忘却  《 into the blue - 3 - 》

by 剣菱=蝉丸

 僕は、三蔵と、口論をした。
 きっかけが何だったかは、思い出せもしない。
 三蔵が守らせてくれないとか、下僕がどうこうとか、今までに幾度も交わされた会話から、突然尖った刃先が飛び出したような…そんなカンジだった。
 「所詮下僕」と三蔵は言いながら、その下僕が自分の為に命を落とすようなことを絶対に認めない。それは三蔵のワガママだ。それなら僕たちが咄嗟に三蔵を守ってしまうことも、僕たちのワガママとして認めればいいのに。
 ワガママ、ワガママ。
 なんて人だ。
 僕は何度でも繰り返すだろうに。いちいち神経をすり減らさないで欲しい。僕だって死ぬ気なんかは更々ないんだから。

 三蔵と妖怪との間に割り込んで、気孔で心臓を吹き飛ばした。三蔵を狙って、ぎりぎり落とされた剣が、僕の肩口を皮一枚切り裂いた。
「余計なことをするな」
 無意識に動くこの躯を止めることなんか不可能なのに。僕の血なんか、幾らでも流すのに。あなたが死ぬなと言うなら、何度でも生き返るのに。
 僕は何度でも繰り返すだろう。どんなにあなたが嫌がっても、あなたの前に飛び出すだろう。

「話にならん」
 一方的に話を打ち切って、三蔵はベッドに入った。眠れもしないクセに。僕たちも当然眠れない。暗闇で目を開けたままで、口を閉じただけだ。
 光のない部屋に、ぐるぐると聞こえない音が巡る。鼓膜を通さない振動が、耳鳴りになって頭蓋骨の中を行き来する。過ぎた時間の映像が、心臓辺りで繰り返される。
 僕が三蔵の目の前に飛び出し、血を流す。振り向くと三蔵は、僕の身体が邪魔で撃てなかった銃を構えたままで、目を見開いている。
「ヤメロ」
 三蔵の声が、いつ迄も耳に残る。それがどんなに痛々しい声で、痛々しい瞳だとしても…。僕の目の前で三蔵の身を傷つけられるよりマシだ。どんなにあなたの心を傷付けても、自分の肉を裂かれる方がマシだ。

 結構笑っちゃうお約束のように、三蔵は耐えきれずにベッドを抜け出した。三蔵はワガママ放題の様でいて、まだヒトとして踏み外してはいない。ワガママを通す為に、何でもしてしまう僕たちの様にはなっていない。

 暗闇の中、悟空が静かに言った。
「なあ、八戒」
「なんです、悟空」
「俺が死んだら、三蔵泣くかなあ」
「さあ…。ひねくれてるから人前では絶対に涙は流さないとは思いますけど。でも心の中ではきっとびーびー泣きっぱなしになるでしょうね。何年も、何年も」
「三蔵、さっき怒ってたけどさあ…。俺、三蔵の命が危なかったら、やっぱり自分のことより三蔵守っちゃうよ。だから諦めて貰うしか無いと思うんだけどなあ…」
「ええ。僕もそう思いますよ。どれだけ泣いたって、それはあの人の事情ですから。ま、みんな揃ってジジィになれるのが一番の理想ですけどね。その願いが叶えばいいとは、思いますけどね」
「せめて、10年泣くところを、3年くらいに短くしてくれないかなあ、三蔵」
「……そうですねえ」
 多分、自分の為に誰が死んでも、三蔵は一生血の涙を流し続けるだろう。素知らぬ振りをして、泣き続けるのだろう。
「合間をとって、5年程度にして貰えませんかねえ……」
 僕たちは、ふたり揃って口先だけのネガイゴトを唱えた。

 ああ。こういうのって、「願い」じゃなくて「想い」って言うのかな。

 翌日は砂嵐が酷く、宿にもう一泊することになった。
 遅い時間に、悟浄と共に酒の匂いをさせて戻ってきた三蔵は、不機嫌そのものという「普段通り」の顔だった。
 普通に機嫌が悪いのか。
 どうしてよいものか判らずに、不機嫌な顔をしているのか。
「三蔵」
 微笑みながら名を呼ぶと、三蔵の背筋が僅かに強ばった。
「新聞ですよ」
 続く日常の言葉に、露骨に安堵の表情を見せる。
 三蔵は、夕べの口論を無かったことにしようとしているみたいだった。それでいて、自分の緊張を解くことが出来ないでいる。悟空は優しいから、三蔵が知らん振りをすることは、全部目を瞑るんだろう。三蔵が自然に緊張を忘れるのを待ってあげるんだろう。
 食堂から部屋に戻る途中に、僕は三蔵を捕まえた。小さな部屋に押し込み、扉をそっと閉じる。
「…おい。ここはなんなんだ」
「単なる空き部屋ですって。ちょっと心付けしたら貸してくれたんですよ」
 僕は三蔵を腕に捉えながら、部屋の鍵を掛ける。
「てめェ、蒸し返す気か?折角忘れてやってるのに」
「僕の顔色気にしながら、忘れるも何もないでしょう。それより、ここを使える時間って、限られてるんです。…口論、したいですか?」
「……お前次第だな」

