white wing 
 白い背に、肩胛骨が浮き上がる。
 肩から続くなだらかなラインに、薄い骨。
 肋や脊椎の蒼白い翳りよりも、幾分か力強さのある。

 ああ。
 天使の翼の生えているのは、丁度この突起からなんだ。
 大きく眩しい翼が、この活き活きとした陰影から、伸び出してゆくんだ。

 三蔵の背を、眺めていた。
「目ェ明けたまま、寝てんじゃねえ」
 白いシャツを羽織った三蔵が、振り向き様に睨み付けて来た。
「夢と現実の境目があやふやな時って、ないですか?」
「寝惚けてんのか?」
 シャワーを浴びたばかりの髪が、重たく額を覆っている。
 彼の個性を強く彩る瞳が、暗く翳った所為で柔らかな色合いを見せていた。
 くすりと笑うと、更に睨む目つきが眇められ、口角が不機嫌な角度に下がった。
「起きてますよ」
「更に悪いじゃねえか、それじゃ」
 この分じゃ、天使だなんて口に出したら、なお機嫌が悪くなるに違いない。
 ゆっくりと手招きすると、案の定嫌そうな顔をする。
「髪、丁寧に乾かさないと、風邪ひきますよ」
 乾いたタオルでくるまれるのを、実は三蔵が嫌っていないことを、僕は知ってる。
「ガキじゃねえんだよ」
 むっとした口振りで、それでも差し招かれるままにベッドに腰掛け背を向ける。
 無防備な背を向ける。

 柔らかなタオルで金色に輝く頭をくるみ、頭皮を揉むように髪の水分を吸い取る。
 ばさばさと、髪束を持ち上げ空気を孕ませる。
 しっとりと水気を含んだ髪が、跳ね上がっては時折小さな水玉を飛ばした。
「もういい」
「まだ湿ってるから、このままだと寝癖が付きますよ。…煙草、少しくらい我慢してください」
 ベッドの上に放り投げてあったマルボロに手を伸ばし掛けるので、こめかみから項まで、少しずつ移動しながら指先に力を込めた。
 小造りな頭蓋を握り込むように、タオルの上から丁寧に圧して行く。
 項から肩へ。
 途端に三蔵は大人しくなる。
「気持ちいいですか?」
「ん」
 鎖骨に触れながら、肩の後ろをほぐして行った。
 骨張った骨格の、肩の関節。薄く覆った筋肉。
 柔らかに掴んでほぐす。
 先程見蕩れたばかりの肩胛骨に、ぐいと親指を押し込むと、微かに息の洩れる音がした。
「ここ。もう少しやりますか?」
「ん」
 素直な相槌の後、思い出したように三蔵は言った。
「そこは髪じゃない」
「じゃあやめます?」
 返事のないのは、そのまま続けろということだ。
 子供のように文句を言い、子供のように黙り込む。
 それが嬉しくて、三蔵から見えないのをよいことに、僕は盛大に微笑んだ。

 背筋まで躯をほぐしてやる頃には、三蔵の髪の水気も、かなり空気を孕んでいた。
「はい。乾きましたよ」
 僕の言葉と同時に煙草に手を伸ばそうとするのを、邪魔したくなった。
 毛布からシーツをはぎ取り、背後からすっぽりと三蔵を覆い隠す。
「てめ。今度はなんだよ」
 手荒く払い除けようとする腕ごと、シーツの上から抱きしめた。
「煙草のニオイ、髪にしみついちゃいますよ」
「別に気にならん」
「折角きれいな髪なのに」
「何の支障もない。邪魔なら切るか」
 短気なひとの、苛立つ声。
 きつく抱き込み、少しだけ笑ってその躯を放した。
 被ったシーツから顔だけを覗かせて、三蔵は不審気な表情を浮かべた。
「悟空や悟浄じゃあるまいし。構われたくって、サカってやがんのか?」
 身も蓋もないことを真顔で言われ、苦笑した。
「そうです」
 真顔で呟き、また抱きしめた。
 抱き込むと痩せた躯が撓った。
 骨格に沿って掌を這わせ、三蔵の肩胛骨を、温めるように覆った。

