霧の夜

 

presented by いちうあい様  
illustlation by YOSHIKI Kaori on this page      

 

 ハアハアと荒い息をつきながら三蔵は歩いて行く。
 体中の至るところから血を流しながら、深い霧の中を。


 どこに行くのか、何を求めているのか。
 もはや三蔵自身にもわかってはいなかった。









 三蔵一行が予定の村に着いたのはちょうど日暮れ前だった。
 暖かい食事と柔らかいベッド。それらを期待していたのに、辿り着いたそこは明かりの一つも灯らぬ廃村となっていた。
「わっちゃ〜、ついてねぇな。」
「な〜、メシはぁ?」
「メシメシうるさいんだよ、バカ猿っ!」
「なんだよっ、エロ河童だって女がいないってがっかりしてるくせにっ!」
「んだと、お子様が意味も分かんねぇくせに言ってんじゃねーよ。」
「まあまあ、こんなところで騒いでも食事も女性も出てきやしませんよ。」
 八戒が毎度恒例のケンカをおっぱじめた二人の間に入りこんでそれを止める。それから彼は三蔵の方を見た。
「三蔵、どうしますか?」
「どうするもこうするもこの霧じゃ先には進めんだろうが。」
 そうなのだ。この村に着いてから次第に霧が濃くなっている。日も落ちかけた今ではこの中を運転していくのは危険極まりない行為だった。
「そうですね。どこか適当な家をお借りして…。缶詰みたいなのが残っているとありがたいんですけどね。」
「ま、雨風防げるだけマシって考えた方がいいやな。」
 そう言いながら四人は村の中を探索して回った。

 幸いなことに賞味期限の切れていない缶詰と宿屋風の建物を見つけた。井戸もちゃんと使えるようだ。見たかんじではこの村がこのような状態になってそう月日が流れていないようであった。やはり桃源郷の異変による被害を受けてしまったのだろうか。
 考え込んでいても仕方ないのでとりあえずの食事をするともう寝る事になった。悟浄もおとなしく横になったようである。
 そして四人は深い深い眠りについた。更に濃くなる霧、そして部屋の中にまで入りこんで全てを覆い隠してしまったそれにも気付かずに。






 三蔵が目を覚ました時、どこかに立っていた。
 どこかに、というのはあまりにも霧が濃すぎて、自分の周り意外何も見えていなかったからだ。
 自分は確か寝ていたはずだ。何故こんな所に立っているのか納得がいかない。この霧も怪しすぎる。
「ったく。」
 一言、忌々しそうに呟くと三蔵は歩き出した。ただ自分の勘にまかせて。

 しばらく歩くと、少しだけ視界が開けた。開けたといっても半径3mくらいであろうか。三蔵はぴたりと立ち止まる。ぼやけた視界の先に誰かが立っていることに気付いたから。だんだんとその姿がはっきりとしてきた時、三蔵はわずかに目を細めた。
「久しぶりだ、江流。」
 そういって三蔵の目の前に立ったのは、朱泱であった。それとも、六道と呼ぶべきなのだろうか。
「ち、おためごかししやがる。」
 すぐさま三蔵は銃を構えて発砲する。しかし弾が当る前に朱泱の姿は掻き消え辺りを伺う三蔵の背後に再び現れた。
「また、俺を殺す気か?」
「・・・そうだ。お前は既に死んでるんだ。」
「そうだな。お前が俺を殺した。」
 すかさず振り返って発砲。しかしまた朱泱の姿は掻き消える。
「どうした、江流?何か気に障る事でも言ったか?」
 三蔵は舌打ちをして銃を構えたまま気配を探る。今度はすぐには姿をあらわさなかった。声だけが響いてくる。
「人を殺して生きる者は同時に人に殺される事を覚悟しなければならない。それ「因果応報」という。お前はそれを知っているか?」
「何、知れた事を。」
「本当か?本当に知っているのか?ならば・・・。」
 ふいに三蔵の目の前に姿を現す。その手には錫杖。
「ここだったか?」
 三蔵の腹部めがけてそれが振るわれる。
「・・・!」
 辛うじて避け、前回のような危機的な状況は逃れる。しかし完全に避けきれたわけではなく、三蔵の脇腹からは鮮血がふき出していた。
「ならばお前は俺に殺される事を覚悟していたか?」
 朱泱が薄ら笑いを浮べながら三蔵の目の前に立った。
「覚悟していたわけ、ないよなぁ。お前は結局生にしがみついてるから。俺を殺す事は考えていても自分が殺される事を考えちゃいなかった。偉そうな説法はするが、その言葉を一番理解してなかったのはお前自身じゃなかったのか?」
 脇腹を押さえつつも三蔵は朱泱に照準を合わせ引き金を引いた。
 今度は、避けなかった。
 眉間を打ち抜かれた朱泱が仰向けに倒れる。ゆっくりとスローモーションのように。

