swallowtail 
 真っ青な空に、太陽が高く昇っていた。
「…気持ちが悪い」
「どうしました?三蔵」
「うわっ、顔色真っ白!手足の先、冷えてるし…」
「八戒、その辺で休憩入れるか」
「そうですね…」
 じわりと冷や汗をかく三蔵の様子を気にして、八戒は慎重にジープを停めた。川縁の、分厚く苔の敷き詰められた木陰へは、涼しい風が吹いている。
「暑気中りですね、きっと」
 八戒が手渡す濡れタオルを、横たわる三蔵は無言で受け取り額の上に載せた。ひやりとした感触が心地よかったのか、深い吐息をつく。
 そのまま静かに身じろぎひとつしなくなった三蔵に、八戒と悟浄は目を合わせて苦笑をする。…今日はこのまま、ここを野宿の場と定めた方が良さそうだった。
 悟浄が小さく一声かけると、悟空は三蔵の方を振り返りながらも薪拾いに連れ立って行った。
「…あんまり心配かけさせないでくださいね」
「大したこっちゃねェ」
 眠ったかと思われた三蔵が、タオルに顔を半分隠したままで呟いた。
「眩しくてチカチカしやがったんだ。それが蝶の鱗粉みたいに思えたら…息苦しくなった」
「貧血は大丈夫ですか?」
「いや…。単に暑過ぎただけだろう。随分ラクになった。…ザマァねェな」
 伺い見える口元が、自嘲の形に引き上がった。
 湧き水を汲んだ水筒を八戒が手渡すと、三蔵は起き上がってゆっくりと飲み干し、また躯を横たえた。深い緑色の苔に、金糸が広がる。
 川面を渡る風が、八戒と三蔵をそっとなぶり、木漏れ日を揺らした。数枚の木の葉が舞い、三蔵の純白の法衣の上に落ちる。
「眠れる森の美女、といった風情ですね」
「莫迦か?」
「あなたの為なら、ドラゴンと闘ってもいいですよ?」
「…おい、ジープ。お前の主人の薄情さを聞いたか?怒れ」
 三蔵の言葉に、ジープがくるくると八戒の周囲を飛び回る。
「本当に怒ってますねえ」
「当たり前だ。何せこのオレを守るドラゴンなんだからな」
 三蔵は大分調子がよくなってきたらしく、軽口を叩きながら普段通り横柄に片頬を上げて見せる。その時、八戒の視界を輝くものがかすめた。
「あ…」
 サファイアブルーの煌めきが、通り過ぎる。
「アゲハチョウ」
 所々へ漏れ落ちる日差しを捜すように、ひらひらと舞う。生きた宝石のような翅。
 その美しさに一通り見惚れた八戒は、三蔵の眉が寄せられていることに暫くしてから気付いた。
「…苦手だったんだよ」
 言い訳の様に語る。
「あんまり綺麗だから掌に閉じ込めて…どんなにそうっと包んでも、あの鱗粉が剥がれ落ちる。翅を傷める。薄い翅ごと壊してしまいそうで、慌てて放り投げたことがある」
 三蔵は鱗粉の付いた自分の掌を重ね思いながら、両手を開いて見た。
「…随分デリケートじゃないですか」
「ガキの時分のことだ」
「僕は…箱に閉じ込めてピンで留めたくなる方でしたからねえ」
 蝶を捕らえた指先にべったりとはり付いた煌めきを、八戒は思い出して笑った。
「何度か掴まえて、でもやっぱり鱗粉が剥がれてしまって、標本にするには及ばない…といった案配で、結局諦めて全部逃がしてしまいました」
 残酷な子供の遊びを思い出しながら、微笑む。
「ガラスの標本箱まで作ってたんですけどねえ。生きて飛び回る蝶の方が、やっぱり綺麗でした」
 微笑みが向けられ、三蔵が見つめ返した。
 深緑の褥に広がる、金の髪。練り絹と金織りの法衣。揺れる光に、紫玉が煌めいた。
「…あの美しさのままを留めることが出来るなら、僕だけの標本にして大切に持ち歩きたい、という気は…今でもしますね」
 見つめ合いながら、八戒の唇が三蔵のすぐ傍まで降りる。
 三蔵は、自分がピンで留め付けられたような錯覚を覚えた。唇に、吐息が触れる。
 苔の褥が余りに柔らかく自分を受け止めるので、このまま目蓋を閉ざしてもいいか、と、思いかけた。

「ピィ!」
「ジープ…?」
 自分の存在を忘れる主人に抗議するのか、ジープがかん高い鳴き声を上げて旋回した。
「……?何かありましたか?」
 どうやら何かを知らせたい様子のジープに、八戒は立ち上がって歩き出した。その後ろ姿を見送りながら、三蔵は埒の開かない自分の心の動きを嗤った。
「……莫迦くせェ。」
  そのまま立ち上がると、八戒の消えた後を追う。

