悟浄君の家庭の事情 -3-
 『今すぐ来い』
 突然のことに呆然とした悟浄の耳に、川の近くだ、とだけ言葉が続き。
 電話は切れた。







 「・・怪しまれない外出の理由を言い残してきたんだろうな」
 顔を合わせるなりそう言った想い人の体に、悟浄は思わずこめかみのあたりを歪ませる。
 「つーか、それが、ここまで必死に走ってきた・・」
 「これだけの距離で息がきれてんのか、年なんじゃねぇのか」
 川原の草の上に座りながら夜空を見上げて言う相手は、常日頃よりも口数が多いようだ。自分の科白も、さらりと遮ってくれた。酔っているのか機嫌がいいのかはわからないが、そのことをおもしろく思うべきなのか腹立たしく思うべきなのか・・などと考えつつ、悟浄は三蔵の隣に腰を下ろす。
 少し離れたところに見える橋の上を、電車が通っていった。なんとなくそれを見送ってしまってから、悟浄は今更のように目の前に広がる川を見つめる。
 自分達の住む家から歩いて五分ほどのところにあるこの場所は、昼は近所の住人で占領されている。キャッチボールをする者、犬の散歩に来る者といったふうに目的は様々だが、休日はとくににぎわっている。そんな悟浄もジープをつれて何気なく通りかかることが多いのだが、今目の前に広がる光景は昼間の雰囲気とはまるで違う。黒く光る水の色だとか、静かに吹いてきた風が揺らした草の音だとか。そんなものが主になって、異なる夜の世界をつくり出している。
 「珍しーじゃん、三蔵サマが酔うなんて」
 ふと思い浮かんだ言葉を、悟浄は口にしてみた。
 「・・教授に酌をされて、断りきれなかっただけだ」
 今日の主役だとか言われて、と続けられた言葉に、なるほど、と悟浄は納得する。珍しく飲み会などというものに顔を出すことになったのも、それが理由なのだろう。
 「論文が、いい評価でももらえたワケ?」
 「・・まぁ、そんなところだ」
 「それはそれは、おめでとうゴザイマス」
 「気持ちがこもってねぇんだよ」
 舌打ちをしながら言って、三蔵は首を更に後ろへとそらす。涼しい夜風を身体で受け止めるのが、心地よいようだ。
 「いえいえ、俺としても嬉しいのよ」
 「・・なんでだよ」
 「三蔵サマが論文を書くときに使ったパソコンを、手取り足取り教えた身としては」
 意味ありげな笑みを浮かべながら悟浄が言った言葉には、舌打ちが返された。
 「ホントのことでしょ?」
 「・・うるせぇんだよ」
 視線をそらす相手を見つめつつ、あーこういうトコロまでもが可愛く思えちゃうのって、もー終わりかも、などと考えながら悟浄は苦笑を浮かべた。
 そんなとき、ふと。
 先程から見つめている景色に、なんらかの違和感を抱いた。
 この違和感はなんだろう、などと思いながらも悟浄は口を開く。
 「・・親父」
 言ってしまってから、何も今この場で話題に出さなくてもよかったかも、と少しだけ思ったものの、悟浄は静かに言葉を続けていた。
 「親父を呼べばいいのに」
 三蔵の瞳が、わずかに眇められたように見えた。
 「俺じゃなくて。家にいたんだし」
 「・・アイツは、うるせぇんだよ」
 いろいろと、と続けられた言葉に、悟浄は一度だけ瞬きをする。
 「どれくらい飲んだのかとか過程を事細かに聞いてくるだろうし、もっと自分の立場を意識しろとかワケのわからねぇことを言ってくるときもあるし」
 ・・つまり。
 表向きはそれが面倒だと言いたいんだろうけど、結局は心配をかけたくないわけね、と内心で呟いて、悟浄はひきつったような笑みを浮かべてしまった。
 本人はその気はないかもしれないが・・いや、その気がないのなら余計に厄介なのだが、のろけられているとしか思えない。あー、ったくー、と口に出してしまいそうになるのをなんとか抑えて、悟浄は目の前の景色に視線を戻した。
 そして。
 「・・あ」
 と、思わず声を出してしまう。
 その声の理由を瞳で問い掛けてくる三蔵へと、あ、いや・・と悟浄は言葉を紡いだ。
 「さっきから、なんか変な感じがするなーと思ってたのよ、この景色」
 目の前に広がる川と、向こう側の土手と。その更に向こうの、闇の中に建つ家々。
 穏やかな雰囲気のまま何も変わらないと思っていたのにもかかわらず、何かしらの違和感を抱いていたのだが。
 「・・明かりが消えてんのね」
 家の、と悟浄が言葉を続けるなり、三蔵が視線を前方に戻した。
 二人が見守るように視線を注ぐ中、また一つ明かりが消える。
 「やっぱり、これだ」
 どこか楽しそうに、悟浄は言った。
 「うわー、謎がとけてすっきりしたー」
 さっきから気になってたのよ、と草原の上に寝転びながら言う男を見て、三蔵はため息をついた。
 「・・何かと思えば、そんなことか」
 「だって、気になるっしょ。一見何も変わってないのに、見るたびになんかが変わってんのよ?」
 「それくらい、最初から気づけ」
 「気づけなかったもんは、仕方ねーっての」
 悟浄が口を開くなり、また橋の上を電車が通り過ぎていって。
 最後の方の言葉は、三蔵の耳には届かなかったようだ。
 「・・賭け、しない?」
 訝しげな表情をしている三蔵へと、電車の音の余韻が消えてから、悟浄は口を開く。
 「あ?」
