碧蛇伝 1 








遙か遙か、古えの出来事
時の流れの中に埋もれてしまった物語
何時の世も不変の、心と謂う物の不思議さよ

人も、物の怪も変わらぬ、心と謂う物の不思議さよ
問いかける物の変わらぬ不思議さよ…












 昔、昔のこと、或る処を旅の僧が通りがかつたさうな。

 そこは鬱蒼と茂る森の中の道。旅の僧が、雨宿りに古い祠に入つてゐつた。
 長く旅を続けているとみえ、随分と衣服は綻びかけ髪は伸び放題ではあつたものの、大変若く美しひ僧であつた。雨に冷たく張り付く袈裟や法衣も気にせずに、先へ先へと足を進めていたものが、ふと呼ばれたかのやうにその祠が気になつたのだ。昼なお暗い山の中、祠の中は夜と変わらぬ真の闇。
 その中に鈍く光を返す物が有る。
 若ひ僧はそれに気付くと躊躇わずに両の手に取つてみる。
  ぼうっ
 それは深い碧の色をした玉(ぎょく)であつた。僧は少し首を傾げるとそれをようく眺めみる。
  ぼうっ
 玉は脈動するかのやうに光つていた。いづれかの魔を封じた玉で有ることが一目で判る。魔は何時からか判明らぬが玉に封じ込まれ、そのまま永ひ永ひ年月を過ごしてきたのであらふ。封じた儘で捨て去るか、それとも魔の魂を昇天させてやるか…。しばし若ひ僧は迷ひ、決断する。

 どん…

 明るく光が射し、静かな振動が起こる。
「あははは、どなたかお呼びになりました?」
 それが玉より呼び出された魔の第一聲であつたと謂ふ…。











「ええと、あなたですか?僕を玉の封印から救ってくれたのは?」

 見るからに漂々とした感じの若い男である。前髪は多少長目ではあるものの、きれいに撫で梳かしてある。全体的にこざっぱりとして清潔そう。ただ、瞳の色が深い新緑の色をしていた。
「助けた訳じゃない。オマエ、何かの妖魔か?そうそう長い年月封じられたままではやってられんだろう。なんならオレがたった今殺してやるが?」
「うわあ、なんてストレートなお坊さんなんでしょうね。長生きしたい訳でもないですけど、たった今死にたくなくなりました」
「じゃ、オレはもう無用だな」

 僧はそのまま過ぎ去ろうとする。慌てるのは妖魔である。
「ちょ、ちょっと、それは無責任と言うものでしょう?取り敢えずコミュニケイションとか取ってみませんか?」
「けっ…」
 余りにもあまりな僧の反応にメゲずに妖魔は自己紹介をを始めた。
「僕は八戒と申します。500年ほど前に大失恋して死にかけたところを、蛇に取り憑かれてそのまんま妖魔になってしまったんです。それで、かれこれ…300年くらい前でしょうかねえ…偉いお坊様を食おうとして反対にこの玉に封じられたんですよね。あはは…」
「…オレは玄奘三蔵。旅の途中だ。急ぐのでこれで失礼する」
 踵を返す三蔵の周囲が急に暗くなったような気がする。空気が物理的に重たくなり、足が進められなくなる…。
「お急ぎと申されても、僕も300年ぶりのごちそうですからねえ。是非頂いてしまいたいのですけど、ごめんなさいね」
「てめェ、恩を仇で返すか」
「やだなあ、そんな。だって僕をお呼びになったのはあなたでしょう?まあ、巡り合わせと思って諦めてくださいね」
「あっさり食われる気はないぞ。ぶっ殺す」
 躯が動かせない三蔵が魔封じの経を読もうとすると、八戒に唇を奪われる。これでは読経が出来ない…。
「頂きます」
 妖魔の八戒はにっこりと笑うと三蔵の躯を引き寄せる。久々の人間の体温と血脈を感じ、例え様のない空腹を覚える。八戒は人の精を吸い取って自分の魔力とする。玉に封じられていた300年間は近くを通る虫や獣の精で飢えを凌いでいたのだ。自分の躯に密着させた僧の若々しい白い肌がまぶしいくらいに感じられる…。 
 手荒い位いに引き寄せたものの、僧の悔しげな顔を上向かせる手は慎重だった。300年間、たった一人でいたのだ。久々にじっと人と顔を合わせる…
 紫暗の瞳。…異相というには美し過ぎる容貌。
 睨みつける相貌は強い光を放つ。八戒は、その気性の強さが気に入った。
「…僕は永い間、退屈し続けだったんです。300年分、あなたと過ごせたら取り返せそうですね」
「…クソ食らえってんだ…」
 八戒は気付く。この綻びだらけの法衣の僧は気位いが高い。力ずくでは言うことを聞かせるのは難しいだろう。
「判りました。ではこれではいかがですか?逃げます?」
 …どこからかわき出るサイコロ二つと欠けた茶碗…
「…ふっ、この俺に、勝負挑もうってのか…?」
 どうやらこのプライドの高さと勝負ごとへの執着が、この若い僧のウィークポイントのようであった。










