| 恋患い12 / 白猫 |
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【ハボロイ】 『恋患い12〜ハボック編』 心臓の音が聴こえた。抱き締めた腕の中で黙って寄添ってくれる大切なひとにも、この音は聴こえているだろう。そして、こんなにも緊張している自分を、きっと笑っているに違いない。 「大佐」 耳許でそっと囁く。いま、自分の腕の中にいるのが、ほんとうにこの人なのだということがいまだにどこか信じられずに。けれど、呼び掛けた声に、腕の中の存在は、そっと頬を擦り寄せてくる。 「大佐」 それがもうどうしようもなく嬉しくて。こんどの声はさぞ甘ったるくて間抜けたものになっただろう。艶やかな黒髪を撫でると、胸に寄り掛かるひとが、ほんの少し身体を震わせた。 「どうかしました? 大佐」 「何がだ」 「笑ったでしょう、いま」 「見てもいないクセに、いい加減だな」 「わかりますよ、それくらい。もうずっとあんたを見てきてるんですから」 「殺し文句のつもりか?」 「オチてくれます?」 「私をオトそうなどと100年早い。若造が」 「ひでぇ」 いつもとなんら変わったところのないエラそうな物言いに、嬉しさと可笑しさが入り交じった笑いを漏らすと、また摺寄せられるのがひどくこそばゆい。まるで気紛れをおこした猫のように懐いてくるひとが堪らなく愛しくて。 「大佐。あんた、なんか、猫みたいっスね」 「ぁあ?」 「喉、鳴らしてくださいよ」 「バカか、お前は」 呆れたように溜息をつくひと。けれど怒ってるわけではなく、面白がってることくらい解るから。 「ほら、また笑った」 「お前が可笑しいからだ」 「俺っすか?」 「ああ。変な奴だな、お前は」 「あんたには負けます」 柔らかい髪をくしゃりと撫でる。 「朝食が冷めてしまうな」 「この状態でそんなこと気にしますか」 やっぱりヘンなのはあんたですよ。 バスローブとシャツと。お互い半裸で抱き締め合いながら、冷めてしまう朝食を心配するひとに笑いかける。 「お前が朝ちゃんと食べないと体力がもたないと言ったんだろう」 「今日は仕事もないんですし、少しくらい食べなくても平気ですよ」 「駄目だ。いつもちゃんと採っているんだろう。なら、きちんと採らないと保たないぞ」 「って、あんた、俺にそんな体力つけさせて一体なにをさせようって思ってるんですか?」 「なにって…」 また書斎の本を移動させたいとか言い出すんだろうか。以前、非番の日にやらされたことのある力仕事を思い出していると、目の前のロイの顔が突然赤く染まった。 「え、大佐? なにを…」 体力をつけさせてナニをさせようと。 不意に、いま、この人が考えているだろうことに思い当たって、頭に一気に熱が昇る。 「ちょっと待て。ハボック、お前、一体何を想像してるっ」 「大佐こそっ。というか、大丈夫です、それなら、全然体力余ってますし、その、途中で元気がなくなるなんてこと、あんた相手に有り得ないっすから!」 「ばっ…」 咄嗟に叫んだ台詞に腕の中の身体が離れていこうとするのを感じて、慌てて強く抱き締める。今、このひとを放す気など微塵もなかった。 「ハボッ…」 「大佐」 もう二度と怒らせたり傷付けたり悲しませたりしないように、できる限り優しく囁きかける。 「ね、大佐」 抱き締めたい。接吻けたい。すべてをもういちどはじめから。 「…しても、いいですか?」 「何をだ」 「キス」 「…それだけか?」 「まさか」 許されている、ということがこんなにも嬉しくて愛しいということを。 「あんたがしたいって思ってること全部」 このひとに少しでも知って欲しい。そしてこのひとに与えられた気持ちと優しさをこんどは自分から与えたい。 「私がしたいと思っても、果たしてお前がついてこられるか、だな」 少しだけ意地悪そうに唇の端を上げたひとに、そっと微笑みかける。 「もちろんついていきますよ、…今度は」 「今度は?」 ああ、また許されている。このプライドの高いひとが、昨夜のことを忘れるはずもないというのに。 「大佐」 「なんだ」 「昨夜、本当にすみませんでした」 「昨夜…?」 僅かに首を傾げたひとが、すぐに困った顔になって眉を顰めた。 「ああ、いや、あれは…」 本当はもう触れられたくないことなのかもしれない。けれど、そんなわけにはいかないから。 「ほんとはね、昨日の自分をぶん殴ってしまいたい気分なんです」 「…は?」 不審そうな表情。 「ハボック?」 「俺ね、大佐。あんたのことを抱いた自分がどんなに有頂天で気持ちよくて嬉しかったかすごくよくわかるんです。もちろん覚えてるわけじゃないんスけど、でもあんたのことを抱いた自分がどんなにしあわせだったかは、はっきりわかります。けど」 そう、わかる。このひとを抱いた自分が、どんなにしあわせな思いをしたのかも。好きだという感情や想いなど隠し通せると思っていたこれまでの自分がどれほど愚かだったかも。 「でも、昨日の俺はきっと全然余裕なんてなくてがっついてて、しかもどうしようもなく酔っぱらってて無茶だっていっぱいして、あんたのこと全然大事にしてやれなくて、たくさん傷付けて…」 記憶がなくなるほどに酔った自分が、それまでひた隠しにしてきた想いをどんなカタチでぶつけてしまったのか。信頼してくれていたこのひとは、一体どんな思いでそんな自分を受け入れたのか。 「だから、こんどはあんたのこと、誰よりもいちばん大切なんだってこと、あんたにわかってもらえるようにしたいんです。いえ、だからって、あんたを満足させられるかっていったら、そんな自信があるっていうワケじゃないんスけど、でも…」 どうしようもなく馬鹿な自分を、どうしようもなく甘やかしてくれたこのひとに。 「でも?」 「あんたのことが好きだから」 この想いを知って欲しい。 「俺があんたのことをどんなに好きか、あんたに少しでもわかってほしいから」 貴方にこの想いを届けたい。 どうかもういちど最初から。 こんなことを言えた立場ではないとわかっているけれど、でも、どうか。 もういちど貴方を。 「抱かせてください」 必死に絞り出した声は、みっともなく掠れた。 まっすぐに見つめた黒い瞳が、きれいにゆれて。 なによりも雄弁なその瞳と押し付けられた身体の熱。 気の遠くなりそうな思いで、強く抱き締めながら痛い程に思う。 ああ。 このひとを愛している。 『恋患い13』に続く |