 辺りに彼の声がこだました。
『お前は、俺を殺しつづけるんだよ。』
 何度も、何度も。この先生きている限りずっと。
 それがお前の罪。それがお前の・・・。

 朱泱の死体を霧が隠していく。
 しばらく立ち尽くしたままだった三蔵は踵を返して歩き出した。
 二度と後ろを振り返ることはせずに。






 歩き出してどのくらいたったろうか。脇腹から流れ出る血は固まって止まっていたが、傷口が塞がっているわけじゃない。少し衝撃を与えればすぐにまた新しい血がふき出してくることだろう。
 八戒たちはどこ行きやがったんだ。
 苛立たしげにそう思うと、一旦立ち止まりタバコに火をつける。半分も吸わないうちに騒々しい声が聞こえてきた。
「あー、三蔵!そんなとこいたんだ。」
「なーんか、どえらい格好なさってるねぇ。」
 悟空と悟浄が近寄ってくる。このバカ共が、と言ってはたいてやろうとハリセンが手に握られたが、ふと何かしら違和感を感じた。
「ちゃっかり、生きてやがった。」
「それじゃ・・・。」
 急に悟空が如意棒を繰り出す。
「がっ!?」
 それは傷ついた脇腹を直撃し、再び赤い血をふき出させた。
「なっ・・・!」
 なにしやがる、と怒鳴ろうとして語を止める。冷ややかな目つきが自分をみている事に気付いたから。
「お前、結構しぶといから完全に息の根止めてやらねえとな。」
 悟浄が言う。その目は本気であった。
「バカいえ。なんでてめえらに殺されてやらなきゃならん?」
「あれ?マジでそう言う?ホントにお前、誰からも恨みかってないなんて言える訳?」
 三蔵は苦しげな表情を浮べていたが、それでも強い眼光で睨み返す。
「好き勝手な事言って、好き勝手な事して、それでも俺はカリスマだから何やっても許される、なんて思ってるわけ?おめでたい性格だぜ。」
「今更、何が言いたい?」
 悟浄は肩を竦めるようにして続けた。
「ま、それは冗談にしてやってもいいけどよ。実は俺、三蔵様にお悩み相談したいんだわ。」
「河童に悩みなんぞあるのか?」
「実はあるのよ。・・・俺どうしても欲しいものがあるんだ。欲しくて欲しくて仕方ないもの。どうしたらそれを手に入れられるのかなぁ。」
「そんなこと俺が知るか。」
「つれないねぇ。どうしたらそれを永遠に失わずにすむのかずっと悩んでんだけど。」
「は、馬鹿馬鹿しい。形あるもの、生あるものはいつか必ず失われる。永遠なんぞありはしない。望むだけ無駄なんだよ。」
「・・・やっぱ、そうか。それじゃ・・・。」
 ふいに悟浄が錫杖をふるう。鎖が延び、その先にある刃が三蔵の左腕を掠めていった。
「っ!てめ・・・!」
「それがなけりゃ楽なんだよな。目の前にあるから欲する。そして失いたくなくなる。じゃあそれがなくなっちまえば少しは楽になれるのかな。なぁ、悟空?」
 そういって悟浄は悟空を振り返る。三蔵もそれにつられるようにして悟空を見たが、彼も悟浄と似たり寄ったりの目をしていた。
「三蔵さ。いらないんだろ?」
「!?」
「守るべきもの、大切に思うものなんて欲しくないって思ってんだろ?俺も悟浄も八戒も、大切に思うくらいならいらないって思ってんだろ?」
「何言ってやがる、猿。人語喋れ。」
「ずりいよ、三蔵。俺、三蔵のこと守りたいのに、大切に思ってるのに。絶対それ受け入れてくれないんだろ?」
 悟空は如意棒を少し構えなおした。
「受け入れたら、いつか自分が苦しむから、だからいつでも逃げられるように予防線はってんだろ?」
 ガウン!
 三蔵は悟空に向かって発砲した。悟空はそれをかわすと恐るべき早さで三蔵の目前に近付く。
「三蔵、もう苦しむのはやめてよ。ずっと俺のそばにいてよ。すぐに三蔵楽にしてやるからさ。もう何も考えないでいいようにしてやるからさ。」
 振るわれた如意棒を三蔵はギリギリのところでかわす。しかしその合間に襲い掛かってきた刃を避けることができず左足を切り裂かれ、そして悟空の蹴りによって吹き飛ばされた。
 地に叩きつけられるように倒れ伏した三蔵だがすぐに起き上がろうとする。しかし悟浄の錫杖の切っ先がすぐにその首元に押し付けられた。
「あんまり無駄な抵抗しない方がいいと思うぜ。よけーな苦しみ増やすだけだ。それとも何?死ぬ事が恐くて必死で逃げ回ってる?」
「・・・ざけんな。」
「なら結構。何かに縛り付けられまくってるあんたを見てるのはこっちが忍びないのよ。なあ三蔵。死んでも思いだけは永遠に残るってあるのかな?」
 三蔵の唇が動く。しかしそれが音になることはなかった。

