恋患い9 / 白猫
【ハボロイ】



『恋患い9〜ロイ編〜』




「お前は」
多分、僅かな時間だったのだろう。しん、と静まり返った寝室のなかで二人、ただ見つめあって。それから、ゆっくりと口を開く。
「そう思うのか」
「大佐」
「いや、いいんだ。そうだな、そういう噂は確かにあることだし、私もいちいち否定して歩くわけではないからな」
「大佐」
これまでだ。
コイツがどんなつもりであんな言葉を口にしたのかは判らない。けれど、コイツがあんな言葉を簡単に口にするようなヤツでないことは自分がいちばんよく知っている。そのコイツが敢て口にしたのだから、もうこれ以上なにかを言うことはできなかった。
もう、終わりだ。
「悪かった。ちょっと調子に乗り過ぎたようだ。お前の気持ちなど考えていなかった。今朝のことは全て忘れてくれていい」
「たいっ…」
何か叫びかけたハボックを遮るように、玄関の呼び鈴が鳴る。
「ああ。さっきデリバリーを頼んだんだ。ここには食事になるようなものはなにもないからな。悪いが、受け取ってきて貰えないだろうか。財布は…ああ、そこにあるから」
「大佐、俺はっ…」
もう一度、呼び鈴が鳴ったのをきいて、唇を噛み締めたハボックが、財布を掴んで出て行く。
バスローブ姿の男が出てくれば、さぞ驚くだろうなと、配達員のことを思って少し笑って。それから、大きく溜息をついた。

さて、どうしようか。
なんとなく見回した部屋。放り出されたままの下着とジャージを拾う。
結局役には立たなかったってことか。
呆れたように笑うヒューズの顔を思い出して肩を竦めた。まあ、仕方がない。けれど、アイツが使わないのなら、もう此処に置いておくつもりもなかった。ベッドの脇にあるゴミ箱にそのまま放り込む。
そういえば、アイツの軍服はどこにあるのだろう。昨日脱がせたままの軍服とTシャツに下着。いくらなんでもあれがなければ帰れやしまい。ハボックがこのあといつまでも此処に残るとも思えないから、出しておかなければならないだろう。ベッドの反対側を覗き込んで、落ちていた服を取り上げる。そのままテーブルに乗せようと大きな軍服の上着を抱き込んだとき、ふっと煙草の香りがたちあがった。
「あ…」
目眩がした。
アイツの匂いだ。
不意に足が縺れて、その場に倒れるように座り込む。
抱き締めた軍服。
「滑稽だな。馬鹿みたいだ」
笑いたかった。なのに、何故笑えないんだろう。いろんなことがきっとくだらな過ぎるんだ。目の奥が熱いのは、きっとそのせいだ。それだけだ。
はやく立ち上がって笑わなければ。もうすぐハボックが戻ってくる。こんな姿を見られたら、ますます嫌われてしまう。はやく立ち上がって笑うんだ。笑え。わら…

「大佐」
突然かけられた声に、慌てて顔をあげる。
ぶるんっと首を振って、立ち上がろうとして、足が縺れた。
「危ないっ」
駆け寄ってきたハボックに抱きとめられる。
「大丈夫ですか?」
「なんでもない。ああ、これ、お前の軍服だ」
「すみま…」
おかしなところで切れた言葉に、訝しく思ってハボックの視線を追うと、蒼い瞳が見つめる先は、下着とジャージを放り込んだばかりのゴミ箱。
「大佐? あれは」
「ああ。もう使わないかと思ったんだが。使うのか?」
「いえ、そうじゃなくて。…だって、誰かのものなんでしょう?」
妙なことを言うハボックに少しだけ目を眇める。
「誰が使うんだ、あんなもの。あんなデカいものを着るのはお前くらいだ」
「けど、あんたはそれを用意してたんじゃないですか」
「用意? いや、別にお前の為に用意してたわけじゃない」
「そんなこと言われなくてもわかってますよ」
少し傷付いた顔。ああ、またなにか悪いことを言ってしまったのだろうか。今朝は何をやっても何を言ってもうまくいかない。そういう日も確かにあるものだが、何もそれが今日でなくてもよかったろうに。
「でも、誰かが着るから置いてあったんでしょう?」
「いや、捨てるのが面倒だったから、だな。というより、本当は、ヒューズがあんまり馬鹿笑いするから、いつか役に立ててやろうと思ったんだ」
いまだにハボックの腕の中にいたことに気付いて、慌てて体を押し遣りながらの言葉に、けれど、目の前の大きな体が硬直する。
「え?」
「なんだ?」
「だって、誰かの為に用意してあるんでしょう?」
「何をだ?」
「だから大きな下着とかシャツとか」
だから、コイツはさっきから一体なにを拘っているんだ?
「ヒューズの為のものならあるが?」
「いえ、でもそれはヒューズ中佐には大きいでしょう?」
ハボックがゴミ箱を指差す。
「ああ。間違えたんだ」
「…え?」
「昔からよくやるんだ。そこらにあるものを適当に掴んで買って来るのはやめろといつもヒューズに説教されて……、ハボック?」
目の前の蒼い瞳がまるく見開かれる。
「どうした? なにか…」
「大佐!」
突然大きな体が消えたかと思うと、次の瞬間、足元に土下座するハボックに唖然とする。
「な、何をしている?」
「すみませんでしたっ!」
「ハボック?」
「俺、勘違いしてました! さっきの台詞、忘れてくれとか調子のいいことは言えないっすけど、でもすみませんっ、本当にごめんなさいっ!」
一体なにがどうしたと言うんだ? 足元に這いつくばるハボックの前に思わず腰をおとして。
「ハボック? お前いったい何を?」
「嫉妬したんです」
「…は?」
「あんたの浴室や寝室に男物の着替えや、下着まで置いてあって…」
「なっ」
自分の犯した失態に漸く気付いて、言葉を失った。
普通では有り得ないその状況に、こいつはきっと傷付いたのだということに、初めて気付く。
「最初は中佐だと思ったんです。でもサイズが違うから。あんたの周りにはもっと他にも俺の知らない奴がいるのかと思って、思ったら堪らなくて、俺にそんなこと言う権利なんてないですけれど、でもすごく悔しくて、こんなに舞い上がってる自分がバカみたいで、腹がたって悔しくて悲しくてそれで…」
「私が他の男と寝てると?」
「すみませんっ!」
床に頭を擦り付けるハボックを見つめながら、必死に考える。
(嫉妬した?)
嫉妬したのだとコイツは言ったのか? ということはどういうことだ? つまり?
「顔をあげろ、ハボック」
「はい」
擦り付けた額を赤くしたハボックが、ひどく殊勝な顔でみつめてくる。
「ひとつ訊かせて貰ってもいいか?」
「はい」
「おまえは」
そしてひとつ大きく息を吸って。
「私のことを好きなのか?」

ずっと気になっていた金色の髪と蒼い瞳と。
手を伸ばせば届くところにあるそれをみつめて返事を待つ。


「大佐」
ああ、この声もすきだな。
そう思って少し微笑んだとき。
その声がきこえる。


「好きです」


「そうか。奇遇だな…」

わたしもだ。そう続ける前に、その大きな腕に抱き締められていた。






『恋患い10〜ハボ編』に続く