必要としているのか、必要とされているのかも
そんなことに拘泥わることすら、クダラナイほどの
この日々よ 繋ぐ指よ 絡む腕よ
「別に大したことじゃないんだって!ただちょっと…三蔵が小さくなったかなあって思って」
「なにィ!?」
いきり立つ三蔵の横で、悟空がまっすぐに立った。自分の頭の上から三蔵の方まで、水平にした掌を横滑りさせる。
「…ほら。前は俺、三蔵の頬くらいの背の高さだったろ?」
「……」
「あー、本当ですねえ。流石成長期ですね、悟空。よく食べてますもんねえ」
「どーりで最近、肘置き場の落ち着きが悪いと思ったんだなー」
「誰が悟浄の肘置き場なんだよっ!俺のアタマを押さえようとする奴がいるから、今まで背が中々伸びなかったんじゃないかっ!」
「いやー、丁度よかったのよねー。こうやって肘突いて煙草吸うとラクでさー」
頭の天辺にごりごりと押し付けられる肘を、悟空ははたき落とそうとした。そのまま暫く、何時も通りのバイオレンス鬼ごっこが始まる。
それをにこやかに眺める八戒は、三蔵が無言なままなのに気付いた。
「…三蔵?」
「……どうもおかしいとは思ってたんだ…以前は目を瞑っていても頭に叩き付けられたハリセンが、顔面に当たるようになったとは、思ってたんだ……」
「さ、三蔵…?」
三蔵は茫然と目を見瞠いていた。
「まさか…まさか…このまま行くと…?」
呟く三蔵の前に、ひとしきり走り回った悟空が戻って来た。びしり!と三蔵に向かって人差し指を立てる。
「俺ね、三蔵の身長は抜かす予定だから!大分差も縮まって来たから、もうすぐだかんねっv」
元気が有り余っているのか、悟空はその場でステップを踏みながら宣言し、そのまま、三蔵が愕然としていることも気にせずに悟浄を追い掛けに走り出す。
「…まさか…本当にそうなるのか…そんな…」
「三蔵?もしもし、三蔵?もしもーし?」
平穏な、ある日の光景。
「なあ!」
一触即発の空気を破り、悟空が叫んだ。
「ふたりともお互いの心配してんのに、なんで喧嘩腰になるんだよ!」
八戒がミラー越しに見る悟空は、後部座席から立ち上がっていた。
「三蔵が雨で不機嫌になるのなんかいつものことだけど、躯の心配くらいさせろよ!八戒も、俺に向かっては怒ることなんかないのに、どうして…!」
「ハイ、そこまで〜〜〜」
「…んぐっ!ごじょっ!?何すんだよっ!!」
大きな掌に口を押さえ込まれた悟空が、座席で暴れる。
「八戒、いーから停めな。…ほいよ、クソ坊主」
荷物から取り出した毛布を、三蔵の頭に叩き付ける。三蔵はそれを即座にはね除けた。
「!…貴様っ」
八戒がハンドルを切りながら急ブレーキを掛けた。ジープの横滑りに揺さぶられ、三蔵の首ががくんと落ちる。
「八戒!」
「ふざけてんのか!?」…と続けようとした三蔵は、八戒に毛布を巻き付けられた。そのまま毛布越しにきつく戒められる。
「停めましたから。せめて心配くらいさせてください。譲歩してください」
また、雷鳴が轟く。三蔵は身じろぎも出来ずに、八戒の間近な声を聞く。
「せめて、こうしていさせてください…」
ギア越しに身を乗り出した八戒は、覆い被さる様に三蔵を抱きしめていた。三蔵を拘束する腕は、僅かな隙間も作らなかった。
強ばる三蔵の躯が、やがて諦めの吐息と共に八戒にもたれかかる。熱のこもる息が八戒の肩に掛けられる。
「…くだんね」
「…くだんないことなんか、何もありません」
「……オレがだ」
「……」
雨音にかき消えそうな声が、ふたりだけの間を彷徨い、空気に溶けた。八戒は何も言わずに、三蔵の躯に回す腕に、また力を込めた。
