どんなにくだらないことでも、何一つ残さず覚えていよう。
 さっきの三蔵のため息だとか。たった今の怒った顔だとか。
「テメ、いい加減にしろ!降ろせ、ブッ殺す!!」
 喚く三蔵を笑いながら抱えて走る、その重みだとか。
「降ろさなーーーい♪」
 追いかけてくる足音も、なんだか楽しそうに聞こえて来てたことだとか。
 10年経っても、50年経っても、…100年経っても、忘れずにおこう。
 この日々を。
浴衣三ちゃん  湯煙旅情、純情派(笑) 
 砂漠のど真ん中に、突然開けた街…移民だけで構成されているという街は、その名も「リトル・アタミ」。なんとも奇跡の様な、豊富な温泉源泉があるとかで、街中に浴衣姿の観光客が溢れる、ほぼ異次元コスプレイな温泉街だった。
 三蔵一行は、その街へ食料の調達に立ち寄った。

「ねーさんぞー。温泉だってー。ほらァ、温泉饅頭も旨そうだって。見て見て、蒸籠から湯気噴いてるじゃんか!」
「こんなトコロで時間遣う訳にはいかねェんだよ!この呑気バカ猿がッ!?」
 スパーーーン!
 三蔵のハリセン、今日も絶好調である。
「でもケッコいー所じゃん」
「そうですねえ。ここを過ぎると暫く難所が続きますから…。ジープの躯を考えると、少し休憩が取れると望ましいんですけどねえ…」
 悟浄は行き交う浴衣美人たちの襟足などを眺めては、鼻の下を伸ばしている。食欲猿とエロ河童の言うことなどは、最初から聞く耳持たない三蔵だが、唯一の足であるジープを持ち出されると、多少の融通も必要かという気になるらしい。
「ジープ、疲れてるのか…?」
 三蔵は八戒に問うた。
 八戒は自分の肩に止まるジープに向かって、気遣うような、励ますような微妙な声を掛ける。
「いえ。ねェ、ジープ。…頑張れますよねえ?」
「きゅ、きゅる〜〜〜ん(大丈夫です!まだまだ……頑張れますとも……っ)」
 既に日光江戸村の猿回し&猿並みに通じ合うコンビは、手を取り合ってお星様(?)を眺めた。
「僕たちは、西へと向かう旅の途中なんです。この桃源郷を救う為には、今頑張らなくちゃいけないんです!さあ、ジープ!今日も西へ進みましょう!」
「きゅー!(西へ!)」
「判った。判ったよ。この街で休めばいいんだろ」
 街角で突然始まった寸劇に、三蔵一行の周囲には人垣が出来始めていた。
 ぐったりとウンザリがブレンドされた気分に支配されかけた時、三蔵の目に看板が飛び込んで来た。

 『リトル・アタミ名所  バナナワニ園』
(……バナナ?……ワニ?…………???どういう取り合わせなのか……?)

「よっしゃ!三蔵さまがその気になってくれたら、ソッコーで決定なのよねー」
「やたあっ!温泉饅頭!温泉饅頭!あ、あそこ、炭酸せんべいだって!ねー、あれ食おうぜー!」
「貴様ら、アホかーッ!?目立つなと何度言えば判るんだ!行くならあそこだーーーッ!」
 ハリセンの音も高く、悟浄と悟空を地に叩き付ける。三蔵の指さす先には、朽ちかけた木の看板がひっそりと立っていた。

『家族温泉 混浴露天風呂 「隠里」 ゆっくり ひっそり のんびり』

「……混浴はいーけど、家族専門なの?しかもあの寂れた看板……サルとか爺婆しかいねェんじゃ……?」
「先ず、そこでてめェの『温泉』に対する認識が判るな」
 三蔵が毎度お馴染みのS&Wを出した所で、悟浄が走り出した。
「先に行ってマーーース」
「チッ。小心者めが」

 銃を懐にしまい込む三蔵を見ながら、八戒と悟空は密かに微笑みを交わした。
 あんなに目立たない看板を、三蔵は一体いつ見つけたものか?  
ジープをダシにしてはいるものの、三蔵の躯の疲れ具合を気遣って温泉での休息を言い出した下僕組は、ただひたすら笑うのみだった。

「…てめェら…?にやにや笑ってねェで、サッサと歩け!」
「はいはい」
「わーい、温泉だー!」
 ひっそりと隠れた温泉に向かい歩き出しながら、三蔵はもう一度振り返った。

『バナナワニ園』
 ……東洋の神秘……?

