「兄ちゃん、替わりにアンタが着飾るしかねェ!!」

店長の目が据わっている

「以前にもカードが使えないでカネの替わりに衣装を置いて行った旅芸人とか色々いただよ
なんでもあるからとにかく、着飾るだ!」
「着飾るって…おい、どこに連れて行く気だ!
引っ張んな!」

既に三蔵の声は悲鳴に近かった……

A CHANPAGNE RHAPSODY 2−シャンパン狂想曲−



三蔵が拉致された先の部屋には衣装の詰まった行李が数多く並べてあった
正装、礼装、和洋中華なんでもアクセサリー付きで揃っている

「ああ、これが芸人さんの置いて行ったっていう…?ほらこの連珠のカンザシ…
目許、口許に紅でも差したら確かに映えるでしょうねえ」

感心した口調で八戒が三蔵の髪に当てながら鏡の方に向き直らせる
きらきらと左右に垂れ下がる連珠が三蔵の両頬に乱反射しては、豪奢な音を立てる
金糸の髪にいぶし銀のカンザシは重たげにからまり、翡翠紅玉がなまめかしさを醸し出す
そのまま金銀綾織、刺繍がたっぷりと施された豪華な衣装まで真剣に物色し始めた八戒の姿を見て、 三蔵は『孤立無援』という言葉を思い出した
いや、『四面楚歌』か?『前門の虎後門の狼』?『泣きっ面にハチ』『呉越同舟』は違うか…

  使えなかった俺のカード
  俺の癇癪で怪我させた料理人
  俺が言い出しっぺだった悟浄の隣り町行き
  俺がぶつかってひっかかった酒
  豪華な装束の似合ってしまう自分の女顔

  全て俺が悪いのか…?

「うっわー、三蔵、本当に似合うなあ!」

毒の舌が凍ったままの三蔵に、無邪気に悟空がとどめを刺した
無言で瞳孔が開き気味の三蔵に同情した八戒が、なんとかタキシードを探し出した
黒い細身のピークド・ラペルにカマーベルト
リボンの様に襟元で交差させるコンチネンタルタイは深いダークパープルで、黒真珠のタイピンとカフスがかなりシックだ
金糸の髪と紫玉の瞳を華やかに引き立てるだろう

「まあ、この辺りで勘弁して下さいね?
あんまりいじめるとこの人壊れちゃいますから」

店長に笑顔で釘を刺すと、素早くサイズ直しの為にピンを口にくわえながら三蔵の法衣をはぎとる

「濡れた服さっさと脱いでくださいね
いい加減染みになっちゃいますし、今風邪ひかれたら困るの分かりますね?」

この場合の「ひかれる」は敬語ではないようだった
三蔵が風邪をひくと、周りが困るんですよ、と言っている
俺の体の心配じゃない…
八戒までもが俺の味方じゃない

なされるがままに法衣を脱がされ頭をごしごし拭かれる三蔵をずっと眺めている者がいた

「このおにーちゃん、おねーちゃんなの?」

子供の声が和音で聞こえて来た
拭かれながらも振り向く三蔵の目に、泥んこ遊びの痕跡とかすり傷だらけのイタズラそうな顔が3つ飛び込んでくる
やっと一部復活した三蔵の言語中枢が反応する

「こ・の・ク・ソ・ガ・キ…!」
「なんだい!おにーちゃんじゃなくって、おじちゃんだーーーー!」

三蔵とは1歳違いの八戒まで硬直する
その傍らで500年生きたお猿の妖怪が可笑しげに笑っている

「あははー!三蔵のこと、おじちゃんだってー!」

オマエが一番の年上だろうがっ!





八戒は厨房の中を探索し尽くしていた
何がどこにあるのか理解していないと、恐らく戦場のような忙しさになるであろうことが解りきっていたので…
そうなるであろう元凶がすぐ傍らで腰掛けている
座りじわになるからとジャケットの前ボタンを外されて、憤懣やる方ないといった形相でマルボロをふかし続けている

「肩が薄い分、少し余りますねやっぱり」

逆撫で覚悟で話しかけてみる
三蔵はサイズ直しの際に散々肩や胸が薄いだの、腰が細いだの、裾を出さないといけないだの、八戒から言われ放題だったのだ

どうせジャケットやスーツの類いは厚みがある方が似合うんだろうよ

際立つ細腰で悩ましげな麗人が不貞腐れて紫煙を吹き上げる様子を、八戒は横目でちらりと見ていた

自分の容貌の美しさに全く執着がないことは知っていたけれど…
華奢さの自覚はあったんですねえ

八戒は自分の直したタキシードパンツの仕上り具合を満足しながら眺める
パンツの脇に走る側章が長いラインを強調している
白のメス・ジャケットも一緒に見つけたので、明日の為にそっちも直さなくては
深紅シルクモアレのサッシュベルトもあったし、赤いばらでもどこかで調達出来ればいいんですけど…

