akai tori nigeta -8-
 砂にまみれながら、渾身の力で引き上げられる。
 その最中、三蔵は唇寂しさを感じた。
 無性に煙草が吸いたくなった。
 既に首しか出ていない馬が、白目を血走らせ、濡れた目で三蔵を見た。
 動かなくなった腕だけが、砂上に生えているのを見た。
 横倒しになった馬が、ゆっくりと砂の流れに流されて行くのを見た。
 それを見ながら、もう少しも動じていない自分に気付き、指先を口元に持って行った。
 苦い空気を肺に入れたかった。
 その時、動く物が目に入った。 

 躯の半分まで砂に呑み込まれ、それでも傍にあった馬の胴に腕を伸ばし、沈み込むのに抵抗している妖怪だった。黒目の回りにぐるりと白目を剥いているのが判った。
 三蔵と目が合い、妖怪は笑った。
 常軌を逸した笑みで、三蔵の方に近付こうとした。砂から生えたような躯は、少しも移動出来なかった。妖怪は悲しそうな声を上げると、縋るように腕を伸ばした。
 三蔵に縋ろうとした。
 救いを求めて掴もうとした。
 力のこもった指が、曲がった。
 三蔵の目が妖怪の掌に吸い寄せられた。

   「三蔵の肉だあ!」
   「引き裂け!」
   「犯して喰らい尽くせ!」

 鋭い爪が、向かって来た。
 掴み上げられた腕に、その爪が食い込んだ。
 苦痛に噛みしめた唇に、ぶよぶよと湿ったものが寄せられた。
 気持ちの悪さに首を振って逃げようとしたが、そこにも爪が食い込み、呼吸を塞き止められて激しく頭が痛んだ。

 手首と足首を戒める縄が、
 抑え込まれて曲げられた躯が、
 滅茶苦茶に揺すられた内臓にこみ上げた吐き気が、

 絶え間なく続いた、ねじ込み引き裂く痛みと嘲笑が

 ちりちりと、ぎらぎらと、開かれた躯の全てを晒け出す、太陽の光が

 自分に伸ばされた妖怪の腕に、三蔵は息を呑み、躯を硬直させた。
 恐怖に身動きが出来なくなった。
 知らず上がりかけた悲鳴は、強張る声帯で、掠れる笛の音にしかならなかった。
 細い息だけが、延々と喉から流れ続けた。

 妖怪は動かぬ三蔵に気付き、唇の端から泡を垂らしながら、小首を傾げた。自分を救ってくれぬ人影に向かって目を凝らし、三蔵の目に浮かんだ、恐怖の拒絶を読み取った。
 妖怪は、漸く自分の運命を理解し、喚き叫んだ。喚きながら、その手が不思議な動きをした。自分の腰の辺りを探っている。そこにあるはずの何かを掴もうと、探っている。
 青龍刀だ。
 砂に埋もれた半身の、腰にしっかりとくくりつけられている筈の青龍刀を探している。妖怪は砂を掻き始めた。青龍刀を掘り出そうとした。
 三蔵はその様子に気付いた。無意識に、三蔵の腕も動いた。
 鳩尾の辺りに、ある筈の何かを。
 しっくりと掌に馴染んだ、鋼鉄の小さな。
 グリップには自分の癖が付き、自分の掌はそのグリップの型を覚え込んだ。
 常にそこにある筈の、何か。
 妖怪が掘り起こした青龍刀の柄を握り込み、砂の中からすらりと抜いた。
「三蔵!!」
 鎖を引いていた男が、銀色の何かを投げた。
 砂に落ち、すぐに沈みかけたそれを、三蔵は掴み取ると即座に握り込んだ。
「クソ!」
 M10が、火を噴いた。
 砂から上半身を出し、青龍刀を投げ付けようと腕を掲げた妖怪の額に、小さな穴が開いた。その手から落ちた青龍刀が砂に刺さり、音もなく沈んだ。
「クソッ!クソッ!クソッ!……クソォッ!!」
 三蔵は身動きしなくなった妖怪に向かって、立て続けに銃を撃った。胴に、肩に。着弾する度血が吹き上がり、砂漠の砂に吸い込まれた。弾が切れ、弾倉が空回りをするようになっても、三蔵はいつ迄も引き金を引き続けた。
 頭部を血に染めた妖怪は、静かに砂に呑み込まれていった。

