GOKUH 
 光差す世界へ。
 繋がれた牢獄へは、決して差しては来ぬ陽光。
 その輝きを背負いながら、彼は立っていた。
「連れてってやるよ」
 差し出された手に、つい手を伸ばした。

 いつか見た夢が蘇ったかのような、瞬間の不安。

 触レラレヌ
 届カヌ
 抱ケヌ

 瞬間の混乱。

 救エヌ
 間ニ合ワヌ
 マタ此度モ

「連れてってやるよ」
 指先が触れた瞬間に、両腕を繋ぐ枷が弾け飛んだ。重たい鎖が、バラバラと地に落ちた。
「わ。どうして…?」
「錆びてんだよ」
 悟空の目の前の人物は、胡散臭そうに岩牢に貼られた封印の札を眺めた。
「……抹香臭え」
 視線をやる端から、力を失った札が剥がれ落ちて行った。
「……糊が古くなってんじゃねーのか。…おい」
 言い終わらぬうちから、頑丈な岩が風化して砂と化して行く。
「おい!ぼさっとしてると、崩れて死ぬぞ。来る気があるなら早く来い」
 言うなり、彼は踵を返してすたすたと歩き出すので、慌てて後を追おうとした。
 岩の格子は触れるだけで塵になり、咳き込みながら走る悟空の背後で、風に飛び散った。

『連レテッテヤルヨ』

 久々に浴びた日差しに戸惑いながら、後ろ姿に走って追い付いた。
 無造作に垂れ下がる掌が嬉しくて、強く指を絡めた。

 逆光に縁取られた影に向かって、手を差し伸べた。
「俺を…連れてって……」
「寝惚けんな、この馬鹿猿ー!!」
 ハリセンの炸裂する音と悲鳴が、宿中に響き渡った。
「さっさと目ェ覚まして支度して降りて来い。2分で来ないと朝飯抜き。若しくは置き去りだ!」
 どすどすと、機嫌の悪さをアピールするような足音が階段を降りて行く。
 ひとり、朝日の射し込む部屋のベッドで、悟空は頭に手を当てた。
「……痛え」
 確か、何かの夢を見ていた筈だった。
 夢の続きの金色の光に手を差し伸ばし、そして馴染み深い派手な音と、痛覚。
 ぼんやりと、ベッドの上で膝を抱えた。
 朝の太陽は、いつかの光を悟空に思い起こさせる。
 輝きを背負って立った、まだ細かった三蔵の姿と、思いがけずに差し出された、手首の細い掌を思い出させる。
 悟空は自分の掌をぼんやりと眺め、そして勢い良くベッドから跳ね起きた。
「三蔵のケーチ。引っ張って起こしてくれたって、いいじゃんさ!」
 いつかのように、その手を差し出して。この腕を引いて。
 そんなことを、いつからしてくれなくなったのだろう。
 幼かった自分の手を引いてくれたのは、いつ頃までだったのだろう。
 その頃の三蔵が、今の自分よりも遙かに小柄であったことに気付き、悟空はくすりと笑った。
「あー、も。腹減った!」
 食堂に向かって、着替えもそこそこに駆け出した。
 山間いで戦闘になった。
 生い茂る木々を抜け、妖怪達が青龍刀を振り回す余地の無い場所へ誘導する。
 悟空自身も、如意棒を豪快に振り回すだけの空間はない。しかし、小柄な彼は小回りを利かせて妖怪達を攪乱し、僅かな隙を狙って槍の様に如意棒を突き上げた。

 悟空は戦闘が好きだった。
 躯の隅々にまで駆け巡る緊張感。
 全身に行き渡る神経が、軽い興奮状態にある心地よさ。
 自分の躯が、無駄なく機能しているという快感。
 敵を翻弄させる自分の身軽さ。

 楽しい。

「伸びろ、如意棒!」
 愚鈍な妖怪の鳩尾目掛けて、得物を突き出す。
 派手に血をまき散らす訳ではない。悟空の如意棒による攻撃は、躯の内側を駄目にする。
 骨を、内臓を、叩き潰す。
 悟空の渾身の力で振り下ろす如意棒が、妖怪の肉体に食い込み、力任せに吹き飛ばす。
 それを、立ち塞がる敵に向かって繰り返して行くのは、純粋に楽しいのだ。
 自分の戦闘能力が、遺憾なく発揮される喜び。

  ―――― 三蔵の役に立つ。

 喜びは、いつまでも続くモノだと。
 いつの間にか、自分でそう思い込もうとしているとも、気付かぬ。
 若い獣が牙を剥きながら遊ぶような、刻(とき)。

 気付くと、草の生い茂った足下に、ぱっくりと暗い淵が口を開けていた。
 悟空の躯が、崖下に滑り落ちる。
 踏みしめる靴には、湿った土とぬめる苔の応えしかなく、光景がスローモーションで真上に向かってずれた。落下しながら崖に張り出す木の根を見つけ、悟空は瞬時にしがみついた。
 悟空の掌が木の根を掴んだ途端に、時間が通常の早さに戻る。
 がくりと揺れる躯は、それでも僅かな余裕があれば、地上に戻れる筈だった。