「あ、今思い出しました
さっきこれを差し入れてもらったんですよね」
「あ?」
「ほら、窓の外のお嬢さん方からですよ」
「………口が腐るぞ」

そう、いつの間にやら窓の外は鈴なりの人だかり
悟浄の連れ去った美女の替わりに三蔵が着飾る…そういう会話を交わした辺りから、既に村の中のでも情報の早い人物が 触れまわっていたらしい
村中の老若男女が一目ありがたい高僧の姿を見ようと集まってきているのだ
しかも美貌で着飾ってお給仕してくれるんですってー!とのウワサが単純に『極楽』という単語イメージを呼び起こしたらしい…
お数珠を持ったおばあちゃん方が食堂内での優先座席を要求しているとのことだった
イヤそうに八戒から受け取ったものは、清純の象徴、一輪の今にも開かんとする純白のばらの蕾
視線がつい窓を向く
…しまった
「きゃー」とも「おおっ」ともつかないどよめきが上がる

強いて無表情で立ちあがると、八戒がばらを受け取りピーク襟のボタン穴に挿す

「八戒………覚えてろよ」
「一生忘れられませんよ、こんな艶姿
姿勢正して!あ、これもね」

素早く襟元とタイを直すと、たっぷりとムースを手に取り三蔵の髪に馴染ませる
自然に一筋、二筋垂らす他は額を出す
1歩下がって全体姿を確認し、満足げに肯いた所で店長が厨房に入ってくる

「時間だア!出てくれ、三ちゃん!」

涙も出ない脱力感に頭が虚ろになる

「行ってらっしゃーーーい♪頑張ってくださいねー」

心なしか嬉しげな(いや、そう言えば八戒はこの騒動の間中嬉しそうな顔してやがったな、そう言えば…!?) 八戒の声に見送られドアを出て行く三蔵
閉まり際に振り返ると「××××!」恐らく彼が生まれて始めて口にしたのではないかという 4文字熟語を言い捨てて消えて行った

ぱたん

「望むところなんですけど…」

にっこり(でもきっぱり)笑顔で言うと八戒も深呼吸して調理台に向き直った
さあ、戦争だ



疲労の限界に、三蔵はあてがわれたベッドに倒れ込んだ

夕方の開店から立ちっぱなしの運びっぱなし
注文は途切れることなく続き、料理も酒もよく出た
中華料理大皿の重たさをしみじみと体感し、酒の注がれたグラスの不安定さに滅多にかかない冷や汗を 何度かいたことか…
「ご注文は?」という言葉をうんざりする程繰り返し、げんなりした表情を隠す為に ずっと無表情に徹したのだ
深夜まで客は途切れず、ラストオーダーを伝えるのがこんなに嬉しいものとは思いもしなかった

閉店と同時にバスルームに連行され、タキシードを引っぺがされたので座る間もなかった
ぐったりと熱い湯をただ浴びていると「ムースが残っちゃいます」などと八戒に無理矢理頭を洗われた
抵抗する間もあればこそで成されるがままにシャンプーまみれにされ、シャワーカーテンもプライベートも有ったものではない
スッキリしたところで空腹を訴えたが別の服のサイズ直しだとまた引き立てられる
鏡の前で、至る所をピンでとめ付けられていると間の抜けた声が聞こえてくる

「ふあ〜あ、よく寝た
ちび達と一緒に俺も寝ちゃったよ
なんかいい匂いする」
「あ、夜食作ったんですよ
たっぷり有るから一緒に食べましょうね」

鏡の中にヨダレの跡の残るばか猿の顔を認め、すかさずハリセンを炸裂させようと…

「今動いたら最初っからやり直しになりますからね」

八戒に笑顔で凄まれ、またもや抵抗出来ない自分がそこにいた

八戒が余り物で作った賄い料理は美味くて軽い物ばかりだった
店長はもみ手で奥から酒瓶を持ってくる

「いんやーーー、流石は三蔵法師様だンなーーーー!
うちの店は味自慢だけんど、これほど客が入ったのは始めてだア!
いや、ありがとう!ありがとう、三ちゃん!」
「その三ちゃんだけはヤメロ…」
「でもすごかったなあ!
おばあちゃん達、三蔵がお皿持ってくたびに『アリガタヤ、アリガタヤ』って拝むんだもんな!」
「あれ?悟空見てたんですか?」
「うん、ちび達が見たがってたからちょこちょこ覗いてた」

三蔵は白身魚の入った粥だけを口にすると、酒瓶とグラスをひったくって部屋に戻る
そしてベッドにひっくり返ったのだ
灰皿がないことに気付くがもう立ちあがる気力もない

そうか、「自堕落」というのは生きたかったり死にたかったりのエネルギーすら残らない人間が そうなることだったんだ
今まで高位の破戒僧としてどこの寺院でも腫れ物扱いだった自分が、 「堕落」とは縁遠いところにいたことに始めて気付く
灰皿どころか煙草まで手を伸ばすエネルギーもなくなっている自分の、なんと可愛らしいこと
平和な日常に潜む恐怖に精神を嬲られ通しだったこの数時間は、数年の経験に匹敵する打撃を 自分に与えたのだ
この生活が長く続いたら自堕落を通り越して自暴自棄になるのかも…
うつ伏せのまま酒をグラスに注ぐと一気にあおる
あおってそのまま、酒瓶を抱いて泥の様に眠りに沈んでいった




しばらくしてから入って来た八戒がそっと酒瓶とグラスを取り上げると、布団をかけてやったのだが、 勿論そんなことは三蔵の知ったことではなかった…




− 続く −


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