雑踏  《 into the blue -2- 》

by 剣菱=蝉丸

「あんだよ、珍しいじゃん、三蔵サマ。眠れないのー?添い寝してあげよっかー?」 
「…死ね、クソ河童!」
 ふらりと入ったバーのカウンター席に悟浄の顔を見つけ、即座に引き返そうとした所で腕を掴まれる。
「…嘘だよ。もう言わねーから、いーから座んな」
 一番薄暗いスツールに、肩を押し付けられ座る。馴れ馴れしい掌を手の甲で払い除ける。
「貴様に言われたから座るんじゃねェ。元からここで飲むつもりだったから、貴様の為に変更する気も起きないだけだ」
「はいはい。     俺と同じの頂戴」
「勘違いするな。貴様と飲んでる訳じゃねェぞ」
「はいはい」
 ただ黙って酒を飲み、煙草を灰にして行くだけだった。スチールの鈍い輝きの灰皿は、1、2本の吸い殻が溜まるとすぐに新しい物に替えられ、紫煙だけがよどんで行く。
 三蔵の手の中で、氷が「カラン」と音を立てた。
「同じ物を」
 新しいグラス、新しい氷、新しい酒を、また三蔵は手の中で転がす。
「カラン…」
 声に出さないため息のように、それは悟浄の耳に届く。
「…なあ。アレからまだ続いたん?」
「知らん。オレが寝たからあいつらもすぐに寝床に潜り込んだ」
 悟浄はつい先程繰り広げられた口論を思い出す。いつも通りの悟浄と悟空の口論ではなく、三蔵対、八戒、悟空の口論だった。内容はもう、忘れ果てた。

 一方的に会話を打ち切って三蔵がベッドに入ると、八戒と悟空も諦めたかの様にすぐにそれに続いた。しかし誰も眠ることなく、ただ沈黙の中の責める空気だけが部屋を満たしていた。三蔵が部屋を出る時にも、二人とも眠っていないクセに身じろぎひとつしなかった。

「サルのクセに黙って責めるなんて高等技術使いやがって」
「…八戒に仕込まれたんじゃねーの?でもアレっしょ?良心が咎めるから、沈黙に耐えきれずに逃げ出して来たンっしょ?」
 S&Wの引き金を引きかけ、止める。
「……クソ忌々しい」
「誰だって沈黙が一番コワイのよー」
 悟浄が笑いながら三蔵の背を叩いた。それに冷たい視線を一度だけやり、グラスを一気に呷る。
「正面切って文句言われたり、聞こえる様に陰口叩かれる方がマシだぜ」
「聞こえても来ない声が響いて来たり、雑踏の中の方が静かだったりするもんだぜ。誰かの間にいても孤独だったり、もういない人間が側にいるような気がしたりとかよ」
 悟浄はグラスを顔の前に掲げ、氷をライトに透かす様に眺めていた。
 家族と共に暮らしていても孤独だった子供の頃と、愛憎の入り交じった義母の瞳、同じベッドにいても赤の他人だった女達、躯だけは熱くなっても冷め切っていた自分の眼…そんなものを微かに思い出しながら。

「…隣り合って座ってても、一緒に飲んでないとかさ」
 にやり、と三蔵に笑い掛ける。
「……河童如きに説教されるとはな、オレも堕ちたもんだぜ」
「これ以上堕ちないように、これ飲んだら戻るか。明日も早いんしょ?」
「……もう一杯だけ飲んでからにする」
「じゃあ付き合うか」
「だから一緒に飲んでねェんだよ!」
 それでも悟浄は新しいグラスを三蔵のグラスに合わせようとした。ひょい、と避ける三蔵。またグラスを近づける悟浄に、更に避ける三蔵。
 3度目に悟浄がグラスを近づけようとすると、今度は三蔵は避けなかった。
「ン?」
「……クソっ垂れ」
 苦虫を噛み潰した様な三蔵と、悟浄は今度こそグラスを合わせた。

「カラン…」













fin.





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