STAY WITH ME 12 
--- 青少年物思フ秋的物語 3 --- 


















 真っ直ぐ部屋に帰る気も起こらずに、悟浄を付き合わせてパチンコ屋に立ち寄った。
「ここんとこの釘狙って、弱めに打ってみ」
 隣から指をさして教えてくれる場所を狙うが、玉はあっと言う間に吸い込まれて消える。
 軍艦マーチ、演歌、ヒット曲。景気の良さそうな曲が大音量で店内に流れている。更にそれをかき消す勢いの、パチンコ台からの電子音、じゃらじゃらと箱へと流れ込む玉の音、店内アナウンス。ひっきりなしに点滅する電飾が視界に入る。
「……ま、ライバルというには、不利だよなあ」
 立ちこめる煙草の煙に、更に煙を追加しながら悟浄が言った。
「社長とオジサンと理事のトリプルタッグ相手だもんなあ。……クソ、リーチばっかかよ」
 目線を前に向けたまま、咥え煙草で。
「人生、そんな時もあらぁな。お、来い来い来い来い……」
 くるくる回るばかりでリーチ続きの絵柄を睨み付け、言う。
「自分が嫌になるんですよ。楽しそうな三蔵を見て、素直に喜べない自分が情け無いというか」
 僕の台の絵柄もくるくると回るが、ふたつまでしか揃わない。玉は小出しに出て来るだけだ。
「過ぎた時間のコトじゃ、太刀打ちの仕様がないもんなあ。元彼プレゼントのアクセ付けてる女に、文句も言えねーしってカンジ?プレゼント贈った男の下心が判るだけにもやもやーっとはするものの、焼き餅妬くのも大人げないし。ただ何となく……」
「面白くないんですよねえ……」
 暫く黙ったまま、並んでハンドルを握り続けた。
 聞き覚えのある曲が、聞いたこともないような音量で流れ続けた。重なる店内アナウンスに、歌詞を聞き取ることも出来ない。狭い通路を通る人が、背後から台と手許足下を覗き込んでは、過ぎて行く。
 うら寂しい気分に支配されそうだった。
「あ。来る」
「え?」
 並んだ絵柄の、最後のひとつがゆっくり止まる所だった。
「バカ、ナニ手ェ離してんだよ!」
 慌てて台のハンドルを回し続けると、急に銀色の小さな玉が、ざららん、ざららん、と、滝のように流れ出て来た。僕の台のチューリップやらポケットやらは、いつの間にか全開になっていた。
「うわ。溢れます!箱!?箱なんてどこにもありませんよ!」
「ヒトを呼べよ!」
 視線を彷徨わせると、フロアを行き来していた店員がすぐさま箱を運んで来た。スーツの上に紅白の法被鉢巻きという出で立ちのめでたさを、後からぼんやり不思議に思った。

「何だよ。尾羽うち枯らしてるかと思ったら、結構景気いいんじゃねーかよ。これだから勝負運強い奴はオモシロクねえ!」
 お裾分けのハイライトのカートンで、悟浄は僕の頭を小突いた。
「八戒。お前は一度、どん底を見た方がいいな。…クソ、心配して損した」
「心配してくれてたんですか?」
 もう一度頭を小突かれるので、煙草を取り返そうと腕を振り回してみた。
「頼まれたって、もうしてやんねぇよ」
 そのままふいと離れて行く。
 悟浄はこれから、またどこかへ。
 僕は、部屋へと。
 気の早い空は、すっかり日暮れの色に染まっていた。
 帰宅後すぐに、僕はキッチンへ向かった。
 面白かろうが、面白くなかろうが、お腹は減る。ひとりで寒い部屋にいたところで、滅入る方へ思考が向くばかりだ。建設的な方向に、気分を転換させなくては。
 温まるものを作るからと、朝三蔵に約束をしたことだし。
 暖かく湯気の上がる、躯に滋養が染み込むようなもの。アサリをたっぷりワインで蒸して、小さなさいころにした根菜を崩れる寸前まで煮込み、牛乳と生クリームで優しい味に仕立てたクラムチャウダー。トマトベースの赤にしようか、牛乳ベースの白にしようか、悩んだもののじわりとした甘味が欲しくて、白いクラムチャウダーにした。

 クラムチャウダーとクラッカー。カニとホワイトアスパラのミモザサラダ。鍋からあがる湯気を見ているうちに、とても暖かな気持ちになったのだけど。
 携帯の呼び出しが鳴った。
 とても嫌な予感がした。

『飯、もう作っちまったか?』
 作りましたけど、温め直しのきくものですから。
 それに主食はクラッカーです。
 サラダもドレッシングは掛けてませんから、明日の朝でも食べられますよ。
『そうか。悪いが食って帰る。遅くなると思う』
 電車逃すと、タクシー拾えませんよ?
『最悪、歩いて帰る』
 風邪をひかないように、お気をつけて。
『ああ。先に休ん…』
 切断。

