「………セデス4箱!」
食事を済ませた4人は一斉にセデスを飲む。
コップの水を飲み干しながら、三蔵は密かにため息をついた。
宿を決めるのにも、毎回大騒ぎなのだ。あまり小さな宿で洗面所や風呂場が共同だと、朝晩が混み合う。トイレの順番を決めたり、長風呂な悟浄を急かしたり、ドライヤーを一斉に使用した所為で宿のブレイカーが落ちたのを謝りに行ったりという手数が加わる。
もう一度、深いため息をついた。
「玄奘三蔵。悟空、悟浄、八戒を連れて天竺に向かうのです」
三仏神に言い渡された時から、こうなることは判り切っていた。
「…オレ、生理痛キツイんですが…」
「安心しなさい。彼等も相当キツイようです。…お互い気持ちが分かり合うことで、絆が出来るでしょう」
(そんな絆、要らない…)
無表情のままで斜陽殿を辞したが、心の中では泣いていた。
三仏神…神々は随分と長く生きているらしいから、奴らはアガってるに違いない。生理痛なんてものの存在も、実は忘れ果てているのかもしれない。
「三蔵、どうしました?」
顔色の一番悪い八戒が、三蔵の顔を覗き込んでいた。
「いや…。どうして一斉に『来る』んだ、と思ってな…。全員が同時にヨワるのはかなりマズイんじゃないか、とな…」
「ああ、それ」
「俺もそれが不思議だと思ってたのよね。最初は時期バラバラだったよな、確か」
気分が悪いらしく、ハイライトを半分でもみ消した悟浄がテーブルに突っ伏しながら口に出す。
「それね、しょうがないみたいですよ。共同生活をしていると、自然にホルモンが影響し合うらしいです。匂い、に近いものが出てるらしいんですよね」
セデスを飲んだ後に杏仁豆腐のお代わりを食べていた悟空が、急に顔を上げた。
「あ、それでかあ!俺さ、三蔵に引きずられてるような気がしたんだよね。確かに匂い、っていうか、なんというか…」
「ドーブツ…」
3人は悟空に視線を集めるが、悟浄がまた呻きながら言った。
「…なあ、人間より妖怪の方が嗅覚上じゃん。で、こん中で、一番ホルモンとゆーか、フェロモン?出てそーなの、三蔵サマじゃん」
「…ナニが言いたい」
「いや…、4人同時に来るのって誰の所為なんだろーなーと…」
常ならば即座に発砲モノの発言だったが、テーブルに懐く悟浄の姿に三蔵の気力も萎えた。
「…今日はいい加減に宿に戻るぞ。とにかく全員休むんだ。妖怪が来たら来たで、その時だ」
ぐったりとした様子で立ち上がる三蔵に、八戒が声を掛ける。
「…三蔵、具合大丈夫ですか?もしかして酷くなって来てます?」
「いや…薬が効いて来たようだ。随分ラクになった」
八戒の顔色は益々悪くなって来ている。
「そうですか。じゃ、タンポン忘れずにお願いしますね」
3人がごとごとと椅子を引く音を聞きながら、三蔵はまた、心で泣いていた。
酒を呑みつつ、何故か生理痛に話題が向いたのだ。
一番生理痛のキツイ八戒に、何故気孔で痛みを和らげないのかと尋ねたら、滔々と語りだしたのが発端だったか…。
「気孔を使うにはまず呼吸です。呼吸に合わせて丹田から全身の経絡に沿って気を巡らせる訳です。その丹田が下腹ですから、気が乱れっぱなしになって気孔が使えないんです…」
気の毒というか、役立たずというか……。
そんな話から始まったのだと思う。
「手足が冷えたり腰が痛かったりって、どうして血行まで悪くなるんでしょうねえ」
「一般事務職なんか、座りっぱなしの冷房病で辛えよなあ」
「寺で座禅を組むのに、ドーナツ座布団が欲しいと思ったことがあったな、そう言えば」
「子供産むと体質変わって生理痛無くなるって言いますよね。それを期待しますか…」
確かあの時は、八戒が生理前緊張痛で頭痛を訴えていたのだ。余りの頭痛の酷さに、薬を水で飲まずに、ボリボリと噛み砕いていた…。
「あ、それ嘘だって」
あっけらかんとした悟空の言葉に、全員で振り向いた。
