所により、雨
 野郎ばかりの旅も、そろそろ慣れて来た。
 3年間の同居生活を経てきた八戒の、また別の一面を時折垣間見るのも、慣れた。
 何と言うか。
 同居ってったって家主は俺で、居候していたのは奴の方だったし。元々メシなんざ家で食うもんじゃなかったし。財布も別々で、俺は飲んで打ってきれいな姉ちゃんと楽しく過ごせれば、日々此れ平穏な穏健派だし。
「…悟浄。最近顔色悪いですよ。何か美味しくて栄養のある物作りますから、今日の夕食は家でとってください」 
 …なんて、ちょっと心配そうに眉を顰められるのは、タマのことなら実は嫌いじゃなかったし。
「……八戒」
「何です、悟浄?」

 朝日の反射する、明るい宿の食堂だった。
 テーブルにコーヒーポットと人数分のカップを運んできた八戒が、にこやかに振り向いた。
「…んにゃ。ご機嫌いーのね」
「そうですか?」
 ご機嫌だと、俺は思うのよ。
 奴の笑顔は見慣れてると思うけど、今朝のは溢れんばかりのというか、満面のというか。
 …宿の部屋割り、三蔵とふたりだったからな。
 暖かーい思いをしたって訳ね。あっそ。
 …こっちは猿の寝言が煩くて、それどころじゃなかったっつのにな。
 夕べは寒くて外に出る気も起こらなかったんだけど、やっぱ行けばよかったんだよなあ。きれいなお姉ちゃんとぬっくぬく…すればよかったんだよなあ。

 八戒がコーヒーカップを各々の前に配ると、三蔵は乾いた音を立てて新聞を捲った。
「…なんだ」
「いや、別に」
 新聞の影から覗いた顔と目線が合い、思いっ切りガンを飛ばされる。
 八戒の上機嫌とセットの、三蔵の不機嫌。
 明白過ぎて、今更ナニも言う気が起こらない。ってか撃たれるし。
 マグカップの湯気を楽しみながら、ハイライトに火を着けた。
 深煎りの、薫り高きコーヒー。熱いけれども、まろやかな苦みを快く楽しめる温度。
「…八戒さん、俺朝はアメリカンのがいいんだけどなあ」
「あはは。じゃ、今度は悟浄の為にアメリカンにしましょうか」
 はいはい、コレは誰かさんの好みの為のコーヒーだしね。
「出来れば沸騰直後くらいの熱々で」
「あははあ。悟浄は猫舌じゃないですからねえ。そうですね、少し置けば冷めるし、今度はポットも温めて貰って、淹れ立てをタイミング良く持って来ますね」
 ……猫舌って、誰かさんひとりしかいねえじゃん。
 新聞紙の向こうから、舌打ちが聞こえた。
 判ってんじゃん。

 八戒は気にした様子もなく、テーブルの中央のカゴからパンを取っては、手際よく切り分けて行く。
 宿の朝食メニューは、パン、スープ、サラダ、ベーコンエッグ、こんがり焼き色の付いたソーセイジ、フルーツにオレンジジュース…。
 ベーコンエッグを、ぺろりとひと飲みの勢いで平らげた悟空が、サラダにフォークを突っ込みながら八戒を見上げた。
「俺、目玉焼きは両面焼いた方が好きだなあ。で、目玉イッコじゃなくて両目焼きのがいい」
「あはははは。じゃ、今度は悟空用にはサニーサイドアップをお願いしましょうね」
 確かこの会話、数回目のような気がする。
 ま、猿は何でも食うから気にしなくてもいいような気もするけど。
「頼めるんだったらさ、たまにはオムレツもいいなあ。チーズ入りとかの」
「あれ、悟浄、オムレツ好きでしたっけ」
「薄情だねえ。お前が作ったの、美味いって言ったら何度も作ってくれたじゃん」
「あ、そうですね。悟浄はナツメッグとパルメザン入りオムレツが好きだって言ってましたね」
 新聞紙の向こうから、くぐもった声がした。
「オレも、ごちゃごちゃと具の入ってない奴なら、チーズ入りオムレツは好きだ」
「あ。じゃ。次はそれにします」
 ……『今度』と『次』って、その差はナニよ。
 『今度』は、飽くまでも『今度』。時を確定しないのよね。『何時か』とかと同じ、子供をはぐらかすオヤがよく使う手ね。
 言質取らせねえよなあ。

