rosy 
 両手に大きな荷物を抱え、肩に珍しい動物を止まらせた青年が、大通りを歩いていた。
 土地の名産品を売る店を物珍しそうに覗き込んでは、次の店へと進んで行く。
「お兄さん、何をお探しだね。土産物かい?誰かへの贈り物かい?」
 かけられる声にも、青年は柔らかな笑顔を返すだけで次の店へと流れて行く。
 甘い香りに誘われて、八戒は立ち止まった。
 生花店の店先に、こぼれんばかりに花開く。
 小さな花がほっそりした枝に房咲きになり、またすっくと立った瑞々しい緑の茎の上に大輪の花が誇らしげに顔を見せ…
 けぶるような紫色の薔薇からは、濃密な甘い香りが漂って来る。
「大輪の紫、甘い香りの…」
 紫暗色の瞳を思い出し、そしてくすりと笑う。
「イメージ、ちょっと違いますねえ。こんなに柔らかい色合いじゃないし」
「贈り物ですか?」
 初老の店主が顔を覗かせる。
「…いえ。旅の途中なもので、花は買えないんですよ。綺麗だったからつい立ち止まってしまって。中々人のイメージ通りの花ってないんですね」
「それはそれは…。余程強い印象の方なのでは?」
「印象は強いですけど、瞬間瞬間の印象が色鮮やかに違っているというか」
「……惚気ていらっしゃるので?」
 呆れ顔をされ、八戒は苦笑するしかない。
「花もね、顔が変わりますよ。咲き始めから咲き終わりまで、こんなにも表情が変わるものかという程に。ほころび始めた蕾は乙女の恥じらう様、満開にこぼれる花びらは爛熟を帯びた気怠げな様。香りも夜ほど強く立ちこめ、まるで愛しい人の香りに包まれるような夢心地」
 鹿爪らしい顔の初老の男が、甘い言葉をさらりと言ってのけた。
「詩人ですね」
「とんでもない、真実ですよ。どんなに賢い男でも、花を選ぶ時には恋する愚か者になりさがっちまうのと同じ。私は気弱な愚か者の気を引き立たせる処方箋を出すだけ。…残念ながら花を買って貰えないのでは、私の出せる処方は…どっかで強い酒でも引っかけてから、当たってみなさいとしか言えませんがね」
「おやおや哲学者だ」
「今までに充分愚かしいことはやってますからね。恋をひとつ終えると、哲学がひとつ増える。恋する男は情熱に浮かされて狂気の沙汰を平気でやってのけるとかね」
 にや、と男が八戒を見て笑った。
「浮かされてるように見えますか」
「薔薇より鮮やかなんて平気で言う人は、そうとしか思えませんな。…で、更なる愚か者に堕ちる気はあるかね?30年後に頭を抱えてしまいたくなるような処方箋があるのを、たった今思い出したんだがね。ああ、何て愚かしいことやっちまったんだろうな、ってウンザリするような奴を」
「…それはもしかして、あたしを口説いた時のことを言ってるんじゃないだろうね?」
 店の奥からふくよかな夫人が姿を見せた。
「…でね。言うんですよ。『人生の墓場だってのは、本当のことですよ』って。でも夫人は楽しそうに笑ってましたけどね」
「…ほう。で、オマエは愚か者を実践することにしたのか」
「そう言うことになりますかね」
 夜半、ひとり部屋のベッドに休む三蔵は、窓硝子をこつこつと叩く音に目を覚ました。
 開いた窓の下で口元に人差し指を立てる八戒に、呆れた顔を見せ付けようと屈み込むと、腕を伸ばされた。
「しーっ。」
 大声を上げて暴れるのも馬鹿らしく、素直に窓から外に引っぱり出される。
「…オレが裸足だったら、どうする気だったんだ」
「お姫様抱っこでも、何でも」
「死ぬか?」
 毒づいても八戒は、微笑んだまま繋いだ手を離そうとしない。三蔵は深い溜息をついて引かれるままに歩いた。

