STAY WITH ME 5 
--- 花モ嵐モ舞吹雪的物語 2 --- 


















 暖かい日が続き、桜もそろそろ咲き揃ってきた。春爛漫、なんて言葉が似合う陽気だったのが…。 
「花喃さんの結婚式って、明日だったか…?」
 三蔵がカウチから仰け反るように覗く窓の外には、なんと雨から変わったみぞれが降り出していた。風も強い。寒の戻りという奴か。
「…ガーデンパーティー形式にするとか、言ってなかったか…?」
「悪天候の時にはちゃんと屋内になりますよ。…多分」
「行いの悪いヤツが、どっかにいるんだろーな」
「さあて、誰でしょうね」
 僕たちは隣り合って座りながら、知らんぷりで視線をやり取りする。
「まあ、明日の天気は、明日気にしましょう!只今気にするべき事柄が他にありますから」
「ンあ?」
「図書館の貸し出し期限、今日までです」
「…そうだったか?」
「ついでに祝儀袋も買った方がいいでしょう」
「…そんなモン、要るんだったか?」
「更には駅前まで行くなら、醤油の特売日、今日なんですよね。切れかけてるし」
「…オレは醤油無くても我慢出来る」
「図書館の本は三蔵が借りてるんですよ」
「オマエも読んだろーが」
「…三蔵、携帯の料金振り込み、まだだって言ってませんでしたか?ついでに行って来ちゃえばいいじゃないですか?」
「…誰がこんな天気に…」
「…新規購入の本だから、貸し出し予約、きっと詰まってますよ」
「待たせとけ」
「……じゃんけん?」
 三蔵はカウチの背に張り付いた。
「厭だ。寒い。濡れる。本のことは忘れろ。醤油より塩味が好きだ。祝儀袋は明日教会に行く途中に買う。振り込みなんざ、期限はまだまだだ」
「折角じゃんけんにしてもいいって言ってあげてるのにですか?」
「だってみぞれだぞ!」
「…そういう我が儘を言う人は…どうなるか知ってます?」
「!?」
 僕は三蔵が向き直るより早く、脇腹をくすぐった。
「てめ!ヤメロ!!よせ、触ンな!!八戒!?」
 三蔵はすぐに足が出る。振り上げられた片脚を脇に抱え込んで、それでも首筋や足の裏をくすぐる。
「てめェ!?これ以上やると、金輪際触らせねェぞ!!」
「そぉれは、困りますねえ?」
 足の裏をキープしたまま三蔵をひっくり返した。くすぐりながら襟足に接吻ける。
「!八戒、それは反則だろーが!?オイ!!」
 首筋に埋めた僕の頭が、がむしゃらな手に掴まれる。髪が数本抜けたようだけど、気にしないで続けた。
「髪の毛全部引っこ抜いて、強制的にハゲさせるぞ!」
「僕がハゲても構わないんだったら、幾らでもどうぞ。どーせ一生添い遂げるつもりですから、あなたの好み次第なんですよ」
 言葉の内容のくだらなさを気にされないように、出来るだけそっと囁く。耳朶をついつい囓ってしまったのは、本当に反則技かもしれない…と、毎度後から思う。脚から手を離して片手をシャツの裾から忍び込ませた。指を素肌の上にゆっくりと登らせる。
「おい、八戒」
 急に三蔵が口調を換えたので、指を一旦止めた。
「確認なんだがな。オレが諦めなかったら、コレ続ける気なんだな?」
「ええ、そうですけど」
「オレがじゃんけんに同意しても、もしかして今更ヤメる気はないんだろ?」
「まあ、そうかもですね」
 三蔵が、カウチに突っ伏す。柔らかい髪にずっと接吻けを繰り返していると、そのうち肘を突いて顔を上げた。諦めたような、脱力した顔。その頬にも唇を寄せた。
「…しょうがないから続けろ。でもじゃんけんもしない。ふたりで暖かい思いするんだから、ふたり揃って寒い思いしよーぜ」
「…異存ありません」
 閉じた目蓋に音を立てて接吻けると、僕の首に両腕が回された。
 風に吹かれて、みぞれが真横から当たる。却って傘は邪魔なだけだと、最初からフード付きのコートで出掛けた。図書館で本を返し、買い物を済ませる。煙草屋に立ち寄ると、奥の部屋からテレビの天気予報が聞こえた。
「ああ、明日は晴れるって。これからどんどん春めくよ」
 煙草屋のおじいさんは、嬉しそうに教えてくれた。