   ここには今、翼はない。
   三蔵はどこにも行かない。

 薄い造りの肩胛骨を、確かめるように撫でさすった。
「……煙草吸う間くらい待てねえのかよ。がっつきやがって」

 灯りを落とした部屋に、ベッドの軋む音が響く。
 汗ばむ躯と、息遣いの熱。
 シーツの波を三蔵が掴む、微かな衣擦れ。
 三蔵の躯がきれいに反った。
 身を支えようと突いた腕が震え、青白い背に肩胛骨が浮かび上がる。
「………っ」
 歓喜の波を堪える度に、薄い肩胛骨が脊椎に寄せられる。
 滑らかな皮膚に浮かぶ汗が、甘く薫って海になればいいのに。
 翼のないまま、甘い海に一緒に沈むことが出来ればいいのに。
 華奢な肩を、きつく掴んで引き寄せた。

   ここには翼はない。
   ここには翼はない。
   この人はどこへも行けない。

「くっ……。はっか……?」
 引き寄せられた躯の、繋がりが浅くなり三蔵が振り向きかけた。
「んんッ」
 羽交い締めて腕を回す。
 身動き出来ぬよう。隙間のないよう。どこにもこの人が行けぬよう。
「…くっ……っ!」
 きつく握り込んで追い立てて、捩る躯に逃げ場を与えないまま奥を穿った。
「はっ……ア、アァッ」
 行き場のない三蔵の腕が、反って撓って僕に絡んだ。
 僕の首に巻き付きかけて、痙攣の動きで髪を掴んだ。

 三蔵の尖った肩胛骨が、僕の胸に突き刺さった。
 僕は、その感触が柔らかな翼でないことに、酷く安堵を覚えた。

 ふたり沈むシーツは、人肌の温度にこなれていた。
 手で掻くと、白い布地に波が揺れる。
 ぐったりと俯せていた三蔵が、のろのろと躯を起こした。
 残滓を軽く拭っただけで、素肌の上にジーンズを履いた。
 ボタンも何も留めずに、ただ腿に纏うだけで、腰骨が顔を出していた。
 甘い汗と僕の残り香をまとわりつかせたその姿は、とても淫猥で、独占欲を満足させた。

「煙草」
 ベッドから離れ際に、引き剥がしたシーツを引っ張って行く。
 三蔵はマルボロを手にすると、ずるずると引きずるシーツを、頭から被って窓際に向かった。
 白い布地が波打って、三蔵の姿が包まれた。
 マルボロを咥えた横顔だけが覗き、薄い肩が揺れた。
 昇る紫煙に片目を眇め、シーツから腕を伸ばして窓を開けた。

 夜風が吹き込み、カーテンを揺らした。
 一瞬で、部屋に籠もった体温が消えた。
 三蔵の甘い汗が、僕の掌の上で蒸発した。
 シーツが肩から落ちかけて、三蔵は布地の端を摘んで留めた。

 夜に浮かび上がる三蔵の姿態を、ましろなシーツが隠すように広がった。
 三蔵を包み、そしてさらけ出す。
 ましろなシーツが、風に舞い拡がる。

 月光が青白く照らしていた。
 月の色を反射する金糸と、ぼんやりと月光に浮かび上がる後ろ姿。
 その背に広がる
 白い
 翼。

 僕はベッドに横たわり、翼の生えた三蔵を見ていた。
 三蔵の背に生えた翼は、とても大きく美しいものに見えた。
 強く、眩しく見えた。

 僕の掌ではもう、きっともぎ取れないような、強い翼なんだろう。

 三蔵は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「また目ェ明けたまま寝てやがるのか?」
 仰向けになり、ただ近づく三蔵を見つめていた。
 天使は僕の頬に触れ、その指先が濡れて光るのを、不思議そうに見た。
「オマエは寝惚けてるんだよ」
 滅多に聞かないほど、優しい声だった。
「眠れ」
 三蔵はベッドに片膝を突き、僕の上に乗り上げた。
 肩と腕に絡めたシーツを、ゆっくり広げて僕を覆った。
 眩しい翼が、僕を覆い隠す。
 白くて暖かな闇の中、三蔵の声だけが、優しく聞こえた。

「眠れ」

 翼に囲まれ、暖かな空気が僕を包んだ。
 留められる筈もないのを、僕は多分知っていた。
 三蔵の翼は、僕に触れられないだけで、いつでもあった。

「眠れ」

 三蔵の声を聞きながら、柔らかに触れる暗闇の中、いつまでも涙が止まらなかった。
 広がる翼が、いつだって僕の上に掲げて広げてあったことに、
 漸く気付いた。

「眠れ」

 静かで優しい声に、僕は眠りに落ちた。
 いつかこの手をすり抜けて行く、強い翼に、今は守られて。















 fin 







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◆ note ◆
むっ?
あまあま書く筈だったんだけどな?