illustlation by ICHIU Ai on this page

 ふらりふらりとよろめきながら歩いていた三蔵だが、限界が近かったのだろう。とうとうその場に座り込んでしまった。
 片ひざを立てた体勢で、タバコを取り出すとそれに火をつける。紫煙が立ち上り霧の中へと吸い込まれていった。
 三蔵はただ何も見えない霧の先を見つめていた。何かを考えているわけではなかった。見えない霧の先に何かがあるだなんて思ってもいなかった。









 ちょうど吸い終わったタバコを地に押しつけたとき、タタタ、という何かがこちらに駆け寄ってくるような足音がした。
 三蔵は興味のなさそうな表情で視線だけをそちらに向けた。やがて人影がだんだんと大きくなってきて、
「三蔵!」
そう自分を呼ぶ声が聞こえた。確かに聞き覚えのある声だった。
「三蔵、無事だったんですね!?」
 そういって駆けつけてきたのは八戒だった。三蔵はどこかしら遠い目つきでその姿を見ている。
 八戒は三蔵の側に近づくといきなりその体を抱きしめた。
「・・・おい。」
「よかった、無事で本当によかった。」
 そういって強く抱きしめる腕はどこか優しく暖かであった。
「本当に無事に見えるか?」
「あはは、まあ生きてるんだから無事といっていいでしょう?立てますか?」
「・・・ああ。」
 八戒の手を借りて三蔵は何とか立ち上がる。
「本当に良かったですよ。・・・あなたが他の誰かに殺されてなくて。」
「!?」
 いきなり八戒の拳が三蔵のみぞおちに入る。
 ぐらり、と耐え切れずに倒れそうになる三蔵を八戒は優しく愛おし気な眼差しをして支えた。そしてその顔を三蔵の耳元に寄せ囁く。
「悟空と悟浄の所に行こうかとも思いましたがね。彼らもう死んじゃってますし。ああ、あなたが殺したのでしょう?」
 ギッと三蔵は八戒を睨み付ける。
「本当の事なんだからそんなに睨まないでくださいよ。」
 そういうと八戒は三蔵を地に組み伏せた。
「三蔵。彼らは本当に偽者だったと思っていたのですか?僕が偽者だと思っている?」
「じゃなきゃ何だ。」
 八戒は横に首を振る。
「この霧はね、人の迷いを増幅するのと同時に人の心を狂わす作用もあるみたいなんですよ。二人は、大切なあなたが苦しむのを見たくなくてああなった。そして僕は…あなたが他の誰かに触れられるくらいなら、あなたを誰かに奪われるくらいならこの手で…殺すことを望んだ。あなたは誰にも渡しませんよ。悟空にも、悟浄にも。」
 いつもの穏やかな表情で語られる言葉にはどこか常軌を逸したものがあった。だが何故か三蔵はその言葉に反発を覚えたりはしなかった。この霧が人を狂わすというのは本当かもしれない。何故なら自分もとっくに狂ってしまってるようだから。
