優しく歌って  --- Killing me softly with his song ---
 あなたの指が、僕の胸をかき鳴らす
 あなたの声が、僕を光に引き寄せる
 優しく歌って 優しく歌って
 あなたの声が
 あなたの言葉が

 僕の全てを見遥かす





 足下から急に立ち上がった闇のような影。
 過去から蘇った、僕自身。
  ―――― 清 一色。
 ぬめるような翳りの色は、確かに僕の断ち切れない罪。
 時折、僕は思い出す。
 僕の流した血の色。
 そして僕の指が食い込む、首筋の白。
「どうしてあなたは、僕なんかと平気で過ごせるんです?」
 久々に泊まれた宿の部屋で、僕は相部屋の三蔵に聞いた。
「あなたは首を絞められながら、真実、僕があなたを殺さないと、信じていられたんですか?」
 窓を雨が叩き、ガラスの上を流れ落ちて行く。
「過去にあれだけの罪を重ね、そしてあなたを襲った。どうして僕が繰り返さないと、思えるんです?」
 窓の外を眺めていた三蔵が、ゆっくりと振り返った。
「自分自身ですら、信じられないのに」
 ベッドに腰掛けながら、僕は俯き、自分の掌を見つめた。
「僅かな力加減で、僕のこの手は何もかも壊してしまう。その気になったら僕は、躊躇わずに生命を絶つことが出来るのに」
 雨音が、旋律のようだ。
 ゆるゆると心に忍び込み、眠った記憶に絡みついては呼び起こす。
 旋律の糸が、隙間に入り込み絡み付く。
「百眼魔王の城に乗り込み、命の有りっ丈を奪いながら、あの時良心の呵責の、ひとかけも動かなかった。取られたものを取り返したくて、それだけが僕の論理で倫理だった」

 何もかもが、僕にとっては罪悪だった。
 僕から花喃を奪った者は、全て等しく罪人だった。
 泣き叫ぶ子供に切りつけ、子を庇う母を縊った。
 庇い合う恋人達を切り裂き、その喉笛が互いの名を呼ぶことも出来ずに鳴るのを聞いた。
 眉ひとつ動かさずに、僕はそれをした。

 全てを滅ぼせば、花喃は元通り僕のものに戻るのだと思った。
 花喃と僕を弾き出した村を、壊した。
 女狩りの一族を、消し去った。
 花喃を襲った、ありとあらゆる出来事を、僕は全て抹消しようとした。

  ―――― 百眼魔王を、そして僕は、覚えていない。

 恐らく、原型を留めない肉片にでもしてしまったのだろう。
 花喃を汚した目を、唇を、耳を、腕を、掌を、指を、汚らわしい器官を。
 百眼魔王を覚えていなくても、自分が為すべきと思うであろう事は、共感を持って想像出来る。
 消去だ。
 花喃さえいれば、僕たちは元通りの生活に戻れたのだ。
 全てをなかったことにして、僕たちは幸福な生活に戻れたのだ。

「てめェの手を怖がってるのは、てめェの方だろ」
 嘲るような声に、夢から引き戻された。
「狂ってもいないのに、これから狂う自分を恐れて、一人で袋小路に詰まってやがる。迷いがあるなら、てめェひとりで惑ってろ。俺は機嫌が悪い。てめェの鬱に、オレを巻き込むな」
 全てを消し去ろうとしたのに、それでも死んで行った彼女の微笑みが蘇る。
『手遅れなの。
 このお腹の中にはね、あの化け物の子が ―――― 』
 抹消しようもない、小さな生命が。
 僕には手を下すことは出来ず。
 それを理解している花喃は、自ら刃を振り下ろした。
『悟能。
 もう遅いわ』
『悟能』
『悟能』……

「『悟能』、だったな」
 思索が直接鼓膜を震わせたのかと思った。
「『悟能』ならば、オレを縊り殺したかもしれん。だがお前は『八戒』だ。猪八戒だ」
「……どう呼び替えた所で、僕の過去は変わりません。僕は死ぬまで『人殺しの猪悟能』と同一人物です」
 清一色に言われたことは、真実だったから。

 窓辺に立つ三蔵が、僕の視界に映る。
 妙に薄っぺらく、存在感が薄い。
 いや。
 僕自身が、この世に存在しているという意識が希薄だ。
 人形のような。
 自分自身を遠くから見ているような、この現実感の無さ。
 役者がシナリオを読み上げるように、自分の声が聞こえてくる。
 苦しそうな声を、苦しみに満ちた声を、僕は出している。
 それを突き放して見る、自分の心を感じている。
「だって僕は、人殺しなんですよ」
 呻く自白が、なんて偽善的なんだろう。
 なんて汚らわしい自分。
「じゃあ、殺せよ」
 三蔵が嗤った。

「殺シテミセロ」
 僕に近付いた三蔵は、囁くように言った。
 白い手が僕の手首を掴み、彼の首に導く。
 触れた膚の、暖かな脈動。
 発散する生気と、指先が感知する動脈の位置。
 滑らかな膚に走る、太い血管。
 声を発する毎に生じる細かな振動。