悟浄は、強い雨足も気にせず手足を伸ばした。天を向き、隣の悟空にだけ聞こえる声で、独り言を呟く。
「犬も食わない、ってね…。ンあ?雨降って地ィ固まるってヤツか?…お前な、こーゆー時はそんなにマジマジと見ないモンなの!」
「…言われなくてもっ!」
悟空は運転席とナヴィ席のふたりから目を逸らした。
微かに胸に痛みを感じて。
悟浄の開いたドアを抜けた八戒は、宿の主人とひとこと、ふたこと言葉を交わすと、走る主人に先導されて先に奥の部屋へと進んだ。
カウンターで待つ悟浄と悟空の前で、宿の従業員が医者を呼ぶ手配をする。
「おいサル」
「…ん?何か言った?」
三蔵の消えた廊下の先を心配げに見つめる悟空に、悟浄は苦笑する。
「気になんなら行けば?別に宿帳の記帳なんか睨んでる必要ねえっしょ?」
「うん…。な、悟浄」
「あぁ?」
悟空は悟浄をまっすぐに見上げた。
「俺は行ってもいいのか?八戒、三蔵に向かう時と俺達に向かう時とじゃ、ちょっと違うじゃんか。三蔵も、八戒に向かう時と俺達に向かう時とじゃ、何か違う」
悟浄は一瞬目を剥いて、口笛を吹いた。
「八戒は、何か…もの凄く優しかったり、恐かったりしてる。八戒、普段優しいじゃんか。なのに、三蔵のこと物凄く大事にしてるのに、時々おっそろしく恐い目して見てる」
悟空はゆっくりと言葉を選んだ。昼間垣間見た八戒の瞳を思い浮かべながら、出来るだけ感じたことを話そうとした。
「三蔵は…三蔵は。張り詰めてるのに、時折ストンって力抜くんだ。普段、人前じゃ絶対に気を抜かないのに、八戒相手だと誰もいないみたいにすうって力抜く。で、自分で絶対にそれを認めないんだ」
悟浄は、三蔵が自認しないという所で吹き出した。
「なんだよっ!笑うことないじゃんか!」
「ああ、悪ィ。お前を笑った訳じゃねえんだ。…そっかぁ、認めねーんだあ…。強情な美人に惚れると、苦労すんね…」
最後の言葉は口の中に消える。悟浄は妙に楽しそうに、宿帳に4人の名前を記入した。
「でもアレじゃん。充分『ヒトマエデナイ三蔵』を、お前も見てる訳じゃんか。三蔵の気を抜く場所が、お前と八戒とで違う、ってだけだろ。三蔵がユルスところが違ってるってだけじゃん」
「許す?」
「気にしてっとハゲるぜ?…何か?ふたりだけでいる場所に入って行くのが怖いん?ふたりだけでいる所を見るのが怖いん?」
「ばっ…!何で俺が八戒と三蔵怖がるんだよ!」
「じゃ、行きな。取られて悔しかったら、奪い返しな」
「……そういうことなのか?俺」
「俺に聞くなよ…」
銜え煙草で呆れる悟浄の前で、悟空は腕をぶんぶんと振り回し始めた。
「…何か判んねーけど、ちょっと張り切る気になって来た」
「おーお。焚き付けといて何だけど、おっかねーな」
悟空と悟浄のふたりは示された部屋に向かって歩き始めた。
ドアノブに手を掛けて止まる悟空の隣で、悟浄がドアをノックした。
「…一応ね。こーゆーことするキマリがあるんだなあ。ノックするんでなきゃ、蹴り開けるとかさ。…蹴り開けられる方は、あんま心臓に良くないんだけどな。…おい、八戒」
室内から、抑えた声が応える。
ドアを開けると、ベッドに横たわる三蔵の額の上に、八戒が濡れたタオルを置くところだった。
「多分疲労だと思うんですけど。限界まで我慢することは無いと思うんですけどねえ」
振り向いて言う八戒の腕を、眠っていたと思われた三蔵が掴んだ。
「大したこっちゃねえ。少し休めば治る。医者なんか呼びやがったら承知しねえ。…オレに構うな」