「よかったな。桜もまだまだ咲くしな。…いい天気になるといいな」
「きっと、悟空がてるてる坊主を沢山作ってたんですよ」
「本当にやりかねんな」
 お気に入りのパンを買う為に、少し離れたマーケットまで遠出することにした。下手をすると顔にまで当たるみぞれの中を、僕たちは寄り添い気味に歩く。そんなことさえ嬉しい。
 川沿いには柳が若葉を萌えさせている。ここの柳は枝垂れずに枝が空に向かって生えている。煉瓦や石造りの古い家屋が残る町並みに、妙に似合うそれは西洋の品種なんだろう。灰色にたれ込めた雲にも、銀色の若葉は負けずに輝く。

 強い突風が起こり、僕は襟元を抑えた。
「…八戒」
 三蔵の視線は川の向こう側だった。小さな赤い傘が飛ばされて、川沿いのフェンスの天辺にひっかかっている。それを途方に暮れたように眺めていた女の子の手がフェンスに掛けられ、よじ登り始める。
「危ねェな…」
 言いながら三蔵は早足になる。10メートル先には橋が架けられている。女の子が傘に手を伸ばした瞬間、また風が吹く。
 そこから先はスローモーションのように見えた。フェンスに絡む取っ手が風で外れ、それを掴んだ女の子ごと傘が舞い上がった。フェンスから落ちる躯。黄色いコート。くるくる回りながら飛ばされる赤い傘。深くて黒い川の水。冷たい、冷たい、みぞれの降る川の水。
 三蔵がフェンスに手を掛けて飛び上がろうとした。
 僕はそれを見た瞬間に、スキー場の光景を思い出した。
 強盗と人質。僕の手をすり抜けた三蔵。ナイフ。雪。喪うかもしれないという…心臓が止まる思い。
 三蔵の腕を掴んで止める。僕に邪魔されて、一瞬信じられないといった顔で振り向く三蔵に、笑顔で荷物を押し付けた。そしてそのままフェンスを駆け上る。

「はっかい!?」
 川に飛び込む僕に、三蔵が叫んだ。

  すいません
  もうあんな思いするくらいだったら、自分がどうにかなった方がマシなんです
  『ナンデ僕ノ目ノ前デ、ワザワザ危険ナコトシタンデス?』
  あんなこと言ったのに、ごめんね
  水が冷たそうだから、僕の心臓止まっちゃったらごめんね
  今度は僕があなたの目の前でどうにかなるかもしれないですね
  でも、あんなに小さな子、やっぱり放っておけなかったですね
  僕もあなたも、目の前で何か起こったらどうしても動いちゃうタチなんですよ

  ねえ、大好きですよ
  あなたと同じことをしようとした僕を、許してくださいね

 全身が真っ黒な水に呑まれる。
 飛び込んだ瞬間に衣服の中に冷たさが染み通り、きゅうっと身が引き締まった。泥味が鼻と口から入って来る。流されながら女の子を捜すと、すぐに黄色いコートが目に入った。失神しているのか、身動きしない。近付こうとしたが衣服が邪魔で動きにくい。
 着衣の水泳は習う機会がなかったからなあ、などと無秩序なことを思う。確か救命だか非難訓練だかのひとつにそういうプログラムがあるのを、テレビで見たことがあった。衣服に空気を溜めて浮き袋状に利用するんだと言っていたっけ。そんなことを思い出した時には、既に服は水を含み鉛のように重たくなっていた。
 ジーンズが脚に張り付き、動こうとするたびにいちいち靴に水が入り重たい。腕だけが、辛うじて空気を含んで動き易く、必死で水をかいて黄色いコートに近付く。水から上がった頭が、凄い勢いで冷えて行く。 
 女の子は、コートに溜まった空気のお陰でずっと浮かんでいたようだった。腕を掴んで引き寄せた顔は、堅く目を閉じている。意識の無いのは心配ではあるけれども、水の中でしがみつかれたら身動きが取れなくなるところだった。
 女の子を抱え込んで、なんとか水縁に向かおうとした瞬間、何かが流れて来るのが目に入った。「立て看板の枠木だ」…そう思った時にはもう目の前で、身を守ろうとした手が針金に引き裂かれた。鈍い痛みと、しびれ。また水の冷たさを意識する。