 ふいに八戒は三蔵の胸元を抉るような傷に触れた。
「痛っ!」
「ああ、痛かったですか?」
 あたりまえだと、声には出さず目で言う。しかし八戒はそれを意に介しないかのようににたりと笑って顔を三蔵の胸に近づける。そして舌で傷をなめ上げた。
 痛みと同時に別の感覚が三蔵の背をよぎる。
「あれ?もしかして感じちゃいました?まあ痛みと快楽って紙一重的なものがありますしねぇ。ねえ三蔵、どうします?このまま快楽に悶えながら、逝(イ)きますか?」
 ぞっとするような笑みで八戒がいう。三蔵は依然睨みつけたままだが、その目にいつもの力強さは全くなかった。
「ああだめですよ、そんな目で見たら。誘われているとしか思えません。」
 そう言って八戒は愛撫を始める。傷を避けるようにして優しく。
「三蔵。あなたいらないいらない、っていいながら本当は欲しがってますよね。」
「バカ言うな。」
「そうですか?バカな事とは思えませんけどね。」
「はっ、や、め・・・。」
 三蔵が感じ始めた、と思われた途端八戒は脇腹の傷口に触れた。わざと。
「・・・ぐっ!」
「だから口では何とか言いながら、悟空も悟浄も切り捨てる事はできない。そして・・・僕に抱かれたりするんでしょう?」
 再び愛撫。それから暫くの間、その行為が交互に行われた。苦痛と快楽の波が交互に押し寄せて三蔵の思考を漂白していく。
 そして、八戒は言った。
「三蔵・・・。だからあなたは『失いつづける』んですよ。」
「・・・!?」
「あなたは表面上絶対に欲しがらない。口に出さない。でも何かを欲しがってる。それで何かを手に入れようというのもムシのいい話ですけどね。そして失う事を恐れてる。」
「・・・・・・。」
「自分の言ってることと思ってることのアンバランスさがあなたを苦しめる。そして結局何も出来ないまま失いつづけるんですよ。生きている間、永遠に。」
 常ならばその言葉をはねつけたかもしれない。そして今の三蔵はやはりいつもの三蔵ではなかったのかもしれない。黙ってその言葉を聞いてしまっていた。
「ねえ三蔵、教えてあげましょうか?あなたを苦しみから解放する術を。その手に持つ銃で僕を撃ち殺せばいいんです。簡単でしょう?そうすればあなたは全てから解放される。あなたは今ここで全てを失うんです。そしてもう二度と何も持たない、何も欲しがらなければいい。僕も悟空も悟浄もあなたのお師匠様も、三蔵の名も、命も・・・。」
 そう言って八戒はわざと三蔵の右腕の戒めを解いた。
 ゆっくりと三蔵の腕が持ち上がる。
 そうだ、撃ち殺してしまえばいい。自分の邪魔をする者は全て。さっきの朱泱や悟空、悟浄、そしてお師匠様のように。