 木立を掻き分け進むと、急に背中にぶつかった。
「…しーっ」
 覗き込んだ先には。

 陽光を反射する川面に、サファイアブルーの蝶。
 川底の丸い石を透かせる程の浅瀬に、水を飲みに来た蝶がゆっくりと翅を動かしていた。
 何十頭。いや、何百頭と。
 サファイアの煌めきが浅瀬を埋め尽くしていた。

「……これだけの集団の蝶は…初めて見たな」
 小さな昆虫の生命活動の場としては、異様な迫力があった。
「種類によっては、何万頭もの集団で、何千キロも旅をするんでしたっけ、蝶って?逞しいですね」
 ふたりの目の前で、青い煌めきが、ふるえた。
 華奢に見える蝶の翅は、さなぎから孵ると同時に体液を送り込まれて広がったものだ。生命の強さが隅々まで渡って張り詰めている。小さな躯の大部分を占める筋肉が、あの翅を動かしてはひらひら軽やかに舞い続ける。
 日差しを求め、風に乗り、どこまでも。

 ざあっと。強い風が吹き渡った。
 青い宝石が、一斉に飛び立つ。
 青い、生きた宝石が、炎のように煌めき拡がる。
「…っ!」
 脈動のような青の輝きが、八戒と三蔵の姿を包み込む。
 一瞬、躯に当たった翅が鱗粉を振りまき、壊れて行く幻覚が三蔵を襲った。思わず呼吸を止めて口元を掌で覆う。目を開けてもいられなかった。
「…もう、大丈夫ですよ」
 小さな声に顔を上げた三蔵は、八戒の腕に囲われ胸に顔を伏せていた自分に気付く。
「びっくりしましたね。なんだか襲われそうで、ちょっと怖かったですよ。蝶の儚さなんて、微塵も無かったですね。ホント、逞しい…」
「ああ、そうだったな…。って。おい、もういい。離せ」
 突っぱねようとした腕を反対に捉えられ、絡め取られる。
「傷めそうで、壊しそうで、損ねそうで、怖いなんて…気の所為だったのかもしれない。どうせ大人しく掴まえられてくれやしないんだから、遠慮なんかしなくても、いいのかもしれない」
「は!?」
 怒鳴りつけようとする三蔵の躯が、近くに樹に押し付けられた。三蔵の両腕は躯の両脇に広げられ、純白の袖が八戒の眼に焼き付いた。
「…逃がしたくありません」
 唇を触れ合わせながら、八戒が囁く。吐息の熱さに、半ばまで閉ざした三蔵の瞳が揺らいだ。
「勝手なことを…掴まえられてやるつもりはねェぞ」
 縫い止められた両手首をそのままに、覆い被さる八戒に自分から接吻ける。
 甘さだけを味わうように唇で挟み、薄い舌を滑らせる。
 誘い込まれるように、八戒が接吻けを深くしようとした。
「痛ッ!」
 三蔵の真珠の歯が、八戒の唇を傷めた。そのままするりと、拘束から抜け出す。
「イタタ…。酷いですねえ」
「てめェだろ?大人しく掴まらないって言ったのは?」
 紫玉が、煌めいた。
「…やっぱり遠慮はいらないみたいですねえ」
「てめェの都合でいつでも掴まえられるだなんて、思うなよ」
 軽快に翻る金の髪と、法衣が残像になった。
「ホント、野生の生物は逞しい」
 後ろ姿に向かって呟く八戒の肩に、ジープが留まった。条件反射の様に頭を撫でる掌に、細くて強い手首の感触が蘇った。次いで自分の胸に伏せた金糸の髪と、腕を回した背中を。

「…ねえ、ジープ。次から本当に遠慮なしにしちゃいましょうか…?」
 楽しげに、口に出し。
 そして三蔵の姿を追った。走り出しそうになりながら。

 最後の蝶が2頭、もつれ合うように羽ばたき、天の青に溶けた。














 終 







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◆ note ◆
8/3の83day合わせです
8月は八戒さんに少しでもいい目を見せてあげたい…と思いつつ、今回はいかがなものだったのだろうか…^^;結局逃げられちゃうし

蝶のイメージは、牧進さんの日本画の題材からです。集団の蝶。何時一斉に飛び立つのだろうかという、緊張感のある画でした
自分自身は指に蝶の鱗粉が付くと、うっとり喜ぶタイプでした。今でも時たま掴まえたくなります。蝶々、綺麗だから好き