   段々、動きにくくなって来たなあ…

 腕が重たくて水をかくのが難しく感じられて。

   三蔵、やっぱりごめんなさい
   許して貰えないかもしれないなあ

 躯の感覚が鈍くなって来たので、女の子を抱える腕に力を込め直した。

   あなたのこと、全部好きですよ
   あなたのすることも、したことも、全部愛してますよ

 三蔵の姿をどうしても見たくなって、顔を上げた。

 すぐ傍に沢山の物が突き出されているのが目に飛び込んで来た。傘の取っ手だった。何人もの人がフェンスを乗り越えて、護岸の淵から傘を差し出して叫んでいた。マフラーを垂らす人もいた。
「掴まれ」
「もうちょっとだ、頑張れ」
 言われた通りに、傘に手を伸ばして掴んだ。言われた通りに、頑張ったら力が出た。

 一旦傘を掴むと、後は引き寄せられ、引き上げられるばかりだった。僕の襟まで傘で引っ掛けて引っ張られたみたいだった。大勢の人の喜びの声が上がる。僕がコンクリにへたり込む傍で、女の子は躯を横にされて水を吐かされている。
「水も殆ど飲んでないようだ。救急車がすぐに来る。オマエもそれまで我慢しろ」
 肩に手を置かれ、すぐ傍から三蔵の声がする。それが嬉しくて、見上げて破顔した。途端に三蔵の顔が泣きそうにゆがむ。
「すいませんでした。心配させてごめんなさい」
 言ってみたけど、殆ど声が出て来ない。それどころかガチガチと歯がなって視界が揺れる程だ。体中にも震えが走る。水の中の方が暖かかった。
「救急車より、風呂がイイです」
 それでもなんとか言うと、頭を叩かれた。
「バカか?手の怪我あるだろ。川の中で一瞬血が飛沫いたんだよ!今は血が止まってるけど、躯が暖まったらまた出血するぞ!」
 言われて右手を見ると、ギザギザの傷口が見えた。
 …縫わないといけないかもしれない。飛沫く程に出血しちゃったのか…そういえば頭がガンガンするのって、貧血なのかなあ?寒いせいなのかなあ…。

 救急車が近付くサイレンの音が聞こえて来る。
 ずぶ濡れのコートを引っ剥がされ、三蔵のコートを着せ掛けられたけど、遠慮しようという気も起こらなかった。寒さに震える手を伸ばすと、三蔵が強く、強く握りしめてくれた。

 救急病院で、麻酔ナシで手を縫われた。溶ける糸だとかで、あとは消毒に数回通院すればよいとのことだった。何度か三蔵に頭を叩かれた。僕の携帯は、みごと壊れた。

「…でもアレですよね。図書館で本を借りてなくてよかった。うっかり一緒に飛び込んだりしてたら弁償しなくちゃいけないところだったし」
 そう言うと、また叩かれた。
「祝儀袋も、煙草も無事だったし」
 連続で叩かれる。
「…あなたがあの水に飛び込むことを思ったら、自分がそうした方がマシだったんですよ。見てるのが怖かったから、僕は逃げたんです」
 今度は拳で胸を殴られる。
「あなたを喪うくらいだったら、自分が死ぬ方がラクだと思ったんです。卑怯だけど。…人を好きになると、耐え難いことが増え過ぎるみたいだ。どんどん自分が卑怯になって行く」
 三蔵は僕の胸を叩き続ける。
「ねえ?それでもあなたのことが好きなんです。卑怯でもあなたのことが好きなんです。赦してくれますか?」
 どん。僕の胸に拳を当てる。
「あなたに出会えた人生が、とても嬉しいんです。卑怯で残酷な僕を、赦してくれますか」
 僕の胸に額を押し付ける。

「…ハァ…」
 三蔵は顔を上げると、震える息で深呼吸した。
「…赦したりなんか、しない。絶対一生赦さない。…それでも、オマエに出逢えた人生を愛しく思うよ。…オマエを好きになってよかったよ…」