「 ―――― 何故、オレが死にたがってないと思ってるんだ?」

「殺してみせろよ。オレは生きてる限りは動き続ける。血みどろで這ってでも、西に向かい続ける。生きてる限りはな」
 滑らかで暖かな首に、僕の指が巻き付いた。
「生きることは、苦痛だ。この世は苦痛に満ちている。生き物の理は全て、五感に訴える労苦だ。オレは苦痛に耐えて生きるだけだ」
 首に巻いて揃えた指が、鼓動と血脈を感じ取る。
「別に、長生きしたくて生きてる訳じゃねえ」

 覗き込む、濡れた瞳。

 指先に力を込めて動脈を押さえると、血管が膨らみ主張を始める。
 三蔵が、微かに眉を顰めた。
「妖怪なら撃ち殺すんだがな。貴様なんぞは、手を上げる価値もねえんだよ」
 どくん。
「てめェのオンナは、疾うに土に還ったんだ。それも理解してねえんだからな」
 どくん。
 どくん。
「色に狂ったままで、てめェに新しい名の付いた意味も、判ってねえだろ」
 額に血管が浮き出しているのは三蔵だというのに、僕の鼓動、脈動の方が、強く感じられる。
「……そのくせ、オマエにはもう、出来ないんだよ。無意味な殺戮は。意味のあると教えられた殺戮に満ちた生活の中、オマエが今一番恐れているのは喪失なんだからな」
 三蔵の頸に手を掛けたまま、僕は彼をベッドに引き倒した。
 無理矢理に唇を合わると、乱れた髪で、苦しげに眉間にしわを刻み込んだ。
 唇が離れた瞬間、吐息の触れ合う距離で、三蔵は明瞭な声で言った。

「オマエの片割れが死んだ時に、漸くオマエの人生が始まった」

「互いの為だけに存在していた相手を永久に喪って、オマエは初めて孤独を知った」

「世界中でたったひとり」

「誰もがそうなんだ。オマエは漸く、本当にこの世に生を受けたんだ」

 三蔵の頸に指を巻き付けたまま、僕は彼の胸に突っ伏した。
 額を押し付けた胸から、直に彼の声が響き、僕の躯を震わせた。
「人生は孤独だ。人生は苦痛に満ちている。だから得たものを手放さないように、この世の誰もが血眼になる」
 花喃を弔う声が、蘇った。
「オマエ達の繋がりが切れた時、漸くオマエはこの世に生まれ落ちた。新しい生を受けた」
 生きている者の為の黄金の声が、蘇った。
 どこかから聞こえた嗚咽が、自分のものだと気付くのに、時間は掛からなかった。
「てめェをこの世に送り出したオンナが、母と、姉と、ふたり。てめェはまだ惑ったまま。産声すら上げてねえ。 ―――― 情けのねえこったな。手を上げる価値もねえ」
 花喃を眠らせた、黄金の声で。
 僕をこの世に送り出した、最後のひと蹴りを喰らわせた声が。
「苦痛に満ち満ちた世界で、漸く生き始めたてめェなんざな」
 腕から力を失い伏した僕の髪に、ほんの少しの間、三蔵の指が止まった。
 梳くように。
 撫でるように。
 ほんの僅かな時間だった。

「僕には、あなたを喪うことは出来ない」
「当たり前だ。下僕の分際で、そんなことは考えるだけでも不遜なんだよ」
 不機嫌そうに僕の躯を押し、三蔵はベッドに起き上がると袂から煙草を取り出した。
「…が。安心したがな。オレも長生きはしたくはないが、早死にする予定も暫くはない」
 不貞不貞しそうに、僕を見る。
「手を上げる価値もねえが、元々坊主が得意とするのは、舌先三寸、丸め込みなんでな」
「……さんぞ?」
「てめェが物騒なことをしねえと判って、摂理を尽くした甲斐があったと言うものだ」
 高く紫煙を吹き上げながら、三蔵が横目で僕を見た。

「……雨。まだ降ってやがるな」
「ああ。そうですね。でも、朝には上がるんじゃないですか?」
「何故判る」
「当てずっぽうです」
 三蔵は、とても嫌そうに片目を眇めた。
 僕は、急に笑いがこみ上げ出した。
「ええ、でも。随分降ってますし、そろそろ雨の方でも打ち止めでしょう。何だか本当に、そんな気がするんですってば!」
 ひとしきり笑い、僕は、自分の名を呼ばれるのを待つ。

「コーヒーだ。 ―――― 『八戒』」
「はい」
 僕を広がる世界に放り出した三蔵に、微笑んだ。














 fin 







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◆ note ◆
カウンタ60000hit!を踏んで下さった梅子さんへ

リクエストは「killing me softly」…丁度、話題の映画だったんでございます
官能的な映画も原作も読まないままに、ネス●フェのCMソングの
「killing me softly with his song」を持って来てしまいました
……官能の「か」の字もないですね
killingは、「うっとりさせる」という意だそうです
「目でヤられる」とか、そんな感じ?(怪しいです)

色気はないものの、なんと八戒さんをこの世に生み出してしまったという
三蔵様の撫で撫でおテテと、突っ伏しついでに八戒さんが嗅いだ
三蔵様の体温を、梅子さんに捧げます

梅子さん、60000ヒット、ありがとうございます