 晴れ渡る夜空に、満月に少し足りない月が青白く輝いた。
 静かな夜の街を通り抜け、小さな森へと続く細い道をふたり歩いた。
 澄んだ空気は肌寒さを感じる程に冷たく、繋いだ掌のぬくもりが、ふたりに小さな幸福感を与える。
 真っ黒な木々の影を通り過ぎ、手入れをする者もない小さな廃屋に行き着いた。ぐるりと巡る、崩れかけの煉瓦の壁を通り抜ける。

 青白い月光に照らし出された小さな廃屋と、満ちた甘い香り。
 青白い薔薇が、蔦を絡ませ覆い尽くしている。
 朽ちかけの四阿に、小さな庭のそこかしこに点在する鉄柱に、倒れかけの大木に、月光の蒼に染まった純白の薔薇が、しなやかに絡みついては、自然のアーチを作り出している。
 息を呑むと、少しぴりっとするような爽やかさの混在する、深い甘さの香りが染み通った。

「ちょっと凄いでしょう?」
 振り向くと、八戒は少し自慢げに三蔵を見つめる。
「身を飾る物などあなたには必要ない。形ある物は、何時か消え失せてしまう。…だから僕があなたに贈れるものは、形のないものだけ。持って歩けもしない、この隠された秘密の花園の香りだけ」
 八戒は腕を伸ばすと、頭上に渡っていた枝を引き寄せた。
 咲き誇る薔薇が青白く輝きながら目の前に揺れ、三蔵は目を閉じて香りを吸い込む。
「…似合わねぇことしやがる」
 三蔵は片目を開けて、ふっくらとした唇の端を僅かに引き上げた。
「…で?贈り物って、まさかオレの誕生日だからとかって言う気なんだろ?日付変わった途端に眠ってる人間叩き起こしやがって、誰よりも先に何か言いてえとかっていう、オマエの得意なヤツなんだろ?」
「誕生日くらい、その口の悪さを控えようとかって、思いません?ほら、一年を占うような気持ちとか、ありません?」
 憮然とした表情の八戒は、薔薇のすわえからゆっくりと手を離そうとした。青々としたつるは、力が緩まった瞬間に撥ねて頭上に戻ろうとした。
 ぴっ。
 棘が指を掠めて細く裂く。
「…ばーか。」
 微かに微笑む唇から薄い舌が覗いて、八戒の指先に滲む血液をなぞった。
「このワルイ口で浄めてやるから感謝するんだな。…この独占欲野郎、罰が当たったんだぜ…?それで?今日は何の日なんだ?オマエは何しにオレをここまで連れて来た?」
 舌を這わせ、唇に指を押し当てながら、上目遣いの紫玉の瞳が輝く。
「あなたの誕生日だから。おめでとうを言いたくて。それだけなんですが」
「じゃあサッサと済ませろ」
 八戒から目を離さずに、三蔵は指を舐め上げた。
 かし。
 吸いながら、爪に歯を当てる。
「今日はオレの誕生日なんだろ?オレはプレゼント貰える側なんだよな?オレから搾取しようだなんて、思ってねぇだろうなあ?」
 尖らせた舌先をちろちろと動かしては、探るように八戒の瞳を覗き込む。
 冴えた月光に銀細工の人形めいた美貌が照らされ、紫玉だけが楽しげに揺らいでいた。
「…質が悪いんだから。今夜だけは、我慢しようと思ってたのに」
「初志貫徹しろよ」
「誘惑が強過ぎます」
 くっ…。
 笑いかける三蔵の口元から八戒の指が引き離され、濡れて開いた唇が一瞬冷たい夜気に晒されて…すぐにもうひとつの唇に覆われた。
 熱い呼気を与え合うように、深く長く接吻ける。
 ふたりを包み込む甘い香りが、鼻腔をくすぐり髪や衣服に染み込んで行く。

