春宵 
   もやは日も西に傾き、誠に春の夕暮の桜は、取りわけ一入一入(ひとしおひとしお)。
   ハテ、麗らかな眺めじゃなァ。               『桜門(桜門五三桐)』
 
 夕日の色合いを帯びた桜が、今を盛りと咲き誇っていた。
「春宵一刻値千金ね…」
「元々夜行性で慢性発情期のオマエには、季節なんざ関係ねえだろ」
 自分のもたれて座る桜を見上げて呟く悟浄に、隣で新聞を広げる三蔵から、冷ややかな言葉がかけられた。
「風情の無さは、俺もお前もドッコイドッコイじゃねえのよ…」
「てめェと一緒にされたかねえよ!」
 春の夕暮れの静寂を破り、新聞を投げ捨てる音と怒鳴り声が続いた。
「先に喧嘩売ったのはてめえだろーが、このクソ坊主!」
「貴様がバカッパの分際で気色の悪いことを言うからだ!」

 一触即発の空気を感知したのか、急に桜の木の陰から八戒が現れた。
 両手には、彼のアビリティとメンタリティを表すかのように、お玉と包丁が握られていた。

「ふたりとも?」
 右手の包丁先を、小刻みに揺らしている。
「先程のお願い……煙草の灰が飛ぶからアッチに行っててくださいっていうのにね。追加してもいいでしょうか?もう少し静かに過ごさせて頂きたいんですけど」
 エモノの切っ先に夕日を反射させながら、にこやかに八戒が言った。
「折角の桜の花、愛でる気持ちくらいは、あなた方にだってあるでしょう?」
 即座に三蔵が返した。
「オレをコイツとひと括りにするな!」
「何だよ、そもそも春を愛でる気分に水差したのは……!」

ふたりとも?

 微妙にトーンの変わった八戒の声に、三蔵と悟浄の躯が固まった。
「お腹が空いて機嫌が悪くなるの、悟空だけじゃないんですねえ。ああ、悟空と言えば。今一生懸命に、魚を釣ってくれてます。夕餉を楽しみに、労働に勤しんでくれてるんですよね。…いい子です」
 八戒はそこで笑顔を曇らせた。
「……もし悟空が。あの純粋な悟空が。騒々しいオトナ達に、自分が搾取されてると感じるようになってしまったら、どうすればいいんでしょう。荒んだ空気に感化されて、不良になってしまったらどうすればいいんでしょう!」
「…おい、八戒」
 八戒の声のテンションが、徐々に上がって行く。
「不良になって反抗する悟空。煙草なんて吸い出しちゃったりして。髪の毛も、赤とかキンパツに染めちゃったりして」
「おい…」
「酒かっくらって民間人に如意棒振り回したり、女遊びなんか始めちゃったりして…!なんて怖ろしい!!」
「俺はお前の方が恐ろしいよ、八戒」
「もう判ったから、食事の支度に戻れ、八戒」
 疲労を帯びた声で悟浄と三蔵が言い、八戒がまた笑顔に戻った。
「あ。判って頂けました?じゃあ、いいオトナなんですから仲良くしてくださいね」

 包丁を閃かせながら戻って行く八戒を見送り、悟浄と三蔵は深い溜息をついた。
 三蔵が煙草を咥え、悟浄がそれに火を着ける。
 暫く、二種類の紫煙だけが立ち上っていた。

「桜。」
「ああ?」
「すっかり陽が沈んで、夜桜になっちまった」
「ああ」

 幹にもたれかかり、仰け反るように三蔵は頭上を見た。
 野営地から洩れているのであろう焚き火の光りを、桜の花弁が孕んでぼんやりと輝く。
 薄闇が、静かに降りて来る。
 視線を流せば、朧な月が昇っていた。

「春宵一刻値千金、な」
「だろ?」
 にや、と。意外な程に嬉しそうな悟浄の顔に、三蔵は暫く目を留めた。
「……フン」
 深く、煙を吐き出し。
 黙って煙草を吸い続けた。

 幾本目かの煙草の火を、悟浄は地面に擦り付けた。
「さーんぞ」
「…このッ!?」
 悟浄は、ごろりと転がり三蔵の腿に頭を載せた。
「貴様、ナニしやがるっ!」
「動くなよ」
 深紅の瞳が、また嬉しそうに瞬いた。

 悟浄の視界には、瞳に怒気を閃かせ、鼻にしわを寄せた三蔵の顔
 柔らかに顔を彩る金の髪
 その後ろに広がる、淡い桜、桜、桜
 蒼白く、薄明るく、真白く輝く、桜花
 はらはらと散り、自分の脚に、胸に、三蔵の髪に、肩に、降る、降る……

 くしゃり、と。
 不貞不貞しさを持つ顔が笑み崩れ、頬に残る傷跡が、紛れた。
「あんたが美味そうに煙草吸うの、珍しいじゃんさ」
 悟浄は三蔵の前髪に絡む花びらに手を伸ばした。
 はらり。
 自分の上に舞うのに、目を細める。
「……折角、綺麗なんだもんよ。ちょっとくらい、じっとしてな」
 悟浄は目を瞑り、無防備に腕を両脇に投げ出した。
「もうちょっとだけ。このままでいろよ」

 三蔵が新しい煙草を咥えた。
「……バカッパ。目ェ瞑ってて、ナニが夜桜だ。エセ野郎が」
「はーい、センセー。悟浄くんはー、五感で春を感じてるんでーす。…痛てて。いやーん、センセーったら、態度が粗暴ーっ」
 目蓋を閉じたままで笑う悟浄の髪を、三蔵が引っ張る。
 本気で悟浄が痛がるまで引っ張り、手を離した。
「三蔵?」
「この煙草一本分。その間だけだ」
「…三本分にしない?」
「調子こいてると撃つ」
 三蔵は、法衣に流れる紅い髪を見下ろしながら、冷ややかな声で言い、
 そして自分も、桜の幹に身を預けると、目を瞑った。

「口利いてる間も、勿体ねえや」
 食事を報せにやって来た悟空は、大の大人ふたりがうずくまって眠る姿を発見し、面白そうに眺めた。
「こういうの、春眠暁を覚えずっていうんだろ?」
「さあ……。放って置いたら、確かに朝まで眠るかもしれませんけど」
 笑いを堪えるのに必死な八戒は、悟空に向かって咳払いをひとつして見せた。
「風邪をひくといけませんから、もう少ししたら、起こしましょうか。……それにしても、本当に静かにしてくれましたね。この人達も、『いい子』って言ってあげないといけないんでしょうか…?」
 語尾を口の中で濁し、もう一度、小さな咳払いをした。
 残されたふたりの上に、笑み零れるように桜が舞う。
 暖かな、ある春の夜のこと。













 fin 







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◆ note ◆
カウンター55555を踏んで下さった、りくさんへ
リクエスト「53。83前提の方が、むしろ萌えです」
…前提の83が吹っ飛んで、色気なしな53風味ですね^^;
ちょびっと引用の『桜門(桜門五三桐)』は「さんもんごさんのきり」と
読むらしい。そのタイトルで、許して

りくさんへ、見上げた三蔵の怒り顔と桜、笑みじわに隠れそうな
ごじょさんの傷痕を捧げます
オプションで八戒さんの包丁はどないだ?