「悟空!」
 銃声と同時に、悟空の掴まる木目掛けて青龍刀を振りかざした妖怪が、倒れた。
「この馬鹿猿!ナニ遊んでやがる!?」
 三蔵が叫び、悟空に向かって腕を伸ばした。

 暗い森の中。
 光すら射さぬのに、三蔵の髪と法衣は、いやに明るく悟空の目に映った。
 三蔵は片手で手近な木の枝に掴まり、崖下の悟空の方へ反対の手を差し出した。
 唇が、動いている。

「悟空!」
『連れてってやるよ』

 悟空には、三蔵の法衣がハレイションを起こしたかのように、眩く見えた。
 何も考えられずに、自分の手が三蔵に向かって伸びるのを、悟空は見た。

 先程悟空が叩き伏せた妖怪が、笑いで醜悪に顔を歪ませながら、姿を現した。
 指先が触れる間際に、自分の喉が叫び声を迸らせるのを、悟空は感じた。
 ふらつきながら妖怪が、三蔵を崖下に突き落とそうとするのが判った。
 三蔵はその気配に眉をぴくりと動かしただけで、気にした様子もなく悟空に手を伸ばし続ける。
 悟空の喉から洩れる叫びが、咆吼に変わった。
「三蔵ぉぉ!」

 妖怪の躯がぶつかる瞬間、悟空は渾身の力で三蔵の腕を引いた。
「てめェ!?」
 躯を支えていた木の根から手を離し、三蔵の躯を抱き込みながら宙へ飛ぶ。
 一瞬見上げた視界に、崖下にもんどり打つ妖怪が光りに巻き込まれるのが映った。
 銀の鎖を引く凶刃と、押し潰す輝きの気孔弾。
 その両方に見舞われた妖怪の躯が、チーズのように切り裂かれ、粉々に吹き飛んだ。
 落下のスピードで遠離るその光景を、覆うような緑の隙間から、悟空は見た。

 崖を滑落して行くと、ねじくれて這う木の根や蔦が、悟空の躯を打った。
 時折密生している竹が、へし折れ際に悟空の臑を割いた。
 羊歯は頬を叩き、笹や、他の鋭利な縁を持つ葉が、剥き出しの腕を切り付けた。
「この馬鹿!俺まで巻き添え喰らわすな!」
 怒鳴りながら、自力で受け身を取ろうと藻掻く躯を、腕の中に抱きしめた。

 強く、抱きしめた。

「あ。こんな所にいましたよ」
「お前らふたり揃って、何サボタージュしてんのよ。……息切れ?」
 銃声が響く。
「降り切ったら、丁度道に出たからな。俺がわざわざ上に戻ってやる必要もなかろう。てめェら下僕がさっさと迎えに来れば済むこった」
 崖下に現れた隧道の、突き出した岩に腰を掛け、三蔵は紫煙をくゆらしていた。
 八戒がちらりと視線を遣った先では、悟空が道端に大の字で転がっていた。
 手も足も、裂傷だらけで血に塗れていた。
「……じゃあ、メンバー揃った所で、次の街へ向かいますか」
「そ。山ン中、藪蚊だらけで、鬱陶しいったら。キレーなお姉ちゃんが吸い付いてくれるんなら、大歓迎なんだけどなー」
 ジープへ戻ろうとする悟浄を、三蔵がせせら笑った。
「無駄な血の気の多い奴は、イッペン吸い尽くされた方が世の為だな」
「……ナーニ?三蔵サマ、御自らスイツクシテくれるワケ…?っおわ!近過ぎんだよ、てめえの弾はよ!?」
 まだ火薬の匂いのする拳銃を懐へ仕舞い込んだ三蔵がジープへ向かい、剣突喰らわせながら、悟浄が後に続く。

「悟空?」
 八戒が、大の字にに転ぶ悟空の顔を覗き込んだ。
 悟空は、寝転びながら天を見上げていた。
「悟空、立てます?」
 大きな瞳を開けたまま、悟空は八戒を見ずに肯いた。
「…先、行ってますよ」
 悟空はもう一度、肯いた。
 立ち去ろうとする八戒の名を、悟空が呼んだ。
「なあ。さっきの……」
「はい?」
 にこやかに振り返る顔に、漸く悟空は目を向けた。
「さっきの妖怪は。三蔵は、」
 自分に向かって手を差し伸べ続けた三蔵と、三蔵を傷付けさせなかった錫杖と気孔弾の輝きが、脳裏に蘇った。
 悟空は口を閉ざした。

 『連れてってやるよ』

 違う。
 次は、俺が。
 俺が、三蔵に向かって。
 今よりも、もっともっと。
 もっともっと。
 いつか。

「……悟空?」
「すぐに、行くから」
 また天を向く悟空に、八戒はひとつ溜息をつき、ジープへと歩み去った。

 隧道の、切り立つ崖に切り取られた細長い空に、悟空は両手を突き出した。
「今度は。今度こそは」
 深く息を吸い、吐き出した。
 息を吐き切ったところで、全身の撥条を利かせて飛び起きる。

「待てよ!今行くから!」
 何時にも増して不機嫌そうな三蔵へ向かって、駆け出した。















 fin 







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◆ note ◆
Happy birthday, GOKUH.