 サラダボウルを冷蔵庫に突っ込み、教科書と辞書を山程抱え込んで、ベッドに転がった。
「赤だろうが白だろうが、どっちでもよかったんじゃないですか」
 以前見せて貰ったフィルムの、高校生くらいの三蔵の後ろに並んだ桜並木に、ボストンの高校に通っていたんですか、という話をしたことがあったなんて。それでニューヨーク風のトマトのクラムチャウダーではなく、ボストン名物の方の白いニューイングランド・クラムチャウダーにしただなんて。
 別に言われなければきっと思い出さない、気付かれないだろうことまで。
 音を立ててページを捲る。
「運、使い果たしちゃったんでしょうか」
 ひとりごとを口に出したら、それで躯の中から空気が抜け出てしまったようだった。
 本を顔の上に落とす。
 乾いたページの、少しひんやりとした感触を頬に感じる。

 相当、どん底な気分なんですが。
 心配だの同情だの、して欲しいヒトは傍にはいなくて。

 溜息をついて本を取り上げ、またページを捲り始めた。
 結局起き出しデスクに向かい、何時間かが経過した。疲れを感じて目頭を押さえた、その時また携帯が鳴った。
『あんた、八戒さん?』
 三蔵の携帯からの電話に、聞き覚えのない声。
『悪い、呑ませ過ぎちまったんだが……。三蔵があんたに電話しろと。今、終電が来るとこなんだが、八戒さん、あんた駅まで迎えに来られるか?』
 もう上着は手に取っている。
『あ、電車。じゃ、また』
 施錠だけして、階段を駆け下りた。
 外は寒空。吸い込んだ空気に鼻と喉が痛んだ。不貞腐れて抜いてしまった夕食の所為か、今頃空腹を覚え出す。
「……全く。あの人はもう」
 自分の呼吸の音しか耳に届かず、枯葉は僕が足を進める度に、くるくる回りながら吹き飛んで行く。
「……全く。三蔵は!」
 寒さと、空腹と、深夜に呼び出された不快と。そんなものに腹を立てながら走った。何より三蔵が……
 酔っぱらってる?
 電話に出られないくらいに?
 電車にもひとりで乗れない程に!?
 一体今、どういう状況なんだ!?

「全く、三蔵!あなたって人は〜〜〜〜〜!!」

 苛立ち紛れで、駅までずっと駆け通した。
 減速した電車のライトが、プラットホームに立つ僕の前を通り過ぎて止まった。
 週末の最終電車から、ばらばらと人が吐き出されて行く。改札口近くから視線を走らせ、のんびり最後に降りて来る男を目に留めた。軽そうな革ジャケットを着た、三十代の男。しきりに躯を揺らしていた。
 三蔵が、背に負われている。
 それを見て取った僕は、また駆け出した。
「八戒さん?お迎え、お疲れさん」
 一メートルの距離まで近付き止まる僕に、男は……朱泱さんは声を掛け、急にくしゃりと笑み零した。まばらに生やした不精髭がしぶとさを伺わせるのに、同時に人懐こさを感じさせる笑顔だった。

「三蔵」
「おい、起きろ。迎えだ。わざわざのお出迎えだ。このお坊ちゃまめ」
 目を醒ます様子のない三蔵を受け取ろうとすると、朱泱さんに首を振るわれた。
「駅出るまで背負ってくよ。途中までタクシー一緒するか?じゃ、タクシー乗り場まで、な」
 よっこらせ、と、声に出して背負い直す。

 三蔵は、ぐっすりと眠っていた。暖かな背中に寄り掛かり、無防備な寝顔を晒していた。口元がほころんでいるように、僕には見えた。
「重たくなったもんだなあ。昔はコメの袋程度しかなかったような気がしたんだがなあ」
「子供の頃の三蔵……背負って遊んだり、なさったんですか?」
「背負うというか、ほら、ガキって体力ありげな奴には懐くだろ?お約束のプロレスごっことか、肩にぶら下がるとか、腕掴んでぐるぐる回すとか」
「子供がお好きなんですか?」
 改札口を出たところで急に吹き付けて来た風を、朱泱さんの笑い声が吹き飛ばした。
「いや、単に自分がガキだったってだけだと思うぜ?却ってこっちの方が、遊んで貰ってたのかもしれねぇしな。……あ、今の、コイツにはオフレコで頼むぜ。“遊んであげた親切なお兄さん”で刷り込みしてるから」
 朱泱さんは随分と朗らかな人のようだったが、『コイツ』と口に出した時の瞳は、更に和らいだ色を映した。
 幼い三蔵を知り、三蔵を育てた人を知り、そして今の三蔵を知り。この人は、出逢えたことに純粋に驚きと歓びを感じているのだと判った。
 この人を、嫌いになれそうになかった。

