cotton 
「かたや元豪族別邸を改造した高級ホテルのツウィン2部屋、もう一方は労働者が寝に帰る簡易宿泊所シングル4つ。今日の宿はこのふたつしか空いてません。かなり料金に差があるんですけど、どちらを選びます?」
「ツウィンはまた部屋割りでもめるだろーが。ベッドがあればそれでいい。安い方」

 苦笑しつつ安宿の方へとジープを向ける八戒と、前方を向いたまま応える三蔵を見て、後部座席のふたりは囁き声を交わした。
「……これは覚えてねえな」
「あんまりそういうコト気にしないタチだもん。でもいいのかなあ…」
「さあな」
 悟浄は言いながらも、近付く「自分のその日」を思った。
 高級ホテルと簡易宿のふたつを選べる状態で、「安い方」と言い切られるのは面白くないだろう。大体、同居生活をしていた過去3年間、その日になるとさりげなく良い酒を買っておいてくれたりと、八戒が記念日を心に留めておくタイプであることも判りきっている。
 更に「部屋割りでもめる」という三蔵の言葉が引っ掛かる。
 ……自分達の所為にされるのは、後々宜しくないような気がする。

 悟空も数ヶ月前の「自分のその日」を思い返していた。
 村の小さな宿は小綺麗で明るく、八戒は台所を借りて心づくしの手料理を沢山作ってくれていた。市場で仕入れた塊り肉で、ちょっとやそっとでは見かけないようなダイナミックな焼き肉を作ってくれたり、きれいに果物や野菜で飾り付けをしてくれたり、最後には手作りのケーキまで出してくれた。
 長安にいた頃でも、その日になると三蔵がぶっきらぼうに食事に連れ出してくれてはいたけれど、始めての「自分の為の特別なご馳走」は、悟空の食欲以外のものも満たした。

「「よくない!」」
「ンあ?」
 ふたり同時に発せられた声に、三蔵が不機嫌そうな顔で振り返る。
「そ、そーだ、三蔵!聞いてねェか?最近この辺は南京虫が異常発生してるらしいぜ。安宿はヤバいってえ!新聞に載ってねえ?やっぱそーゆーことは宿のお姉ちゃんと仲良くならないと、話して貰えないのよねえ」
「あーっ、ソレでかあ!?俺、こないだ刺されちゃったかもしれない。なんか痒くて」
「…悟空?南京虫は刺すんじゃなくて咬んで血を吸うんだと思いますよ。それに痛くても痒くても言ってくれれば僕が気孔で…」
「わーっ!な、な、八戒!南京虫ってシラミの仲間だろ!?他の種類のシラミも涌いてたらどーする?伝染病媒介種とか、やだよなーっ」
「俺、美味しいから喰われそうな気がする!俺病気になったら沢山メシ食わないと治んないよ!病気になるくらいだったら、悟浄と一緒の部屋で我慢する!」
「…貴様ら、急に何なんだ…?」
「どうせ三仏神名義のカード払いだろ?おかしなところで節制した挙げ句、虫食いを我慢することもねーじゃんか。悟空も『沢山メシ食う』とか言ってるしな。どうせ金かかるんなら、気分のいい寝床にかけようぜ」
 後部座席ふたり組は身を乗り出して三蔵に訴える。鬱陶しそうに「却下」の一言が出掛けた三蔵だが、害虫の異常発生は初耳だった。
「何が気分のいい寝床だ?てめェ抜け出してばっかだろーが。てめェら血が有り余ってっから普段から煩ェんだよ。ちょっとは血ィ吸って貰った方が静かでいい」
「三蔵!?」
「…とは言え。下僕が血を吸われるのは構わんが、オレの血を虫如きにやる気はない。…八戒、方向転換だ」
「よっしゃぁ!」
「三蔵ありがとー!」
 いつ迄も煩い後部座席に、三蔵が眉間にしわを寄せる。呆気にとられていた八戒だが、やがてくすくすと笑いながらジープのハンドルを切った。