「何だと?」
「こないだ宿のおばちゃんが言ってたもん。子供産んでも、やっぱり痛いもんは痛いって。妊娠中に生理が止まって子宮内膜症は軽くなるけど、暫くすればまた同じコトだって」
「テメ、それホントかっ!?」
「そんな…今までそれだけが救いだったのに…」
「やっぱりこの先何十年も付き合うのか、この生理痛と…!?」
掴み掛からんばかりに詰め寄られ怯え気味だった悟空が、ふと気付く。
「……どーして三蔵までショック受けるの……?」
悟浄と八戒も、三蔵を見つめる。
「……ほっとけ!!」
僧籍にある三蔵の人生設計に、妊娠も出産も予定はない。
ないが…。
生理痛の無い人生を、ちょっと夢見るくらいは許されてもいい筈だ。
荷物を抱え直し、腰をとんとんと叩く。
また思いが過去を巡る。
「…江流、大丈夫ですか?」
「お師匠様…」
自室の床に死体のように転がる江流に、光明三蔵が心配そうに声を掛ける。
「…可哀想に…わたしに痛みを替わってあげることが出来れば…」
「……ホントーですか?」
屈み込む光明三蔵の手首を、江流は転がったまま掴んだ。
「ホンットーに、そう思いますか?」
「こ、江流…」
光明の笑顔が引きつった。
「あげます。1年分あげます。半年分でもいいからあげます。のし付けて差し上げますから」
「江流…」
腕が逃げようとするが、暫く離さなかった。
「受け取ってくださいますか?受け取ってくださるんですね?」
「江流、落ち着いて…。そうだ、腰、指圧してあげましょうか?朱泱が指圧上手いですよ。朱泱を呼びましょう!朱泱、朱泱…」
「朱泱…アイツ、この間『よう、ブルーデイか?』なんてセクハラしやがったので、はり倒したばかりです。暫くはこの部屋には寄りつかないでしょう…」
「……」
「……受け取ってくださるんですよね……?」
「……」
「……受け取って、頂けるんですよね……?」
「……詮無いことを言いました。江流、わたしが悪かったです」
「判って頂ければいいんです」
言いながらも、ずっと掌を握っていてくれた光明三蔵は、もういない…。
腰を叩きながら、三蔵の唇が微かにほころんだ。
別に痛みを止めてやることが出来るわけではない。…ただ、同時に生理痛で苦しんでやるくらいは…いいのかもしれない。
単なる同病相哀れむだけど、どーせ時期がズレてたって、痛ェもんは痛ェからな。
「…でも、こんなことで『絆』とか言われるのは、絶対ェ納得してやらんからな」
開き直りの薬局の大判紙袋を抱え、三蔵は大股で宿へ戻って行った。
…むーーーーーーん…
「や、八百鼡ッ、これは何だッ!?」
「紅孩児様の為に処方した漢方です!紅孩児様のお身体の為…血気を滞らせない為、巡りを善くする為には…体質改善が一番の道だと…!少々苦いですが、この八百鼡の為にも堪えてください!」
「八百鼡…お前、味見はしたのか…」
「しません」
「…この匂いは…」
「しょうがありません」
「…体質改善は…食事から変えて行くというのが、妥当ではないか…?」
「私、薬師でございますから」
「…どうしても、飲まねばならないのか…?」
「はい!」
真摯な八百鼡の姿に、紅孩児が呻き声を上げる。それを横目に、独角兒がそろそろと動き出した。
「…独角!お前まさかひとりで逃げる気か…?」
「い、いや、俺はトイレだから。じゃ!」
「独角ー!!」
見捨てられた紅孩児がソファに縋り付いた。
「…もう!お兄ちゃんったら情け無いんだったら!」
部屋の入り口に、腰に手を当てた李厘がすっくと立っていた。
「り、李倫!お前にも同情心があるんだったら…。そうだ!お前も一緒に体質改善しよう!八百鼡の心のこもった漢方を分け合おう!来い!来てくれ!!」
「……伝染るから、嫌」
素早くドアの向こうに逃げた李厘が、顔だけ覗かせて言い捨てた。
遠離る足音が続く。
「りりーーーーん!」
「さ!紅孩児様…!」