 僕は漸く、敗北感を受け容れた。

 タクシー乗り場には、順調に車が回って来ているようだった。
 行列の先頭まで、あと二、三人というところで、三蔵を背中から下ろそうとする。
「おい、三蔵立て。……お前、もっと酒強くなっとけよ」
「三蔵、足下気をつけて」
 揺れる躯を支えようとしたのに、三蔵は地面に足を下ろしたものの、朱泱さんの首から中々腕を外そうとしなかった。肩幅の広い背中に、片頬を押し付けて眠り続けようとする。
「重てえよ、お前一体、幾つになったんだ!?」
 タクシー行列に並ぶ人達が振り向くような大声で朱泱さんが笑い出し、三蔵もしぶしぶと目を開け、首に回した腕を離そうとした。
「あ!」
「ン?」
 僕に肩を抱えられたまま、三蔵は朱泱さんの頬に掌を触れさせた。
「朱泱、あんた、ジョリジョリのヒトか!」
「はぁ!?三蔵、てめ。今まで思い出せなかったのか!?」
 朱泱さんの首に巻き付けていた腕を離そうとして、頬に触れた。無精髭の覆う、頬だ。
 しかし、『ジョリジョリのヒト』。
 子供の頃の三蔵が、どういう目に遭わされたのかは想像し易いが、余りな名前のような気がする。
 それを、朱泱さんは嬉しげにおうむ返しにした。
「今の今まで思い出せなかった罰だ。『ジョリジョリ』だ!」
「うわぁっ!よせ、朱泱……ヤメろお!?」

 しばし。
 茫然としてしまった。

 朱泱さんは両手で三蔵の頬を押さえると、自分の頬を擦り付けた。

「……!?」

 つい、三蔵の躯を引き寄せて、朱泱さんの肩を押し返してしまった。その勢いのまま、にっこりと微笑む。
「すみません、つい」
 朱泱さんが肩をすくめて見せた。
「怖えな」
 僕がまだ、三蔵の躯を抱き込むように引き寄せているのを見て、朱泱さんがにやりと笑った。
「ま、昔っから、俺が髭擦り付けてるの見たら、誰かしらが助け出してたしな。……やっぱり大人になっちまった男にやっても、面白くないしなあ」
「そうでしょうねえ」
 漸く酔いの醒めた三蔵だけが、怒った猫のように目を光らせていた。

 タクシーは、怒って黙りこくった三蔵が助手席に、僕と朱泱さんが後部に乗り込んだ
 はしゃぎ過ぎたのか、沈黙しがちなままアパートの前に到着する。財布は、出そうとする前に止められた。
「今日の分の交通費だから。入力も手分けして全部なんとか終わったし。今までご苦労サンだったな、三蔵」
「アンタのところの仕事は、もう懲り懲りだ。給与は忘れずちゃんと振り込めよ」
「冷てぇな」
 車からさっさと降りてしまった三蔵に、朱泱さんは苦笑を漏らした。
「八戒さん」
 続いて降車した僕は、囁き声で呼び止められて、開いたウィンドウに顔を寄せた。
「これでアイツは無事放免。今まで取り上げちまって悪かったみたいだな。勘弁してくれよ?」
 最後に、にや、と笑いながら、片目を瞑って見せる。
「……三蔵!」
 アパートに向かい掛けていた三蔵が振り向いた。
「明日、依頼人の所にお前も行くか?」
「俺も行った方がいいのか?」
 逡巡した朱泱さんが、笑いながら首を振った。
「それなら、後は全部あんたの仕事だ」
「ああ」
「じゃあな」
「ああ」
 三蔵はアパートに向かって歩き出した。ウィンドウが締まる間際、朱泱さんの『楽しかったぜ』という小さな声が聞こえたような気がした。
 タクシーを見送った僕は、小走りでアパートに向かった。三蔵は何とか階段を昇りかけてる最中だった。躯を支え、部屋に押し込む。
 靴を放り出すように脱いだ三蔵が、ベッドに倒れ込んだ。
「……水」
 500ミリリットルのペットボトルを手渡すと、俯せのままボトルを咥えて、半分程を一気に飲み干した。
「呑み過ぎた……」
 枕に顔を押し付け呟く三蔵の手からボトルを取り上げ、ベッドから離れた床に置いた。
「三蔵」
 上着を脱がせて、ぐったり力の抜けた躯を返す。
 躯の両脇に投げ出した腕は、力無く開かれていた。横向きの頬から首筋が、酔いの所為で血色いい。何も言わずにボタンを外し始めると、濡れた紫暗がうっすらと現れる。
「八戒。何をしている」
「脱がせてます」
 腕からシャツの袖を抜きながら答えた。
「俺が、酔ってこのまま寝ちまいそうだからか?」
「それもあります」
「それもありますってことは、それだけじゃないんだな」
「そうですね。僕、夕食抜いてしまって、今空腹なんです。……自業自得です」
 ベルトを外してボトムとソックスを、一気に引き抜いた。
「自業自得っていうのは。メシ抜きにしたお前のコトか?それとも俺が……?」
 唇を塞ぐ前に、瞳を見合わせた。
「全部、終わらせたぞ」
「ええ」
 そっと接吻けた。
「これだけ酔ってると、もし勃っても多分出ねえぞ」
「そうでしょうね」