 ちんちろり〜ん
「ああッ!?クソ!てめェ八百長やってねえだろおなっ!!」
 深山に僧の声が響く…。










 蛇の妖魔の八戒は無理矢理三蔵の旅について行くことに決めてしまった。
「魔がついてるといいことだってあるんですよ。まず僕はあなたをお守りしますし。幸いあなたの法力は強いから、それを少々分けていただければ僕も他の人間を襲うこともないですしねえ…」
 三蔵の歯がギシリと音を立てる。
 そう。こいつは接吻けでオレから法力を吸いやがった…。こいつ、これからもそれを続ける気なのか!?
「てめェ、やっぱ昇天さす」
「勝負で負けたくせに」
「ぐっ」
「できるだけ楽しく旅を続けましょうね。」
 要は、自分は妖魔に取り憑かれてしまったのだ、僧なのに…。
 三蔵の人生に長く続く敗北感の、それが最初だった。










 確かに八戒は便利な男だった。酒場では今まで三蔵の顔を見て絡んでくる酔っぱらいが絶えなかったが、八戒が愛想良く追い払ってくれる。自分が暴れる回数が減ったし、追い剥ぎや盗賊に襲われてもあっという間に妖力でからめとってしまう。
「あのう…、盗賊でも食べちゃダメですかあ?」
「ダメだっ!人間を食う気ならもう付いてくるな」
「…まあ、僕はあなたの精を頂けるからいいんですけど…」
「……」
「あー、食べ物の話したらおなか空いて来ちゃいました。今、いいですかあ?」
 良いも悪いもあったものではない。そう言った時には既に八戒は三蔵の顎に手をかけている。
「おい、誰が食べ物だ」
「あなたも、他の人間も。法力も精も肉体も大好きですから」
 唇を合わせて吸い上げる。八戒は人恋しさを取り戻そうとするかのように、ちょこちょこと三蔵の精を吸う。せめて一日一食にまとめさせなければ。しょっちゅうこんな事をしていたら神経が参る。そんなことを考えながら接吻けに応えていた三蔵は、いつもと違う八戒に気付いた。
 唇を吸うだけでなく、舌を差し込まれる。顎に力をかけられ、たまらず開いた歯列を探られ自分の舌を撫でられる。押し返そうとしたが全く力では敵わない。背中に回された腕が万力のように自分を締め付ける。
「……!?」
 唇が離された瞬間に腰がくだけて、へたり込みそうになる。
「…ナンダ、イマノ…」
「…ああ、あなたは知らないんですね、人の欲望を。僕は人を失ったことで自分を見失うくらいだから、人に対する欲望が強い方なんでしょうね。」
 脱力した三蔵の躯を支えてやりながら、八戒が耳元で囁く。
「今は、あなたが欲しくて堪らない」
 息のかかる距離で目を合わせる。三蔵は自分の知らない感覚に戸惑いながらも瞳を潤ませている。しかし…。
 自分が躯を引き寄せるごとに恐怖を感じるらしい。八戒は自嘲の笑みを浮かべる。魔に欲されれば誰だって怖かろう…。魔である自分がこの人に触れたら、汚してしまうだろう。
「怖がらせてしまいましたね。すいません。あなたの嫌がるような事をするつもりはありませんよ」
 三蔵は八戒の瞳が悲しげな色をたたえるのに気付いたが、まだ自分の身に急に起こった感覚に動転したままだった。
 セナカヲハシッタ カンビナ フルエ …。 
 自分が自分でなくなりそうで、それが一番怖かったのだ。
「三蔵、あんなこともうしないから安心してください。…これだけ…させて」
 そっと優しく唇をついばまれる。精を吸われる時とは違って、甘い感覚だけを残して…離れる。

 離れた瞬間、何ともいえぬ寂しさが、感じられた…。












□ 続く □


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□ 間がき? □
お、続き物だあ。ナマイキに。でも多分次で終わりますからね。
「日本昔話パラレル」ですねえ…。あはは。でも設定変えたらちょっとやんらしいこと、し易くなりました。
気が小さくて今までキヨラカさんしか書けなかったのね?よしきは。
次、なんとか八戒君の本懐果たせるように書きたいと野望を持っております。
でもどんどん理想のセンシティブであまあまなめろー83から遠離って行ってます(泣)