さんが有りっ丈押し付けたモノを……親が必死で譲ったモノを。要らないからって、子が本当に棄てられるとでも思ってるのかい?」

『光明様、江流が……!』
 押さえた、しかし苦渋に満ちた叫びのような朱泱の声が、旋律の狂った音楽のように光明の耳に届く。
 燃え上がる炎に照らされた養い子の血塗れの姿に一瞬絶句し、駆け寄り抱きしめようとした。その掌の触れる瞬間に、江流がおののくように躯を硬化させる。
 一瞬の拒絶。
 血に汚れた顔の中、瞳孔の開いた瞳が光明を認め漸く躯の力が抜ける。
「お師匠様」
 肉体への暴力と共に、精神へ受けた傷が江流の心臓で血を流している。
 どれ程この子を守りたかったのかと、光明は悲鳴を上げる自分の心に耳を塞ぎたかった。どうすれば受けた傷を元通りに戻せるのかと、不可逆の時間を呪った。

「お師匠様。オレは大丈夫です」
 炎へ向かう人波に逆行して、闇に紛れて湯殿へ向かった。光明は、ひたすら湯を掛け続けては、江流の躯にこびりつく汚れを流し落とそうとした。
「あなたには何の咎もありません」
 悪意がこびりついているようで、江流を汚す血液を全て溶かし去ってしまいたかった。
「何者をも、あなたを撓めることなど出来はしないのですよ」
 頬に、背に、腕に付けられた擦過傷も痣も、何もかも消し去ってしまいたかった。
「誰もあなたを穢すことなど、出来はしないのですよ」
 祈るように口に出し、江流がそれを信じてくれるようにと願った。

「オレは。オレはお師匠様を悪く言う奴だけは許せなかったから」
「オレならもう大丈夫ですから」
「お師匠様と自分を護る為ならば、あんなことは何度でも繰り返してやる」

「……何故お師匠様が泣くんです……?」

 江流の髪を乾かし、布団にくるめる。
 江流の呼吸が規則正しくなるまでずっと付き添う。
 その間、無表情な江流の替わりでもあるかのように、光明の瞳からは涙が流れ続けていた。
「あなたを穢そうとする者こそを。わたしは、許しません」
 涙の流れるまま、朱泱の元へと向かう。
 失血死寸前の者をも含め、朱泱は怪我人の手当をしていた。表沙汰にする訳にも行かず、ただ手当をしつつも、江流を傷付けようとした者達を野放しにはしなかった。
 夜が明けるまでに、江流によって去勢された男は命を終えるだろう。眼球を破裂させた男も発熱が酷い。何の薬物の投与もしていないから、運が悪ければ命を落とすのかも知れない。
 あらかたの血を洗い流した倉庫の中で、水に濡れた床に直に転がる負傷者達を朱泱は眺める。
 歯車が狂ったままで何かが動いている。
 江流に強く惹き付けられる部分が、朱泱の中にもある。それがどう作用するのか。自分と、今床に転がる彼等との間には、どれだけの差があったのだろうか。

「あなたにとっての江流は、何者なのです?」

 あれから光明の言葉を何度も自問した。
 そんなことは、考えたって判る訳もない。そう思いかけた瞬間に、金山寺の山門をくぐった当日の出来事が記憶に蘇った。
 日差しの下、光明の傍らに立っていた江流は、信頼仕切った瞳で自分の保護者を見上げていた。見慣れぬ闖入者に物怖じすることもなく、法力僧として修行を始めた朱泱から、貪欲なほどに技を教わり、自分のものにして行った。
 金山寺へと流れ着くまでには、躯を重ねた女もいた。その中には、もしかしたら自分の子を宿した女も、いたかもしれない。この世に存在するかもしれない自分の息子を、江流に重ねて見ているだけなのかも知れない。
      それとも。
 自分が手に入れることの叶わなかった、夢のような女の。見るだけで狂い出しそうな、美しく冷たい美貌と、手に触れる瞬間に身を翻し逃げ去る、永遠に手に入らない心を重ねて見るのか。
 運命を、狂わせる者を。