 安全な場所まで引き上げられて、三蔵は鎖を巻き付けて鬱血気味だった腕を振った。
 車体のフレームに鎖を巻き付け、三蔵と老人を流砂の中かからすくい上げたジープを停車させると、エンジンを切るのもそこそこに八戒が老人に駆け寄り、傷の上に屈み込む。
 掌から気孔の輝きを発する八戒の横顔を、三蔵が真剣な目で覗き込んでいた。
 暫くして掌を引っ込めた八戒は、三蔵に向かって微笑んだ。
「大丈夫ですよ。大人しく、栄養のある物を摂っていれば、すぐに回復します」
 微かに安堵の吐息を吐いた三蔵の傍に、悟空が膝を突いた。
「……三蔵。」
 真っ直ぐな悟空の瞳を、三蔵も真っ直ぐに受け止めた。
「三蔵。三蔵。三蔵。三蔵……」
 名前を連呼する悟空に、三蔵は鼻にしわを寄せた。
「三蔵。」
 袖の端を、掴んだ。
「三蔵。」
 袖を掴んで下を向いた悟空の声が、震えていた。
「三蔵。」
 確かに以前、呆れる程に呼ばれていた名。
 しつこい程に。
 三蔵は、悟空の額を指で弾いた。
「………?」
 泣きべそ顔に向かって、三蔵はうんと不機嫌そうな顔を見せつけた。
 しつこく、くどく。うんざりする程呼び続ける声は、それでもいつ迄も止むことなく。
「さ…んぞ?」
 記憶をなくしたとは聞いていた。しかし、その横柄そうな表情を見て、悟空は心の奥底にしこっていた不安がさらりと溶けて行くのを感じた。
 三蔵だった。
 悟空にとっては、それだけでよかった。
「……へへっ。えへへへっ」
 睨まれているにも関わらず笑い出した悟空に、今度こそ三蔵は呆れた顔をした。

「三蔵」
 そして。
 もうひとつの、名を呼ぶ声に三蔵は振り返った。
 紅い瞳が、怖い物を見るように三蔵を見ていた。
「三蔵、お前。思い出したのか?」
 八戒が気孔の治療をする間、三蔵は当然のように傍にいた。見慣れぬ治療行為にも、何の疑問も抱いていないようだった。その姿を、悟浄は睨むように見ていた。
「記憶、戻ったのか?」
 切羽詰まった声だった。
 三蔵はゆっくりかぶりを振った。
「そ…か。」
 悟浄は苦笑った。
「そうは上手くは行かねえよな。はは、は」
 苦笑いながら、娘から受け取った魔天経文を、三蔵に手渡した。
「コレ。お前のだよ。お前の大事なモンだよ」
 三蔵は素直に受け取り、まじまじと経文を見つめた。
 何の変化も起こらなかった。

 悟浄は、微かな溜息をついた。
 判っていた筈だった。
 妖怪相手に破邪の力をふるう魔天経文も、何の奇跡も起こせなかった。経文の力を発動させる『三蔵』があり得なければ、経文はただの仏典なのだ。
 青龍刀をかざした妖怪を見て、咄嗟に三蔵に投げたのも、小銃だった。使いこなせない魔天経文ではなく、誰でもが道具として使える武器の方を信頼した。だから三蔵に銃を渡した。

 三蔵の次の動きを見て、悟浄は固まった。
 三蔵は受け取った魔天経文を、ベルトにぐいと突っ込んだ。代わりに手に取った銃をじっと見つめ、次に流れるような動作でシリンダーから空薬莢を落とした。
 落ちる薬莢を目で追っていた悟浄は、三蔵に掌を突き出されて戸惑った。
 銃弾を要求されているのだと気付き、ポケットに突っ込んでいた小箱を差し出した。
 銃弾を5つ。
 悟浄、八戒、悟空の見守る前で、三蔵は左手で無造作に銃弾を掴み取り、ひとつひとつ、弾倉に手早く落とし込んで行った。
 装填の済んだシリンダーが、軽い金属音と共に銃身に戻された。
 M10を顔の横に掲げた三蔵が、片頬を引き上げた。
「コレ、は。覚え、て、る」
 腹立たしい程に傲慢そうな、悟浄達の知っている三蔵だった。

 小さな部族が住んでいるだけの、オアシスに到着した。
 小さな湖と、小さな街。
 湖はこの数十年で出来上がったものだという。
「あの流砂の下の地下水が表出したものが、この湖だと言われておる」
 老人が言った。