 目の前で八戒はパンにバターを塗って行く。
 まず先に三蔵の皿へ二枚。
 新聞を読み続ける三蔵は、全く手を出そうとしない。
 俺も八戒も、当然悟空も、目の前の皿を空にして行く。
 サラダはしゃきしゃきレタスにコーン、トマトにアスパラにツナにオニオンスライス。
 ふと気付くと、三蔵のサラダ……なんか山盛りじゃねえ?ってかてんこ盛り?
 八戒に視線をやると、これまたにっこりと微笑みを返された。
 さっきの満面の笑みじゃなくて、
「……なにか?」
 って、聞き返すときの笑顔。
 わーったってば。サラダはお前が盛って来たっての、思い出したから。
 …夕べの抱き心地でも悪かったんだろーか。で、太らせようっての。

 悟空とやり合いながら、殆どの食事を平らげかけた、その時。
 八戒がスープの皿から顔を上げた。

「三蔵、ポタージュ冷めましたよ」
「ん」
 がさりと音を立てて新聞を横に置き、三蔵はおもむろに食事を始めた。
 …ポタージュね。中々冷めないもんな。確かに、猫舌にはちょーっと辛い温度だとは思ったよ。
 でもスープの適温のタイミングの面倒まで見るか?フツー。
 三蔵も、ふーふーくらいしろ。
 いや。
 人目がなかったら、それも八戒がしたのかもしれない。やり兼ねない。いや、する。
「アスパラガス、除けないでくださいね。栄養価高いですから」
 一瞬三蔵が固まった所を見ると、本当にアスパラを除けようとでもしていたらしい。

 食後の一服をと思い懐を探っていると、カップにコーヒーを注いでくれていた八戒が微笑んだ。
「…悟浄?」
 ………はいはい。三蔵サマが未だお食事中だっつのね。
 悪かったよ。
 うっかりしたよ。
 全面的に申し訳ございませんでしたから…オネガイ、微笑まないで。

「八戒…。お前さ、昔はもうちーーーっと優しくなかった?」
「え?僕は何時だって優しいじゃないですか」
 三蔵のスプーンが、かちんと音を立てて落ちる。
「三蔵。お前までそんなコトじゃ駄目じゃん。折角の八戒の『優しさ』、今は全部お前に向いてんだぜ?」
 三蔵が、頬を染めつつスプーンを握り締めて睨み付ける。
「…貴様。ナニが言いたい」
「俺はさ、ムカシのオトコなのよね。八戒、もう俺の世話焼いてくれないもん。愛が移っちゃったのよね、三蔵サマに」
 何時の間にやら白い掌には拳銃が握られ、安全装置を解除する金属音がした。
「だって本当だもーん。…てめェだって自覚あんだろ、八戒に世話焼かれてるってよ」
「神経を逆撫でる事実ってのも、あるんでな。大体俺が望んでのことじゃねえよ。返すよ。利子付けて返してやるよ」
「ンなこと言ってぇ…。完全猫舌仕様のコーヒーとスープがなくなって困んの、三蔵サマじゃん」
「なんだとゥ!?」
「あのう……」

 三蔵とふたり、硬直する。
「ふたり揃って酷いこと仰ってません?過去だろーが現在だろーが、ふたりとも手の掛かる大人であることには変わりないと思うんですよねえ」
 にっこりと微笑みながら、…八戒の表情の影が、微妙に濃くなったような気がする。

「三蔵、移動先の街での、宿の交渉、買い出しの情報収集…平たく言えば安売り店探し、酒場の酔っぱらいあしらい、当地有力寺院からの熱心な講話会開催・出席のお誘い、その他様々な接見行為、全て僕が手をひいたら、あなたかなり面倒臭いんじゃありません?それひっくるめての世話ですからねえ。僕としても、全く望まれていないことを押し付けるのは、少々気が引けるんですけど…」
 三蔵は「フン」と鼻で笑ってサラダを突っつき出した…が、アスパラばかり攻撃している。多少の動揺はあるみたいだな。まあ、八戒に凄まれたらな。