 充分に狂っているじゃないか。

 何か予感がしたように、朱泱は倉庫の扉を開いた。
 光明三蔵が、涙を流しながら微笑んでいた。血の涙だった。

「わたしは……江流を穢そうとする者こそを……わたしは許しません……」

 血の涙で微笑む唇から、ざらざらに割れた声が漏れた。
 そして何時か見た、うっとりと微笑む眼差し。自分の耽溺しているものだけを見つめる、淫蕩なまでの眼差し。そして、酷薄な ――――

 歯車の狂いは、回転を益々上げて行くばかりだった。
 やがてどこかが壊れる。
 それが判っていて。
 朱泱は眼を閉ざした。

 何も見なかった。
 何も聞かなかった。
 何も起こらなかった。

 光明の唱える真言と、高まる法力、瀕死のままで床を這いずって逃げようとする僧徒の立てる物音とわめき声が、全身の感覚に訴えるが、何も感じなかったと自分に言い聞かせた。忘れ去ろうとした。
 焔明かりに照らされ、全身を朱に染めた江流を見た瞬間に感じた、自分の心までをも。

 やがて自分の歯車が、狂ったきしみに弾け飛ぶまではと。

 聖なる力が異常に高まり、幾つかの生命の消滅する気配がした。
「………!」
 その瞬間、悲鳴によく似た光明の気配に青覧は息を呑み、やがて目蓋を閉ざした。
 何も見なかった。
 何も聞かなかった。
 何も起こらなかった。
 同じ時間に、同じことを思っている者が他にもいるとは知らずに。
 夢うつつの間に、江流は光明の悲鳴を聞いたような気がした。
 それを聞き、ただ唱えるように繰り返していた。
「忘れなければ。明日になれば元通りになると、お師匠様にお約束したのだから」
 どんな恐怖も、怯えをも、光明三蔵に気取られてはならないと。自分の中に封印出来ればと願った。
 願う?
 いや、誓おう。
 いつか本当に、自分の中でそれが消え失せるまで。
 自分と光明を守る為に、躯に受ける傷を恐れてはならない。
 心は傷つかない。

 光明三蔵の願う限り、そんなものは存在しない。

 夜が明けた。
 第二十九代東亜三蔵法師の法要に金山寺を訪れた、長安の僧正、大僧正達は絶句した。
 前夜の嵐に起こった火災は金山寺の麓の邑からも見えていたが、僧正達は僧兵達を、救助に差し向けようとしなかった。表向き、長安の僧兵三百名を許可無く金山寺境内に入れることは、武力行使と受け取られ兼ねないという判断だった。
 当然、金山寺自体が焼けてしまえば、光明三蔵も長安に戻るしかなくなるということを期待してのことだったが、幸か不幸か、金山寺の火災は押さえられ、日が昇った後はつんと鼻につく、焦げた匂いが残るのみだった。

 法力僧を山門の前後に配し威圧を与えるつもりで入山した僧正達は、ずらりと整列する金山寺の全僧徒達の様子に、却って気圧された。
 前夜の山火事を鎮火する為に、皆多少の怪我を負っていた。火傷や、燃える大木の周囲を切り払った際に受けた傷で、包帯だらけの物も多い。ただどの僧徒も、前夜の疲れを感じさせない異様な雰囲気を持っていた。
 その中に立ち並ぶ朱泱も、傷こそないが、たったの一晩でひどく窶れ、窪んだ目元が鋭さを放っていた。
 それらの僧達が整列する中を進む一行の目の前に現れたのは。