 ホテルのフロントで三蔵がサインを記入する間に、八戒が悟空に話しかけた。
「悟空。もしかして僕の為ですか?覚えていてくれたんですね」
「うん。俺、祝って貰えて凄く嬉しかったんだ。俺はさ、何のプレゼントを上げられる訳でもないけど、今日は気持ちよく眠れるよな?」
「僕は悟空が覚えてくれてただけで嬉しいですよ。ありがとう」
 くしゃりと悟空の髪を撫でる八戒に、悟浄が背中から寄り掛かってきた。
「俺もいるのよ〜?っつーか、俺達のプレゼントはこれでオワリでいいよな?も、お前に取ったらサイッコーのプレゼントだろ?他のモノなんか却って邪魔なだけだろ?あ、俺らが邪魔?ならどっか行くし!」
 ずっしりと体重をのしかからせる悟浄に、八戒がよろけながら応える。
「ご、悟浄。悟空の前で何言うんですか。かなり人身御供なこと言ってますよ、あなた。無責任というか…。それに少し太ったんじゃないですか、重た…」
 悟空が八戒ごと悟浄に押される。
「悟浄のでぶ!それに三仏神名義のカードで泊まるんだから悟浄がそんなに威張ることないじゃん!」
「バァカ、俺のは全部筋肉よーん。はっはあ!」
 上機嫌に笑いながら、悟浄はそのまま後ろへ倒れ込んだ。天井の高いロビーに、悟空の悲鳴と悟浄の笑い声が響く。八戒も笑いながら共に床に転がっていた。
「……貴様ら……。仲良く野宿だろーが何だろーがして、揃って南京虫に喰われてろ」
 不機嫌そのものという声に三人が視線を上げると、腕組みの三蔵が威圧感たっぷりに見下ろしている。
 悟空は図体のでかい大人ふたりの下から這い出すと、へらりと笑って見せた。悟浄は自分の潰した八戒を前に押し出し、笑いながら肩の影に隠れる真似をする。最前列に出された八戒はといえば、何時にも増しての笑顔にほんの僅か困惑の成分が混じる。
「すいません、騒ぎ過ぎて。…もしかして怒ってます?」
 八戒の肩の影から、中々笑いの止まらぬ悟浄が顔を出した。
「悪ィ。そんなに怒んなよ。三蔵サマったら美人台無しじゃん…」
 八戒の肩に腕掛け、反対の手で三蔵の頬に手を伸ばそうとし…その掌に部屋のキーを投げ付けられて苦笑する。
「おーお。美人は情が強いねえ。…んじゃ、これ以上怒らせないうちに部屋に参りますか!」
「待てよ、悟浄!同じ部屋で我慢すんだから、ベッドは俺が先に選ぶ!」
「ばあああか、どっちが我慢してやるんだか判ってんのか、このサル」
「…やれやれ。どうしてももめるんですよねえ。仲がいいですねえ」
 にこやかにふたりの後ろ姿を眺める八戒に、益々機嫌の悪い低い声が掛けられる。
「安心しろ、てめェも充分アイツらの仲間だ。仲良くひとつの部屋でぎゅうぎゅう寝てろ」
「三蔵?」
 さっさと歩き出した三蔵を、八戒は慌てて荷物を抱えると追いかけた。

 ガツッ。
「三蔵!?ちょっ…、本気で怒ってるんですか?」
 勢い良く閉まるドアを八戒は足を咬ませて止め、そのまま肩で押し開くように部屋に入り込んだ。三蔵は振り返りもせずに部屋の奥へ向かうとどさりとソファに身を沈め、そのままテーブルに置かれた新聞を読みふける。
 八戒は溜息をつくと、クローゼットに荷物を仕舞い備え付けのコーヒーメーカーのスウィッチを入れた。
 こぽこぽという音と共に、芳香が広く明るい室内に拡がる。
 コーヒーが落ち切るまで八戒はベッドに腰掛けていた。三蔵は新聞を顔に被せるように読み続け、陽光に柔らかそうに輝く髪がほんの僅か垣間見えるだけだった。が、急にばさりと新聞をテーブルに置く音がして、弾かれるように八戒は三蔵の方へ顔を向けた。
 三蔵はパッケージから一本飛び出したマルボロをくわえ、ライターの火を近付けた。深くひと息吸い込み、勢いよく煙を噴き上げると再び新聞を取り上げ、今度は新聞に顔を突っ込むようにして読み始める。
 八戒が天井を仰ぎ見た瞬間にコーヒーがビーカーに落ち切った。

「はい。熱いですよ」
 コーヒーカップが自分の前に置かれても、三蔵は動かない。
「…やれやれ」
 八戒は自分のカップを持って三蔵の真正面のソファに座った。そのままゆっくりとコーヒーを飲み出す。
 ばさり。かちり。
 新聞の捲られる音と、新しい煙草に火の着けられる音。
「…冷めますよ?」
 ばさり。
 三蔵のコーヒーは手を付けられることもなく冷めて行く。それを眺めながら八戒はゆっくり自分のカップに口を付ける。