 「次に消えるのは、どこの明かりか」
 川の向こうを指差しながら言う悟浄の前で、三蔵は深いため息をついた。
 「・・ヒマだな、貴様も」
 「誰かさんの酔いがさめるまで、手持ち無沙汰なんでねー」
 「・・・・あれだ」
 肩をすくめるようにして言った悟浄の言葉を無視して、三蔵は言った。
 「どれ?」
 「あの・・大きな建物の、隣」
 「あー、アレね」
 それじゃ、と悟浄はそこからしばらく離れたところにある明かりを指さした。
 「俺は、アレ」
 どっちがはやく消えるかなー、などと言う悟浄の方へと視線を移動させて、ふと三蔵が口を開く。
 「・・おい」
 「ん?」
 「どっちも消えなかったら、どうするんだ?」
 「・・・・あー」
 前髪をかき上げるようにしながら言って、悟浄は口元だけの笑みを浮かべた。
 「そういうコトもあるかもねぇ」
 「・・・・馬鹿か、貴様は」
 ため息をつきながら、あきれたように三蔵は言った。
 「そのときは、二人でここで夜明かししよっか」
 「ふざけんな」
 「じゃ、時間を決めればいいんだよな」
 よし、三十分後、と言った悟浄の視界の中で、彼が思いを寄せる存在の隣の明かりが、ふっと消えた。
 「うわ、おしぃーっ!」
 「・・貴様のは、あれじゃなかったのか」
 思わず叫んでしまうなり、横から言葉が呟かれたのに、悟浄は目を見開いてしまう。
 「いや、俺のはその隣・・」
 そこまで言ってため息をついて、悟浄は夜空を見上げていた。
 「・・・・言わなきゃよかった」
 「卑怯者」
 「冗談よ、冗談」
 きっぱりとした口調で紡がれた相手の言葉に苦笑しつつ悟浄が言ったとき、また電車が橋の上を通り過ぎていった。
 それと同時に周囲が電車の光に照らされて、横にいる想い人の姿も浮き上がらせ。
 電車が去っていった後の月光の下で見た相手の綺麗さに、悟浄は今更のように見惚れていた。
 こんな薄暗い世界の中でも、明かりを見つめている相手の肌の白さは存在感を失っていなくて。
 金の髪も不可思議な色をした瞳も、鮮やかに自分の目をひきつけて離さない。
 ・・まー惚れてる立場としては、どんなときでも綺麗だと思っちゃうし、常日頃見られない姿は新鮮に見えるんだろうけど、などと自嘲の笑みを浮かべながら思い、悟浄が前方へと視線を戻そうとしたときのことだった。
 想い人が、ゆっくりとこちらに顔を向けて。
 ほんの少しだけ見上げてきた瞳が、いつもよりも大きく見えた。
 「・・消えたぞ」
 薄い笑みを浮かべながら相手が音にした言葉は、呆けたように見惚れてしまっていたものだから、理解をするのに少なからず時間を要した。
 「・・え?」
 慌てて視線を移動したところで、確かに相手の決めた明かりが消えていたのを認識したものの。
 次の瞬間、反射的に見ていた自分の明かりの方もいつの間にか闇の中に消えていて、悟浄は思わず叫んでいた。
 「つーか、俺のも消えてるって!」
 「知るか、んなこと」
 俺の方がはやかっただろ、と続けられた言葉に、悟浄は納得がいかずに更に叫ぶ。
 「俺の方がはやかったかもしれねーだろっ!少なくとも、同時だっつーのっ!」
 「申告は俺の方がはやかった」
 「んなルール、決めてねーって!」
 「・・・・うるせぇな」
 舌打ちをしながら目の前の想い人がそんなことを言ったのは、悟浄ははっきりと覚えている。
 けれども。
 その手が、不意に自分の髪を強い力で引っ張って。
 いでっ、と思わず声を出してしまったのだが。
 次の瞬間。
 唇に、相手の体温を感じていて。
 悟浄は、目を見開いたままそれを受け止めてしまっていた。
 「・・帰るぞ」
 そんな言葉が、耳に届いて。
 初めて、その体温が離れていったことを知ったくらいで。
 目の前に起こった出来事でありながら、悟浄はいまだに現状の把握ができていなかった。
 やっぱり、相手は酔っていたらしいことだとか。
 賭けに勝って、機嫌がよかったようであることだとか。
 たんに、目の前のうるさい男を黙らせるためだけにしたらしいことだとか。
 もう、そんなことはどうでもよくて。
 一瞬感じた唇の、やわらかさ。
 しかも、それは相手から贈られたもので。
 それ以上に意味をもつものなど、今の自分にはなかった。
 ・・うわ。
 どうしよう。
 「・・・・・・・・めちゃくちゃ嬉しいんだけど」
 下唇に手の甲を軽くあてながら、呟いてしまう。
 心臓は高鳴るのではなく、自分でもまずいのではないかと思うくらいに、音が聞こえてこなくなっていて。
 心臓が止まるかと思った・・とかよく言うけど、マジでとまってんじゃねーだろうな・・などと考えてしまうほどだった。
 そんな彼が我に返ったのは、再び橋の上を電車が通っていったときのことで。
 すでにかなり遠くを歩いている想い人の背を追って、慌てて走り出していた。
 ・・いつか、捕まえてやろーじゃないの。
 追いついた相手の身体を後ろから抱き締めながら、こんなふうに、と悟浄は思う。
 今はまだ、ずっと先の方を、別の人間と一緒に歩いている存在だとしても。
 いつか。
 きっと。











- end, and... ? -



another country


index