 そうすれば全ての答えが出る?
 そうすれば何に捕らわれる事もなくなる?
 そうすればもう苦しむ事もなくなる・・・?



 パタリ、と三蔵の腕が落ちた。その手にはもう力は入っておらず、コトリと銃が手の平から滑り落ちる。
 三蔵の瞳は既に何も映し出していなかった。
 満足そうに八戒はその姿を見る。
「ああ、もう一つありました。全てを解決する術が。三蔵、あなた誰かのために死ぬのは嫌なのでしょう?でも自分の為に死ぬ事は許せるんですよね。なら・・・。」
 つ、と八戒は三蔵の腹から胸へとその指をなぞらせるように滑らせ、そしてその首にと指を絡めた。
「死ねばいいんです、自分の為に。何もかもから解放されるために。」
 指先に少し力が入っても三蔵は抵抗をしなかった。
「あなたが望むなら、僕がこの手でそのお手伝いをしてあげます。それが僕の望みでもあるのだから。」
 三蔵はまるで人形のようにピクリとも動かない。八戒はニヤリと笑うとその手に更に力を込めた。






 その時だった。
「それはちょっと違いますよ。」
「!?」
 その声と同時に八戒は肩を掴まれ後ろへと引っ張られる。
 三蔵の身体から完全に離されると八戒は誰かに後手にねじあげられた。
「・・・っつ!誰だ!?」
「誰だはないんじゃないですか。自分の事も分からないなんてねぇ?」
 ぎょっとして首だけ振り返らすとそこには確かに八戒が立っていた。
「お、お前は・・・。」
「そりゃ、三蔵に僕の腕の中でないて欲しいって願望はいつも持ってますけどねぇ。あなたとはちょっと違うみたいですね。」
 とんでもないことをさらっと言って八戒は少しだけ三蔵に視線を向けると再びねじり上げたものを見た。
「やっと捕まえましたよ。本体さんでしょ?随分と走り回らせていただきました。あ、僕猪八戒と言います。同じ格好なさってるから知ってますかね?」
 場違いな自己紹介をすると八戒はその腕に力を込めた。
「でもそろそろ変身解いていただけません?僕としては不愉快そのものですし。」
 ゴキリ、と関節が外れるような音がした。
「ぐあっ。」
 悲鳴をあげるとその姿が八戒から別のものに変わっていった。
「おやおや、人の秘密を覗くすっごい出刃亀な能力を持ってるわりにはかなり平凡な顔立ちなんですね。」
 穏やかな表情。しかしそれとは裏腹に最も恐ろしい視線で相手を見ている。
「・・・あなた、この手で三蔵に触れましたね?おいたが過ぎますよ。」
 八戒は関節が外れて妙な方向を向く腕に更に力を加えた。
 ボキリ、と今度は骨の折れる音がする。
「ぎゃああああっっ。」
「あ、痛かったですか?関節外しても神経はちゃんと繋がってるんですねぇ?」
 そうかそうかと頷きながら、絶叫をあげもだえる相手を八戒は放そうとはしない。
「まあ頭を狙う、というのは一般的に作戦の常套ではありますけどね。ほら、「将を射んとすれば」とも言うでしょう?」
 八戒はゼイゼイと喘ぐ相手に語り続ける。あくまでも穏やかに。
「あなた、間違えたんですよ。何がって三蔵をしとめるために僕たちへの攻撃に手を抜いてしまったということです。どうせなら僕らから先にやっとくべきでしたね。」
 そして静かに宣告した。
「あなたがやったことは万死に値します。己の罪をあの世で悔いてください。さようなら。」
 次の瞬間に八戒の腕が相手の胸を貫き、さらに返し際にその体内にて気を放った。
 敵は跡形もなく、霧散していった。


「三蔵っ!」
 八戒は処理を終えると慌てて三蔵の側に駆け寄ってその身体を抱き上げる。三蔵は薄く目を開いて八戒を見た。
「・・・どうせ、てめーも俺を殺しにきたんだろう?」
「そんな口きけるならまだ大丈夫ですよね?もう少しだけ我慢してください。」
 そういって八戒は三蔵の傷をふせぎにかかる。暖かい気の流れが身体の中に染み渡り、三蔵は再び目を閉じた。しばらくは二人とも無言であった。
 やがて全ての傷をふせぎ終えた時、やっと八戒が口を開いた。
「三蔵。どうして撃たなかったんです?まさか僕の姿をしてたから、なんて訳じゃないんでしょう?」
「んなわけあるか。」
「ならいい、とは言い難いですけどね。でもね、三蔵。やっぱり撃ってください。例えあれが本物でも。」
 三蔵は目を開くと八戒を睨みつけた。その視線を受け止め、続ける。
「以前にあなた自身が言ったでしょう?あなたを絞め殺すくらいなら僕は舌を噛んで死ぬだろうって。だから僕が死なない限りあなたも死にはしないんです。」
「なんだ、そりゃ。」
「なんだと言われてもそうなんですよ。貴方の死を望む僕は既に僕ではないんです。だからあなたは何の気兼ねもなく、撃ってください。」
「・・・・・・。」
 三蔵は返事をしなかった。その瞳はまだどこか霞掛かってみえる。八戒は一つため息をつくと更にこう言った。
「三蔵。何を言われたか、何を見てきたのか知りませんし聞く気もありませんけど、一つだけ訊ねたいことがあります。あなたは人間なんですよね?人間以外でも人間以上でもないんですよね?」
「・・・たりめーだ。」
「だったらいいんじゃないんですか。」
 そう言われて三蔵は目を見張る。そして八戒の言っていることに気付いた。人間であるのだから悩んで迷ってもがいて苦しんで、苦しんで。それが当たり前なのだ、と。そうやって「生きて」いくのが人間なんだと。「三蔵」の名は人間に冠されるものなのだと。


