恋患い5 / 白猫
【ハボロイ】




『恋患い5〜ロイ編〜』




シン、と静まり返った部屋。
いつまでも枕に突っ伏していたところで埒があかないと、そっと顔をハボックの方へと向ける。
取り合えず、何かを言わなくてはならない。
「あー…」
だが、何を?
唇を噛み締めて俯いたままのハボックの沈痛な表情に胸がちくちくと痛む。
「ハボック」
「はいっ」
飛び上がるかのようにして顔を上げたハボックの蒼い目が、いつものように綺麗に輝いていないのが酷く痛々しかった。本当ならすぐに誤解を解くべきなのだろう。しかしその為には、いろいろとはっきり伝えなくてはならないことが多過ぎる。そしてそれを正しく伝えられる程には、自分もまだ平静ではないのは確かだった。
此処は一旦お互いに一人で考える時間が必要ではないだろうか。思ってなかった方向に流れていく状況についてゆっくり考えるために、そして、自分よりもずっと混乱しているであろうコイツにも考える時間は与えるべきだろうから。僅かな時間でいい。コイツをこの場から離れさせるために、思い付いたいちばん簡単で無理のない方法がひとつ。
「シャワーを浴びたいのだが」
「は、はいっ! すぐに用意してきますっ」
慌ててベッドから飛び降りたハボックが裸のまま部屋を飛び出そうとするのを見て、慌てて声を掛ける。
「ハボック!」
「はいっ」
扉のところで立ち止まった奴が、振り向く。
「ついでにお前が先に浴びてこい。脱衣所の棚にサイズのデカいバスローブやシャツが突っ込んであるから、どれでも使えばいい。ひとつくらいはお前にも着られそうなものがあるだろう」
出張に来るたびに、この部屋に泊まっていく親友の為に用意してある着替え。いい加減に揃えたソレに、こんなデカイものが着られるかと呆れられたことが何度かあった。ヒューズに大き過ぎるものなら、コイツには多分丁度いいだろう。
「え? ついでって…」
何か言いかけて、漸く何も身に着けていない自分の姿に気が付いたらしいハボックが、見る見るうちに顔を真っ赤に染める。
「わっ、す、すいませんっ!」
そのまま寝室を飛び出していったハボックに思わず笑みを漏らしてから、それどころではないことを思い出して小さな溜息を一つ。
ハボックが戻ってくるまでにしなければならないことを頭のなかで纏めながら、急いでベッドを降りて、部屋の角に置いてある電話へと向かった。


「では宜しく頼む」
二件目の電話を終えて受話器を下ろすと耳を澄ませる。浴室からは、特に何の物音も聴こえてこないということは、きっと今頃この状況についてひたすら考え込んでいるのだろう。
無理もなかった。目覚めたとき、隣に同性の上司が素裸で眠っていれば、驚きもするだろう。自分だったら、何か考える以前に相手を燃やしていてもおかしくはない事態。
あいつはどう思ったのだろう。

(あんたを好きだということ)

あれは本当なのだろうか。あいつは本当にそんなことを思っていたのだろうか。あの状況で、咄嗟にあんな嘘がつけるほど、ずる賢いヤツでもないだろうけれど。

(あんたを抱きたいとか)

それでも、それがあいつの本音だと簡単に信じてしまえるほど、自分の頭は単純ではなかった。
(上官に口説かれたときの緊急対処法のマニュアルなんぞが出回っているんじゃないだろうな)
相手を取り敢えず良い気分にさせておいて、うまく逃げる方法、だとか。
後腐れなく別れる方法だとか。
(いや、そもそも付き合っていないだろう)
ぶるんと首を振ってから、また溜息をつく。
一体どうしてこういうカタチになってしまったのだろう。いや、それ以前に、自分はどういったカタチになるのを期待していたのだったか。

ずっと気になっていた部下。男になど興味はなかった。これまで、そういう声をかけられたことがなかったわけではない。寧ろ、そういう対象として見られることは、かなり多かったと思うし、慣れてもいた。だがそのすべてをやんわりと、ときには厳しく撥ね付けて来た自分が、今更男相手にそんな感情を向けることになろうとは、一体誰が想像しただろうか。
ジャン・ハボック。
金髪碧眼長身で見目はそこそこ悪くもない。上司には疎んじられ部下には慕われ同僚からは信頼され女性にもまあモテる…が長続きはしない。飄々とした態度に銜え煙草。いつでも眠た気でやる気のなさそうな様子をしているワリに、実は仕事は結構真面目にこなすし、普通の尉官クラスなら避けて通るような雑用や力仕事も厭わない不思議な奴。
最初は純粋な興味だった筈が、何時の間にか、特別な感情をもって見つめるようになっていた。
何度か目撃した可愛らしい女性とのデートの場面。あの蒼い瞳と柔らかい微笑みを向けられる相手に、自分が嫉妬していることに気付いたとき、愕然とすると同時に、自らの思いをはっきりと知った。
コイツを手に入れたい。部下としての忠誠心だけではなく、もっと個人的な気持ちを向けられたい。
その思いが即性欲に結びついた訳ではなかったが、それでも少しずつ、そういう方向に気持ちが向かったのは当然の事だろう。そして、その思いとタイミングが見事に重なった昨日、漸くこの部屋まで連れ込んで自分のベッドに裸で引っ張り込むまで進んだというのに。
はあ。と、もう何度目なのか判らなくなった溜息をつく。
なんとかしたかった。勝手な勘違いの末、ひどく落ち込んでいるらしいヤツ。ここで、自分が動かなければ、きっともう二度とこんな機会はないだろう。アイツは、もう決して、自分の前で酔っぱらったり醜態を晒すことなどなくなり、これまで以上に、ただの上司と部下となり、すべての思いは消えてしまうことだろう。
「冗談じゃない」
そんなこと、あってたまるものか。
もしも、ハボックが、そんな関係を望んでいないというのなら仕方がない。けれど、もしも、さっきの言葉のなかに、僅かでも本音があるというのなら。
かたん。
小さな物音と背後で感じた気配にゆっくりと振り向く。
コイツを自分のものにするために。
これからが勝負だった。





『恋患い6〜ハボック編〜』に続く