   ◇   ◇   ◇


 三蔵達の入ったのは、小さな、家族用露天風呂のうちのひとつだった。
 4人だけでなく、ジープも湯に浸かり躯をほぐす。
 手足をゆっくりと伸ばして入浴する心地よさに、三蔵は深いため息をついた。軽く閉じた目蓋も頬も、ほんのりと上気している。
「ナニ、ジジむさくため息ついてんのよ。ホラ。こんなんもあるぜ」
 にやりと笑いながら悟浄が出したのは、湯に浮かべた盆にお銚子と杯が幾つか。
「悟浄、用意いいですねえ。じゃ、遠慮なく。……三蔵は要らないんですか?」
 にっこり微笑む八戒に杯を手渡され、三蔵は厭そうな顔をしながらも注がれるままに酒を呑む。
「……今日はジープの為の、特別休憩だからな。オレ達は観光客とは違うっての、判ってんだろーな?」
「いーじゃん。休める時には休んだ方がいいって!ほら、三蔵」
 悟空も八戒も、悟浄もが三蔵に酒を勧めた。
 普段疲れの取れないらしい三蔵を、ゆっくり休ませようというつもりの温泉休憩だった。

 しかし。

「…ふうーーーーーーーっ」
 三蔵の、紅を刷いたような上気した頬。酔いに伏せ目がちな瞳。杯に触れる唇は、紅く濡れて……
『激・色っぽい』
「そろそろ、のぼせた。先に上がる」
 見つめる3人に気付かず、三蔵は背を向けた。湯から上がるうなじに、金糸がいく筋か貼り付いている。続けて見える、しっとりと透明感の増した白い背中。引き締まった腰と、すんなりと伸びた脚。
「ぷしっ!」
 ジープが鼻血を噴いた。それを抱える八戒も、目を見合わせた悟浄、悟空も、鼻の下が微妙に伸びている。
「………」「………」「………」
 かたん。
 脱衣所の気配に、3人は一斉に振り向いた。曇り硝子の向こう側には、浴衣を纏ったらしい三蔵の細身のシルエットが見えた。
「……おおお、お先っ!」
「アッ!?ずるいぞ、三蔵にナニする気なんだよ!?このエロ河童!」
「二人はそこでゆっくり喧嘩しててくださいね。僕は先に行きますから」
「そおは行くかよ!」
 3人は湯から飛び出して脱衣所に走った。ジープを湯から引き上げただけで、僅かな理性を使い果たしたようだった。

「…なんだ、オマエ達ももう上がったのか?」
 脱衣所の扉を硝子が割れんばかりの勢いで開け放ち、前も隠さず押し合う野郎共の姿に、三蔵は不審げな表情を見せた。扇風機の風で涼みつつ、マッサージ椅子に腰掛けるしどけない三蔵を見た3人は、互いを押し合いへし合いしながら浴衣を身に付け出した。

「(悟空をこづきつつ)な、三蔵。風に当たりに行かねーか?」
「(悟浄に蹴りを入れ、八戒の帯を遠くに投げ捨て)…それよかさ!ね、三蔵、売店でコーヒー牛乳売ってるか、一緒に探しに行こうぜ?」
「(スライディングでキャッチした帯をそのまま悟浄の首に巻き付け、悟空の帯を奪い取り…)三蔵は、僕と一緒に街で情報収集するんですよ!」
「ンなもん、てめーひとりで行けばいいじゃんよ!?」
「頭脳派同志で今後の計画練り直しの必要もあるんですッ!」
「三蔵、風呂上がりに飲むコーヒー牛乳、好きだよなっ?」