 言葉は接吻けで塞ぎ、強ばる躯は熱で溶かした。
 わだかまりは密着する皮膚で押し退け、こだわりは快楽で忘却の彼方へ。

 壁に押し付けた背中が、仰け反ることも出来ずに衝動を抑えている。三蔵を探る指をもっと深くすると、塞いだ筈の唇から低い呻きが漏れる。僕の肩に掛けられた指に、ねだる様に力が込められる。
 片足を担ぎ上げると、不安定な姿勢になった三蔵が僕の首に腕を回した。僕の首に、強く、強く腕を回した。
「ねえ、こうやってると獣みたいですね。言葉がなくて」
 僕が押し当てると、三蔵が身を震わせながら応える。
「口に出さない言葉もあるのが、ヒトだろう」
 揺すり上げられて息を詰めながら、三蔵は僕を見た。
「…こうやってると。僕ってあなたに溺れ込んでると思いません?この躯に溺れ込んで未練たらたらで、絶対に死なないと思いません?」
 華奢な腰を引き寄せて深く貫くと、三蔵は壁に沿って伸び上がった。逃げ腰な躯を、肩を掴んで押さえ込む。
「てめ…、丸め込む気かよ。女衒みたいなマネ、…すんな、よな」
「でも僕自身も、半分以上信じ込んでるんですけどねえ。半分過ぎたら、真実ってことになりませんか?」
 三蔵の中心を突き上げて、心まで揺さぶった。脳髄まで、振動でオカシクしてしまえればと。溢れる声を全部飲み込みながら、三蔵自身を包み込み、昇り詰めさせた。僕の掌に、全て吐き出させようと。
 と、昇華を押さえ込んで、動きを止める。
「…ふ…ア…?」
「ねえ。僕にとって、あなただけが真実だって信じてくれますか?あなたに向ける僕の心も、真実だって信じてくれますか…?」
「やっぱ、蒸し返してばっかじゃねェ…か…っ……!?」
 肩に掛けられていた脚の、足首を掴んでまた揺さぶった。僕の躯に必死に縋ろうとする、その爪も片手で捉えて、金糸がうち振るわれるのを見た。
 塞ぐのを止めてしまった唇は、噛み締めても声が漏れる。きつく閉じられた目蓋に金糸がばさりとかかり、紅を帯びた頬も隠される。
「あなたが欲しいから、誰にも渡したくは無いから……。あなたを泣かせてもいいから守りたいのと同じくらいに、あなたを独り占めにしたい」
 自分の歯に傷付けられた唇が、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「カラダ繋ぐだけじゃなくて、ココロまで、かよ。…強欲、野郎、め。…もう、最中にべらべら喋ンの、ヤ、メロ……ワカラナクナル……」
「言葉に意味が無くなるまで、言葉なんかいらなくなるまで、狂って。あなたのアタマの中でぐるぐる回ってる言葉たちを忘れるくらいに、絆されて。口に出さない想いなんか、形にならない願いなんか、どこかに棄ててしまって…」
 強く握り込んではけ口を無くさせたまま、僕は深く穿った。繰り返し、繰り返し、三蔵の首がゆっくりと揺れるのを眺めた。

「こうしてる時間のことだけ、覚えててくださいね」
「僕の熱だけ、覚えててくださいね」
「あなたを欲しがる僕だけを、忘れないでくださいね」

 まるで頷く様に揺れていた首が持ち上げられ、汗ばむ金糸の髪を透かして強い瞳が向けられた。希望と絶望と慣れ合いと陶然の入り交じった、それでも強い瞳が、僕を見る。
「モウ…ワカンネェヨ……。…ダカラ…」
 諦めた三蔵を、今度こそ包み込んだまま昇らせる。焦燥感に過敏になった三蔵と、全部喰らい尽くしたい僕は、共に躯を昇りつめさせた。

「モウ ワカンネェヨ」













fin.





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