 流砂地帯の外れで合流した異邦の民達と、このオアシスに同行した。
 ジープに運ばれながら老人は意識を取り戻し、妖怪との戦闘時に指揮を委ねた壮年の男が、一族を束ねていると、金髪の娘から聞かされていた。
「それがよかろう。滅びた国の思い出に囚われているわたしより、若い世代に委ねるべきだ。もっと早くそうするべきだった」
 静かな声だった。
「どのような道も、これから開けるだろう。喪ったものを忘れられずに嘆くより、これから得るものの為に生きることが出来るのならば」
 話疲れたように、言葉を途切れさせた。
「永久に喪ったものを悲嘆し、その思い出だけで生きて行ける老人とは、違うのだ」
 老人に席を空ける為に、ジープのドアに腰掛けていた悟浄を、見上げた。
 老人の青い瞳と、紅い色の瞳が合った。
 青い瞳が、眩しそうに眇められた。微笑んだのかもしれなかった。

 オアシスの人々は、深夜に到着した客人達を歓待し、宿を空け、湖のほとりの一等地に天幕を張る地を提供した。
 好意的なその態度は、流浪を続けるこの異邦の一族のうちの一部が、この後この地に留まっても、馴染むことが出来るのではないかと、人事ながらも三蔵達に思わせた。
 まだ新しい街には、新たに人々を受け入れるだけの場所があり、髪や目の色が違っても、そこに溶け込めるだけの柔軟性があるのではないかと。
 悟浄がその時期待したものに名前を付けるとしたら、希望、なのかもしれなかった。

 三蔵達一行も、老人の賓客として上等な天幕を、仮の宿として与えられた。
 三蔵は回復の兆しを見せてはいるが、薬物の影響もあることだし、数日は逗留して様子を見るべきだと、八戒は静かに主張した。
「それに。今の三蔵にとっては、この人達の間にいることが、居心地よいのかもしれません」
 天幕に入った途端に疲労で寝入ってしまった三蔵と、その傍に張り付くようにして眠る悟空に、八戒は毛布を掛けた。
「金の髪、茶色の髪。明るい色の瞳の人達。この人達の中でならば、三蔵は穏やかに過ごせるかもしれないんですね。どこへ行っても浮き立つような容姿が、ここでならば、ただ美しいとだけ、見て貰えるんですね」
 美しい異形であること、神に近き者の証のチャクラ。
 壮絶な孤独感に耐え続ける三蔵の強さが心強くもあり、それが八戒には寂しかった。

「どこにいても、三蔵は三蔵なんじゃねーの?」
 三蔵の肩を毛布にくるめる八戒に、絨毯に置かれたクッションにもたれた悟浄が言った。
 頭の後ろで腕を組み、呑気そうに天井に向かって紫煙を吹き上げる。
「紫の瞳の奴はいなかったよ、どこにも。でも、世界中の人間が紫の瞳だったとしても、三蔵は三蔵だろ?絶対ェ悪目立ちして、一目で判んじゃねえ?」
「悟浄……」
「だろ?」
 ごろりと転がりながら呑気そうな声を出す悟浄に、八戒は苦笑を返した。
「なんか、それ……悟空みたいですよ、悟浄」
「八戒、それだけはよせ」
「だって」
 笑い声を上げかけ、眠るふたりに気付いた八戒は、咳払いをした。
「僕も今日は疲れました。明日のことは明日考えることにして、今夜はもう休みましょう。……寝煙草は禁止ですからね、悟浄」
「……調子出て来たじゃない、八戒サンってば」
 手近にあった金属製の壷に、悟浄は煙草をねじ込んだ。
「……それ。絶対高価な調度品だと思います。明日一番に謝りに行って下さいね」
「へーへー」
 悟浄はランプの火を落とし、天幕の丸い暗闇に目を閉じた。
 やがて、三蔵、悟空の寝息に、八戒の規則的な呼吸が加わった。
 悟浄は黙ってそれを聞いていた。
 躯は充分に疲れ切っていたが、4人が揃ったのが久し振りで、それで中々寝付けないのだと思った。それで目が冴えているのだと、思おうとした。
 耳が三蔵の吐息を拾った。
 悟浄は諦めて起き上がり、天幕の外へ向かった。