『薔薇よりも甘い香りがするのだと言ったら、また愚か者だと笑われるんだろうな』

 八戒は、微笑みながら何度も角度を変えて接吻けた。
 冷たい月光に、唇だけが血色を仄めかせる。その色をもっと濃くしたいのだと言わんばかりに、甘噛みしては吸い寄せる。
 三蔵が接吻けの合間に息を吸い込み、切なげな声を漏らした。

「月光の見せる夢のような儚さと、陽の下で太陽そのものの輝きの強さとを併せ持つあなたの生まれた日を。僕はこの世の全てに感謝します。あなたに巡り会えた、同じ時に生を受けた奇跡に…」

「こんな腐れ縁を感謝して貰えるんだからな。神も仏も楽な仕事してるよな」
 白い花びらの絨毯に金糸の髪を散らばらせながら、三蔵は薄く笑い、また唇を塞がれた。
「しーっ。お誕生日にこれ以上悪いこと言っちゃいけません。…三蔵、おめでとうございます」
「……ホント、言ってるコトとやってるコトが違うよなあ、てめェは」
 髪に薔薇のカケラをまとわり付かせながら、ふたり笑い合った。

 寝返る度に、踏みしだく花びらから香りが立ち上った。
 三蔵は肘をついて上半身を起こすと、指先でそれをつまんで八戒の顔の上に降らせる。
「オロカモノめ。白薔薇でもラヴィアンローゼか。薔薇の褥に、薔薇の雨だぞ」
「意地悪な恋人には薔薇のとげとげ」
「てめェ、前にもソレ言ってやがったな」
「愚かしいもので、相変わらず懲りないんです」
 八戒は横たわったまま花びらを掌に掬っては、三蔵の髪に降らせ続ける。

「ここを教えてくれた人は、白薔薇の中で永遠の愛を誓ったんですって」
 まだ若かった花屋の店主は、細い銀の指輪を、まだほっそりとしていた恋人の指に黙ってはめたのだという。恋人は、ただ頬を染めてそれを受け取ったのだという。
「僕には指輪は贈れないけれど」
 花びらを弄ぶ指を捉えて接吻ける。

 かたちのないものを ことばにもせず
 ただ くちびるの に たくして

 仰向いて目蓋を閉ざした貌を、三蔵は黙って見つめた。
「……指輪なら突っ返すことも出来るんだがな。形のないモノか。漠然とし過ぎなモノ贈りやがって」
 指を取り返すこともせずに言葉を続ける人の頬が、月光の青白さにまさる血色を見せていたのを、ゆっくり目蓋をあげた八戒は見た。
「…愚か者の狂気の沙汰、な。全く。真理だな」

 朝の光の満ちる大通りを、人混みを避けながらジープがゆっくりと進んでいた。
 その界隈では珍しい鉄の乗り物に店番の人々は注目し、すぐにそれを運転しているのが、昨日店先を覗き込んでいた穏やかそうな青年であることに気付く。
「おや。この街でいい買い物は出来たんだろうかね」
「誰かいい人への贈り物か、お土産か…。見つけることが出来てればいいんだがね」
 助手席に座り、青年に声を掛ける金糸の髪の人物を見つけた花屋の店主だけが、ひとり肩をすくめた。
「やれやれ。薔薇より鮮やかね。お墨付きの愚か者かと思ったが、満更目が曇ってるだけって訳でもなかったんだな。…それにしても、参った参った…」
 天を見上げる夫にふくよかな夫人は幸福そうに笑いかけると、遠くなるジープを見送った。

「30年経ったって忘れられないようなプレゼント、ちゃんとあげられたかね。ちゃんと…受け取って貰えたのかね」








 終 







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◆ note ◆
三蔵サマお誕生日企画です
八戒さんお誕生日企画cottonと、ほんの少しだけ絡めてあります
といっても「薔薇の棘」だけですが
あまあま83お誕生日です
三蔵さま、おめでとうv