陽炎 - KAGEROH 1 - 



 最後の敵が、流血の痕を引きずりながら三蔵に向かって這い進んだ。血の流れ込んだその瞳は、獣性を映し出す。
「このままは、行かさぬぞ!玄奘三蔵!我らが紅孩児様の為には…お前は…っ!」
 S&Wが火を噴き、内蔵とどす黒い喀血が飛び散った。
「ぐはっ!ぐっ、ぐははははあ!」
 敵は突然三蔵の目の前に立ち上がると、両手を大きく広げ笑った。連続で銃弾が叩き込まれる。噴水のように血がまき散らされ、音を立てて地面に落ちる。悟浄の錫杖が銀の閃きを残して、首を吹き飛ばした。
 敵の血液の染み込む大地から、突然光がわき上がった。
 吹き出し滴った血液は、地面の上に拗くれた文様を浮かび上がらせる。ぐるりと、三蔵の周囲に沿って。その文様から光が溢れている。
「三蔵!」
「三蔵!!」
 すぐ傍にいた八戒も悟浄も三蔵に寄ろうとするが、光の壁に押し返されて近寄れない。
「ぐははははあ!我らが同胞の血で描いた呪縛だ!俺の血で最後の呪が完成されたのだ!くっくっく、封神の禁呪さあ!聖別されし者のみを捉える、禁断の汚呪さあぁぁぁぁ!」
 悟浄の落とした首が、憎悪に燃えた瞳で笑い続ける。そのまま首だけでカッと天を見上げた。
「紅孩児様!我らが同胞の命ごと、三蔵法師をお受け取りくださ…」
 最後まで言う前に、悟浄がその首をまっぷたつに叩き割った。

「三蔵!三蔵!!」
 悟空が走り寄ってくる。
「悟空、駄目です。弾かれます」
 光は妖怪が死んでも、弱まるどころか却って光量を増したようだった。大地から天に向かってまっすぐに立ち上る光。その中心では、三蔵が戒められたかのように動けずにいる。光と共に、三蔵の金糸の髪と純白の法衣があおられ、その表情は一瞬の驚愕を留めたままでいる。
 光の檻の中、額のチャクラが怪しいまでに紅い光を発していた。
 八戒が気孔を壁の一点に集中させるが、まるで鏡の様に反射される。悟空の如意棒の渾身の一撃も効果がない。悟空は三蔵の名を叫びながら、光の檻に両手を叩き付ける。
「三蔵ーーーーッ!」
 ブン……!
 光の檻が振動した。
「悟空っ!今…動きました!僕たちじゃ駄目でも…、悟空ならこの壁を越えられるのかもしれない!」

 斉天大聖 孫悟空
 人でも、妖怪でもなく、ましてや神でもない存在。大地以外の何ものにも属さない存在。三蔵だけを、自分の存在理由の要として依っている者…。

「俺なら…出来るかもしれねえんだな!?三蔵、助けられるかもしれねえんだなっ!?」
 瞳に強い金の光が満ちる。壁の向こう、光の檻に囚われた人を、一心に見つめる。
「うおおおおおおお!」
 悟空の両手は、目の前の人を求めるように前に突き出され、壁に押しつけられた。
 光の壁が震え、大地にまでその振動が伝わり、ひび割れる。呪縛の結界と悟空の周囲の地面がめくり上がり、振動と共に浮き上がる。
「うおおおおおおおぉっ!」
 悟空の躯の周りに帯電したかの様な光が走った。
 ずぶり
 光の壁に悟空の腕が押し込まれる。強烈な抵抗感に、悟空の爪が割れ皮膚が裂けた。
「うおおおおお、さんぞおおおおおおっ!」
 自らの血の跳ね返った顔で、呪縛された人だけを見つめ続ける。腕が壁の奥まで入り、躯までもをめりこませる。
 圧倒的な光量の中で、傷ついた悟空の腕が空をかく。懸命に伸ばされた腕が、三蔵を求めて空をかく。既に躯全体を檻に押し込んだ悟空は、光に目が眩み切っていた。何も見えぬままで、三蔵のどこか一片だけでも手に触れぬものかとあがいていた。
「三蔵!どこだよぉ!」
 痛みを感じる程に目を眩ませながら、無理矢理に焦点を合わせようとする。まばゆさの中に、紅い紅いチャクラの光だけが浮かび上がった。
「三蔵!!!」
 伸ばされた腕が、三蔵の拳銃を持った左手を捉えた。そのまま渾身の力を込めて引き寄せる。
「悟空っ!」
「やりましたか!?」
 悟空の周囲にまで雷の様に光が走っているが、八戒と悟浄は見守るだけで手が出せない。光の壁の向こう側で、悟空が三蔵の躯を抱え込むのが見えた。