「三蔵。あなたが強いのは判ってます。でも高熱が続けば、また体力が落ちるんですよ。注射でもなんでも、とにかく熱を下げる必要はあるでしょう」
「オレのことを勝手に決めるな!」
ベッドに腕を突き、らんらんと瞳を輝かせた三蔵が起きあがろうとした。
「三蔵!」
悟空が三蔵の枕元に立った。
「いいから…寝てろよ。辛そうな三蔵見るのは、俺だってヤだよ。無理してる三蔵も、無理を隠そうとする三蔵も、俺見るの…ヤだよ!」
悟空は拳を握りしめ、そしてまた開いた。
「…三蔵が無理してるのに気付かない俺も、ヤだよ……!」
俯いたままで続ける。
「俺…そんなの、やだよ…」
「半べその顔なんか、見る気も起こらん。ウザい、見苦しい、鬱陶しい。…医者が来るまでオレは眠る。見てられるのも鬱陶しい。オマエ等、出てけ」
「三蔵…」
「さんぞうっ!」
吐き捨てる様に言う三蔵に、八戒と悟空が同時に声を上げる。
「悟空、誤解すんな。サルにまで同情される自分がバカに思えて来ただけだ。…オマエ等、ふたり共鬱陶しいんだよ。出てけ」
三蔵は枕に頭を預けた。張り詰めた気を抜くと同時に、また深い眠りに就きかける。
「…鬱陶しい奴ら…」
「どーするよ、お前等。出てけって言われちったぜ?」
ドアに寄り掛かっていた悟浄が、ハイライトに火を付けながらふたりに向かって言う。
「出てけと言われて出て行くのも業腹なんですけどね。…悟空、お医者さんを受け入れてくれたのは、悟空のお陰ですしね」
「……俺が心配するの、ヤダって言ってたみたいだけど」
「翻訳の必要なヒトって、いるんですよねえ…。取り敢えず、食堂でお茶でも頂きましょうか?それとも何か食べますか」
「ホント、強情な美人に惚れる人達は苦労するねえ。ま、ちょっくら休んで来んだな」
悟浄は灰皿を手にしてベッドの側まで椅子を移動させていた。
「僕じゃ、やっぱり素直にはなって貰えないんですかねえ」
悟空に続いてドアをくぐりかけた八戒が、苦笑まじりに言った。
「直球勝負のヤツに勝つのは大変だねえ。あ、ワリ。俺、悟空焚き付けちまったから」
「…何です、それ?」
「一番の強敵だぜえ?」
「なんだか恐そうですけどね。取り敢えず、あんまり病人の近くで煙草吸いっぱなしになるのはヤメてくださいね、悟浄。詳しい話は後から聞かせて頂きますから」
「オオコワ」
ぱたん…。
静かにドアが閉められた。
「全く…ヒトの気ィ狂わせてばっかの、とんでもねえ畜生坊主だぜ。そこいら中で、気をユルス部分違えて、それぞれにぽろっと素の自分を見せてはシャットアウトしちまうんだからなあ…」
悟浄は煙草を灰皿に押し付けた。
「ま、俺にしてみたら隙だらけだからなあ。ユルスもユルサナイも。コイツもアイツ等も」
立ち上がると三蔵の顔の両脇に手を突き、ゆっくりと屈み込む。紅い髪が、三蔵を囲うカーテンになる。
三蔵が焦点の合わぬ瞳を開いた。
「寝てな。次に起きた時には、もっとラクになってるから」
柔らかな声で言うと、悟浄は三蔵の唇に自分の唇を触れ合わせた。
悟浄の言葉が、意味になって三蔵の耳まで届いたのかどうか。
開いた瞳に映ったものが、理解出来ていたのかどうか。
三蔵の唇が誰かの名前を紡いで、また目蓋を閉じた。
「…全く、罪作りな坊主だぜ」
悟浄はまたどっかと椅子に腰掛けると、新しい煙草に火を着けた。
「…全く…。誰の名前を呼んだかなんて、教えてやんねえ。八戒にも、悟空にも。…三蔵にも」
煙草の煙を高く噴き上げると、悟浄は少しだけ楽しげに唇を歪めた。