 ふいに三蔵は地を這うような蹴りを繰り出し、悟浄の足を薙ぎ払う。
「!?」
 悟浄はとっさのことでバランスを崩す。
 そして三蔵は彼の眉間を打ち抜いた。
「さぁんぞぉっ!」
 それを見た悟空が飛び掛ってくる。三蔵はその攻撃を避けることはしなかった。振り下ろされたそれを左肩に受けると三蔵はすかさず腕をあげ悟空の頭に銃を当てた。
 
 乾いた音が辺りに響きわたった。




 しばらく三蔵は片膝をついたままうずくまっていた。傷口を押さえるようにして俯いたまま。しかし果して痛いのは身体だったのだろうか。
 やがてゆっくりと立ち上がる。悟空と悟浄の姿はすでに霧が覆い隠していた。
 朱泱のこともある。彼らもニセモノであったのかもしれない。
 でも、それでも。偽者であれ本物であれ、殺されてやるつもりなどなかった。
 いや・・・。
 或いは死を恐れていたのだろうか。悟浄が、そして朱泱が言ったように。

 立ち上がったはいいが、貧血のためだろうか。思わずふらつく。慌てて踏みしめようとした三蔵の足元に地面がなかった。どうやらそこは坂のようになっていたらしい。バランスを崩した三蔵はゴロゴロと転げ落ちていく。
 三蔵はしばらくの間うつ伏せに倒れこんだまま身動きをしなかった。やがて手を突いてゆっくりと身体を持ち上げ、そして立ち上がった。
 再び彼は歩き出した。







 深い霧の中をさまよう三蔵の耳に誰かの声が聞こえた。

――― お前には何の力もない、誰を救うことも出来ない、誰を守ることもできない ―――

「うるせえな、そんなこた言われなくてもわかってるよ。」
 そう、誰よりもそれを知っているのは自分だ。
 偽りの強さを振りかざし、結局は自分を守ることで手一杯だ。
 ・・・いや、もしかしたらそれすらも出来ていないのかもしれない。
 では、絶対的な強さとはなんなのだろう?それを手にいれさえすればもう二度と苦しまずにすむのだろうか?もう何も失わずにすむのだろうか?