 三蔵は身じろぎするように体勢を動かすと八戒の胸にコツンとその額を当てた。八戒からはその表情は見えなかったが、僅かに笑っているようであった。
「バーカ。」
 そう言うと三蔵は気を失った。







 窓から差し込む陽の光とチチチとさえずる鳥の声に三蔵は目を開いた。瞳だけを動かして辺りを見回す。そこは夕べ眠りについた部屋だった。
 一瞬、全てが夢だったのかとも思ったが、体中に巻かれた包帯と痛みがそうではないということを知らせてくれる。
 三蔵は痛みの伴う身体を無理矢理起こし、窓の外を眺めた。
 霧はすっかり晴れていた。朝の陽の光が辺りを清々しく照らし出している。
 ふいに視線を横にやり、側に置いてあった銃を手に取るとまるでおもちゃでも扱うかのようにして弄ぶ。暫くしてカシャリとシリンダーを戻すと口の端で笑った。
 生き延びて、陽の光を浴びて考えを変えるなんざお笑いだな、と。
 でもそれでも。
 そうだ、俺は人間だ。
 どんなに罪を背負ってもどんなに苦しみをになっても足掻いてもがいて生きていくのだろう。死のその瞬間まで。
 「三蔵」は神にならなきゃいけないなんていうのなら笑い飛ばしてやる。
 自分は人として生き、そして死んでいくのだから。

 三蔵は手の中の銃を見つめながら呟いた。
「そうだな、何度だって撃ち殺してやるよ―――。」


「あー、三蔵目覚めたんだ!起き上がっていいの?」
「さすが人間離れしたボーズだねぇ。」
 ガチャリと扉が開き、入ってきた悟空と悟浄を振り返った三蔵の目はすでに半眼開きになっていた。殺意のオーラが部屋に充満する。
「てめーらの気持ちはよーく分かった。」
 ひっくーい声が三蔵の口からもれ出る。すでに手の中の銃はいつでもOKな状態であった。
「さ、三蔵?」
「お、おいおい。俺たちが何したってんだ・・・。」
「るせー!!半分はてめーらのせいでこんなケガ負ったんだっ!死んで詫びろ!!!」
「「うわわーっ!!?」」
 銃声と悲鳴とドタドタと逃げ回る足音が建物中に響き渡る。
「・・・まったく仕方のない人たちですねぇ。」
 朝食を抱えた八戒が戸口の外で苦笑しながらその光景を見ていた。
 そして視線を窓の外へと向ける。


 霧は完全に晴れたから、また走り出していけるだろう―――。

霧の夜 完

≪←BACK≫

 

□□ 後書き □□

 『よしきかおり様よりイラストを頂いたお礼のリク小説。
「痛い目見る三蔵。」「苦境から立ち上がるときの三蔵様、アア、格好いいわステキよステキv」
 ・・・ごめんなさい!!なんかすべってるような気がします。いや確かに痛い目はみてると思うんだけど(笑)。かっこいいっていうかヤツあたってるよ三ちゃんってばさ。これではエ○ァンゲリ○ンのシ○ジくん状態。逃げちゃいかんです(爆)。
 書いては書き直し、Gファン読んでは書き直しで、自分でも収拾がつかなくなったところがあるんで、わけわからん代物になってるかもしれません。うぎゅー、申し訳ないです。ダッシュ逃走(←逃げてるよ) 。』by いちうさん




よしきのイラストと取り替えっこで、いちうあいさんからこんなに格好いい三蔵様小説を頂きました。そう、リク内容はいちうさんが上に書いてある通り(笑)。理想の三蔵です。更に、このページの三蔵イラストまでもふんだくりました!(010510)

 

 

《HOME》 《NOVELS TOP》 《BOX SEATS》 《SERIES STORIES》 《83 PROJECT》