「……悟浄」
「うわ、はい!」
「悟浄。もしかして、僕、悟浄に淋しい思いさせちゃったんでしょうか?」
「あ、ま、言葉のアヤって言うかさ。お前が機嫌良く三蔵の世話やいてるのは、見てて微笑ましいしな」
 三蔵が睨み付ける気配がしたが、取り敢えず無視した。
「俺はさ、朝にはアメリカンが飲めたら、それでいいし」
「俺は両面焼きの両目焼きー」
 おう。
 すっかり忘れていたが、悟空もいたんだった。ずっとカゴに盛った大きなパンにかぶりついていたらしい。
「ビュッフェとか、バイキングとか、満漢全席とか、フルコースとかでもいい」
 朝からかよ。
 八戒がゆっくり近付いて、俺の肩に手を置いた。
「判りました。朝のコーヒーは、アメリカンもちゃんと頼みます。今度から」
「…八戒。そう言えば最近美味い茶を飲んでないような気がする」
「じゃあ、後で買いに行きましょう」
 この期に及んで、まだ『今度』と『後』で差別するか。いや、別にいいんだけど。
「…で。悟浄」
「ン?」
「あなたの世話焼くのも、かなり楽しいんですけどね。三蔵の世話焼いて甘やかしてって…更に楽しいんですよ。僕、三蔵に関しては、もう真綿でくるんじゃおうって決めてるんです。………邪魔、しないでくださいね(微笑)

「オイッ!?」
 三蔵は、今度はフォークを握り締めたままで血相を変えた。
「勝手に決めてんじゃねーよ!下僕は下僕の分際を弁えてろってんだよ!」
 俺の肩に腕をかけたままの八戒は、ふと儚げに微笑んだ。
「…三蔵、そんな淋しいこと、言わないでください」
 翳りを帯びた視線がすっと横に逸れ ――――

「……往生際の悪い。『下僕無くてはいられないご主人様製造計画』なんですから。諦めてくださいね。くっくっく……」

 邪悪様、発動。
 間近で聞く八戒愉悦の笑い声は、怖かった。

 変わりなく、日々は繰り返す。
 相変わらず、八戒は三蔵の世話をまめまめしく焼いている。
 三蔵は時折抵抗を示しながらも、…甘やかされるのが妙に似合う奴だと思う。
 さすが八戒の『下僕無くてはいられないご主人様製造計画』。
 悟空は真面目くさってこう言った。
「八戒。俺のことは普通に甘やかすんでいいから」
 それでも甘やかされる気でいるところが大物だ。

「…はい、悟浄」
 目の前に呈されたカップの中身は、朝にはあっさりアメリカン。
 …『地獄のように熱い』ってヤツ。
「…計画の、余技ってか?」
「スネないでください」
 苦笑しながら八戒は続けた。
「余技じゃないですよ。ちゃあんと悟浄には悟浄向け、悟空には悟空向けの計画進行中なんですから」
「い!?」
「悟空のは『末っ子的やんちゃな甘えん坊製造計画』。…これ、結構成功してると思うんですよね。悟浄への計画は…」
「な、ナニよ。ナニ計画されてんのよ、俺!?」
「……秘密ですv」
 ドアが開き、悟空の声とハリセンを叩き付ける音が同時に響き、急に食堂が騒々しくなる。
「あ、八戒、八戒ー。今日の朝飯、何だってー?」
「ちゃんと、卵ふたつの両面焼きの目玉焼きを頼んでますよ」
「やたっ!」
 …末っ子的甘やかしと、普通の甘やかしの差って何なんだろうな。まあ、悟空には異存ないだろう。
 仏頂面の三蔵が席に着くと同時に、八戒がコーヒーカップを差し出す。
「熱いですから気を付けて下さいね」
「ああ」
 冷めるまで、三蔵は暫く新聞を読み続ける気らしい。
 好みのコーヒーが飲めて気分のいい俺は、ちょっと三蔵をからかいたくなった。

「三蔵」
「あ?」
 猫舌の癖に片方の眉を上げて睨み付ける、その我が儘そうな顔は、確かに甘やかすのが楽しいだろうと思わせる。
「…ふーふーしてやろっか?」
「!!」

 銃声が続いて朝の静けさが縁遠くなり、また慣れた日常が始まる。走って逃げる視界の中で、俺のカップにお代わりを注ぐ八戒が、にこやかに笑うのが見えた。
 それすらも、ありふれた日常。


















+-- fin --+










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 note
…単にごじょさんを降らせてみたかったダケです
八戒のごじょさん計画が存在するのかは、不明(笑)