 三蔵は、醜い争いを続ける下僕3人を茫然と眺めていた。全員、目の色が変わっている…
「てめェら、揃って湯当たりか?」
 三蔵は僅かに小首を傾げ、上体を起こした。マッサージ椅子に無防備に投げ出した脚が、浴衣の裾が割れてちらりと垣間見えた。
「もーーーーらい!」
 真っ先に着替え終わった悟空が、腰掛ける姿勢の三蔵を、そのままお姫様抱っこして駆け出した。
「!?貴様、ナニしやがる…!?」
 状況が理解出来ない三蔵は、暴れて悟空の顔を押しやる。仰け反った悟空の頸を、後ろから更に引っ張ったのは悟浄だった。抱える腕から浮き上がった三蔵を、無理矢理奪い取る。
「三蔵、ゲットだぜぇ!」
 なかなかなかなかなかなかなかなか大変だけど♪てな具合に三蔵をヒメ抱きして走る悟浄は、腕の中の宝物に向かって気分良く宣言した。
「ヒトを勝手にゲットすんな!!……離せ!降ろせ!!」
 三蔵が振り回す腕を掴み、八戒が悟浄の足をすくい上げた。倒れる悟浄、放り投げられ宙に浮く三蔵の躯…。八戒は腕を強く引いた。
「キャーッチ♪さあ、三蔵。僕にちょっと付き合ってくださいねー」
「ざけんな!どーいう…」
 3人の形相の変化に、身の危険を感じつつ三蔵が怒鳴りつけ、更に悟空と悟浄の叫びが続いた。
「八戒、卑怯!」
「待ちやがれ、この…!」
 街中に出た下僕3人は、それからも走りつつ三蔵争奪戦を繰り広げた。宝物を取り合う子供達のように、はしゃぎながら走り続けていた。
 のどかな温泉街には、三蔵の悲鳴に似た声が、響き続けていたという…。

   ◇   ◇   ◇


 やっと連中をまけた所で、三蔵を降ろした。
 三蔵は目が回ったのか腰が砕け気味で、腕を取って支えてやる。
「てめェ、なんのつもりだ……?こんだけ走り回ってたら、休息もクソもねェじゃねーか…」
 ぜいぜいと息を弾ませる三蔵が睨むように見たけれど、それすらも妙に可愛らしく見えて、その手を取った。
「この!ふざけんな、離しやがれ……」
 振り払われないように、ぎゅっと力を込めて握る手を引いて、三蔵を看板の前まで連れて行った。
「ここ。『バナナワニ園』。……オレが先刻、見てたからか?それでここまで連れて来たのか?」
 呆れて目を丸くする三蔵が可愛くて、また手の力を強くする。
「……さあ」
 行こう。一緒に。

 引かれるままに数歩進んだ三蔵が、吹き出した。
「なんだ?マジ観光客するつもりか?このオレと、オマエでか?……オマエらバカ過ぎ……」
 別に笑われたって構わない。
 ただ、三蔵と過ごせれば、それが大事な大事な時間になるから。
「くっくっく……。しょうがねェから『バナナワニ園』探索してやるか。おい、あとの連中のフォローは、てめェが自分でやんだな……くっくっく……。知んねーからな、オレは」

 機嫌の直った三蔵が嬉しくて。
 繋いだ手が嬉しくて。
 浴衣で笑う三蔵が、とても綺麗で。

 その日三蔵は、ワニにはアリゲーターとクロコダイルとガビアルの3科があることを知った。
 『バナナワニ園』の売店に売られていたクロコダイルのハンドバッグが、園で飼育していたワニ革で出来ていたのか、それとも単にワニ繋がりで売られていたのかという、新たな疑問を持った。
 三蔵争奪戦の勝者は、延々敗者のふたりに嫌みを言われ続けたという。

「きゅー………」
 え?ジープっすか?……無事だったんでしょうかねえ……?















 終わり 







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◆ note ◆
2001年に企画で出した本の再録です。 続編というか、ジープくん編はコチラ。
初売りから約一年。まだ同じジャンルで楽しく活動出来ていることが幸せです。
タイトル左のアイコンから挿し絵がリンクしてありますが、これは以前からgalleryの方にアップしてあるイラストと同じ物です。

今回再録に当たり、少々改稿致しました。