「例えいつか喪っても、オマエを好きになった人生を愛しむよ」
 翌日は朝から一気に雲が晴れた。
 日差しに、ぐんぐん気温が上がる。見ている目の前で、桜の蕾が膨らみ、咲きこぼれて行く。昨日のみぞれ雨にも負けなかった花が、僅かな風に吹雪いた。
 開けた窓から花びらが舞い込む。

「きれいですねえ」
「動くな。首絞めんぞ」
 包帯だらけの右手を「はーい」のポーズに挙げた。
 動かすと傷口が痛むので、ネクタイを三蔵に締めて貰った。ええと、シャツの袖口のボタンも実は頼んだりした。手を濡らせないので、髪を洗って貰ったし、洗い物も全部やってくれた。
「期間限定、激甘やかし」
 …だとのことだけど、利子が高く付きそうだ。

 教会で挙げる結婚式は、華やかで厳かだった。赤い絨毯の上をドレスの裾を長く引く花喃さんは、とても美しかった。高窓のステンドグラスがきらきらと輝き、新郎新婦の上に光を投げかける。
 神父が聖書を読み上げ、オルガンが響き、聖歌隊が賛美歌を歌った。
 式が終わり、ライスシャワーの中、花喃さんは女友達にブーケを投げた。うっすらとピンクがかったばらの可愛らしいブーケを、女の子達が嬉しそうに囲む。
 明るい芝生の上に真っ白なテーブルを置いたガーデンパーティーは、とても楽しく進んだ。小さなシューを積み上げたケーキは上手に出来上がっていて、とても美味しいと伝えると花喃さんは嬉しそうに微笑む。
「これからは自力で頑張るわよ」
 とても自信ありげに言い、そしてこっそり「でも時々助けてね」と続けた。
 悟空は少しだけ切なそうに、それでも嬉しそうにそれを見る。
「なあ?俺の姉ちゃんだもん、きれいだろ?…ヘンなこと、言ってねーよな、ふたり共!」
 優しい笑顔の唇を、少しだけ悪戯そうに引き上げる。

 ガーデンを縁取る桜の花が、光りながら揺れる。

 三蔵の髪に桜の花びらを見つけ、手を伸ばし掛けてやめる。
「なんだ?」
「…いいえ。いい天気ですね。とてもいい日ですね」
「…ああ」
 シャンパンのグラスを、日差しに掲げた。

「佳き日に」
「佳き日に」























AND "LOST HEARTS, TENDER HEARTS"

「ふうっ!つっかれたーーー!!」
 悟空はネクタイとジャケットを放り投げた。
「これ!この子はお行儀悪いよ!」
「なーんだよ、かーちゃんもとーちゃんも緊張しまくってたクセに!」
「そりゃ、当たり前でしょ。娘の結婚式なんて始めてなんだから」
「なんだよそれ。…ところでなんかない?腹減っちゃった」
「お前、あれだけ食ってたじゃないか…」
「小腹膨らます程度だよ」
 テーブルについた悟空は、中央に置かれた花瓶を見る。ほんのりピンクのばらの花束。

『私のブーケとお揃いの花なの。暫く私の代わりに飾っておいてね』

 昨晩、そう言って花喃が活けて行ったのだ。
「…替わりだってさ。莫迦言ってら」
 今まで座る人のあった、テーブルの空席が目に入る。カラッポの椅子。
「…ああ、本当にいなくなっちゃったんだなあ…」
 今まで留めておいた涙が、とうとう流れ出た。
「おや?なんだい、この子は。おかしな子だね。今日はおめでたい日だよ」
 笑いながら、悟空の髪を撫でる手に涙が落ちる。
「アレだな。今日は全員揃って花粉症アレルギーが目に来たな。母さん、ビール出してくれ」
 鼻をすすり上げながら、新聞をめくる音がした。

 座る人のいなくなった椅子を、愛しく眺めながら。























  愛は寛容であり、愛は情け深い。
  また、ねたむことをしない。
  愛は高ぶらない、誇らない、また不作法をしない。
  自分の利益を求めない、苛立たない、恨みをいだかない。
  不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
  そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

  愛はいつまでも絶えることはない。

                   (コリント人への第一の手紙 第13章)





















 終 







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