 こと。
 空のカップをテーブルに置く音に、微かに三蔵の手許が揺れた。八戒は黙ったまま空のカップと、冷めたコーヒーの入ったカップをミニバーの側の小さな流しでゆすぐ。
「…やれやれ」
 そのまま部屋の片隅のビューローから椅子をひょいと持ち上げると、三蔵の座るソファの真横に盛大な音をさせながら置く。
「…っ、てめッ」
 新聞をテーブルに投げ付けて三蔵が怒鳴りつけようとした。
「はい」
 満面の笑み、だった。
「……」
「そんなに呆れた顔することもないじゃないですか。漸くこっちを向いて貰えて嬉しいんですよ。折角ですから、喜ばせついでに何に怒ってるのかも教えて頂けると尚嬉しいんですけど」
 顔を覗き込ませるように近付けた八戒は、閉口した三蔵にまたくすくすと笑い出す。
「コーヒーの冷めるくらいの時間で、あなたの怒りも冷めてくれることを願ってたんですけど…まだ駄目ですか?僕はあなたにそんなに酷いことをしてしまいましたか?…ねえ、教えて下さい」
 ソファよりも座面の高い椅子から、八戒は覆い被さるように三蔵に近付く。片手をソファの背に掛け、瞳を覗き込むように。
 一瞬八戒の瞳に釘付けになった三蔵が、顔を背けた。
「…言えよ」
「何を?」
 三蔵の肩に八戒の掌が移る。そっと力を込めて、三蔵の躯をソファの背に押し付ける。必死で背けたままの三蔵の表情は隠されているものの、金糸の髪の隙間から見える耳朶に血色が上っていた。
「何を言えばいいんです?」
 八戒は耳元で囁くと、そのまま薄い耳朶に接吻ける。
「っ…!?」
 慌てて振り向く三蔵の顎が素早く捉えられる。華奢な顎にかけられた指が、柔らかな皮膚の感触を楽しむように滑り掌全体で包み込む。
「ん…っ」
 八戒は造りの小さな顔を掌で挟み込むと、そのまま絹の手触りの髪の中に長い指を挿し込んだ。三蔵の跳ね上がる躯が触れ合う唇の熱に蕩け、すぐに甘い水を飲むように開かれる。

 吐息が漏れた。
「…人にモノ尋ねておいて口塞ぐとはな。おかしいんじゃねェのか?」
「ほら、カラダに聞くとかってよく言うじゃないですか」
「ぶっ殺されてえみたいだな」
「そんな風に目潤ませてる時に言っても、恐くないんですよね。素直に教えてくれますか?それとも…本当にカラダに聞いてみたいという気もして来ちゃいました」
 既にソファに横倒しになった三蔵は、呆れたような顔で八戒を見上げた。
「折角これだけ広い部屋に泊まれるのにか?アイツらはお前が休めるようにこっちの宿がいいってゴネてたんだろーが。オレは広々したベッドを前にしてソファで押し倒されるなんてことは御免だ」
「……って?ベッドでだったらおっけーってコトでしょうか?」
「…持ってき方次第ってことにしておいてやろうか?」
 三蔵が、生真面目な瞳で見上げた。
「今日は、そういうことにしてやろうか?」

 ホテルのチェックインで、八戒が4人分の名前を宿帳に記入した。支払いのサインをしようとした三蔵は、それに目を遣り気付く。 
 4人分の生年月日のうち、ひとつは今日の日付。先程の悟空、悟浄の不自然な騒動を思い出す。
 …何も好きこのんで南京虫で人を説得することはないだろう…
 いつもにこやかな人物の誕生日を、自分だけが忘れていたらしいという事実にも同時に気付き、振り返ると。
 笑いながらふざけ合う3人。
 笑いながら倒れ込み、ひっくり返ってもまだ笑い続ける。
 自分の薄情に苛立った。
 自分の薄情をさておき、他のふたりが覚えているならさりげなくでも言えばいいじゃないかと、更に苛立った。

「今日…って…?」
「…覚えてた訳でも思い出した訳でもなく、気付いただけだ」
「…それで?」
「『それで』?」
「ほら、普通言う言葉があるじゃないですか」
「言ってやってもいいが、そうなると大人しく押し倒されてやる理由が無くなるが?」
「えっ!?」
 心底慌てた顔の八戒に、三蔵は吹き出した。
「言うぞ。今言うぞ。なんならでかい声で言ってやろうか?」
「いいです!後でお願いします!!」
「今ならサービスで連発してやるが?」
「三蔵!!」
 ソファに転がったままで笑い続ける三蔵に、八戒の声がオクターブ上がる。

「三蔵!?たった今が安全だからって、そんな隙だらけで大笑いすることもないじゃないですか!こんな状態で!?これでも僕今日誕生日なんですよ!?後で絶対プレゼント頂きますからねっ!?」















 fin 







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◆ note ◆
9/21の八戒さんお誕生日記念です
cottonは仲良くするという意味です
…ちなみに裏cottonあり(笑)

八戒さん、お誕生日おめでとう