「三蔵!三蔵!」
「…う……!」
 三蔵も悟空も、光の圧力に苦痛の表情を浮かべる。
「…禁断…呪…、精神がとらわ…て、抜け…出…ねェ……!」
「三蔵!?」
「…精神…封、いん…して、みる…クソ!いちか…ばち、か、だ…!」
 三蔵は、光の中で印を結び真言を唱えだした。
「…オン アビラ ウンケン、オン アビラ ウンケン、オン アビラ ウンケン………オン、オー…ム!」
「三蔵ー!」
 光の檻の中、更に強烈な輝きが三蔵から迸った。それは徐々に頭部に集中して行き、額のチャクラだけがまばゆく輝きを放つようになる。そして、光の収束と共に…チャクラが消滅した。
「ああっ!?」
 チャクラの消えた三蔵に、八戒と悟浄が驚愕の声を上げた瞬間、光の禁呪は中にいたふたりを弾き飛ばした。吹き飛ばした。

 八戒と悟浄は見た。
 三蔵が光の壁を透過する刹那に、乖離した光を。三蔵の姿をした光を。封神の呪縛から弾かれる三蔵の肉体から離れた、三蔵の精神が形作ったものを。
「三蔵!悟空!」
 悟浄が倒れたままのふたりに駆け寄る。悟空が傷だらけでいるのに対し、三蔵は投げ出された衝撃しか受けていない様だった。それも悟空に抱え込まれていたせいで、かすり傷程度しか負っていない。
 躯を揺する悟浄に起こされ、悟空は頭を振るいながら起きあがる。
「…痛ゥ…!三蔵は…無事かよ?」
「ああ。ロクに怪我もしてねェみたいだぜ。ったく、このクソ坊主は手間ァかけやがって…」
「…悟空」
 妙に虚ろな八戒の声に、悟空は気付く。
「三蔵の意識、戻らないかもしれません。悟浄も見ましたよね、アレが三蔵から離れた瞬間を」
 八戒が見つめる先には、光で出来た檻。禁断の汚呪。「封神の呪縛」。
「聖別された者のみを捉える、封印の呪縛。三蔵の肉体だけが、弾き飛ばされたとしたら…」
「さ、三蔵は、精神を封印するって言ってた!封印した精神が、あそこに残っちまってるって言うのかよ!?」

 3人の視線の先、光の檻の中には、空に浮かび上がった三蔵が見えた。胎児のように膝を抱え込み、堅く瞳を閉じた三蔵。光の圧力に、法衣と髪が嬲られるように翻っている。その額には、金糸を透かして明々とチャクラが輝きを見せる。
 三人の間に横たわる三蔵の肉体。その額はしみひとつなく白い。
 八戒がその額に掌を載せ、前髪を後ろに撫でつけた。すると、青みを帯びたまま閉じられていた目蓋が、僅かに震える。
「三蔵!?意識があるんですか!?僕たちが判りますか!?」
「おい、三蔵!」
「三蔵ッ!!」
 悟空の悲痛な声が響き渡るが、半分開いた瞳はいつもと同じ色を湛えているのに、全く別人のものの様だった。意志の存在を感じさせない、人形の瞳の様だった。
 悟空は封神の呪縛から離れなかった。
 ずっと光の中で空に浮かぶ三蔵を見ている。八戒は、その様子を痛々しく見ながら、怪我の手当をした。割れた爪先や裂けた傷に気を巡らせる。包帯だらけになってしまったその腕を丁寧に触診し、気孔を送り込む。怪我の痛みはそれで和らぐ筈だった。
 だが、たったひとりを見つめる子犬の様な目を見る限り、悟空の心の傷は血を流し続けているようだ。時折、傍らに座る精神の飛んでしまった三蔵を、信じられないものを見る目で眺める。