 不意に足を止める。
「ち、またかよ。」
 深い霧の向こうに人影が現れた。
 今度は一体何だ、そう思いながら三蔵はその場を動かなかった。自分が動かずとも向こうからやってくることが分かっていたから。
 そう、分かっていたのに。
「江流・・・。」
 そう呼ばれてピクリと反応してしまった。霧が少し晴れて向こうにいる人物の姿を鮮明にさせる。
 そこには光明三蔵が立っていた。
「久しぶりですね、江流。」
 生前、いつもしていた穏やかな笑顔。そう生きていた頃に。だからここに師がいるわけがなかった。あの方は・・・。
「そうですね。私はあなたを庇って死にました。」
 そう言われて三蔵は相手を睨む。しかしいつもの強い眼光はどこか影を潜めていた。
「江流。」
 そう言って光明三蔵は足を前に踏み出す。理由もなく三蔵は体を退いてしまっていた。それを見た光明は歩を止め悲しそうに三蔵を見つめる。
「江流。この霧が幻影を生み出している、と本当にそう思っていますか?」
「何を…。」
「この霧は人の負の心を強く反映します。そう、この霧によって生み出されたのはあなたの不安、恐れ、迷い…。」
「……。」
「しかしそれらは決して幻ではありません。時に人は自分で自分を傷つけていく。あなたの想いが今現実にあなたを傷つけているのです。」
 そう言って光明は静かに目を閉じた。
「江流。あなたはいまだ私に捕らわれているのですね。」
「!!」
 悲しげな瞳が三蔵を見つめている。例えばこの霧が本当に自分の心を映し出しているというのなら、これは半分が嘘で、半分が本当…。
「いつか教えたことがありましたよね。「無一物」の教えを。」
 いつの間にか光明は三蔵の側に近づいてきていた。
「江流、私を殺しなさい。」
「!?」
「あなたが私に縛られ続けることを私は望みません。その銃で撃ち殺しなさい。」
 穏やかなる表情。その表情で繰り出される言葉は残酷であった。
「迷うのなら、私を殺しなさい。」
 繰り返しそう言われて三蔵の銃を持つ腕がゆっくりとあがった。光明三蔵に向けて照準が合わされる。しかし、引き金に掛かる指になかなか力が入らなかった。
「出来ませんか?ああ、ならばこうしましょう。」
 光明は銃を構えたままの三蔵の前に立つと、三蔵の背後を指差す。
「こうしましょう、江流。成長したあなたが私を守ってください。あの時の状況であの時でないあなたが。」
 言われて三蔵は背後を振り返る。
 そこには、もう一人の光明三蔵が立っていた。しかし、彼の腕はまるで刃のように変形しており、そしてその顔には残虐な笑みが浮かべられている。あの時師を殺した妖怪と同じように。そしてその腕を振り上げ、いつの間にか三蔵の前に立っていた光明に振り下ろされた。

 幻だとわかっているはずなのに。例え自分の心が生み出したものであってもそれが本物でないとわかっていたはずなのに。

 

 気づいた時、襲い掛かってきた光明は眉間を打ちぬかれて倒れていた。そして三蔵の胸には抉られたような傷跡。血がとめどなく溢れてきている。
 三蔵の背後にいるはずの光明も…その場に倒れていた。あの時と同じ。腕を切り取られ、血溜りに身を沈めて。
 三蔵はちらりとその姿を見た後あらぬ方を見やった。
 何をやっているのやら、と思う。これが敵襲であるならいいように操られている。きっとどこかで誰かがほくそえんでいるのだろう。
 腹が立つ。腹は立つがその八割がたは自分に向けられたものだった。
「くっ、くく…。」
 急に三蔵は笑い出した。声もなく笑い続ける。
 そうだ、結局自分は何も変わらない。結局あの方を助けてやることなど絶対にできやしないのだ。未来永劫。
 それが己の罪。それが己の業。それが己の…罰。
 笑いを収めるとふらりと立ち上がり、足を引きずりながら歩き出した。

 何を求めているのかなんてもはや三蔵自身にも分かっていなかった。

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