 月明かりに暫く歩くと、湖に張り出すように茂る木があった。小さな林檎の実が、爽やかな芳香を漂わせていた。木の根本に腰を降ろし、ハイライトを咥えた。
 火を着けて深く吸い込み、更に深く吐息を吐いた。

「俺はどっちを望んでたよ?」
 記憶を失い、自分の胸に掌を当て眠り込んだ三蔵。
 心の奥底まで見透かすような、人を落ち着かなくさせる紫暗の瞳の三蔵。
 再会して魔天経文を手渡した時に、本当に三蔵の記憶が戻ることを願っていたのか。
 何の奇跡も起こらぬことに、失望したと同時に、安堵の思いを感じていなかったか。
『三蔵は三蔵なんじゃねーの?』
 そう言いながら、M10を構えて不貞不貞しく笑う三蔵を見て感じたのは、歓びよりも驚きだったのではないか。
 2本目のハイライトに火を着けながら、悟浄は目を瞑った。
 間違いなく、三蔵は元に戻るだろう。
 銃を手にした三蔵を見た途端に、妙な確信を持った。
 拳銃を頬に寄せた三蔵の、紫暗の瞳に心臓を射抜かれた。
 触れたくて、そして顧みられることを願ってしまうものを、また持ってしまったのだと思った。

「我ながら、性懲りねえな」
「オイ」
 悟浄は、躯が飛び上がると思う程、驚いた。
 三蔵だった。
 天幕に着いてすぐに寝てしまった為に、三蔵はまだ異国の服を身に纏っていた。動く度に、金鎖の軽い音がするのに、こんなに近付くまで気付かなかった自分が、悟浄にはおかしかった。
「おネムじゃなかったのかよ」
 悟浄の軽口に、三蔵はむすっとした顔を見せながら、悟浄のすぐ隣で木に寄り掛かった。寝乱れた髪が、頬に被っていた。
「……ソレ」
 悟浄の煙草を指さす。
「……起きた、ら、ニオイだけ、して、やがる」
 ぎこちない言葉で、煙草を寄越せと訴えているらしい。悟浄が笑いながらハイライトのパッケージを差し出すと、三蔵はそこから一本取り出した。
「火」
「ハイハイ」
 火を着けてやると、三蔵は片目を眇めながら口を付けた。
「……マズい」
 悟浄が大声で笑い出し、三蔵は不機嫌極まりないといった表情を浮かべた。
「悪ィ。お前、本当に忘れてんのかよ。記憶、ないのかよ。全然、変わんねー」
 笑い過ぎて、悟浄の目に涙が滲んだ。
 おかしかった。
 三蔵は三蔵だと言った、自分の言葉が真実なのだと思った。
 そして、三蔵がどうであろうと、自分は三蔵が欲しいのだと、諦めに似た想いが浮かんだ。

 三蔵が欲しかった。
 手を伸ばしたかった。
 触れたかった。
 はね除けられるのが、怖くて仕方なかった。

 二度と、顧みられることを願ってしまうものなど、作らない筈だった。
 喉から手が出るほど欲しいと願ってしまうものなど。
 どうしようもなく、躊躇い、自分を傷付けるものなど。

 狂おしいほど、欲しいものなど。

 こんなにも狂おしく、欲しいものなど。もう。

 悟浄は、三蔵に手を差し伸ばした。

「三蔵」
 尋ねるような、許しを乞うような、声だった。

 薄いヴェールに覆われた視界に、深紅の瞳が突然飛び込んで来た時のことを、三蔵は思い出していた。何もかもが曖昧な世界に、紅玉の瞳は無遠慮に、鮮やかに乗り込んで来た。
『三蔵』
 心にまで呼びかけるような声だった。
『俺のこと、見ろよ』
 訴える、切実な願いの籠もった声だった。
『思い出せよ』
 強引に背に回された腕は、そのくせ酷く暖かだった。

「三蔵」
 声も、差し出す腕も、震えていた。
 紅玉の瞳が怯えを隠すように揺れ、それでも三蔵だけを見つめていた。
「……ご、じょう」
 まるで自分に触れることを怖がっているように震える腕に向かって、三蔵は自分の手を差し伸ばした。悟浄は信じられないというような目をして見た。
「悟、浄」
 呼びたくてしょうがなかった名を、三蔵は漸く口にした。