「おい、八戒。どうするよ」
「三蔵は、魔天経文ごと呪縛されて敵の手に落ちることだけは、避けたんです。この禁断の汚呪を施したのはさっきの妖怪であっても、いずれは紅孩児達がここへ現れる筈です。奴らならば、この封印を解く鍵を持っている筈です。それを狙うしかないでしょう」
「待つしかねえのかよ。ったくゥ!…でよ。これはどーすんだよ、コレは?経文とコレ!」
 悟浄が思いっきり指さす方向には、茫然と座る三蔵がいた。
「自分の身を守れない三蔵、ですか……。どこかにこの人を隠せる場所があればいいんですけど…難しいでしょうね。経文は僕たちの誰かが預かるしかないでしょう。この三蔵も、呪縛された三蔵の精神も、経文も、どれを取られても僕たちはアウトですからね。」
 悟浄と八戒のふたりの前で、三蔵は虚空を見つめていた。風がそよぎ、木々の揺れに光がちらついた。そのちらつきが三蔵の顔に当たり、僅かに目をすがめる。
「…おい!三蔵!?」
 悟浄が慌てふためく前で、三蔵はゆるゆると立ち上がり、歩き出した。遮るものなく光の当たる所まで歩き、そのまま、空を仰ぎ見る。
「全く意識が無い訳では…ないんですね…」
 青く透き通った空と、若木の緑を無心に眺めている。太陽の光に晒された金糸が風に揺れ、法衣と共に三蔵の躯ごと揺らぐ。即座にその腕を掴んだ八戒は、三蔵の目が落ちる若葉を捉え、それと共に躯が揺らいだことに気付いた。
「これでは、赤子だ。何も判らぬままの赤子だ」
「なあ、それって。人形よりもタチ悪いんじゃねえの?」
「ある意味そうでしょうね」
 言いながら八戒は、三蔵の肩から魔天経文を外し畳み込んだ。
「経文が目的にせよ、どうしても三蔵の命は狙われるでしょうからね。その辺の民家に預けるには危険過ぎますし、かと言って、洞穴かどこかに隠しておいても、自分からふらふらと出歩きかねないとは…」
「いっそ、どっかに縛り付けちまうとか?」
 ため息を付きながら八戒が応える。
「それ、冗談ごとでなく、必要になるかもしれませんね。後で烈火のごとく怒る三蔵が、目に見えるようですけど」
「烈火だろうなあ…」
「ええ、烈火でしょうねえ…」
 ふたりは、意識的に「三蔵の意志が戻る」ことを前提に会話していた。呪縛の光の前から離れない悟空の気を、僅かでも和らげようとしてのことだった。
 その悟空が、空で膝を抱える三蔵を見上げたままで言った。
「俺、ここから離れないから」
「悟空」
「絶対ェ、ここから離れないから。三蔵守んなきゃだし、紅孩児が来たら俺が絶対倒す。…捕まえたと思ったんだ。俺、ちゃんと助け出せたと思ったんだ!!今度は失敗しないで、三蔵を助けるんだ!」
 悟浄が、一瞬だけ痛々しそうに悟空を見たが、急に明るい声を出す。
「ぶわああああか。ナニひとりで気張ってんだか。おサルが深刻な顔してんじゃねーよ。それよか、今のうちに普段のウラミ晴らすって考えもアリよ。ハリセン探し出して今のうちにしばき倒すとか。どーせ三蔵のことだから、後から鬼畜2割り増量で復活しやがるぜ」
「そうそう。それより今のうちに食事を摂ってしまいましょうか?缶詰くらいしか今は出せませんが、食べられるうちに食べちゃいましょう」

 小走りにジープに戻った八戒は、食料を抱え込んで振り向いた瞬間、度肝を抜いた。ぶつかる寸前の場所に、三蔵が立っていた。
「ど、どうしました?」
 もの言わぬまま、三蔵は八戒の後を付き従う。まるで引き寄せられている様だった。
「どーも、ソレ、磁石なんじゃないの?」
 缶詰を受け取った悟浄が、経文をしまい込んだ八戒の胸元を指さす。
「お前が離れた瞬間に、ふらふらーっと付いて行ったぜ。…ってこたあ、それさえあれば、三蔵が勝手にどこかに行っちまうことだけはない、って訳だな」
「繋がずに済むってことだけは、よかったですね。でも…これで、経文を持つ者は三蔵も一緒に守らなくちゃならなくなりましたよ。それって結構重責じゃありません?」














 続く 







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