「途中で寝たら、また怒り出す気か?」
「……今日は諦めますよ」


「もし途中で吐きそうになったら」
「ちゃんと介抱してあげますから。……気持ち悪いんですか?今?」
「いや」


「はっか……」
「………」
「やっぱり眠りそ…う、だ。……っ」
「もう、やめにします?」
「ん、気持ち、い。つづ、け……」
「我が儘」
「っ、ン……ッ」


「 ―――― はっかい」
「三蔵?……夢で、呼んでくれてるんですか?」
 抱き寄せたままで落ちる眠り。
 明日の朝はゆっくり眠って、目が醒めた時から一日を始めて。
 スープとクラッカーとサラダ。
 トレイに載せて、ベッドで朝食。
 それから。
 子供の頃の話を聞かせて貰おう。
 僕の話を聞いて貰おう。
 話が尽きたら、また接吻けをして。
 おとぎ話のように、何度も繰り返して話をしよう。

 優しい話をしよう。
 ロマンティックなことをしよう。







++  Lonely Man  ++


 ぱちぱちと、焚き火の火が踊った。
 焚き火から、真っ白な煙が晴れ渡った空に真っ直ぐ昇って行く。火の傍らには、無精髭の男と和服の老女。老女の手から、白い紙が火に投げ込まれる。
「ホントにいいんですかい?読まずに燃しちまって」
「いいんですよ。この手紙は私があの人に送ったものなんですから。……若気の至りにも、程がありますからねえ」
「そのくせ、ご亭主の日記は読みたがるんですか」
「何にも口に出さなかった、あの人が悪いんですよ。甘い言葉のひとつやふたつ、せめて文字でもいいから受け取りたいじゃありませんか。文句があるなら、生き返って私を止めてみせればいいんです」
 放り込まれた手紙には簡単に火が着き、明るく燃え上がる。
「おちおち、眠ってもいられないでしょうよ。そのうち、夢にでも出て来てくれればいいんですけどねえ」
「勘弁してくれって?」
「平謝りして貰えるかしら。……全部、先に死んだりするのが悪いのじゃないですかって、言ってやりますよ」
 無精髭の男が苦笑した。

 最近出逢ったコは、知人の育て子で。
 亡くなった知人のことを、請われるままに話した。
 酒を呑んで興に乗った時に交わした会話も、思い出せる限りは全部伝えた。
 知人がどれだけ育て子を愛していたかまで。
 交換するように受け取った、そのコの想いを、何時か知人に伝えることが出来れば。
『ここんとこ、メシをひとりで食わせちまってるからな。
 スネてやがる』
 偉そうに。
 気がかりそうに。
 大事そうに。
 何十年後かに知人に追い付いたら、その時伝えて大笑いをしてやろう。
 あのおチビさんが、ヒトを愛するようになったんだと。

 伝えるまでは、この胸に大事に。
 伝え切れなかった様々な想いを、忘れぬようにこの胸に大事に。
 
「……そろそろ、いいんじゃないですかね?」
「あら、そうですね。年代物の恋文で焼いた栗は、さぞ甘くなったでしょうね」
「ご亭主の代理で、ご相伴預かりますよ」

 伝え切れぬ想いも、伝わった想いも。
 やがて何時かは、空高くに。















 終 







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90000ヒットを踏んで下さったまきさんのリクエストで、
「浮気する三ちゃん(本人自覚なし)と嫉妬でぐるぐる八戒さん」と「朱泱」のお話でした
大変、大変お待たせしてしまいました
今回大変萌えなリク内容設定を頂けて、まきさんをお待たせしている間、
お話考えてる自分ひとりばかりが楽しい思いをしてしまっておりました
リクエスト頂いてからお時間頂いてしまったこと、ごめんなさい
少しでも、楽しんで頂けたら幸いです

まきさんに、八戒さんのボストン風クラムチャウダーと、朝三蔵がもしかしたら「あーん」してあげたかも
しれないクラッカーを捧げます
遊びに来て下さってありがとうございます