「…青覧三蔵法師…!?な、何故こちらへ」
「三蔵が三蔵の弔いに来ちゃいけねえなんて、誰か決めたのかい?三蔵ってのは随分と淋しい職業らしいなあ?」
「い、いえ。青覧三蔵法師殿は長安をお守りになっているものかとばかり…」
「あーあ、空けちまったな、長安。ちっと拙いかもしれねえなあ。そういう訳でな、先代三蔵ご法要の後、我らは速やかに長安に戻らねばならん。光明、長居は出来んが無礼は許しておくれ」
 僧正達に威嚇するような目を向けていた青覧は、ぐるりと首をまわして、傍らで微笑む光明に向き直った。
「さようでございますか。青覧三蔵殿には、是非当山にご逗留願い、ゆるりと休交を温める時間が欲しかった所ですが。やむを得ませんが、またの機会を設けたいものですね。こちらへごゆっくりと滞在なさる機会を」
「光明、お前さん、調子に乗っちゃいけないよ。ほら、長安の僧正達が青ざめたじゃないか。わたしはすぐに長安に戻るし、光明三蔵殿は暫くここで、大人しく子育てに専念するそうだ。秘蔵っ子に今日は会えないのは残念だが……。寝た子を起こすなというか、育児中の母虎にちょっかいかけようとする者は、喰われる覚悟がなくっちゃいけねえ」
 ぬけぬけとした光明の言葉に鼻白んだ青覧三蔵だったが、僧正達に向けた声音は低く切実なものだった。
「下手すりゃ長安全土が喰われ兼ねねえからな。以後、光明三蔵法師の長安入りについては、まずわたしを通しておくれ。わたし達ぁ歳を取る。     次代の三蔵法師はどうあっても必要なもんなんだ。今代、次代を同時に潰しちゃならねぇんだ」
 光明三蔵と並び、純白の絹地に金織りの袈裟、至聖の証の金冠の装束を付けた青覧三蔵は、伝法な口調と小太りな体躯にも関わらず、神々しさを周囲に感じさせた。
 ばさり、と。
 祭壇に向き直ると朗々とした声の読経を響かせる。
 僧正達の声がそれに続く。

 過ぎ行く時間を、翼を持つもののように感じられると、光明は言ったのだったか。
 時間が惜しくてたまらない、と。なんて人生は早く過ぎ去ってしまうのだろうと。
 青覧には、ほんの微かな予兆のようなものが感じられた。
 光明は、若い頃から妙に勘がよかったではないかと。ぽつりと漏らす言葉に、後から預言者のようだと思うことが度々あったではないかと。
 どうか、また会う機会を作って欲しいと。
 今度こそ、休交を温めるだけの時間を作りたいと。
 出来れば、お互い三蔵法師の肩書きと両肩に掛かる経文を、若い者に押し付けて気楽な身分になってからまた会いたいものだと。

 先代三蔵法師への手向けの読経は、金山寺講堂の高い天井に韻々と響き続けた。

「江流」
「はい、お師匠様」
 膝小僧と肘に擦過傷を負った子供が、転がるように駆け寄った。
「ほら、昼間の白い月がまん丸」
 剪定鋏を手にした光明が、竜胆を数本、手に下げたまま空を仰いだ。
「昼間も確かに月はあるんですねえ。儚げでいて、必ず天には月があるんですねえ」
「こないだお師匠様が教えて下さったばかりじゃないですか。まばゆい満月の夜も、暗闇の新月の夜も、必ず汐の満ち引きが起こるって。月と太陽に引かれて、大きな力が動くのだって。昼間ばっかり月が消えて無くなったら、海だって困ります」
 傍らに立つ子供も、並んで空を見上げる。
 淡い色合いの空は、高く澄み切っていた。
 真昼の月が、ゆっくりと動く。
 光明は、月の動く先に太陽を見つけ、一瞬の眩暈に目をきつく閉じると、

 手にした竜胆を、天に放り投げた。














 終 







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◆ note ◆
box seatsの『眩暈』からがっさりと削り取った部分です
書いて行くうちにエラく長くなってしまいました
こちらの方が、ストーリーとしては先に出来ていたりして

オリジナル設定が相当多いのですが、途中から出て来たもうひとりの三蔵は、
series storiesのpiecesで出した青覧ぱげーに再度登場して貰いました





2002.04.13 改訂 烏哭絡みv