 悟浄は三蔵の手に触れた。
 三蔵の手はそれを振り払うことなく、悟浄の掌の中に収まった。引かれるままにその身を近寄せ、ゆっくりと悟浄の腕に抱き留められた。
 流砂から引き上げられる時に鎖で傷付いた腕に、今はヴェールが巻き付けられていた。
 悟浄はそれを外して行った。
 服の袖を捲り上げようとすると、三蔵は一瞬躯を強張らせた。錫杖の鎖の赤い鬱血の他に、薄れかけの痣が手首に残っていた。戒められた痕だった。
 手首に唇を寄せると、三蔵は腕を引こうとしたが、悟浄は捉えたその手を離さなかった。
「隠すなよ。あんたのこと、全部見せて」
 間近で紅玉の瞳が訴えるのに、三蔵は躯の力を抜いた。

 手首と足首に掛かる細い金の輪を、悟浄はひとつひとつ外していった。
 青白い、手首の内側と踝に残る傷跡に、優しく接吻けた。接吻けることで、少しでも癒されてくれればと願いながら、貴重なものを受け取るように、両手に包んで接吻けて行った。
 ほっそりした首にかかる金の鎖や輪を外そうと、悟浄は三蔵の首の後ろの金具に手を回した。すぐ近くからかかる吐息に、三蔵は目を逸らすように長い睫毛の目蓋を伏せ、すんなりとした首を垂らした。
 悟浄の手から、連なる金鎖が落ちて、しゃらん、と軽い音を立てた。
「三蔵」
 次の瞬間、悟浄は三蔵の顎を掌に包み込んだ。
「三蔵、駄目じゃん。そんなことしたら、俺止まらなくなるから」
 目を見瞠いた三蔵に、悟浄はゆっくりと近付き、唇を触れ合わせた。

 一瞬軽く触れた唇に、悟浄は強烈に引き寄せられた。
 我慢出来ずに、貪るように唇に吸い付いた。
 差し伸べられた手が、自分の掌の中に収まったのを見た時に、夢のようだと思った。
 それと同じことを、抱き寄せ接吻けながら、悟浄は思った。
 欲しくて、触れたくて。
 刎ね付けられて、今まで築いて来たものすら失ってしまうことが怖くて、欲しいと口に出すことも出来なかった。そんな自分を知られるのが怖くて、三蔵の、心の奥底まで見通す様な目を避けたこともあった。
 長い時間の飢えを満たすように、三蔵の唇を貪った。
 傷を癒してやりたいと、そう願った自分の方が、乾きが潤されて行くのが判った。

「三蔵」
 接吻けの合間に、悟浄は熱い吐息で名を呼んだ。
 三蔵はその声に、きつく瞑った睫毛をふるわせた。
「三蔵。目、閉じてると、逃げらんないぜ」
 逃げる、という言葉を発した時に、悟浄の声が震えた。
 三蔵は、接吻けに弾んだ息を抑えながら、目蓋を上げた。
 三蔵の顔を、悟浄はそっと掌の中に挟み込んでいた。捉えたくて、でも捉えたことで嫌われるのを畏れて、触れたことで壊れてしまうのを怖じるような。そんな掌だった。
 熱いのに優しい掌に触れられ、三蔵は悟浄の瞳をじっと見た。
 紅玉の瞳は、未だ飢えを訴えるような熱を孕んでいたが、三蔵が悟浄の掌に自分の手を重ねると、一瞬その目が細められた。
 三蔵の手が、自分の手を引き剥がすのではないかと、恐れるような目だった。

「…見ろ、て、言ったの・は、てめェ、だろ?」
 まだ詰まりがちの言葉を、三蔵はゆっくりと紡いだ。
「てめェ、こそ。オレを、見ろ、よ」
 触れる手に一瞬頬を擦り寄せ、三蔵は手を伸ばした。紅い髪が滝のように流れる肩に腕を回し、その髪を勢い良く引っ張った。
「痛ゥッ!?」
 目を剥く悟浄に、三蔵はにやりと笑った。
「見ロ。オレが、逃げたがって、る、か?」
 挑むような目に、悟浄が苦笑を漏らした。
「三蔵サマだもんな。逃げるなんて、そんな卑怯な高等手段、使い方知らねえんだもんな」
 また強く髪を引かれて、悟浄が呻いた。
「……知らねーぞ。もう本気で止められないからな」
 そっと肩を押す手に、三蔵の躯が倒れて行った。













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